2012/05/15 - 2012/05/29
47位(同エリア110件中)
jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
2012年5月の旅はロマンチック街道をAugsburgアウクスブルクまでの半分を走り、更にシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道を巡る旅をしました。
古城好きには色々な古城群を訪れるチャンスが多く、面白い旅になりました。
グリム童話の白雪姫の城、皇妃エリザベートが幼少期を過ごした”シシーの城”、”Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件のリーダー)の城を順次訪れる事が出来た。
また、ゲーテが処女戯曲で描いて、世に知られた“鉄腕ゲッツ” ・Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれたDie Goetzenburgゲッツェンブルク城や、長じてその半生を過ごしたBurg Hornbergホルンベルグ城など、“鉄腕ゲッツ”の関係した古城群を巡る旅はとても興味深いものだった。
旅が終わってみれば、訪れた古城の総数は52にもなりました。
XXXXX
写真は“鉄腕ゲッツ”の関係した古城の一つ、Burg Moeckmuehl(Die Burg)メックミュール城:1870年
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群と幽閉された塔など・その②
5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km
*6時半起床。8:30~9:15朝食。2回の夕食時に隣のテーブルで食事をしていた2組のドイツ人夫妻とは、昨日の城内見学でも一緒だった。朝食の際に、一人の夫人から話かけられた。
何でも、息子さんが日本の女性と近く結婚されると言う。私共が日本人とみて、何となく、話しかけてみたかったようだ。“それはおめでとうございます。若いカップルにも宜しくお伝えください。きっと良い結婚になるでしょう!”とお祝いしておいたが、私の知るケースでも、日本人が花嫁のケースが多く、大体ががうまくいっている。
さて、ゲッツェンブルク城を9:40に出発。今日の初めはゲッツの関係した城を訪れる。
写真は2012.05.26.Burg Moeckmuehl (Die Burg)メックミュール城の現在 -
ヤークスト川沿いの道を西に17km走ると、Moeckmuehlメックミュールの町に至る。街中に入ると、メックミュール城の標識も無く、何処か分からない。歩いていた小母さんに尋ねると、この道を戻って左の道を登った丘にあると言う。正確に言われたので、行ってみたがどうも違う。
ドイツ人は何かを教えねばという気持ちからだが、かつても何度か違う道を教えてもらった事がある。仕方なく又道を戻り、街中に向かう。
すると先の左手の丘に城郭らしきものが見えた。小母さんが言った方向はこっちだったのかもしれない。
メックミュール城近くの道路脇の薪小屋傍の空き地に車を停め、歩いた。
写真は2012.05.26.Burg Moeckmuehl (Die Burg)メックミュール城:城壁や城郭 -
≪Burg Moeckmuehl (Die Burg)メックミュール城≫ 36番目の城
見学10:10〜10:40
D-74219 Moeckmuehl 、Schlossberg 26
Seckachゼカッハ川がヤークスト川に合流する辺りにMoeckmuehlメックミュールの町がある。人口8千人の小さな町はヴュルツブルクからヴィンプフェンに至る街道で重要な拠点であった。
メックミュール城はGoetzenburgゲッツェンブルク城とも称される。
写真は城内への道 -
城の歴史:
かつてローマの城砦があったとも云われている。
13世紀頃にヴュルツブルク司教の配下のHerren von Duern.デュレンの騎士の居城が築城された。
1287年にホーエンローエ家の領地になる。
1445年、プファルツ選帝侯に売却。
1470年頃に城は要塞化された。
1504年、17歳のHerzog Ulrich von Wuerttembergヴュルテンベルク公ウルリヒはバイエルン公国で起きたランツフート継承戦争に参加し、メックミュール城に対して6日間の攻城戦を行った。
1517〜1519年の3年間、鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがメックミュール城を居城とした。
1519年、Herzog Ulrich von Wuerttembergヴュルテンベルク公ウルリヒ(1521年にはボーデン湖近くの難攻不落の要塞城Singen・Hohentwielホーエントヴィールを築城した。)がReutlingenロイトリンゲンを占領しようとして、ついに*Schwaebischen Bundシュヴァーベン同盟を敵にまわしてしまい、戦争になった。
ヴュルテンベルク公ウルリヒ の代官として仕えたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがメックミュール城を守っていたので、この戦いにウルリヒ側で参戦し、シュヴァーベン同盟に敗北して捕まり、*ハイルブロンに3年間監禁されたと云う。
1902年General Gustav Hermann von Alvensleben 将軍グスタフ・ヘルマン・アルベンスレーベンとGemahlin Gabrieleガブリエル令夫人(ベルリヒンゲン家の出)が現在の城を建て、1996年まで、アルベンスレーベン家の居城であった。
写真は天守を見上げて -
現在は個人所有となり、一般公開はしていない。
尚、2011年以来、クリシュナ意識国際協会(インド人宗教家A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダが、世界布教のために立ち上げた新宗教団体)の所有となっているそうだが、実態はどんなものか知らない。
さて、古城だが、道路から横道に入って行くと、自然に左手に“ゲッツの塔”の異名で呼ばれている天守閣(1519年・高さ13m)が見えてくる。
塔には1900年頃まで塔の看守人が住んでいたと云う。それほど広く見えない5角形の台地上に城郭は建てられていて、中でも天守閣と地下蔵は中世当時を残し、厚い城壁も、深い空堀もあり、華々しかったとはいえないが、興亡の歴史の跡、かつてのゲッツの城を思い起こされる。
一般公開はしていないそうだが、石橋を渡って入ると、中庭になる。住居棟の前の庭園で、若い男女が遊んでいた。
こうしてみると、この地方一帯にある古城は個人所有が実に多い。まー、城に住むというのは、それなりにステイタスであり、魅力的な事なのだろう。
http://www.moeckmuehl.de/
車を置いた空き地に戻ると、通りかかった車から中年の親切な御夫婦が降り立ち、“何かお困りですか?”と言われた。道に迷った外国人と思われたのでしょう。“ゲッツの城が興味あって、丁度見てきたところなのですよ。”と答えると、お二人はにこやかに手を振って、街中の方に走って行かれた。
写真は天守閣(1519年・高さ13m) -
*Schwaebischen Bundシュヴァーベン同盟とHeilbronnハイルブロンの鉄腕ゲッツ
ドイツ農民戦争は1524年、西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民反乱から始まった。
彼らは賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など「12ヶ条の要求」を掲げて各地の農民に呼びかけたため、蜂起はシュヴァーベンから東南のチロルへ、東北のテューリンゲン・ザクセンへと広がっていった。
この農民反乱に直面した諸侯たちはシュヴァーベン同盟を結成して、農民軍の鎮圧にあたった。
諸侯軍は4月、ライブハイムで農民軍を襲い、1000人の農民を虐殺してドナウ川に投げ捨て、その後も各地で農民軍を各個撃破していった。
写真は2012.05.26.Heilbronnハイルブロン:Bollwerksturmボルヴェルク塔(1519年ゲッツが幽囚された塔)の当時の姿 -
他方、ヴュルテンベルク公ウルリヒとシュヴァーベン同盟との関係もひどく険悪なもので、一揆鎮圧後のウルリヒはシュヴァーベン同盟との抗争に巻き込まれることになる。
1519年7月にマクシミリアン1世が死ぬと、シュヴァーベン同盟はついにウルリヒとの戦争を起こし、ウルリヒをヴュルテンベルクから追放した。
同盟はその後、ヴュルテンベルク公国を神聖ローマ皇帝カール5世に売却した。
ウルリヒに仕えていた”鉄腕の騎士”ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンはシュヴァーベン同盟と戦うも敗北し、捕虜となり、ハイルブロンのボルヴェルク塔に監禁されてしまった。後にゲッツは皇帝カール5世に仕えた。
1534年、シュヴァーベン同盟は解体した。
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写真は2012.05.26.Heilbronnハイルブロン:Bollwerksturmボルヴェルク塔(1519年ゲッツが幽囚された塔)の現在 -
写真は2012.05.26.Heilbronn:Goetzenturmゲッツの塔(ゲーテの戯曲から名付けられた。)
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≪Die Burgenstrasse古城街道巡り≫
メックミュールの町から、A81のアウトバーンに入り、33kmほど南下すると、Weinsbergヴァインスベルク城が右手に見える。かつて、この道を度々通ったが、何時か、あの城に登ってみたいと思っていた。今日はその念願の町に来る事が出来た。
写真は丘の上のヴァインスベルク城址 -
写真は丘の上のヴァインスベルク城・<伝説Die Treuen Weiber von Weinsberg ヴァインスベルクの貞淑なる女房達>の舞台である。
≪古城伝説:ヴァインスベルクの貞淑なる女房達Die Treuen Weiber von Weinsberg≫
http://4travel.jp/travelogue/10894553 -
Burg Weibertreuヴァイバートロイ城(かつてはWeinsbergヴァインスベルク) は37番目の古城。
伝説Die Treuen Weiber von Weinsberg ヴァインスベルクの貞淑なる女房達の舞台である。
写真はヴァインスベルク城址から眺める町 -
ヴァインスベルクから14km先のBad Wimpfenバート・ヴィンプフェンは何時も停まる場所から、単に遠望し、“青の塔”を中心にした町の遠景写真を撮るだけに留めた。
写真はBad Wimpfenバート・ヴィンプフェンの遠景 -
写真はBad Wimpfenバート・ヴィンプフェン・中央が青の塔
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≪Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道≫
ドイツの観光街道の一つ、古城街道は創設以来の60周年を2014年3月に迎える。
中世からの歴史あふれる城は、それぞれの古城・館がその魅力的な風景を現在も保っている。
興味深い古城街道の道標が立つ道は全行程凡そ1000kmである。
Mannheimマンハイムをスタートし、Heidelbergからネッカー川に沿った古城・古城ホテルの多さを楽しみ、Heilbronnハイルブロン、Rothenburgローテンブルク、Nuernbergニュルンベルク、Bayreuthバイロイト、Bambergバンベルク、Coburgコーブルク、Kulmbachクルムバッハなどを経由し、チェコのプラハまで魅力的な町々をつないでいる。
ネッカー川は湾曲しながら、オーデンの森を蛇行し、ホーエンローエ平野や起伏のあるフランケンヘーエ平野を流れていき、そしてフランケン地方の北端へと続いているが、このネッカー渓谷には多くの中世からの魅力的な城や館がある。
ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。
其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、ツヴィンゲンブルク城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城と数々の城が流域にはあり、興趣ある古城街道が整備されている。
私はドイツの古城街道の古城群を多くを見てきたが、いまだチェコ地域(プラハを除くと)の古城群を見ていない。
写真はDie Burgenstrasse・Map−古城街道図ドイツの左部分 -
更に、ネッカー川を渡り、ヴィンプフェンの街中を通過し、12kmで思い入れのある古城ホテルのハインスハイム城に到着した。ここで昼食にしたいと思っていた。
写真は古城街道を走ると時々目にする街道の道標 -
<Hotel Schloss Heinsheim古城ホテル・ハインスハイム城> 38番目の城
13:25〜13:40
D-74906 Bad Rappenau 、Gundelsheimer Strasse 36
http://www.schloss-heinsheim.de
ハインスハイム城は1730年に築城された。1960年頃に古城ホテルに改装し、開業した。ラクニッツ男爵家所有のホテルはバロック様式の城館と、礼拝堂、メインレストラン棟、戸外のプール、テラスレストラン、全42室、月曜休み。
写真は古城ホテルのハインスハイム城・本館(宿泊棟)左手に教会。 -
古城街道を走ると、必ずここを訪れる。駐在時に泊り、食事もしたこの古城ホテルは健在だった。
レストランに入ってみたが、誰もいない。これも前回と同じだが、今日は土曜日だから、誰もいないのはおかしいと思っていたら、何やら今夕の結婚式・披露宴の準備でバタバタしているようだった。
ホテル棟の前に結婚式関係者もチラホラ見られる。
写真は古城ホテルのハインスハイム城のレストラン -
写真は古城ホテルのハインスハイム城・レストラン棟
-
庭園のプール傍に行ってみると、水はいっぱいに入っていたが、シーズンには早く、木の葉で水面が汚れていた。娘たちとここで泳いだ事を思い出していると、プール傍で読書していたドイツ人が話しかけてきた。
“今日は友人の息子の結婚式披露宴に招待されてきたのですが、貴方方はどちらからですか?”
“私共は東京から来たのですが、古城や古城ホテル好きで、かつて駐在した頃に、ここにも宿泊した事もあり、懐かしくて訪ねたのですよ。今は感傷旅行と称して、毎年ドイツを旅しているのです。”
“私はトヨタ関連の仕事(代理店?)をしていましたから、日本とは色々と関係があるのですよ。そう言えば、ここから25kmと近いSinsheimジンスハイム(ハイデルベルクとハイルブロンの中間の町で古城街道上にある)に行かれましたか?この町にはBurg Steinsbergシュタインスベルク城や自動車・技術博物館があって、面白いですよ。”
“そうですか。名前は以前から知っていますが、まだ訪れた事がありません。今度来た時には是非訪ねてみたいものですね。”
といった会話を交わして、お別れした。
写真は古城ホテルのハインスハイム城・プール前で -
次は4km先のGundelsheimグンデルスハイムです。Schloss Horneckホーネック城下の道路脇に車を停め、葡萄畑に囲まれたホーネック城と、ネッカー川の対岸に見えるBurg Guttenbergグッテンベルク城を遠望した。
<Burg Guttenbergグッテンベルク城> 39番目
13:45
D-74855 Hassmersheim-Neckarmuehlbach
http://www.burg-guttenberg.de
グンデルスハイムの対岸の丘の上に立つ古城はかつてのシュタウフェン王家の城である。
ネッカー渓谷において数少ない難攻不落の城は15世紀以降、550年と長きにわたりFreiherren von Gemmingenゲミンゲン男爵家が所有している。ゲミンゲン男爵家の家系には
Gemmingen-Steinegg 、Gemmingen-Guttenberg 、Gemmingen-Hornberg 、Gemmingen-Michelfeldの4つがある。城内博物館、レストラン。
ここのDeutsche Greifenwarte auf der Burg Guttenberg鷹の飛翔ショーが、よく知られていて、2001年5月の旅で一度ショーを見た事がある。
(毎日11時、15時開演)
http://www.youtube.com/watch?v=8gsnWXakWBs
写真は対岸のBurg Guttenbergグッテンベルク城 -
Gundelsheimグンデルスハイムにある、葡萄畑に囲まれたSchloss Horneckホーネック城も鉄腕ゲッツと少々縁がある。
写真はRenault Scenicルノー・セニック・2000cc・ ガソリン車・黒 5T と背景のホーネック城 -
≪Schloss Horneckホーネック城≫ 40番目の城
13:45
D-74831 Gundelsheim
http://www.gundelsheim.de/
http://www.heimathaus-siebenbuergen.de/
人口7200人のGundelsheimグンデルスハイムの頭上に高々と立つ、ホーネック城は12世紀頃に建設された。
この城は1438年にドイツ騎士団総長の居城となり、以来1525年まで、Marienburg in Westpreussenマリエンブルク(西プロイセン・現ポーランドMalborkマルボルク)と、Rigaリガ(現ラトビア共和国の首都で “バルト海の真珠”と讃えられる美しい港町・世界遺産)に次いで、ドイツ騎士団第三番目の主要地であった。
後のプロイセン王国の建国に繋がる東方植民の先駆けとなった。
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは1525年のドイツ農民戦争の際、ここで蜂起した農民軍の歩兵隊長に任命された。
写真はホーネック城 -
現在、ブドウ畑に囲まれている城はルーマニア・トランシルヴァニア地方の郷土博物館になっている。
トランシルヴァニア地方はかつて、ドイツ人の植民が行われた地であり、大戦後に引揚者がこの地に戻り、城は彼らの為の住居として提供された。
その名残で現在は養老院としても利用されている。
XXX
写真は2012.05.26.Gundelsheim-Neureuther-1833グンデルハイムの景観・1833年 -
B27を7kmで鉄腕ゲッツが半生を過ごした城・Burg Hornbergホルンベルグ城に到着した。ここで、ハインスハイム城で食べられなかった昼食を食べる事にした。
古城は当然ながら、皆高い所にあり、狭い道を上り下りする。対向車が来ると、もう相手に任せて、当方は出来るだけ動かない様にしている。
葡萄畑に囲まれた城に上がってみると、駐車中の車が多い。
どうやらここでも結婚披露宴が行われているようだ。レストラン棟横のBurghof中庭に天幕が張られて、着飾った人たちがうろうろしている。
幸い、裏手の道路脇に駐車スペースが空き、直ぐ車を置く事が出来た。
レストラン棟に向かうと、本日の主役である新郎がポルシェを運転してやってきた。自分の車なのか、借り物なのか、ともかくドイツの若い人にも、結婚には一つの型があるのだろう。
今日は花嫁を見るチャンスが無かったが、ここまで各地で新郎新婦を見てきた。
麗しの春は結婚の春でもあるようだ。
写真は見事なBurg Hornbergホルンベルグ城 -
<昼食:古城ホテル・ホルンベルグ城のパノラマレストランで>
14:10〜15:10 Euro28(2,997円)
レストランに入ると、鉄腕ゲッツの城らしく、彼の肖像画と、例の鉄の義手が壁に掲げられている。
1408年のハイルブロンで行われた、騎士の馬上槍試合の図も壁に描かれている。
この時間はそろそろ食事の客が減りだす頃で、予約なしで窓際の良い場所に座れた。
写真は鉄腕ゲッツの肖像画と、例の鉄の義手が壁に掲げられている。 -
写真は1408年のハイルブロン・騎士の馬上槍試合の図と。
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写真は眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な景色。
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パノラマレストランからは、ネッカー川の流れと共に文字通りの美しい景色を今日も見る事が出来た。
そして、遠く緑の中にグッテンブルク城も霞んで見えた。
写真は緑の中にグッテンブルク城 -
飲み物;オレンジとリンゴのジュース。
メイン;
①見た目も食感もピザのようなアルザス風*Flammkuchenフラムクーヘン。
②フランクフルターソーセージ、野菜サラダとバゲット添え。
家内と2品を交互に食べてみたが、なかなか美味しいもので満足です。
*Flammkuchenフラムクーヘンはフランス・アルザスでは Flammekueche というそうです。アルザスで食べた事がなかったが、昨春、ブレーメンで初めて食べた。
今度、彼の地に行ったらぜひ食べてみたいものだ。
基本はロールパン生地に玉葱、ベーコンをのせてオーブンで焼きますが、様々なレシピがあるようだ。クーヘンと称しているが、甘いものではない。小腹が空いた時とか、ビールのつまみ的な意味で食べる。ピザに似た食感です。
写真は古城ホテル・ホルンベルグ城のパノラマレストランで -
≪Burg Hornberg古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城≫
41番目の城は鉄腕ゲッツが手に入れ、後半生を過ごし、自らの回想録を残した。
そして、戦場で死ぬことも無く、ここで死んだ。
14:05〜15:10
D-74865 Neckarzimmern
http://www.burg-hornberg.de
人口1500人の小さな村Neckarzimmernネッカーツィメルンはネッカー川沿いに細長い。街道沿いの急斜面の丘の上に立ち、高さ27mの塔(12世紀末)を持ったホルンベルク城はネッカー川畔からも良く見えて、古城の趣に満ちた景観である。
古城にはレストラン棟とホテル棟(全24室)が設けられている。古城街道の城巡りの際、ちょうど休憩に適した場所にあり、ここのレストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしく、遠くにBurg Guttenburgグッテンブルグ城も見え、眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な場所である。
古城ホテル・この事もあり、昼食やお茶、そして夕食に何度も訪れている。
写真は古城ホテル・ホルンベルグ城のパノラマレストランで・・・昼食時間も過ぎて、ほとんどお客はおりません。 -
城の歴史と今:
12世紀にホルンベルク城の起源がある。長い間、Bistums von Speyerシュパイヤー大司教の治下にあって、城主の交代のたびに城は改装、補修されて、現在の城に残っているのはゴシックからルネッサンス様式まで見られる。
この城は“鉄腕ゲッツ”の居城として世に知られている。
16世紀の農民戦争で活躍した、鉄腕の騎士“鉄腕ゲッツ” Goetz von Berlichingen ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”は1517年にホルンベルク城を購入し、その後半生の45年を過ごした。
城主となり、名もGoetz von Berlichingen zu Hornberg ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。
Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名は、その後も息子や孫が受け継いでいる。
この城でゲッツは自らの回想録を残したので、これを読んだ文豪ゲーテが戯曲作品“Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”を書き、この事で世に知られた。
写真は駐車も大変。 -
現在のオーナーであるFreiherren von Gemmingen ゲミンゲン男爵家の祖先が1612年、ホルンベルク城をゲッツの孫から購入し、以降12代の城主たちがこの地を治めてきた。
30年戦争中の1634年、1645年の2度にわたり、攻城軍の占領、略奪にあう。
1689年、プファルツ継承戦争でルイ14世の仏軍により、城は焼き払われた。
1700年、度重なる戦争被害を受けたので大修復を行った。だが、1738年以降になると、城は無住となり、19世紀まで徐々に廃墟化が進んだ。
1825年、ロマン主義の流行で、古城懐古の風潮が起こり、ゲミンゲン家は居城として再建。20世紀前半から大規模修復が行われ、1930年代にはゲミンゲン家の家族が住み始める。
1953年、ネッカーを一望できるレストランを開業する。
1957年には古城ホテルもオープンする。また、古城はブドウ畑に囲まれていて、ワインの醸造も行っている。
2012年はゲッツがホルンベルク城で死去してから450年、現オーナーのゲミンゲン家の祖先が城主となってから、400年の記念年である。
http://www.neckarzimmern.de/
写真は2012.05.26.Burg Hornberg:Goetz_von_Berlichingen鉄腕騎士ゲッツ -
ここまで来ると、やはり寄って行きたい古城がある。
Schloss Neuburgノイブルク城である。
8km戻ることになり、ネッカー川の向こう岸になるが、Obrigheimオープリヒハイムの村の高台に古城ホテルSchloss Neuburgノイブルク城がある。
<お茶:Schloss Neuburg古城ホテル・ノイブルグのレストランで>
16:15〜16:45 Euro13.32(1,425円)
苺入りバニラアイスとコーヒー。
古城ホテルはちゃんと再開されたようで、きれいに改装されていた。城門前の駐車場に車を停めて、中庭に入ってみた。
レストランのスタッフが何やら夜の準備にかかっている様子だ。声をかけて、“お茶が飲みたいのだが・・・”と、一瞬間があって、OKとなった。
彼女らも休みたい時間だったかもしれない。レストランで美味しい苺入りバニラアイスを楽しんでいると、二人の小学生ぐらいの女の子が、父親と入ってきた。アイスが目当てで、嬉しそうにアイスを持って外に出て、食べている。
その内、又入って来て、2度目のアイスを注文した。
何処の国の子供も同じだ。
写真は古城ホテル・ノイブルグの城門 -
<Schloss Neuburg古城ホテル・ノイブルグ(新しき城)> 42番目の城
16:15〜16:45
D-74847 Obrigheim 、Schloss Neuburg 1
http://www.schloss-neuburg.eu
古城ホテルは人口5200人のObrigheimオープリヒハイム村にあり、ネッカー川岸の丘の上に小ぢんまりした城館が見える。全13室。
2001年5月に古城街道を訪れた時に2泊した、懐かしい古城ホテルである。
城の歴史は古く、970年に最初の城が出来たとされている。1598年ルネッサンス様式に改築されたものが現在の城の多くを占めている。
Obrigheimオープリヒハイム村内を抜け丘に上がると、城門前に至る。
古城ホテルの経営主体は1978年に古城を購入したObrigheim原子力発電所である。
1961年にこの町はドイツ初の商用原子力発電所の建設地に選ばれた。資本金1億DMのオープリヒハイム原子力発電所GmbH (KWO) が設立された。
ドイツは原子力発電を将来に渡って、徐々に無くしていく国家方針になった為、この原子力発電所は2005年初頭から操業を停止している。
2007年の春の旅で再訪すると、古城ホテルの門は閉まり、誰一人いなかった。親会社・原子力発電所の経営が揺ぎ、この古城ホテルも閉鎖の憂き目にあったようだ。
今回、調べてみると、2007年11月に経営者が代わり、嬉しい事に古城ホテルは再オープンしていた。 http://www.obrigheim.de/
写真は古城ホテル・ノイブルグの本館 -
写真は2012.05.26.古城ホテルSchloss Neuburg:下手より・かつてホテルの最上階5階右手の角部屋に泊まった。
-
高台から村内を通り、先ほどの道に戻った。ネッカー川沿いにB37を走る。
18km でいつも遠望する地点に至った。
Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城を遠望する。
写真はツヴィンゲンベルグ城と横長の村 -
<Burg Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城> 43番目の城
17:00
D-69439 Zwingenberg 、Schlossstrtasse 1
http://www.schloss-zwingenberg.de
ツヴィンゲンベルグ城は14世紀初期の城郭。緑濃い山腹に中世風の塔(40m)が高々と立っていて、ネッカー川畔から見る城全体が最も良い景観である。
古城街道の名城と言われるだけの素晴しさがある。
現在もバーデン大公の個人所有で、一般公開は行っていない。
但し、作曲家ウエバーがこの地に来て、“魔弾の射手”を作曲したことから、毎年8月、城内でコンサートが開かれると云う。宿泊も可能。
川に沿った横長の村民は680人。
http://www.zwingenberg-neckar.de/
写真は2012.05.26.Schloss ZwingenburgBurg Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城:ネッカー川からの眺め -
一応行程に入っていたEberbachエーベルバッハは止む無く通過し、ヒルシュホルン・アム・ネッカーの町の高台に立つSchloss Hirschhornヒルシュホルン城に17:25到着した。
今夜はここに宿泊する。
≪“ネッカーの真珠”ヒルシュホルン城の伝説≫
http://4travel.jp/travelogue/10983700
XXX
写真は2012.05.26.Hirschhorn_hoefle1848ヒルシュホルン城1848年
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この旅行記へのコメント (2)
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- のまどさん 2015/05/13 20:14:48
- 古城街道
- jijidarumaさん、こんにちは。
連休なので、今夜からドイツ出発です。行きつけのアーヘンの温泉に入って、明日・明後日とハイルブロンに宿泊、帰路はいつもの通りデュッセルという予定です。
古城街道はプラハまで続いているんですね。創立60周年と言うのはjijidarumaさんのブログで初めて知りました。ハイデルベルクではサルと学生牢は少なくとも見ておきたいと思います。あとはBad Wimpfen辺りに寄ろうかと思っていますが、行き当たりばったりになると思います。
旅先からもちょくちょくブログを覗かせてもらいますね。
今の季節は白アスパラ。ここ1ヶ月毎週のように食べていますが、ドイツ人が誇る味を楽しみにしています。
- jijidarumaさん からの返信 2015/05/13 23:49:43
- RE: 古城街道
- のまどさん
こんばんは。
5月14日はキリスト昇天祭とのこと、連休なのですか!
良い季節にお出かけ、白アスパラも賞味できて良いですね。ヨーロッパに住む利点です。
私などは5月の連休も家にいるだけ、庭木の剪定、同人誌のゲラチェックで終わりました。
4Tの皆様もこの時期にお出かけの様子で、私も落ち着かぬ日々になりました。そろそろドイツ旅行を企画せねばと思っています。さて、どうなりますやら・・・。
古城街道の古城群についてはいろいろと掲載しましたが、又、私も行きたくなりますよ。
良い旅を!
そして旅のご報告を大いに楽しみにしております。
jijidaruma
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旅行記グループ 鉄腕ゲッツの異名を持った騎士
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