2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅
2012年5月の旅はロマンチック街道をAugsburgアウクスブルクまでの半分を走り、更にシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道を巡る旅をしました。
古城好きには色々な古城群を訪れるチャンスが多く、面白い旅になりました。
グリム童話の白雪姫の城、皇妃エリザベートが幼少期を過ごした”シシーの城”、”Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件のリーダー)の城を順次訪れる事が出来た。
また、ゲーテが処女戯曲で描いて、世に知られた“鉄腕ゲッツ” ・Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれたDie Goetzenburgゲッツェンブルク城や、長じてその半生を過ごしたBurg Hornbergホルンベルグ城など、“鉄腕ゲッツ”の関係した古城群を巡る旅はとても興味深いものだった。
旅が終わってみれば、訪れた古城の総数は52にもなりました。
写真はDie Goetzenburgゲッツェンブルク城・正面
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<Goetz von Berlichingen ? der Ritter mit der eisernen Hand
“鉄腕の騎士ゲッツ” 鉄の義手を付けて戦った騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン>
1480年、ベルリヒンゲン家の三男として、ゲッツェンブルク城に生まれた。
16世紀初頭のバイエルンのLandshutランツフートの戦い(1504〜05年)に「中世最後の騎士」と呼ばれた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に従軍し、1504年、ランツフートで敵の大砲砲火によって右腕を失った。
その後、ニュルンベルクの鍛冶屋に作ってもらった鉄の義手を付け、農民戦争や様々な戦場に赴いたと云われ、民衆の英雄として歴史に名を残した。
ゲッツはまさにドイツの田舎騎士で、宗教改革も帝国改革も彼には無縁のものでした。
戦争があれば喜んで参戦し、気にくわない奴が誰であろうと決闘を申し込む向う見ずさを発揮している。唯、皇帝には盲目的な忠誠を誓い、化石化した中世の騎士と言えましょう。
ゲッツは2度結婚していて、7人の息子、3人の娘に恵まれた。
古城街道のネッカー沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城で長く捕われの身であった時に、自らの回想録を残した。ホルンベルク城を購入し、城主となり、晩年にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名はその後も息子や孫が受け継いでいる。
ゲッツの家系はHornberg‐Rossachベルリヒンゲン・ロザッハ家が本流であるが、Graf Friedrich Wolfgang von Berlichingen‐Rossach (1826〜1887) ベルリヒンゲン・ロザッハ家のフリードリヒ・ヴォルフガング伯は1861年、“鉄腕ゲッツとその家族”という題名の本をライプツィヒにて出版している。
尚、古城ホテル ゲッツェンブルク城のあるBerlichingen-Jagsthausenベルリヒンゲン・ヤークストハウゼン家は兄弟のHans von Berlichingenハンスの家系である。
文豪ゲーテがゲッツの回想録を読み、1773年、24歳の時に鉄腕ゲッツの生涯を戯曲にした。ゲーテの処女戯曲として自費出版されたものだが、この事でドイツ国内にゲーテと鉄腕ゲッツの名が広く知られるようになった。
ゲーテの作中ではゲッツは英雄的な人物として描かれ、若くして死んでいくが、史実のゲッツは「盗賊騎士」と揶揄された血の気の多い人物で80歳過ぎまで生きながらえている。
又、主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンが有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」と同じ意味の“侮辱語”として通用するほどになったと云う。
確かに私の辞書にも出ている!
ついでに言うと、Goetze(ゲッツェ)の単語がその下にあり、偶像、偽神の意味があり、“Das Geld war sein Goetze.”の文意は“彼にとって金が全てだった。”といった侮蔑の意味合いがあるそうだ。
それがGoetze(ゲッツェ)からきたのか、私には分からないが・・・。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツ -
≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ 鉄の義手を付けて戦った騎士Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
5月24日(木); 晴、31℃と暑い日、127km(この日まで10日間で1,321km)
10泊目のDie Goetzenburgゲッツェンブルク城に16:45と良い時間に到着できた。
古
城ホテルは本来の入口である庭園正面の車寄せで降り、正面玄関から入るのだが、この日は観光シーズン最大の催しである城祭り(6月6日〜8月19日の長期間にわたるBurgfestspiel城祭り=中世祭り)の準備で、左手の先にある木橋から城内に入るようになっていた。空堀に架かる橋を渡り、2階にあるレセプションに行って、チェックインした。
裏手の駐車場も業者の車が停まっていたが、幸い駐車スペースはあった。トランクをスタッフに持ってもらって、細い暗い通路・・・ここには“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた・・・を通り、*Weislingenヴァイスリンゲンの部屋に案内された。
写真は“鉄腕ゲッツ”の野外劇の看板 -
写真はDie Goetzenburgゲッツェンブルク城の入口
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Special Arrangement“素晴しい古城の夢”で書かれていたように、私共の部屋は歴史を感じさせる、がっちりした天蓋付きベッドが中央に置かれ、半円形の張り出し窓の間があり、花飾りで装われたテーブルには果物や水もあって、予想以上に良い部屋でした。
窓から下は空堀があり、散歩道があり、緑の木々の先はヤークスト川が流れているようだ。
写真は私共の部屋・空堀から見ると、丁度、私共の部屋は城の右隅にあり、張り出し窓の間は塔の2階部分にあたるように見えた。 -
早速、周辺や城内を凡そ一時間かけて散策した。城の裏手はヤークスト川に守られ、三方には深い空堀がある。正門から入ると右手に、以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸(11室)が設けられて、宿泊客もありそうだ。
また正門横にBurgfestspiel城祭りの看板が置かれていた。丁度20年前のダイヤモンド社の“ドイツの古城ホテル”には毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いとある。
単なる市民劇では無く、一流の俳優陣が出演する野外劇は見るからに本格的で、この準備の様子を見ると、時期は少し違ってきたが、相変わらず人気があるようだ。
更に城の横手にまわり、空堀から見ると、丁度、私共の部屋は城の右隅にあり、張り出し窓の間は塔の2階部分にあたるように見えた。夕食まで少々休憩だ。
写真は古城ホテルの裏手 -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:レセプション前
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写真は城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。
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写真は細い暗い通路・・・ここには“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた
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この古城ホテルの部屋には“鉄腕ゲッツ”の野外劇に登場する人物名を付けているそうだから、ヴァイスリンゲンも調べてみたくなった。
写真は私共の部屋ヴァイスリンゲンの部屋の前で
*Weislingenヴァイスリンゲンの部屋の名前?
“鉄腕ゲッツ”の野外劇(5幕)に登場するAdalbert von Weislingenアダルベルト・フォン・ヴァイスリンゲンの名前を私共が宿泊した部屋に付けたそうだ。
アダルベルトは劇中、ゲッツの敵役であると云う。ゲッツとは幼少の頃から一緒に育ち、よくお互いを知っていた友人であった。彼はヴァイスリンゲンを所有し、ゲッツに似て、良い性格を持っていたが、同時にうぬぼれの強い、軽薄な、感化され易い所があった。
ゲッツは妹のマリアを帝國騎士団の代表の一員であったアダルベルトと婚約させたとある。
検索してみると、ヴァイスリンゲンはフランス・アルザスにある563人の住む村であった。それ以外に該当する所が無く、ヴァイスリンゲンの場所は分からない。 -
写真はRittersaal騎士の広間
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≪⑩⑪Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城≫ この旅32番目の城
D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 20
Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階) 、Euro110x2=220(22,425円)
Tel:+49 (0) 7943 9436-0 、Fax:-9436200
http://www.die-goetzenburg.de/
古城ホテルは全28室(本館17室+以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸11室)がある。レストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理を提供する。
ゲッツェンブルク城はJagstヤークスト川に沿ったヤークストハウゼンにある。
ドイツ騎士団の城館がある保養地バート・メルゲントハイムや、ネッカー川沿いの古城群にも車で30分の距離と近い。
また、ヤークスト川の上流4kmには鉄腕ゲッツの墓碑もある美しいKloster Schoentalシェーンタール修道院が見られる。
かつてはBurg Jagsthausen ヤークストハウゼン城と呼ばれていたが、現在はゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で全国的に知られた為、Die Goetzenburgゲッツェンブルク城、つまりゲッツの城と称されるようになった。
毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。
写真はヴァイスリンゲンの部屋にある張り出し部分の間 -
その歴史は12世紀頃のHerren von Husenフーゼンの騎士により(Widdern an der Jagstヴィデルン・アン。デアー・ヤークストから出た騎士で、ベルリヒンゲン家の家系に繋がるようだ。)築城された事から始まる。
14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。
1480年、ベルリヒンゲン家の三男に、後に“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれた。鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。
城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。
写真は時代を感じさせる天蓋付きベッド -
<アレンジメント:Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢の内容>
Ein romantischer Kurzurlaub fuer Ritter und Burgfraeuleinロマンチックな騎士や城主の娘の気分に・・・
Die Leistungen:サービス内容
1 x Begruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のキール(カクテル)を夕食に提供
1 x Regionales 3-Gang-Menue am Anreiseabend第一日目の夕食は3品の郷土料理
1 x Romantisches 4-Gang-Dinner bei Kerzenschein am 2.Abend第二日目の夕食は4品のロマンチックなキャンドルディナー
2 x Traeumen und Geniessen im historischen Himmelbettzimmer歴史を感じさせる天蓋付きベッドで2泊
1 x Flasche Sekt auf dem Zimmerお部屋に1本のシャンパンをご用意
1 x Obstkorb auf dem Zimmer お部屋に果物をご用意
2 x Jagsttaler Fruehstuecksbueffet2回の朝食
Blick hinter die ?Geheimtueren“ bei einer privaten Fuehrung durch die Burg秘密のドアの特別御案内
Eintritt in das Burgmuseum (April-Oktober) 城内博物館の入館
Mineralwasser auf dem Zimmerお部屋にお水のサービス
Kostenloser Transfer vom Bahnhof Moeckmuehlメックミュール駅の無料送迎サービス
Kostenloser Parkplatz am Hotel無料駐車場
Euro169 pro Person Euro169X2=338
写真は天蓋付きベッドの天井 -
写真は浴室
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<夕食:古城ホテル ゲッツェンブルク城のSpeisesaal食事の間で>
18:45〜20:40 Euro67.37(6,878円)
Special Arrangement・“Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢”では、第一日目の夕食がRegionales 3-Gang-Menue am Anreiseabend 3品の郷土料理になっていた。
ホテルのレストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理だと云う。
人気がある古城ホテルはレストランもほぼ満席で、食事も時間がかかりそうだった。
予約席はRittersaal騎士の広間の隣にあったSpeisesaal食事の間にあり、窓際の席でしたから、目の前に緑の木々、それに隠れたヤークスト川、その先に畑地がある。
暑い日でしたので窓から風が入り、助かる。まだ明るく、夕食の雰囲気にはちょっと早い感じだ。
飲み物;アレンジメントの一つ、よく冷えたアペリティーフにBegruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のホーエンローエ風キール(カクテル)0.1Lを頂く。ビールStuttgarter Hofbraeu 0.3LX 2、お水0.7L。(飲み物代は合計Euro11.7)
スープ;海老入りのシュパーゲルシャウムのスープ。
メイン;牛肉のメダリオン、ジャガイモ、ブラウンソース。
デザート;クリーム ブリュレ(プリンのカラメル焼き)。
3品の割に食事時間がかかった。大勢のお客(多分宿泊も多い。)がいたので、メインからデザートは一時間近くかかったが、レストランのレベルは高く、味はとても美味しかったので、十分納得しました。
食事の途中で経営を任されているらしいクリーガー夫人が“鉄腕ゲッツ”の鉄の腕(勿論本物は博物館に展示されたままだから、偽だが)を持参して披露してくれた。
アレンジメントの一つ“ゼクト(シャンパン)”の用意もまだしていないが、部屋の方に用意させておく。”との事だった。
また、城内ガイドも何時が希望かと聞かれて、明日の午前中をお願いした。
写真はSpeisesaal食事の間 -
写真はSpeisesaal食事の間:飲み物・アレンジメントの一つ、よく冷えたアペリティーフにBegruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のホーエンローエ風キール(カクテル)0.1Lを頂く。
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写真はSpeisesaal食事の間:窓際の席でしたから、目の前に緑の木々、それに隠れたヤークスト川、その先に畑地がある。
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写真はSpeisesaal食事の間:スープ・海老入りのシュパーゲルシャウムのスープ。
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写真はSpeisesaal食事の間:ビールStuttgarter Hofbraeu 0.3LX 2
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写真はSpeisesaal食事の間:メイン・牛肉のメダリオン、ジャガイモ、ブラウンソース。
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写真はSpeisesaal食事の間:食事の途中で経営を任されているらしいクリーガー夫人が“鉄腕ゲッツ”の鉄の腕(勿論本物は博物館に展示されたままだから、偽だが)を持参して披露してくれた。
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写真はSpeisesaal食事の間:デザート・クリーム ブリュレ(プリンのカラメル焼き)。
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食事の後はきれいに準備された大広間をのぞき、野外劇の行われる内庭に行ってみた。
写真はRittersaal騎士の広間 -
周囲を網で囲い、敷地いっぱい、階段状に観客席が設けられて、そこでは台本の読み合わせを行う演出家と俳優たちがいた。
写真は野外劇の俳優たち -
<Burgfestspiele Jagsthausen Goetz von Berlichingen第63回“鉄腕ゲッツ”の野外劇>
毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。
その歴史は12世紀頃のHerren von Husenフーゼンの騎士により(Widdern an der Jagstヴィデルン・アン。デアー・ヤークストから出た騎士で、ベルリヒンゲン家の家系に繋がるようだ。)築城された事から始まる。
14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。
1480年、ベルリヒンゲン家の三男に、後に“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれた。鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。
城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の野外劇・俯瞰 -
*Burgfestspiele Jagsthausen Goetz von Berlichingen63回“鉄腕ゲッツ”の野外劇
http://www.jagsthausen.de/burgfestspiele/
http://burgfestspiele-jagsthausen.de/de/burgfestspiele/video/1378?image_page=
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:野外劇“鉄腕ゲッツ” -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:野外劇“鉄腕ゲッツ”
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:野外劇“鉄腕ゲッツ”
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写真は野外劇実行委員長夫妻Dr. Roman Herzog und Alexandra Freifrau von Berlichingen
*Alexandra Freifrau von Berlichingen アレクサンドラ・ベルリヒンゲン男爵夫人
アレクサンドラ夫人(von Vultejusヴルテウス家の出・ヘッセンの貴族)は1941年生れ、父はドイツ軍の騎兵連隊に所属。大戦後ハンブルクで育ち、ロンドン、メキシコに学ぶ。ハンブルクのコロンビア総領事館で英語と、スペイン語の通訳として2年ほど働き、その間にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵と知り合い、1964年、23歳で男爵と結婚し、長女Dianaダイアナ(1965年生れ)と長男ゲッツ(1967年生れ)をもうけた。
男爵はドイツ連邦軍の軍人であったので、コブレンツ、ヴェスターブルグ、ミュンヘン、ハイデルベルク、アンスバッハの各勤務地で過ごした。
“鉄腕ゲッツ”の野外劇は1949年にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵によって初めて開催され、今年で63回目を迎えるが、1994年に男爵が死去した為、アレクサンドラ夫人が、“鉄腕ゲッツ”の野外劇運営委員会の会長を引き受け、毎年その務めを果たしてきたと云う。
2001年、アレクサンドラ夫人(von Vultejusヴルテウス家の出・ヘッセンの貴族)はRoman Herzogローマン・ヘルツォーク第7代連邦大統領と再婚している。 現在71歳である。
*Roman Herzogローマン・ヘルツォーク
ドイツの法学者、政治家である。ドイツ連邦憲法裁判所長官(1987〜94年)、第7代連邦大統領(1994〜1999年)を歴任した。所属政党はドイツキリスト教民主同盟。現在78歳。2000年に42年間連れ添ったクリスティナ夫人が死去。2001年、ベルリヒンゲン男爵家の未亡人アレクサンドラ夫人(上記)と再婚した。 -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:博物館内
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:1861年
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*Schloss Rossachロザッハ城は今もゲッツ・ベルリヒンゲン男爵の居城
ロザッハ城はベルリヒンゲン・ロザッハ家の居城。古城ホテル ゲッツェンブルク城からも7kmほどの場所にある。現在も弁護士であるGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・ベルリヒンゲン男爵(1967年生れ)が家族(妻と3人の娘たち)と住んでいる。
この城は1540年にGottfriedゴットフリード(ゲッツ・ベルリヒンゲン)が自身で築城した。以後、ロザッハ城とゲッツェンブルク城はベルリヒンゲン一族がずっと居城とした。
30年戦争では一部が戦禍を受けたが、主要城郭部分の北側と城壁、城門などは現在も残っている。男爵の私有地の為、外観のみ見学は可能。
写真は弁護士であるGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・ベルリヒンゲン男爵(1967年生れ) -
写真はベルリヒンゲン男爵の居城Schloss Rossachロザッハ城
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*Das Rote Schlossローテ・シュロス(赤い城)
D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 17
ゲッツェンブルク城を出て直ぐの右手にある。この日は改装工事中だった。
1572年にHans Reinhard von Berlichingenハンス・ラインハルト・ベルリヒンゲンにより建設されたローテ・シュロス(赤い城)は18世紀にファサードとマンサード屋根(17世紀のフランスの建築家フランソワ・マンサールが考案したとされる屋根で、寄棟屋根の、外側の4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる外側四面寄棟二段勾配屋根である。天井高を大きくとったり、屋根裏部屋を設置したりするのに適している。マンサード様式などとも呼称される。)が増築され、現在の外観となった。
現在はFreiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵Gottfriedゴットフリード とFreifrau von Berlichingen ベルリヒンゲン男爵夫人Dr. Juliaユリア博士が住む。
http://www.rotesschloss.de/
写真はJagsthausen Rotesschloss:赤の城 -
*Das Weisse Schlossヴァイセ・シュロス(白い城)
D-74249 Jagsthausen 、Sennenfelder Strasse
ヴァイセ・シュロス(白い城)はJoseph von Berlichingenヨセフ・ベルリヒンゲンにより、1792年にネオバロック様式のベルリヒンゲン家の領主館として建設され、広い庭園が付属している。ヤークストハウゼンの3つ城の中で一番新しいのでNeues Schloss新しい城とも呼ばれる。
写真はJagsthausen Weissschloss:白の城・正面 -
写真は通路には“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた。
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写真は通路には“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた。
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写真は“鉄腕ゲッツ”の野外劇の舞台になる城内中庭。
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写真はゲッツの城の城門
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5月25日(金); 晴、26℃、109km
*朝食の後、城内ガイドに参加した。レセプション下で偶々来たスペイン人観光客2名と宿泊客6名の合計8名が待っていると、クリーガー夫人がやってきた。彼女がガイドをやるとは思わなかったが、ともあれスタートした。
<ゲッツェンブルク城;秘密のドアの裏側を特別御案内> 10:30〜11:30。
Blick hinter die ”Geheimtueren“ bei einer privaten Fuehrung durch die Burg“秘密のドアの裏側を特別御案内”というのがアレンジメントの謳い文句だったが、さて、どんなものになるのか?
最初に8.6m深さの牢獄をのぞき、続いて2階のRittersaal騎士の間に。ここを飾る大きな家具は周囲に紋章が描かれ、上部に神と皇帝、生者と死者の絵が、下部にベルリヒンゲン家の城主夫妻を左右に置き、中央に同家の二つの紋章を描いていた。一番下は(多分)同家の由緒を記していたのであろう。
3階のテラスに出て、周辺の眺望を眺め、3階の一部の部屋を見て回る。
それから最後は長方形の広い地下蔵に下りた。ここでは結婚式披露宴、騎士の宴も賑やかにできるらしい。秘密のドアの裏側を特別御案内とは、どうもここの話らしい。そう言えば、ゲッツの鉄腕を展示した博物館に入らず、そのまま忘れてしまった。
写真は城内・レセプション前に集合 -
写真はRittersaal騎士の間:ここを飾る大きな家具は周囲に紋章が描かれ、上部に神と皇帝、生者と死者の絵が、下部にベルリヒンゲン家の城主夫妻を左右に置き、中央に同家の二つの紋章を描いていた。一番下は(多分)同家の由緒を記していたのであろう
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写真は3階のテラスに出て、周辺の眺望を眺め、
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写真は3階の一部の部屋を見て回る。
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写真は各室。
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写真は各室。
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それから最後は長方形の広い地下蔵に下りた。ここでは結婚式披露宴、騎士の宴も賑やかにできるらしい
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ケラー地下室。 -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ケラー地下室
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ケラー地下室を利用し、結婚式披露宴、騎士の宴も賑やかにできる。
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸(11室)
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写真は“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
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旅行記グループ 鉄腕ゲッツの異名を持った騎士
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