2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
2012年5月の旅はロマンチック街道をAugsburgアウクスブルクまでの半分を走り、更にシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道を巡る旅をしました。
古城好きには色々な古城群を訪れるチャンスが多く、面白い旅になりました。
グリム童話の白雪姫の城、皇妃エリザベートが幼少期を過ごした”シシーの城”、”Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件のリーダー)の城を順次訪れる事が出来た。
また、ゲーテが処女戯曲で描いて、世に知られた“鉄腕ゲッツ” ・Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれたDie Goetzenburgゲッツェンブルク城や、長じてその半生を過ごしたBurg Hornbergホルンベルグ城など、“鉄腕ゲッツ”の関係した古城群を巡る旅はとても興味深いものだった。
旅が終わってみれば、訪れた古城の総数は52にもなりました。
XXXXX
写真はベルリヒンゲン家の紋章
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月25日(金); 晴、26℃、109km
≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群と墓碑など。
さて、ゲッツの関係した城や僧院が色々とあり、以下を訪ねてみた。;
ゲッツェンブルク城を12時に出発。ヤークスト川沿いを北東に6km走る。
ヤークスト川に架かる橋を渡ると、右手にSchoental シェーンタールの修道院がある。
写真は2012.05.25.Kloster Schoental シェーンタール修道院:全景 -
≪Kloster Schoental シェーンタール修道院≫
D-74214 Schoental 、Klosterhof 6
http://www.kloster-schoental.de/
http://www.schoental.de/
シェーンタールはJagsthausen ヤークストハウゼンからヤークスト川を6km遡る。
“ヤークストの真珠“称される修道院は1157年、Wolfram von Bebenburgベベンブルクの騎士ヴォルフラムによって建てられ、皇帝バロバロッサの庇護を受けたと云う。
中世のシトー会マウルブロン修道院から修道僧がやって来て、全盛期を迎えたが、それも100年後には経済的に困難を極めた。
1600年になると、新たな活発な建設期に入り、牧師館、教会施設、ビール・ワイン?醸造所、教育施設、森林学校など、今に残る様々な建物が増設された。
最初に目に入るのは、直ぐ右手に5600人の町を司る役場です。住所もKlosterhofの1番地で、門番のように立つ建物から、村と修道院の歴史的関係が良く分かります。
その先に、城で言えば城門のような佇まいをもった修道院の三層の門塔が立ち、紋章、Madonna im Torturm聖母マリア、時計が其々の層にある。
どこの修道院も城郭のような構えで、周囲を囲む壁の中は広い中庭があり、各所に大きな建物が立つ。
写真はシェーンタール修道院の三層の門塔・入口 -
まず左手に立つKlosterkircheバロック様式の教会に行く。
二つの高々とした尖塔をもち、美しいファザードを持った教会だ。
内部も豪華な装いをした主聖壇、美しい天井の漆喰画があり、ロマンチック街道の終点に近いヴィースの教会を思い出させた。
ここには珍しい事にパイプオルガンが無い。古い修道院の建物の一部に小さな博物館があり、スタッフに聞いてみると、“かつては立派なパイプオルガンがあったのだけど、ニュルンベルクの兵が持ち去ったのよ!
でも今は主聖壇の左手奥に隠れた様にあります。”と。
写真はKlosterkircheバロック様式の僧院教会 -
写真は豪華な装いをした主聖壇
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写真はシェーンタール修道院:美しい天井の漆喰画
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写真は豪華な装いをした主聖壇
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続いて行ったノイマン作のTreppenhausバロック風階段室はNeue Abtei新修道院の玄関を入った所にあった。改装したばかりなのか、鮮やかな金色と青の色彩に驚いた。
ドイツの旅で見たノイマンのいずれの作品に比べても、それは出色のものだった。誰も階段傍にいないのも妙にすごい。
写真はNeue Abtei新修道院・ノイマン作のTreppenhausバロック風階段室 -
写真は2012.05.25.Kloster Scheontal:Treppenturmシェーンタール修道院・階段塔ノイマンの階段
*バルタザール・ノイマン (Wikipedia抜粋)
Johann Balthasar Neumannヨハン・バルタザール・ノイマンは1687年1月30日(?)ヘプ(チェコ)〜1753年8月19日(?) ヴュルツブルクの砲兵隊大佐として亡くなった。
ノイマンはバロック及びロココ様式の建築家として名高い。1711年にヴュルツブルクの砲兵部隊に所属したが、司教ハン・フィリップ・フランツ・フォン・シェーンボルンの援助でイタリア、フランケン地方さらにはオランダで建築の腕を振るうこととなった。
ノイマンはバロックおよびロココの最も重要な建築家の一人で、彼によって、南ドイツの建築物は、あるいはドイツ・カトリックのバロック建築は、その頂点を築いたと云われている。
彼の本領は特に階段室や礼拝堂といった巨大なインテリアの創作に発揮されている。ノイマンは室内装飾の仕事を同時に行うことはなかった。むしろ専門的な芸術家を集め、その力を利用したと云う。
特にヴュルツブルクの司教宮殿(レジデンツ)では国際的な芸術家を集め、ヴュルツブルク・ロココの最高傑作を作り上げている。
XXX
尚、今まで私が見た代表的な作品群と場所;ヴュルツブルクのレジデンツ、大聖堂のシェーンボルン礼拝堂(1718年から1736年)、ブリュールの城館(階段室、1740年〜1746年)、ブルッフザールの城(階段室、1731年頃)、Schloss Veitshoechheimファイツヘーヒハイム宮殿(階段室、1752年)など。 -
写真は2012.05.25.Kloster Schoental シェーンタール修道院:ノイマン作のTreppenhausバロック風階段室・天井画
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修道院の回廊には鉄腕ゲッツの墓碑があると聞いていたので、立派なレセプションもある建物の中を歩いて行くと、奥まった所に中庭を囲んで回廊があった。
今に残るゲッツの肖像画によく似た顔をした騎士が跪いて祈る姿が彫られた墓碑があり、直ぐに分かった。
鉄腕ゲッツの異名を持つだけに、腕の所を観光客が触る所為か、黒く変色していた。この鉄腕ゲッツを始めとして、ベルリヒンゲン家の紋章が彫られた墓碑も多く、一族が尊宗してきた歴史を思った。
多分、ドイツの中世の歴史を知っていれば、この人かと、納得するのであろう人たちの墓碑も並んでいた。
http://www.youtube.com/watch?v=F9eseKpIxNQ
写真はKloster Schoental シェーンタール修道院:ゲッツの墓碑 -
写真は2012.05.25.Kloster Schoental シェーンタール修道院:ゲッツの墓碑
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写真はベルリヒンゲン家の紋章が彫られた墓碑も多い。
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昼食:シェーンタール修道院のDie Tagungshaeuserセミナー施設にて
13:00〜13:30 Euro35.3(3,779円)
回廊を歩いていて気付いたレストラン(どうもよく見ていたら、役所の人や、教会、教育施設関係の方が食べているようだった。)・・・レセプションの女性に聞いてみると、“食事もできますよ“という。お願いすると、レストランの小母さんにその旨を伝えてくれた。
小母さんも親切で、ビュッフェ方式のレストランはたいへん有難かった。
オレンジとリンゴジュース、スープ、ミックスサラダ、肉料理、アイス、コーヒーなど。
XXX
写真はセミナー施設にて昼食。 -
写真はオレンジとリンゴジュース、スープ、ミックスサラダ、肉料理など。
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写真はアイス、コーヒー。
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写真は左にレセプション・お店
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写真はゲッツの町Wappen_Jagsthausenヤークストハウゼンの町の紋章
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シェーンタール修道院を出る。
次の目的地は東に14km先のKrautheimクラウトハイムだった。
ヤークスト川の一番北の到達点に位置するホーエンローエの小さな村・クラウトハイム村の人口は4800人である。
http://www.krautheim.de/
≪Burg Krautheim(Stauferburg Krautheim)クラウトハイム城≫
D- 74238 Krautheim 、Burgweg 8
高さ17m、厚さ2.7mの防壁が囲み、教会、天守閣をもったクラウトハイム城は堂々たる姿を見せている。高さ約30mの天守閣からヤークスト渓谷や、周辺の一帯から遠望できる。
クラウトハイム城の城内博物館:城の歴史を展示。
見学は土日祭日の2~5時のみ。
http://www.krautheim.de/index.php?id=148
写真は2012.05.25.Burg Krautheimクラウトハイム城の全景 -
クラウトハイム城の歴史:
1213年、クラウトハイム城はWolfrad I. von Krautheimヴォルフラート1世フォン・クラウトハイムにより山頂に築かれた。
1240〜1242年: シュタウフェン家の帝権の象徴(王冠、王笏、剣)がおそらくクラウトハイム城に保管されていた。
1399年以後: クラウトハイムは、マインツ司教の勢力下(やがてその所領)におかれた。
1525年、農民戦争で城は罹災した。
1612年以降、マインツ大司教・領主Mainzer Erzbischof Johann Schweikhard von Kronbergクロンベルク家のヨハン・シュバイクハルトが城を拡大・強固にした。
1806年: ライン同盟によりアムト・クラウトハイムはヤークスト川の北側がバーデン大公国、南側がヴュルテンベルク王国に分割された。これによりクラウトハイムはバーデンにアルトクラウトハイムはヴュルテンベルクに属することとなった。
1889年、Torhaeuschen城門入口が改装された。
写真は2012.05.25.Burg Krautheimクラウトハイム城・俯瞰 -
ここはお目当てのクラウトハイム城も*ヨハンニター騎士団博物館にも行ってみたが、見学は土日祭日の2~5時の告示通りで、開いていなかった。
従って、周辺をぐるりと回っただけに終わった。Torhaeuschen城門傍の高台に登り、中をのぞいてみたが殆ど見えない。
ゲッツ関連の城として、*鉄腕ゲッツ記念碑があるはずだったが、残念にも記念碑も見ないで帰る事になった。
*ヨハンニター博物館
ヨハンニター騎士団(プロテスタントの聖ヨハネ騎士団)の歴史を展示。城山の村役場のすぐ近くにある。見学は土日祭日の2~5時のみ。
*Goetz-Gedenkstein鉄腕ゲッツ記念碑
ここに有名な "Goetz-Zitat"(ゲッツの格言・引用句)がある。
ゲーテの処女戯曲の作中では主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンは有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が同じ意味の“侮辱語”として通用するほどになったと云う。
写真はクラウトハイム城・Torhaeuschen城門傍の高台 -
(Doerzbachデルツバッハ)でB19に繋がり、南下する。左に行くとM‐Ailringenムルフィンゲン・アイルリンゲンのアルテス・アムトハウスに行く道だ。そのまま南下し、聖ヴェンデンを気付かずに一度通り過ぎた。
戻って聖ヴェンデン岩壁礼拝堂傍の駐車場に入った。
<Kapelle St Wendel zum Steinザンクト・ヴェンデル・ツゥム・シュタイン>
デルツバッハとホーエバッハの間に聖ヴェンデル岩壁礼拝堂がある。
伝説では、“ある羊飼いがここで財宝を見つけ、神への感謝に礼拝堂を建設したとされている。”キリスト教以前、ここには泉と木と岩からなるケルトの泉の聖域があったと云う。
初代の礼拝堂は、現在の礼拝堂の上にある巨大な岩の洞窟内に6世紀に設けられたと考えられている。その痕跡は現在も遺されており、見学することができる。
現在の建物は、前身となったロマネスク様式の礼拝堂があった場所に、ウルズラ・フォン・ベルリヒンゲンの依頼により、1511〜1515年に新しく建設された後期ゴシック様式の巡礼礼拝堂で三代目となる建築である。
1478年にはすでに、バッヒェンシュタイン家の所領台帳に『岩の礼拝堂』が記録されている。
写真は聖ヴェンデン岩壁礼拝堂傍の駐車場にあった説明版 -
駐車場から礼拝堂はヤークスト川の向こうに見える。
その場所に行く橋も道も見つからないので、諦めて、ここで休憩にした。
ゆっくりした30分になったが、最初の行程ではゲッツの城を朝に出発し、昼食をこの先のSchlosshotel Ingelfingen 古城ホテル インゲルフィンゲンで取ることにしていた。
参考;Schlosshotel Ingelfingen 古城ホテル インゲルフィンゲン
D-74653 Ingelfingen 、Schlossstrasse 14
Tel:49(0)7940 - 9165-0 Fax:−9165-50
http://www.schloss-hotel-ingelfingen.de/willkommen/
全22室。Langenburg・17kmとJagsthausenの中間のIngelfingenインゲルフィンゲン
の村にある。人口5700人。
http://www.ingelfingen.de/
写真は聖ヴェンデル岩壁礼拝堂 -
先に進む。(−>B19 D-Hohenbachホーエバッハ・Ingelfingenインゲルフィンゲン・Kuenzelsauキュンツェルザウ−>L? )と走り、31kmで Schloss Stetten (Hohenlohe)シュッテッテン城に到着した。
城の手前には住宅開発が行われていて、シュッテッテン城もそのプロジェクトに入っているように思えた。
写真は2012.05.25.Schloss Stetten (Hohenlohe)シュッテッテン城・左手:俯瞰 -
≪Schloss Stetten (Hohenlohe)シュッテッテン城≫ 34番目の城
15:15〜15:55
D-74653 Kuenzelsau 、Schloss Stetten
最初の城は皇帝バルバロッサの時代、11世紀頃に築城された。シュタウフェン朝時代の城はルネサンス・バロックの様式が見られる。
900年以上、シュッテッテン家の騎士の居城である。かつての武器塔にあるSchlosskapelle城内教会は必見だとのこと。
村内を歩いて行くと、Torhaus城門が見え、その先北西側に22.5mのBergfried 天守閣、Innere Burg城郭がある。
写真はTorhaus城門 -
城壁から下を見ると、葡萄畑が広がっている。
写真は葡萄畑 -
見事なシャクナゲが咲き、中庭には誰もいない。
この城も今の時期、城内見学は出来ないようだ。
写真は見事なシャクナゲ -
写真は左下は深い空堀になっている。
-
ここでも深い空堀を利用して、舞台と観客席を備え、Burgfestspiele城祭り野外劇が、今年は7月13日〜28日の間、“Die 3 Musketiere三銃士”が上演されるそうだ。
http://www.schloss-stetten.de/residenz-schloss-stetten/index.html
写真は2012.05.25.Schloss Stetten (Hohenlohe)シュッテッテン城:野外劇の様子 -
シュッテッテン城から次の城も村道の分かりにくい道を行く、ナビが心配になり、農作業中の小父さんに道を聞いた。
これをまっすぐ、右手の方に迂回すると、この村と反対側にBraunsbach-Tierbergブラウンスバッハ・ティアーベルク城があると教えてくれた。
見渡す限りの畑と森が続き、森の一角に小村があった。距離9km、村中に車を停め、森の道を200m下がると、城があった。
城門は予想通り閉まっていた。
写真はブラウンスバッハ・ティアーベルク城 -
≪Burg Tierbergティアーベルク城≫ 35番目の城
16:15〜16:45
D-74542 Braunsbach-Tierberg
ここは先日訪れたSchloss Langenburgランゲンブルク城にも近く、そこから西へ数km行くと、ブラウンスバッハ・ティアーベルクの村がある。
だから私共は狭い一帯を走っている事になる。
ここにシュタウフェン朝の頃からの騎士の城ティアーベルク城がある。ランゲンブルクの領主が、その部下のArnold von Tierbachティールバッハ家のアーノルドに1220年に築城させたものである。
この城はドイツの作家*Agnes Guentherアグネス・ギュンター作品で舞台となった城の1つとして知られる。
現在、ティアーベルク城は個人所有で、見学は不可と分かっていたが、ともあれ城門まで坂道を下って行き、城門前で写真を一枚撮った。これで満足だ。
左手の森の先はコッハー川が流れているらしい。道もあるらしく、自転車を携えた紳士が登ってきて、道路際に停めてあったBMWに自転車を載せて走り去った。
写真は2012.05.25.Schloss_Tierberg -
*Agnes Guentherアグネス・ギュンター(1863〜1911年)・作家
アグネス・ギュンターは地元の学部長ルドルフ・ギュンターの妻として、1891年から1906年にホーエンローエ地方の小さな町ランゲンブルクに住んでいた。
ヤーグスト川沿いの小さな町や、ランゲンブルク城主、ホーエンローエ平野の風景に触発されたアグネスは、彼女の唯一の小説“Die Heilige und ihr Narr聖人と王女の道化師”を書いた。彼女の小説(1913年初版)は伝説的な成功を勝ち取る事となった。
二つの世界大戦の間に数十万部が読まれ、その後も版を重ねて、100万部を越えるベストセラーとなったのである。
小説中にはSchloss Langenburgランゲンブルク城、Burg Tierbergティアーベルク城、Schloss Morsteinモルシュタイン城等が仮名で登場する。
勿論、私はこの作品を読んだ事が無いのだが、古城に絡んだ人にはどうも興味が湧くのだ。
XXX
写真は2012.05.25.AGNES_Guentherアグネス・ギュンター作:Die Heilige und ihr Narr聖人と王女の道化師 -
写真は2012.05.25.AGNES_Guentherアグネス・ギュンター
-
参考;Burg Aschhausenアッシュハウゼン城
D-74214 Aschhausen 、Schloss Aschhausen
http://www.schloss-aschhausen.de
アッシュハウゼン城はシェーンタール修道院から北東6km、人口300人の小村にある。
13世紀頃、築城された。1523年、シュヴァーベン同盟(1524年、ドイツ南部・中部の農民反乱に対抗した諸侯同盟軍)との争いで落城する。
その後17世紀に再建されて、かつてはシェーンタール修道院の狩猟館になった。
天守閣は築城当時のもので、1803年の修道院の世俗化により、Grafen Johann Friedrich Karl von Zeppelinカール・ツェッペリン伯の手にわたり、現在もFamilie von Zeppelinツェッペリン家の個人所有になっている。
写真は2012.05.25.Burg Aschhausen:アッシュハウゼン城・俯瞰 -
見学は不可と書いてあるが、HPを見ると、結婚式、家族の催しに利用されている。
XXX
写真は2012.05.25.Burg Aschhausen:1523年落城の図 -
参考;Schloss Hermersbergヘルメルスベルク城
Wuerthヴュルト グループがゲッツェンブルク城の野外劇の第一スポンサーである。
世界的な部品製作会社ヴュルトの会長Reinhold Wuerthラインホルト・ヴュルトが所有し、居住しているのはSchloss Hermersbergヘルメルスベルク城だという。
Niedernhallニーデルンハル(人口4千人の村)の南にこの城はある。
遅くも1540年に築城された。
北にKocherコッハー川(ネッカーの右岸支流・全長182km。ケルト語起源で“ほとばしる(水)”を意味する)、南にKupferクプファー川(コッハーの支流・全長26km)に挟まれた丘陵に立っている。
ヘルメルスベルク城は1974年4月30日以来、世界的な会社*ヴュルトの会長Reinhold Wuerthラインホルト・ヴュルトが所有し、居住している。
但し、近くを走ったが個人所有の城でもあり、訪れてはいない。
*Wuerthヴュルト;
バーデン・ヴュルテンベルク州ホーエンローエ地方に本社を置く世界的な部品メーカーグループである。創業者はアドルフ・ヴュルト。現会長はラインホルト・ヴュルト。
グループ従業員数約6万3000人、全世界で300万社を超える顧客を持つ自動車補修・整備市場での世界的トップ企業。 2008年連結売上高:1兆2000億円(8,800万ユーロ)。
http://www.niedernhall.de/
XXX
写真は2012.05.25.Schloss Hermersbergヘルメルスベルク城 -
XXX
ティアーベルク城はちょこっと見ただけだが、気分は満足した。元の道に戻り、(Kuenzelsauキュンツェルザウ・Ingelfingenインゲルフィンゲン・Niedernhallニーデルンハル・Forchtenbergフォルヒテンベルク)の順に走って、Jagsthausenヤークストハウゼン ・ゲッツェンブルク城に帰った。17:30着。距離47kmでした。
今日は鉄腕ゲッツが続いたが、明日もゲッツの城を訪ねる行程になる。
写真はスープ;鮭入りのキューリの冷製シャウムスープ。 -
夕食:古城ホテル ゲッツェンブルク城 19:30〜21:00 Euro89.83(9,171円)
Special Arrangement・Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢
Romantisches 4-Gang-Dinner bei Kerzenschein am 2.Abend第二日目の夕食は4品のロマンチックなキャンドルディナー。
飲み物;ドライシェリーX2(Euro9)、水0.7L(Euro5.5)、グラスワインWeisser Burgunder2011 0.2L X2(Euro8)合計Euro22.5。
スープ;鮭入りのキューリの冷製シャウムスープ。
前菜;ハニーメロンの上に生ハム、サラダ菜載せ、ハープ入りオリーブソース。
メイン;鶏肉のソテーにトマトソースかけ。ニッキョ、ジャガイモ、温トマト、サラダ菜添え。
デザート;マンゴーと木イチゴのシャーベット。黄モモにピーチソース。
写真は前菜;ハニーメロンの上に生ハム、サラダ菜載せ、ハープ入りオリーブソース。 -
家内の感想では今夜は団体客もいない所為か、スムースに料理は出てきたので良かった。料理の味そのものは昨夜の方が好ましかったそうだ。
そして二日とも“シェフのご挨拶”が無かったのも、近頃にしては珍しいと言った。
クリーガー夫人はレストランの一隅で、若い二人の結婚式の相談を受けていた。
食事の後、ホテルの部屋に戻ってみると、まだクリーガー夫人が言っていたゼクト(シャンパン)1本が用意されていなかった。よく働く人だから、また、ゼクトを忘れたようだ。
明日になっても困るので、レセプションに電話して部屋に持参するように頼んだ。届けられたゼクトはシャンパン入れに入って良く冷えていましたが、2泊目のハンメルブルクの古城ホテル ザーレック城から持参していた*赤ワインの小瓶0.25Lを飲み、*Schloss Affaltrachのゼクトは例年のように日本への土産にした。
*Hammelburgの古城ホテル ザーレック城で提供されていた2011年Rotwein Baron trocken Ramstal0.25L 、Baldauf Weingutバルダウフ ワイン醸造所のもの。
写真はメインを前にして、写真を撮ってもらった。 -
写真はメイン;鶏肉のソテーにトマトソースかけ。ニッキョ、ジャガイモ、温トマト、サラダ菜添え。
-
写真はデザート;マンゴーと木イチゴのシャーベット。黄モモにピーチソース。
*Sekt Trocken ・Schloss Affaltrach Brillant 、Obersulmゼクト(シャンパン)1本。
鉄腕の騎士ゲッツの城・古城ホテル ゲッツェンブルク城のSpecial Arrangementにあったサービスには部屋に1本0.75Lのゼクトを提供するというものがありました。
最近のホテルにはこの種のサービスが多くなった。滞在型ではないので、どうしても1本0.75lは飲むには多すぎるから、飲む機会を逸してしまう。今回もゼクトを飲まずに、持ち帰って、お土産にした。
オーバーズルムのアファルトラハ城醸造所の製品。
*Schlosskellerei Affaltrach Dr. Reinhold Baumann KG
D-74182 Obersulm-Affaltrach 、Am Ordensschloss 15
http://www.schlossaffaltrach.de/
この醸造所はWeinsbergヴァインスベルクの東10kmにあるObersulmオーバーズルム(町の名前は中心を流れるズルム川に因んだもの)の一地区のAffaltrachアファルトラハの町にある。
泊ったゲッツェンブルク城からも南に30kmほどだ。
1928年12月10日、ElisabethエリザベートとWilly Baumannビリー・バウマン夫婦が 1.2ヘクタールの広さのSchloss Affaltrachアファルトラハ城と城内公園にワインやゼクトの醸造所を設立したのが始まりである。
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旅行記グループ 鉄腕ゲッツの異名を持った騎士
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