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2015、GWの6日間、京都、奈良の史跡、古刹を多く廻って来た。<br /><br />4日目<br /><br />奈良の郊外編<br /><br /> 高取城跡、大和吉野・金峯山寺、吉野神社、飛鳥猿石、鬼の雪隠・鬼の俎、亀石、橘寺、亀形石造物、飛鳥寺、長谷寺、室生寺

京都奈良の史跡と古刹巡り その4

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2015/05/04 - 2015/05/04

322位(同エリア797件中)

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Wind99

Wind99さん

2015、GWの6日間、京都、奈良の史跡、古刹を多く廻って来た。

4日目

奈良の郊外編

 高取城跡、大和吉野・金峯山寺、吉野神社、飛鳥猿石、鬼の雪隠・鬼の俎、亀石、橘寺、亀形石造物、飛鳥寺、長谷寺、室生寺

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 朝7時頃、奈良盆地の南端、壺阪寺方面から入り、最寄に車を停めて、高取城跡を目指す。近畿で唯一未訪問であった100名城だ。<br /><br />最も徒歩が少ないコースを選び、車を降りて、ざっと20分、山道を登り山頂へ。

    朝7時頃、奈良盆地の南端、壺阪寺方面から入り、最寄に車を停めて、高取城跡を目指す。近畿で唯一未訪問であった100名城だ。

    最も徒歩が少ないコースを選び、車を降りて、ざっと20分、山道を登り山頂へ。

  • 標高583m。築城時、この高さに無数の石を運んだ苦労を思わずにいられない。<br /><br />日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。<br /><br />看板には、その日本三大山城サミットを開催していると書かれていた。

    標高583m。築城時、この高さに無数の石を運んだ苦労を思わずにいられない。

    日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。

    看板には、その日本三大山城サミットを開催していると書かれていた。

  • 江戸時代、2万五千石の城郭であった。<br /><br />山頂、天守からの眺め。<br /><br />これから向かう吉野路方面を望む。雲海は下に見える。

    江戸時代、2万五千石の城郭であった。

    山頂、天守からの眺め。

    これから向かう吉野路方面を望む。雲海は下に見える。

  • 大和吉野路に入る。ここに来るには初めてとなる。<br /><br />吉野は古代から山岳信仰の聖地であり、桜の名所である。<br /><br />細い山道を登って行くと、工事中の大門が見えた。<br /><br />はじめに目指す金峯山寺(きんぷせんじ)だ。本尊は蔵王権現。<br /><br />

    大和吉野路に入る。ここに来るには初めてとなる。

    吉野は古代から山岳信仰の聖地であり、桜の名所である。

    細い山道を登って行くと、工事中の大門が見えた。

    はじめに目指す金峯山寺(きんぷせんじ)だ。本尊は蔵王権現。

  • 本堂に行くと20名ほど並んでいたが、丁度8:30でオープンするところであった。いいタイミングでラッキー。<br /><br />入場は1,000円で、昨日の法隆寺1,500円に次ぐ。<br /><br />でもここもすごかった。入り口のポスターに、「日本最大秘仏本尊特別ご開帳」と書いてあり期待が高まった。

    本堂に行くと20名ほど並んでいたが、丁度8:30でオープンするところであった。いいタイミングでラッキー。

    入場は1,000円で、昨日の法隆寺1,500円に次ぐ。

    でもここもすごかった。入り口のポスターに、「日本最大秘仏本尊特別ご開帳」と書いてあり期待が高まった。

  • この本堂は、あの大きさで感動した東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築だそうだ。<br /><br />中は撮影禁止だが、本当は何とか、あの感動を伝えたい。<br /><br />中の金剛蔵王大権現3体は、すごい迫力だ!<br /><br />本尊は高さ7m、左右の中尊は6mもあり、間近で見ることができ、しかも目の前の個室で懺悔が出来るのだ。

    この本堂は、あの大きさで感動した東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築だそうだ。

    中は撮影禁止だが、本当は何とか、あの感動を伝えたい。

    中の金剛蔵王大権現3体は、すごい迫力だ!

    本尊は高さ7m、左右の中尊は6mもあり、間近で見ることができ、しかも目の前の個室で懺悔が出来るのだ。

  • そのポスターはこれだが、ポスターではとても秘仏のイメージが分からないが、見た人は分かる。H24年から10年間、毎年一定期間のみの公開だそうだ。今回見れて良かった。<br /><br />撮影禁止の仏像もなぜか、TV放映だったり、旅行雑誌にはその姿が写っているし、おおむねweb上のウィキペディアでは小さいが見ることができる。

    そのポスターはこれだが、ポスターではとても秘仏のイメージが分からないが、見た人は分かる。H24年から10年間、毎年一定期間のみの公開だそうだ。今回見れて良かった。

    撮影禁止の仏像もなぜか、TV放映だったり、旅行雑誌にはその姿が写っているし、おおむねweb上のウィキペディアでは小さいが見ることができる。

  • 狭い道に並ぶ多くの店で、くずきりを売っていた。

    狭い道に並ぶ多くの店で、くずきりを売っていた。

  • 歩いて近くの吉水神社に来た。ここも世界遺産だ。<br />

    歩いて近くの吉水神社に来た。ここも世界遺産だ。

  • 神社の入り口に一目千本の看板。<br /><br />このシチュエーションで、この言葉。すぐに分かった!<br /><br />吉野山の桜千本を一目で見渡せる絶好の場所の意味だろう。だから豊臣秀吉が、吉野の花見を開催した時、ここを本陣としたのは、この景色があるからと納得した。

    神社の入り口に一目千本の看板。

    このシチュエーションで、この言葉。すぐに分かった!

    吉野山の桜千本を一目で見渡せる絶好の場所の意味だろう。だから豊臣秀吉が、吉野の花見を開催した時、ここを本陣としたのは、この景色があるからと納得した。

  • 吉水神社本殿。<br /><br />世界最古の書院建築とあった。改修中だ。<br /><br />もとは金峯山寺の格式高い僧坊だったが、明治の神仏分離によって神社となった。 <br /><br />そのため、源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったことなど歴史が詰まっていた。

    吉水神社本殿。

    世界最古の書院建築とあった。改修中だ。

    もとは金峯山寺の格式高い僧坊だったが、明治の神仏分離によって神社となった。

    そのため、源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったことなど歴史が詰まっていた。

  • 源義経・静御前潜居の間。<br /><br />兄、頼朝に追われた義経は、ここで五日間を過ごす。さらに大峰山へ落ちたが、女人禁制の山でであり、静御前とはここで最後の別れになったという。<br /><br /><br /><br />

    源義経・静御前潜居の間。

    兄、頼朝に追われた義経は、ここで五日間を過ごす。さらに大峰山へ落ちたが、女人禁制の山でであり、静御前とはここで最後の別れになったという。



  • 後醍醐天皇玉座

    後醍醐天皇玉座

  • 秀吉が吉野の花見で持参した金屏風。<br /><br />山奥の小さな神社で、すごいお宝がある。さすが世界遺産だ。

    秀吉が吉野の花見で持参した金屏風。

    山奥の小さな神社で、すごいお宝がある。さすが世界遺産だ。

  • この後吉野山を一周したが、通行制限もあり目指す世界遺産の寺院へは行けなかった。<br /><br />吉野神宮を見て、吉野山を下り飛鳥に進む。

    この後吉野山を一周したが、通行制限もあり目指す世界遺産の寺院へは行けなかった。

    吉野神宮を見て、吉野山を下り飛鳥に進む。

  • 飛鳥の猿石に来た。吉備姫皇女王墓内にある4体の石造。<br /><br />奥の石造は猿に見えるが、手前の像は完全に人と思え、しかもはっきりと男性と分かる!

    飛鳥の猿石に来た。吉備姫皇女王墓内にある4体の石造。

    奥の石造は猿に見えるが、手前の像は完全に人と思え、しかもはっきりと男性と分かる!

  • 数m離れてさらに2体ある。<br /><br />渡来人と言われているが、奥の人はお笑い芸人だ。

    数m離れてさらに2体ある。

    渡来人と言われているが、奥の人はお笑い芸人だ。

  • 鬼の雪隠と近くの鬼のまな板。それぞれは数十m離れている。<br /><br />若い頃見たときは不思議と思っていたが、今は1つの古墳の石室だったと分かる。

    鬼の雪隠と近くの鬼のまな板。それぞれは数十m離れている。

    若い頃見たときは不思議と思っていたが、今は1つの古墳の石室だったと分かる。

  • 亀石に来た。<br /><br />さっきの猿石もそうだが、これも亀じゃなく、カエルではw。<br />

    亀石に来た。

    さっきの猿石もそうだが、これも亀じゃなく、カエルではw。

  • 橘寺。本尊は聖徳太子・如意輪観音。この付近が聖徳太子の誕生地とされる。<br /><br />ここも聖倉殿特別公開中とある(今回GW中で、訪問したほとんどの寺院で特別公開があった)<br /><br />お金を払って見学するか迷うが、今だけの特別公開なら入ろう、という心理になる。

    橘寺。本尊は聖徳太子・如意輪観音。この付近が聖徳太子の誕生地とされる。

    ここも聖倉殿特別公開中とある(今回GW中で、訪問したほとんどの寺院で特別公開があった)

    お金を払って見学するか迷うが、今だけの特別公開なら入ろう、という心理になる。

  • 本堂(太子殿)と手前には、聖徳太子の愛馬・黒駒。<br /><br />創建当初の橘寺は、金堂、講堂、五重塔を擁する66棟の堂舎が建ち並んでいた。<br /><br />近くには、石舞台古墳、高松塚古墳などがあり、往時の栄が偲ばれる。<br /><br /><br />

    本堂(太子殿)と手前には、聖徳太子の愛馬・黒駒。

    創建当初の橘寺は、金堂、講堂、五重塔を擁する66棟の堂舎が建ち並んでいた。

    近くには、石舞台古墳、高松塚古墳などがあり、往時の栄が偲ばれる。


  • 本堂横に、二面石。<br /><br />右は善相、左は悪相の顔だそうだ。飛鳥時代の石造。

    本堂横に、二面石。

    右は善相、左は悪相の顔だそうだ。飛鳥時代の石造。

  • 本堂前の阿字池の手前にある三光石。<br /><br />聖徳太子は推古天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を3日間にわたりご講讃になられ、その時、日月星の光が輝いたという。<br /><br />それに驚いた推古天皇は、この地にお寺を建てるよう太子に命じたのが創建伝説だ。<br />

    本堂前の阿字池の手前にある三光石。

    聖徳太子は推古天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を3日間にわたりご講讃になられ、その時、日月星の光が輝いたという。

    それに驚いた推古天皇は、この地にお寺を建てるよう太子に命じたのが創建伝説だ。

  • 次に移動した。15年前位に発掘された亀形石造物。手前の丸い水を溜める石が亀形になっている。<br /><br />この水が流れてくる方向のすぐ高台は、昨年見学した有名な酒船石だ。<br />ガイドさんに聞くと、その酒船石は、笹船を流して占いを行ない、笹船が訛って酒船石になったという説を教えてくれ、それが納得できた。

    次に移動した。15年前位に発掘された亀形石造物。手前の丸い水を溜める石が亀形になっている。

    この水が流れてくる方向のすぐ高台は、昨年見学した有名な酒船石だ。
    ガイドさんに聞くと、その酒船石は、笹船を流して占いを行ない、笹船が訛って酒船石になったという説を教えてくれ、それが納得できた。

  • 蘇我氏の氏寺で日本最古の本格的仏教寺院、飛鳥寺に来た。<br /><br />本尊は通称「飛鳥大仏」と呼ばれる銅造釈迦如来坐像(重要文化財)。

    蘇我氏の氏寺で日本最古の本格的仏教寺院、飛鳥寺に来た。

    本尊は通称「飛鳥大仏」と呼ばれる銅造釈迦如来坐像(重要文化財)。

  • ここも当時は大伽藍、五重塔等があった。<br /><br />平城京が出来た時に、飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となったが、元の寺もこの地に残った。

    ここも当時は大伽藍、五重塔等があった。

    平城京が出来た時に、飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となったが、元の寺もこの地に残った。

  • 現在の小さな本堂。この中に飛鳥大仏がある。<br /><br />2008年で、飛鳥大仏開眼1400年だ!<br /><br />

    現在の小さな本堂。この中に飛鳥大仏がある。

    2008年で、飛鳥大仏開眼1400年だ!

  • 飛鳥大仏。像高は2.75m。修復はされているが創建当時のものだという。<br /><br />体に比べて頭がやや大きく、面長の顔だで、鼻が高い。<br /><br />この堂内で坊さんが飛鳥寺の解説をしてくれ、さらにすべての撮影は自由ですよと言う。太っ腹だ。

    飛鳥大仏。像高は2.75m。修復はされているが創建当時のものだという。

    体に比べて頭がやや大きく、面長の顔だで、鼻が高い。

    この堂内で坊さんが飛鳥寺の解説をしてくれ、さらにすべての撮影は自由ですよと言う。太っ腹だ。

  • 飛鳥大仏の左に聖徳太子孝養像、右は阿弥陀如来像が設置されていた。

    飛鳥大仏の左に聖徳太子孝養像、右は阿弥陀如来像が設置されていた。

  • 境内の様子。左に鐘撞堂、右は思惟殿。本尊は聖観世音菩薩。

    境内の様子。左に鐘撞堂、右は思惟殿。本尊は聖観世音菩薩。

  • 100m田んぼ道を歩くと、蘇我入鹿の首塚がある。

    100m田んぼ道を歩くと、蘇我入鹿の首塚がある。

  • 奈良では、にゅうめんと書かれたメニューが気になっていて、ランチに頼んでみた。<br /><br />食べてみると、暖めた汁の中はソーメンだ。でもソーメンというメニューは別にあるので、ちょっと不明だ。でもここは三輪ソーメンのふるさとだから、きっと暖かいソーメンをにゅうめんと言うのだろう。

    奈良では、にゅうめんと書かれたメニューが気になっていて、ランチに頼んでみた。

    食べてみると、暖めた汁の中はソーメンだ。でもソーメンというメニューは別にあるので、ちょっと不明だ。でもここは三輪ソーメンのふるさとだから、きっと暖かいソーメンをにゅうめんと言うのだろう。

  • R165を進み、全国にある長谷寺の総本山・長谷寺に来た。<br /><br />古くから「花の御寺」と称され、丁度今は牡丹まつりの最中で、通りからの参道は車も通行禁止でしばらく歩いて、ようやく仁王門に到着。

    R165を進み、全国にある長谷寺の総本山・長谷寺に来た。

    古くから「花の御寺」と称され、丁度今は牡丹まつりの最中で、通りからの参道は車も通行禁止でしばらく歩いて、ようやく仁王門に到着。

  • 下登廊と牡丹。

    下登廊と牡丹。

  • 中登廊から、上ってきた下登廊を見下ろす。<br /><br />Pからは相当歩いてきた。

    中登廊から、上ってきた下登廊を見下ろす。

    Pからは相当歩いてきた。

  • 登廊の中はこんな感じで絵になる。

    登廊の中はこんな感じで絵になる。

  • 下登廊からさらに中登廊を登っていくと、やっと本堂だ。

    下登廊からさらに中登廊を登っていくと、やっと本堂だ。

  • ここでは本尊の十一面観音を見ることができる。<br /><br />国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のもので10mを超える巨大さで、表面は黄金だ。<br /><br />今回仏像はしばし、古かったり、大きかったり、数があったり見た瞬間驚かされ、感動させられる。

    ここでは本尊の十一面観音を見ることができる。

    国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のもので10mを超える巨大さで、表面は黄金だ。

    今回仏像はしばし、古かったり、大きかったり、数があったり見た瞬間驚かされ、感動させられる。

  • 本堂の前は清水寺と同じ、舞台造りになっている。<br /><br />本堂に向かって左側(写真中央)に五重塔が小さく見える。

    本堂の前は清水寺と同じ、舞台造りになっている。

    本堂に向かって左側(写真中央)に五重塔が小さく見える。

  • さらに東へ進み、室生寺に来た。<br />女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。

    さらに東へ進み、室生寺に来た。
    女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。

  • 鎧坂と金堂。これだ。この風景だ!<br /><br />写真家・土門拳は、ここの雪景色の撮影に執念を燃やしていた。<br /><br />私の履歴書の放送で紹介していた。

    鎧坂と金堂。これだ。この風景だ!

    写真家・土門拳は、ここの雪景色の撮影に執念を燃やしていた。

    私の履歴書の放送で紹介していた。

  • 金堂。ここでは本尊の釈迦如来立像(国宝)や薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立つ。

    金堂。ここでは本尊の釈迦如来立像(国宝)や薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立つ。

  • 金堂脇の石仏。

    金堂脇の石仏。

  • 本堂(灌頂堂)も仏像が見所だ。

    本堂(灌頂堂)も仏像が見所だ。

  • 五重塔。<br /><br />法隆寺塔に次ぎ2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小。

    五重塔。

    法隆寺塔に次ぎ2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小。

  • 夕方、少し小雨が降ってきた。さらに奥の院に行くには、長い階段が待っていた。<br /><br />今日はアップダウンの見学が多く、体力がきつい。

    夕方、少し小雨が降ってきた。さらに奥の院に行くには、長い階段が待っていた。

    今日はアップダウンの見学が多く、体力がきつい。

  • 370段余りの石段を登り「奥の院」に辿り着く。<br /><br />ここは完全に山岳寺院だ。

    370段余りの石段を登り「奥の院」に辿り着く。

    ここは完全に山岳寺院だ。

  • 奥の院には御影堂があった。<br /><br />内陣には、中興の祖と言われる、弘法大師四十二歳像という木像が安置されていた。<br /><br />この後、道の駅 針テラスまで走り、温泉に入り、ゆっくり寛いで仮眠した。

    奥の院には御影堂があった。

    内陣には、中興の祖と言われる、弘法大師四十二歳像という木像が安置されていた。

    この後、道の駅 針テラスまで走り、温泉に入り、ゆっくり寛いで仮眠した。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Imagine さん 2015/08/22 14:36:31
    私も奈良に興味がありますが…
    新幹線や鉄道で行く場合、かなり大変です。
    特に高取城には一度行ってみたいし、室生寺なども歩きたいのですが。
    何かいいアドバイスはありますか?

    Wind99

    Wind99さん からの返信 2015/08/22 21:51:13
    RE: 私も奈良に興味がありますが…
    高取城、室生寺も登り道が結構きつかったです。
    時間の余裕を見てゆっくり行けるスケジュールが必要そうです。

    自分の場合、高取城は、近畿での100名城のラストでしたし、室生寺は
    土門拳という高名なカメラマンが、ライフワークに雪の室生寺を
    撮影する執念の話(古寺巡礼)を聞いていて、どちらも必然にて訪問しました。何か理由やエピソードがあると、行けるのではと思います。

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