2015/05/03 - 2015/05/03
303位(同エリア593件中)
Wind99さん
- Wind99さんTOP
- 旅行記391冊
- クチコミ14件
- Q&A回答1件
- 307,130アクセス
- フォロワー23人
2015、GWの6日間、京都、奈良の史跡、古刹を多く廻って来た。
3日目
昨日斑鳩地区をマイカーで通過し、どこも駐車場代が1日500円だと知り、無料パーク&ライドを止め、法隆寺前の法隆寺iセンターに1日車を停めた。
今日の寺院巡りも、ここでしか見ることの出来ない、奈良時代の古い仏像を間近に見ることが出来、大変良かった。
奈良 斑鳩、西ノ京中心
(法輪寺、法隆寺、中宮寺、唐招提寺、薬師寺、法起寺、橿原神宮、藤原京跡、都塚古墳)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
今日は最も期待している法隆寺からだ。本尊は釈迦如来。
朝一番で、法隆寺南大門前に来た。
7時に来てしまい早すぎたので、中門まで先に行ってみた。 -
正面に中門、そして五重塔が見えた。
西院伽藍遠景のこの景色は、飛鳥時代だ。 -
法隆寺の長い土塀。
-
中門内の左右に塑造金剛力士立像がある。
日本最古(8世紀初)の仁王像だ。
外から見れるのはここまでなので、周辺をドライブし、場所と距離を探り、レンタサイクルを借りるか、今日の行動を図ることとした。 -
西院伽藍北西の小高い丘に八角造りの円堂があった。西円堂(国宝)。
中には、わが国最大級の乾漆像である本尊薬師如来座像(奈良時代)が安置されているという。
ここもまだ開いていない。 -
北東1.5mの位置にある法輪寺に移動。本尊は薬師如来坐像。
寺前には観光用無料Pがあり、うれしい。
表門チケット売り場で聞くと、8時からオープンしており丁度な時間で入ることが出来た。
すぐ左側にかわいい三重塔。 -
表門の右側には金堂がある。
-
正面には灯篭と、講堂がある。
この講堂には、飛鳥時代の貴重な薬師如来坐像や虚空蔵菩薩立像をはじめ多くの木造仏像(重文)があった。しかも、並んでいる像の裏に廻って見る事も出来た。
境内の配置は、当時の基本的な配置で、多くを見てそれがわかるようになって来た。 -
さらに2.2km離れた慈光院(大和郡山市)に来た。本尊は釈迦如来。
一之門前には、「茶道石州流発祥の寺」と「史跡名勝慈光院」の石碑。 -
参道は茶道らしい?雰囲気でGoodだ。
-
茨木城楼門。
徳川家康の発した一国一城令により取り壊された片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門をもらい受けたもので、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えて慈光院の山門とされた。
写真を変更
イチオシ☆
観光 ホテル グルメ・レストラン ショッピング 交通 選択しない(任意) 自分・友人などの人物 海・ビーチ 山 風景 街なみ 建物 記念碑・記念物 地元の人々 動物 花・植物 スポーツ 砂漠 雪・氷 絵画などの美術品 夜景 その他
書院、茶室、庭園は名勝、史跡だが、ここもまだオープンしていないので、これ以上は入れなかった。 -
町営の法隆寺iセンターに戻り車を停める。この周辺はどこでも1日500円と安い。
そのため、今日はここを基点にし徒歩で廻ることとした。
法隆寺西院伽藍から拝観する。法隆寺は広い。 -
中門の中は、左に五重塔、中央に大講堂、右に金堂となる。
これらは聖徳太子在世時のものではなく7世紀後半頃の再建であるが、世界最古の木造建造物群であることは間違いないという。ブラボー。
木造五重塔として現存世界最古のもので、4面にそれぞれ多数の塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。 -
中央の大講堂。
薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)を安置する。 -
右に聖なるご本尊を安置する殿堂である金堂がある。
飛鳥時代の金銅釈迦三尊像を初め多くの仏像があった。マストポイントだ! -
振り返るとこういう風景が見える。
-
金堂には龍。
-
西院伽藍を出る。
手水も代わった形だ。中近東のランプ? -
聖霊院。これらもすべて国宝だ。
聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。 -
聖霊院に隣接する東室。
-
百済観音堂がある大宝蔵院。ここは有料施設の2つ目だ。
百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。
展示を見ていて、百済観音像なるものが、木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、各書物で絶賛され最も著名になったと言うことを知った。
また有名な玉虫厨子(復刻版)も見ることが出来た。 -
3番目の有料施設の夢殿へ向かう。
東大門だ。
この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物。よく分からなかったが屋根が2つあるらしい。 -
6/30までの限定で、法隆寺秘法展が開催されていたが、カタログを見て入場はしなかった。
壁が倒れそうだ。 -
東院伽藍の中心、八角形の夢殿に来た。
中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)が安置されていた。 -
夢殿向かいの舎利殿。
聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物だが、中は見ることは出来ない。 -
隣接した敷地にあった中宮寺。聖徳太子ゆかりの寺院。本尊は如意輪観音。
-
本堂の中では、国宝の木造菩薩半跏像を見ることが出来た。
法隆寺の拝観を終え、南大門前に戻ると、法隆寺駅行きのバスが丁度来ていた。
JRの駅までは15分は歩くので、それに乗り、JRで2つ目の郡山まで行った。 -
郡山から1km歩いて近鉄郡山に行く。
途中に郡山城の外堀緑地があった。
近鉄で2つ目の西ノ京で降りる。 -
駅からしばらく歩いて、唐招提寺に来た。南大門から入る。本尊は廬舎那仏。
開基(創立者)は唐の僧・鑑真。
あまり知らなかったが、鑑真は仏教者に戒律を授けるため、命がけで753年、6回目の渡航計画でようやく日本へ来たが、失明もし、既に66歳になっていた。 -
正面は金堂だ。国宝。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。
この中の仏像もすごいぞ。 -
さらに後に講堂。
朝廷より賜り移設された、平城京唯一の宮殿建築の遺構だそうだ。 -
左側講堂、真ん中奥に開山堂、右に鼓楼。
鼓楼は鑑真が唐から請来した仏舎利を安置している。 -
山側へ進む。開山堂は鑑真の身代わり像を安置する。
かつては御影堂安置の国宝「鑑真和上坐像」が安置されていたが、平成25年、国宝のそれに代わり、毎日参拝して頂く目的で製作された。 -
寺院はどこもつつじがきれいだった。
-
さらに奥に進むと・・・
-
鑑真の御廟があった。
-
鑑真和上ゆかりの瓊花(けいか)が特別公開されていた。
隋の煬帝(ようだい)が門外不出とした中国・揚州市の名花だ。
揚州出身の鑑真和上1200年忌を記念して、日中国交正常化前だった1963年、中国仏教協会から寺に1株贈られ、現在は10株に増えたという。 -
境内西側の蓮池の先ににあった戒壇。
出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所。 -
薬師寺に来た。本尊は薬師如来。
興楽門。
この写真は実は、斑鳩に行く途中に、下見に寄った時に撮ったものw。なのでちょっと陽が傾いている。 -
北入り口から入る。まず大講堂。この薬師寺もすごいぞ。
本尊の銅造三尊像(重文)は、中尊の像高約2.67mの大作。 -
大講堂後ろには、仏足石・仏足跡歌碑(国宝)があった。
天平時代の勝宝5年(753年)に刻まれたことがわかる日本最古の仏足石。 -
大講堂は、伽藍最大の建造物である。向かいの金堂と共に、正面には入れないよう、バリケードがあった。聞くと行事の準備(玄奘三蔵会大祭?)のためとのこと。
-
向かいの金堂。
奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像を安置する。
左に日光菩薩(にっこうぼさつ)、右に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配している。
この国宝は7-8世紀の作品のなかでも最高傑作の1つとして古来名高いものである。 -
西塔の五重塔。
後日、調べると、この塔や法隆寺の解体修理を行った宮大工の棟梁・西岡常一の名前が良く出てきた。その昔アウトドア雑誌の「BE−PAL」誌に連載されていた連載をよく読んでいて覚えていた。 -
西塔の向かいにある東塔。全身カバーで覆われていて解体修理中で、修理は10年間。完成は平成30年だ。
入場のパンフレットには、東西の塔と金堂が、若草山をバックに林立する、天平時代の雄姿が写っている。 -
北側の*玄奘三蔵院に進む。チケットはここの入場も入っていた。
-
玄奘三蔵を祀る。
「西遊記」の基ともなった三蔵法師である。この寺の、法相宗の開祖となった。尚、 日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2m、長さが49m(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」があり、これもまた見事であった。
西ノ京から、法隆寺のPに戻る。近鉄郡山駅で降りると、法隆寺行きのバスがあることがわかり、それで斑鳩に戻った。 -
斑鳩に戻り、法起寺に来た。本尊は十一面観音。
ここは昨夕や、今朝も来たが、ようやく開門している時間に来れた。 -
国宝、三重塔。高さ24mで、三重塔としては日本最古である。
その伽藍配置は、塔を東に金堂を西に配したもので、法隆寺西院や法輪寺とは位置が逆転しており、法起寺式と呼ばれている。 -
南に移動する。広陵町に入ると竹取物語の竹取公園の看板を見付け、寄って見た。
竹取の翁の住んでいた場所として、この地名が明記されているのが理由だそうだ。 -
橿原神宮(かしはらじんぐう)へ着く。
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮とされるこの地に、明治天皇により、明治23年に創建された。
丁度、参道では全国陶器市をやっていた。 -
来年に向けて、神武天皇2600年大祭記念事業の大看板。
-
広大な敷地を歩き、ようやく本田へ。
-
さらに移動し、特別史跡 藤原京跡へ来た。
飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。 -
現在も発掘調査が続く。飛鳥藤原第186次発掘調査中であった。
-
今年、飛鳥の「ピラミッド」都塚古墳、墳丘内部まで石積み
という新聞記事で話題になった都塚古墳に来た。
この古墳は、以前より、飛鳥で唯一、外部から石棺が見る古墳として有名であったようだ。
今は土に埋め戻されていた。 -
外から見える内部はこんな感じ。鉄格子の扉が閉まっていて中へは入れない。
-
すぐ近くには、有名な石舞台古墳があった。
入り口とは逆の高台から望む。
この後、さらに南に走り、道の駅吉野路i大淀に行き、仮眠。
この日、到着後雨が降ってきた。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58