2015/05/05 - 2015/05/05
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2015、GWの6日間、京都、奈良の史跡、古刹を多く廻って来た。
5日目
(柳生の庄、奈良若草山、頭塔、京都市醍醐寺、西本願寺、神泉苑、京都御苑)
この旅に来る前、京都奈良の旅番組をよく見てきたが、やはり知ってて来るのでは大きな違いがあった。その寺院の謂れや見所が、尚一層わかって大変良かった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
道の駅 針テラス。
ここは一般の道の駅より、敷地が広く、店舗も多く施設が充実していた。
コンビニや温泉もあり、そのせいで、混雑も激しかった。
今日も早起きし出発。 -
北上し、柳生の庄に来た。柳生陣屋跡。
柳生新陰流で知られる剣豪・柳生の里は奈良市にある。
左の人物は、柳生新陰流の開祖で柳生石舟斎宗厳。
右は2代目の柳生十兵衛三厳(みつよし)だ。 -
この陣屋跡は、現在奈良市の公園になっていた。
若き「宮本武蔵」も剣の修行のためこの里を訪れ、柳生道場で指南を受けている。 -
しばらく歩いていくと、旧柳生藩家老屋敷がある。
柳生藩の財政立て直しを行った家老小山田主鈴の旧屋敷だ。
まだ早くて見学ができない。この後、再び奈良の中心へ、柳生街道を進む。 -
奈良への道、柳生街道を進む。
再び奈良市の中心に向かう。有料の若草山ドライブウエイに入る。
市内の展望が一望なので、入ってみた。
途中の道で、東大寺と五重塔のビューポイントがあった。 -
山頂駐車場へ着き、歩いて絶景の展望台へ行く。
標高342mだ。奈良市内の眺望がいい! -
この山頂にも鹿がいっぱいいた。
ここは史跡 鶯塚古墳でもある。 -
市内を良く見ると、平城京跡の両端となる朱雀門と大極殿が横一直線に見えた。
昨日長谷寺で、頭塔という国指定史跡が、今だけ予約無しに見学できるというポスターが貼ってありそれを見て、予定を変更し再び奈良へ来た。 -
場所が分かりにくく、NETで色々調べて来た。
東大寺の1km南にある高畑町交差点近くで、一昨日のレンタサイクルで通った道だった。
さっそくガイドさんに説明を受ける。 -
上の絵は、盛り土を取り除いた現在の姿で、下の絵は、当初屋根があったと想像される完成時の様子だ。
-
頭塔(ずとう)は小さなピラミッドに見える。
高さ10mの7段の階段ピラミッド状の構造をしている非常に珍しい奈良時代の塔。あまり類似が無い。(堺市にも1つあるらしい)
写真の屋根のひさしがある所は、仏像が彫られていて、風雨からそれらを守るために設けられた。ただ、7段の回廊には、瓦が多く出土していることから、屋根付きであったと考えられている。 -
その仏像の1つ。もうかなり消えかかっている。
当初3段の仏教施設だったが、途中で7段に改造されている。 -
以前は、盛り土があり小高い丘として、子供の遊び場だったらしい。
1989年、土を取り除きピラミッド状に石が積まれていることが判明した。中心部には心柱の後があり、塔として建築されたと思われる。
普段は非公開だ。 -
北上し京都へ向かう。
昨年訪れた宇治の平等院は時間外で見学でなかったため、そこを目指すが、ようやく3月に改修工事が終わったためか、混雑がひどく、入場制限が掛かり、参拝を断念した。
宇治川を上り、白紅橋を渡る。この辺りは新緑と川の水がきれいで、魅力あるところだった。 -
次も昨年来たが、時間外で参拝できなかった所、醍醐寺に来た。世界遺産。
総門から入る。本尊は薬師如来。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地であり桜の名所だ。 -
ここは、3か所それぞれ各600円のチケットが必要なる。
1)三宝院拝観料
2)伽藍(金堂・五重塔)入山料
3)醍醐寺霊宝館入館料
さらに上醍醐に行くには、別途600円必要。
まず三宝院大玄関から入る。 -
この大書院は国宝で、醍醐の花見の際に奈良から移された能の楽屋を再移転し、中門を付加するなど書院造風に整えたもの。
目の前に広がる庭園は、秀吉の作と伝えられ、中央にある藤戸石は聚楽第から運ばれ、天下の名石という。
これらはしっかり見ることができたが、多くの重文とともに撮影禁止である。 -
国宝の唐門。
これは表の通りから見ることができる。桃山時代の華麗さが伝わってくる。 -
仁王門。
ここで入山料を払う。 -
平安後期仁王像の基準作。
-
木陰の道を進んでいくと・・。
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国宝の金堂があった。本尊薬師三尊像(重要文化財)を安置する。
秀吉の発願により紀州から移築したもので、落慶までは2年を要した。 -
五重塔(国宝)。
内部の曼荼羅等の絵画も国宝だが、それらは見学できない。
京都に残る数少ない平安時代建築として貴重。 -
観音堂(旧・大講堂)。昭和5年(1930年)建立。御朱印はここで頂く。
どの寺院でも御朱印を頂く人を見掛けたが、ここでは20名ほどの行列であった。
仏像にもあまり興味があまりなかったが、この旅でそういった知識も広がり、見目が変わってきたような気がする。 -
弁天堂。
小さな池と赤い橋と弁天堂、新緑が映えてきれいだ。 -
道を進むと回転式ドアがあり、出口に出た。その先は、上醍醐へつながる。
そこは醍醐水や、国宝の薬師堂など見所も多く、行くつもりであったが、徒歩1時間とあり、断念した。 -
周辺の道を歩き、戻ってきた。京都らしい道が広がる。
TVでも良く見るが、一度桜の季節に来て見たい。
毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」が催されている。 -
醍醐寺霊宝館に入る。
ここは文化財の保存・展示施設として昭和10年に開館した。
ここの仏像(国宝・薬師三尊像)も感銘したが、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」に詠まれた歌を記した花見短籍がすべて残っており、それを展示し、また秀吉から賜った黄金天目茶碗、花見に関する道具類等、展示され見ることが出来た。 -
この庭の桜の木のみごとさ。
豊臣秀吉がその晩年、ここで催した醍醐の花見は、女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、花見に招かれたのは女性ばかりであった。
宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い、前田利家正室・まつが「歳の順から言えばこの私。」と、申し出てその場をうまく取りおさめたという話が伝わっている。さすが加賀百万石のまつだ。 -
京都駅近くに来た。西本願寺だ。ここも世界遺産だ。
その昔来た時は、その建物の大きさにびっくりしたが、今では慣れてしまった。
阿弥陀堂(国宝)。 -
阿弥陀堂(国宝)の隣の御影堂(国宝)
親鸞聖人像が安置されている。 -
さらに国宝の唐門。
唐門は書院(対面所)への正門となるが、不思議なことに、この門が最初に本願寺に現れた年代や事情ははっきりしていないという。 -
阿弥陀堂門(重文)
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阿弥陀堂門の前は、小さな堀のように見える。
つつじがきれいだ。 -
二条城へ移動するが、先に手前の神泉苑に寄る。
元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。 -
境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀る。
ここは、毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える、日本で唯一の大歳神だそうだ。 -
法成就池に浮かぶ船。平安の昔をイメージさせる。
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正面の善女竜王社と法成橋、つつじが美しい。
この後、二条城のPに行くと、入場×のジェスチャ―をされる。
何かと思ったら、16:02分で締め切りの16時を過ぎていた。
二条城では、以前、夜間拝観で来た記憶があり、庭園鑑賞とお茶を頂いた。 -
京都御苑の南に位置する堺町御門に来た。
ここは、幕末会津、薩摩兵にこの門を守られ、尊王攘夷の中心であった長州兵は御所に入ることができず、結果、公卿7人と共に京都を追われ、一時的に公武合体体制となった場所。 -
中の京都御所や、大宮御所等を除くと、市民に公開されている公園だ。
東西700m、南北1300mの広大な敷地で、平安京より1000年以上、天皇が居られた空間であった。 -
最後に、蹴上浄水場で一般公開される有名な「蹴上のつつじ」を見ることができた。
全長120mに及ぶ藤棚と約4,600本のつつじがあるという。
そろそろ道は、帰宅渋滞になりつつあり、彦根の手前の多賀SAで仮眠し、よく朝早く帰宅した。
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