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 大阪府には、100名城が大阪城と千早城が選定されています。大阪城は既に訪れているので、千早城へ行って来ました。<br />この城跡は大阪一の高い山、金剛山(1125m)の中腹(673m)に位置します。午後からは奈良県唯一の100名城、高取城跡へ、ここは日本三大山城(岩村城・岐阜県、備中松山城・岡山県)の一つになっています。標高583mの高取山の頂に築城したものです。両方とも険しい山城だったので、登山そのものでした。<br /> 

大阪・奈良の100名城を訪ねて/千早城、高取城

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2015/12/13 - 2015/12/13

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ひま人

ひま人さん

 大阪府には、100名城が大阪城と千早城が選定されています。大阪城は既に訪れているので、千早城へ行って来ました。
この城跡は大阪一の高い山、金剛山(1125m)の中腹(673m)に位置します。午後からは奈良県唯一の100名城、高取城跡へ、ここは日本三大山城(岩村城・岐阜県、備中松山城・岡山県)の一つになっています。標高583mの高取山の頂に築城したものです。両方とも険しい山城だったので、登山そのものでした。
 

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
ショッピング
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
  •  史蹟 千早城址の石碑。千早城は、大和国・五条と河内国・富田林を結ぶ最短ルートとして、昔から交通、軍事の要衝であった千早街道から登りつめた金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城です。<br /> 後醍醐天皇の挙兵に応じた楠木正成が、鎌倉幕府の大軍を奇策を用いて名高い攻撃戦の舞台となりました。<br /> 城跡は原形を留めた遺構は、殆んどありません。

     史蹟 千早城址の石碑。千早城は、大和国・五条と河内国・富田林を結ぶ最短ルートとして、昔から交通、軍事の要衝であった千早街道から登りつめた金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城です。
     後醍醐天皇の挙兵に応じた楠木正成が、鎌倉幕府の大軍を奇策を用いて名高い攻撃戦の舞台となりました。
     城跡は原形を留めた遺構は、殆んどありません。

  •  千早神社。楠木正成を祀る。この一帯が二の丸で原型は損なわれています。

     千早神社。楠木正成を祀る。この一帯が二の丸で原型は損なわれています。

  •  本丸跡。

     本丸跡。

  •  本丸跡。

     本丸跡。

  •  唯一残っている石垣。

     唯一残っている石垣。

  •  石垣は2か所のみ残っていました。

     石垣は2か所のみ残っていました。

  •  三之丸跡。

     三之丸跡。

  •  四の丸跡よりの遠景。

     四の丸跡よりの遠景。

  •  高取城址石碑。城は高取町から4kmの標高583mの高取山山頂に築かれた山城です。城内は6万?、周囲30kmでその規模において日本一の山城です。1580年代に豊臣秀長の重臣、本多氏によって本格的な近世の山城として整備されました。大天守と小天守、27の櫓、33の門を持つ壮大なものであった。続いて藩主となった植村氏は幕末まで14代234年間藩政を司り、幕府の要職(老中格)を勤めました。<br /> 明治維新後、廃城令により建物の大部分が払下げられました。一部は移築されています。

     高取城址石碑。城は高取町から4kmの標高583mの高取山山頂に築かれた山城です。城内は6万?、周囲30kmでその規模において日本一の山城です。1580年代に豊臣秀長の重臣、本多氏によって本格的な近世の山城として整備されました。大天守と小天守、27の櫓、33の門を持つ壮大なものであった。続いて藩主となった植村氏は幕末まで14代234年間藩政を司り、幕府の要職(老中格)を勤めました。
     明治維新後、廃城令により建物の大部分が払下げられました。一部は移築されています。

  •  高取城石垣。

     高取城石垣。

  •  壺坂口門跡。

     壺坂口門跡。

  •  壺坂口中門跡。

     壺坂口中門跡。

  •  高取城石垣。

     高取城石垣。

  •  高取城説明版。当時の大天守、小天守、櫓等が見える。

     高取城説明版。当時の大天守、小天守、櫓等が見える。

  •  大手門跡。

     大手門跡。

  •  十三間多聞跡。

     十三間多聞跡。

  •  太鼓御櫓台・新御櫓台。

     太鼓御櫓台・新御櫓台。

  •  太鼓御櫓台・新御櫓台。

     太鼓御櫓台・新御櫓台。

  •  天守台石垣。

     天守台石垣。

  •  天守跡。

     天守跡。

  •  太鼓櫓跡。

     太鼓櫓跡。

  •  新櫓跡。

     新櫓跡。

  •  本丸石垣。

     本丸石垣。

  •  本丸跡。標高583mの標識がありました。

     本丸跡。標高583mの標識がありました。

  •  高取町城下町。土佐街道。このあたりは古くから土佐街道と呼び、高取藩の城下町として多くの人々が往来し、大和平野と吉野地方の文化の交流拠点として大いに賑わいました。また、壺阪寺の参拝道として往時が偲ばれます。

     高取町城下町。土佐街道。このあたりは古くから土佐街道と呼び、高取藩の城下町として多くの人々が往来し、大和平野と吉野地方の文化の交流拠点として大いに賑わいました。また、壺阪寺の参拝道として往時が偲ばれます。

  •  松ノ門。明治4年廃藩置県により高取城が廃城となった際、多くの建築物が取り壊されましたが、数棟が移築されました。その中の「松ノ門」は明治25年土佐小学校の校門として移築されました。しかし、昭和19年火災で一部焼失したが、平成16年に復元したものです。

     松ノ門。明治4年廃藩置県により高取城が廃城となった際、多くの建築物が取り壊されましたが、数棟が移築されました。その中の「松ノ門」は明治25年土佐小学校の校門として移築されました。しかし、昭和19年火災で一部焼失したが、平成16年に復元したものです。

  •  田塩邸。現存する貴重な武家屋敷。与力窓(格子が横向き)を二つ付けた長屋門を有する。両袖に物見所、馬屋を持つ武家門であり、堀に付けられた「監視窓」は表口を警戒する構えでもあり他に類を見ない。現在も居宅として利用されています。

     田塩邸。現存する貴重な武家屋敷。与力窓(格子が横向き)を二つ付けた長屋門を有する。両袖に物見所、馬屋を持つ武家門であり、堀に付けられた「監視窓」は表口を警戒する構えでもあり他に類を見ない。現在も居宅として利用されています。

  •  植村家長屋門。武家屋敷。高取藩の筆頭家老の屋敷。県重要文化財。

     植村家長屋門。武家屋敷。高取藩の筆頭家老の屋敷。県重要文化財。

  •  植村家長屋門。なまこ壁が城下町の雰囲気を漂わせています。現在も居宅として利用されています。

     植村家長屋門。なまこ壁が城下町の雰囲気を漂わせています。現在も居宅として利用されています。

  •  藩主下屋敷門。高取藩下屋敷表門が移築された重厚な門構えの医院。石畳の町筋とともに城下町の雰囲気を醸し出している。現在も医院の門として利用されています。

     藩主下屋敷門。高取藩下屋敷表門が移築された重厚な門構えの医院。石畳の町筋とともに城下町の雰囲気を醸し出している。現在も医院の門として利用されています。

  •  子嶋寺山門。壺阪寺と双璧といわれる古刹。752年報恩大徳の創建で21の伽藍を誇った時代もあった。この山門は高取城の二の門を移築したもので、現存する高取城唯一の建造物です。

     子嶋寺山門。壺阪寺と双璧といわれる古刹。752年報恩大徳の創建で21の伽藍を誇った時代もあった。この山門は高取城の二の門を移築したもので、現存する高取城唯一の建造物です。

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