2015/05/03 - 2015/05/06
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entetsuさん
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このところ2年続けて富山を訪れ、美味しい山海の食べ物やお酒、飾らない人柄の街の人々にはまってしまいました。
なかでも、南砺市城端の「城端曳山会館」で、城端の曳山祭りの展示と説明を聞くにつけ、今年のGWは「是非とも見てみたい」と決めておりました。
曳山祭りは毎年5月5日に行なわれますが、今年はお祭りの翌日5月6日も休日。
これは行くしかない(笑)。
5月5日「城端曳山祭り」、いよいよ始まりました。
天気も、一転快晴!!
たっぷり、雅(みやび)な祭りの雰囲気を味わいます。
①まずは高岡の名刹「国宝・瑞龍寺」へ!
②氷見の料理民宿「竹や」さんで新鮮な料理を満喫しました!
③レンタサイクルで氷見市内観光です!
④氷見には「忍者ハットリくんロード」がありました!
⑤レンタサイクルで氷見市立海浜植物園に行きました!
⑥越中の小京都「城端」の曳山祭り、宵祭の街並みです!
⑦越中の小京都「城端」の曳山祭り、いよいよスタートです!
★⑧「城端の曳山祭り」、益々盛り上がります!
⑨「城端の曳山祭り」は、夜になりいよいよクライマックス!
⑩案外近い砺波駅から南砺市井波。急遽「瑞泉寺」に行きました!
⑪さぁ砺波のチューリップフェア!
⑫最後は富山の名店「銀八鮨」を再訪!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
松月庵前での「庵唄披露」を見て、曳山巡行を追いかけていると、寺院を発見。
「杉谷山 瑞泉寺」とあります。 -
瑞泉寺といえば、同じ南砺市の井波という町にある「井波別院瑞泉寺」が有名ですが・・・。そこには、2度ほど訪れています。
以下、南砺市観光サイト「いこまいけ南砺」によると、こちらの瑞泉寺も、井波と同じく綽如上人によって開基された浄土真宗西本願寺派の寺院だそうです。
石山本願寺と織田信長が戦った石山戦争の講和を知らせる顕如からの手紙「顕如消息(瑞泉寺古文書)」が伝えられています。
この古文書は、1580年(天正8年)に織田信長との戦が終わった時に本願寺第11代宗主顕如が全国の主だった本願寺派の門徒に対して講和の趣旨を知らせた消息文です。
越中では井波の瑞泉寺と勝興寺(現在の高岡市伏木)の2つのお寺に渡されました。
井波の瑞泉寺が1649年(慶安2年)に東本願寺派へ転派したため、西本願寺派として残った城端の瑞泉寺にこの古文書が伝えられています。 -
こちらにも小規模ですが、井波の瑞泉寺と同様に彫刻が施されていました。
城端の瑞泉寺は、井波の瑞泉寺と較べるとかなり小さなお寺でした。 -
この通りは国道304号線で、いわば城端のメインストリート。
普段は車が行き交いますが、祭りに期間は自動車進入禁止です。
もう少し進むと、左側に「城端曳山会館」があります。
勿論、この通りも曳山巡行します。 -
このお宅は、「庵唄所望」宅のようです。
座敷を開け放し、座布団が敷き詰められています。
親戚などを招待して、庵唄の披露を受けるのでしょう。 -
レンガの茶色い建物は、「じょうはな織(はたおり)館」。
昨晩、見学しました。 -
こちらは料理割烹「旬の味 まねき」。
以前前を通った際に入ろうかとした店。
でも、この祭り中は「予約のみの営業とさせていただいております〜」。
所望宿への仕出しや、各町の曳山関係者などで一般客は入れません。
あまり多くない城端の飲食店ですが、他の飲食店もほぼ全てが「予約のみ」となっています。旬の味 まねき グルメ・レストラン
-
「城端曳山会館」。
ここでは、普段は三ケ町分の曳山・庵屋台・傘鉾が展示されています。
これらは5月4日の宵祭りにはここから出され、各町の山宿にご神像が置かれ、「飾り山」となります。
5月5日はそのまま曳山巡行が行なわれ、祭りが終わる22時過ぎに、去年展示されていなかった三ケ町分の曳山・庵屋台・傘鉾が交替で展示されるという仕組みになっています。
従って、このように大きく扉が開いているのを観られるのも、祭りの間だけです。
隣のスペース(普段は駐車場でした)では、イベント準備中で、パイプ椅子が並んでいます。この後ここのイベントに参加します。城端曳山会館 美術館・博物館
-
「城端曳山会館」脇の狭い路地を降りるように進んで行くと・・・。
ちょうど曳山が停まっていました。
「庵唄所望」宿のまえで、庵唄の披露中のようです。 -
ここが、「土蔵群 蔵回廊」の裏の通りです。
城端らしい佇まいの通りで、普段でも人気ですが・・・。
物すごい人?土蔵群蔵回廊 美術館・博物館
-
イチオシ
と、思いきや案外人は少ないんです(笑)。
ただ、ここはアマチュアカメラマンにとっては、ベストフォトスポットの一つです。
ただ各町の曳山は、「庵唄所望」宿の前で庵唄を披露しながら進んで来ますので、六ケ町全部通り過ぎるのに、4〜50分かかります。
で、こんな感じに、ちょっと待ってたら場所が空きました(笑)。
見物客が溜まるのも、ある決まった場所だけですので、大体は好きな位置をゲット&キープ出来ますよ(笑)。 -
「所望宿」の前での庵唄披露を終えて、やって来たのは五番山、西上町の庵屋台です。
-
続いて「恵比寿」をご神像にしている曳山もやってきます。
ここは、道幅も狭く、やや下り坂。
総重量が約6.5?の曳山にとっては、難所の一つです。 -
スピードが出過ぎないように調整しながら・・・。
曳山をよく見ると、恵比寿の紋である「蔓柏(つるかしわ)」のデザインが綺麗ですね。 -
恵比寿さんはいつもの様に右手に釣竿です(笑)。
-
イチオシ
揃いの半被は「鯛」。
恵比寿とくれば、鯛ですね。
押して行きました。城端曳山祭 祭り・イベント
-
次にやって来たのは・・・。
-
六番山、東下町の庵屋台です。
例の、透け透け〜ですね。 -
曳山のご神像、大黒天。
-
イチオシ
揃いの半被は、打出の小槌。
なんか、可愛い。 -
道路には、曳山の付けた跡が残っています。
-
五番山と六番山を見て、再び国道304号線に戻って来ました。
こちらは「洋菓子工房イワキ」。
割合リーズナブルな洋菓子店です。
いつもはイートインコーナーでコーヒーなどが飲めますが、お祭り期間は「スミマセンが、店頭販売のみにさせてもらっています」とのこと。 -
仕方なく、シュークリーム(@140円)を道路脇にあるベンチに腰掛けていただきました。
あっさりしていて、くどくなく、美味いです。
(くどいのはアンタの解説だ、とか言ってる人・・・、いるでしょう?) -
獅子舞が始まりました。
氏子町内を一軒一軒廻り、獅子舞を披露します。 -
獅子頭を一人が操り、胴体には8人が入っています。
お囃子には、女の子もいました。 -
シュークリームを頬張りながら、獅子舞をつらつら見て、「城端曳山会館」の所に戻ってきました。
剣鉾です。
そろそろ昼休みの時間になるので、順に行列していくようです。城端曳山会館 美術館・博物館
-
ここは「大工町」の通り。
城端の曳山巡行のコースのうち、最も狭い道です。
実際にここを通ってみましたが、狭い・狭い〜。
各町の曳山がここを通る際、それぞれある工夫をしますが、それは後ほどご紹介します。 -
通りを抜けると、遠くの山々が姿を見せました。
360度美しいのですが、山頂に雪を頂いたこの方向が一番綺麗です。 -
さっきの「大工町」の通りを逆に進みます。
曳山はこの方向に進みます。 -
「じょうはな座」にやって来ました。
-
「じょうはな座」は、城端の伝統的な町屋様式と芝居小屋のデザインを取り入れた多目的ホールで、正式名称は「南砺市城端伝統芸能会館」。
9月中旬に行なわれる城端のもう一つの風物詩「むぎや祭」のむぎや踊り、「曳山祭り」の庵唄の定期公演などが行われます。 -
休憩所?
で、何でここに来たかというと、食事付の観覧予約席(桟敷席)を申し込んでいたからなんです。
この後「城端曳山会館」の特設会場で行われる、庵唄披露の席を観光客向けに予約出来るという催しがあります。
料金は、観覧席券のみですと、一席500円。
観覧席券+お弁当・お茶+休憩室利用は、限定50席の完全予約制で、一席1800円。
昼の部(14:00頃)の集合場所が、ここ「じょうはな座」という訳です。
-
「じょうはな座」1Fの臨時観光案内所で1800円×2を支払って、弁当を頂きます。
弁当付きの場合、「じょうはな座」2Fの休憩室が正午〜21時まで利用できるという特典付き。 -
まずは、食べますか(笑)。
-
イチオシ
となみ野弁当。
何故か、南砺市ではなく砺波市の弁当屋さんの弁当でした。 -
9つの枡にこの内容で詰められていました。
質量とも大満足の一品です。
一般観覧予約席は500円ですから、差額でこの弁当とお茶、あと休憩室利用の権利。
まぁ、お得です。
そもそも、町内で食事できる所、殆どないですから・・・。
休憩室利用可というのは助かります。
1日歩き詰めという訳にも行きませんので・・・。
ただ、おばさん3人組が、ぺちゃくちゃ五月蝿くて落ち着いて休憩できる感じではなかった・・・(笑)。 -
休憩室にはフジの鉢植え。
-
「じょうはな座」のホール。
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「恋旅〜True Tours Nanto」。
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南砺市城端に拠点を置くアニメ制作会社「ピーエーワークス」の作品で、「true tears」は南砺市を舞台にしたアニメです。
サインや原画がありました。 -
おばさん3人組の会話は弾み、益々五月蝿ーい!
仕方なく、コンビニにでも向かうことに。
コンビには少々遠いところにしかありませんが、時間もあるので行ってみましょう。
善徳寺までやって来ました。
今朝ほど、曳山巡行がスタートした地点です。城端別院 善徳寺 寺・神社・教会
-
こちらは「西新田神明社」。
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鬱蒼とした森の中にある、こじんまりとした神社でした。
社殿は、プラスチックの覆いがしてあります。 -
西新田神明社は1390年に創建され、ご祭神は天照大神、天忍穂耳命、袴旛千々姫命と伝わります。ている
-
イチオシ
国道304号線(西町通り)に戻ってきました。
ちょうど昼休みに時間に当たっていて、剣鉾・傘鉾・庵屋台・曳山が一同に並びます。
地元ではこれを、「一大勢揃い」または「一大行列」と呼ぶようです。
動いていないので、観光客やアマチュアカメラマンにとっては絶好のシャッターチャンスです。 -
西下町の庵屋台。
説明板も出ていて、解りやすい。 -
水引幕には鶏が描かれています。
綺麗ですね。 -
同じく西下町の曳山です。
ご神像は堯王。 -
西下町曳山の車輪です。
本堅地蝋色塗り仕上げで、板部は花弁文様で彫り込みは朱漆、他の部分は黒漆塗り、文様の輪郭は叩地金箔塗りです。
-
ところで城端の曳山ですが、動画サイトなどでご覧頂くと曳山が動く際に、車輪からギューギューと軋り音が鳴ります。
このことから「ぎゅう山」とも呼ばれますが、この音は車軸(心棒)と車軸受けの間に、「鳴り板」と呼ばれる油に浸した厚さ約3ミリの檜の薄木を噛ませ、車軸にも油を塗って意図的に出しており、「鳴り板」は毎年取り替えられます。
写真の縦に2本ある部分は鉄製で、その間に「鳴り板」が入っています。 -
そろそろ昼休みも終わりのようです。
これは剣鉾。 -
傘鉾も動き出しました。
剣鉾を先頭に、傘鉾、四神旗、神輿が連なり氏子町内を巡行し、午後3時頃に神輿が城端神明社に還御します。 -
先ほど覗いた、城端の曳山祭りで最大の難所「大工町」に一番山から順にやってくるようです。
-
まだこの通りには曳山がやって来ないので、通りを奥に進んでみます。
ちょうど城端醤油さんのお宅が「庵唄所望」宿のようでした。
まさにこれから庵唄の披露が始まる瞬間のようで、世話役の人が、今年の庵唄に選定した唄の歌詞を書いた短冊を渡しています。
城端醤油は、大正8年創業の味噌・醤油の醸造会社で、五箇山しょうゆなどでも有名だそうです。 -
一番山、出丸町の庵屋台が到着です。
-
イチオシ
道路はちょっと下り坂。
「唐子遊び」の水引幕、平屋建て二棟構えの数寄屋造りの庵です。
雅な庵唄を披露しています。 -
イチオシ
庵唄の披露が終わり、曳山はさっきの狭い「大工町」の通りに差しかかりました。
さて、お分かりになりますか?
様子が違うのですが・・・。
そうです。
屋根半分を畳んでいます。 -
はい、もう半分も〜。
-
イチオシ
狭い大工町の通り。
この様にして屋根を畳んで通っていきます。 -
曳山の両脇に乗っている人達が、屋根を畳んだり、戻したりします。
-
大工町には次々と六ケ町の曳山が通るのでしょうが、全部は観ていられません。
というのも、「曳山会館会場特別観覧席」での曳山と庵屋台の解説、六ケ町の庵唄披露を観覧する時間です。
パイプ椅子が並んで、前の3列ほどはこの会場での「庵唄所望」主、その後ろ5列が我々弁当付き1800円の人、更にその後ろが500円の列となっています。
一番山、出丸町の世話役の人が、歌詞を書いた短冊を持ってきました。 -
目の前に庵屋台が停められ、たっぷりと庵唄が披露されます。
庵屋台の説明もされます。 -
さっき大工町で畳んでいた両屋根も、元に戻っています。
出丸町の曳山は「唐子山(からこやま)」と呼ばれています。
最初の曳山の製作は1720年(享保5年)と伝わりますが、その後、享保年間に原作を改修増補したものです。
屋根は、前後唐破風・左右一文字屋根です。
天井は金箔の平天井となっています。
出丸町の曳山は、高さが 6.27?、総重量は約7.5?あります。 -
ご神像は「布袋」で、1762年(宝暦12年)に荒木和助が製作し、1846年(弘化3年)小原治五右衛門が改作したと伝わります。
脇人形にご注目です。
右側の「梯子渡人形」はカラクリでちょうど逆立ちをしています。
会場からは拍手〜。 -
さらに人形は梯子を進んで来ました。
-
イチオシ
曳山の説明と、カラクリの披露が終わり、戻っていきます。
お揃いの法被は、背中が「軍配」、腰が「唐子文様」となっています。
私が、法被を撮っているのをみて家内にも火がつき、家内の写真はここから法被ばかり狙うことになります(笑)。 -
二番山、西下町の庵屋台です。
庵部分は、数寄屋造りの2階建となっており、主屋・離れ二棟の京都・祇園の料亭を模したものと言われます。
重の欄間は、井波の彫刻師・大島五雲が製作し、1916年(大正5年)6月に完成させたと伝わります。 -
西下町の曳山は「諌鼓山(かんこやま)」と呼ばれています。
享保年間(1716年〜1736年)に製作された原作を改修増補した曳山です。
高さが6.18?、総重量が約7トンあります。
屋根が特徴的で、三方唐破風屋根です。
曳山の彫刻や金具には「鶏」の意匠が多く使用され、ご神像は堯王で、1716年(享保元年)に木屋仙人が製作しました。 -
西下町の法被は、背中が「龍神」です。
-
三番山、東上町の庵屋台です。
庵部分は、江戸の料亭を模したもので新吉原の「大文字屋」「鶴屋」「扇屋」「玉屋」の暖簾が入り口にかけてあります。
水引幕は、鶴に水波のデザイン。
庵部分と水引幕の間の「重(じゅう)」には、12枚の欄間彫刻が入っています。 -
東上町の曳山は「鶴舞山(つるまいやま)」と呼ばれています。
曳山の原作は享保年間(1716年〜1736年)に作られ、安永年間(1772年〜1781年)に、漆工 治五右衛門 稀雄・大工 小平次・佐右衛門によって改作されました。
屋根は、千鳥・唐破風2層屋根です。6基ある城端の曳山の中でも2層屋根は東上町だけです。
高さが6.52?、総重量が約8トンあり、城端曳山の中では高さ・重量ともに最大の曳山です。 -
ご神像は寿老人で、1773年(安永2年)に荒木和助(通称:唐津屋)が製作しました。
脇人形があり、「綾織人形」です。
この人形は、カラクリ人形で手と顔を動かして舞うそうですが、この日はご機嫌が悪く舞えませんでした。 -
東上町の法被は、背中に「右三つ巴紋」、腰が「鶴に水波」文様となっています。
-
四番山、大工町の庵屋台です。
原作は明治31年の城端大火で消失し、明治41年に復元されたそうです。 -
庵部分は、平安時代の貴族・在原業平の別荘を模したもので、前後の庵を風流な橋で結び、周りには「かきつばた」「おしどり」の造り物を配しています。高さは3.06メートルあります。他町の庵屋台では庵と水引幕の間にある「重(じゅう)」と呼ばれる部分に欄間がほどこされていますが大工町の重だけは彫刻がありません。
-
大工町の曳山は「千枚分銅山(せんまいぶんどうやま)」と呼ばれています。
原作は享保年間(1716年〜1736年)の製作ですが、1898年(明治31年)の城端大火で類焼し、1906年(明治39年)に浅野喜平・辰次郎によって復元製作されました。
大工町の曳山は、高さが6.34?、総重量が約7.5トンあります。
屋根は、四方唐破風屋根で、6台ある城端の曳山の中でも屋根の四方が唐破風になっているのは大工町だけです。
ご神像は関羽・周倉で、1796年(寛政8年)に荒木和助(通称:唐津屋)が製作しました。 -
子供も大人しく乗っています。
-
大工町の法被は、背中が「分銅に漢字の「組」」、腰が「水波」文様となっています。
-
五番山、西上町の庵屋台です。
京都祇園の一力茶屋を模したものと伝えられます。 -
西上町の曳山は「竹田山(たけだやま)」と呼ばれています。
原作は享保年間(1716年〜1736年)の初めごろに製作され、現在の曳山は安永年間(1772年〜1781年)に7代目 小原治五右衛門 林好によって製作されました。
高さが5.71?、総重量が約6.5トンで、城端曳山の中では高さ・重量ともに最小の曳山です。
屋根は、四方一文字屋根で、6台ある城端の曳山の中でも屋根に唐破風が無いのは西上町だけです。
曳山の装飾としては、波浪紋様や恵比寿の紋である「蔓柏(つるかしわ)」のデザインが多用されています。
ご神像は恵比寿で、1795年(寛政7年)に荒木和助が製作しました。 -
ここの子供も大人しく乗っていますね(笑)。
-
最後の六番山、東下町の庵屋台です。
平屋建て二棟構えの数寄屋造りです。
庵屋台の高さは、3.02?で6台ある城端の庵屋台で最小だそうです。
また、他町の5台の庵屋台は、胴回りが水引幕で囲われているのに対して、東下町の庵屋台だけが格子造り構造の胴回りとなっており、江戸情緒が漂っています。 -
東下町の曳山は「東耀山(とうようやま)」と呼ばれています。
享保年間(1716年〜1736年)の作を改修増補した曳山で、高さが6.1?、総重量が約6.7トンあります。
屋根は、前後唐破風・左右一文字屋根で、天井は金箔の格子天井となっています。6台ある城端の曳山の中でも、天井が格子天井となっているのは東下町だけです。
ご神像は大黒天で、1774年(安永3年)に荒木和助が製作しました。 -
東下町の曳山には、「ラッパを吹く人形」と「逆立ちかるわざ人形」の2体のからくり人形が置かれます。
両方とも江戸時代中期の1765年(明和2年)に荒木和助によって製作されました。 -
右の「逆立ちかるわざ人形」が、逆立ちを披露しています。
以上、「曳山会館会場特別観覧席」で曳山・庵屋台の解説、六ケ町の庵唄披露、カラクリ披露を約1時間に渡って楽しみました。
これで、弁当・お茶が付いて1800円は安かった〜。
もし、城端へ行かれて曳山祭りを見学されるなら、事前に申込むことをお奨めします。 -
特別観覧をたっぷり楽しんだ後、再び休憩所の「じょうはな座」に戻ってきました。
-
トイレも綺麗で助かりました。
-
庵唄(いおりうた)に感動した家内は、CDを購入。
2枚セットで4200円でしたか・・・。
「車を運転する時、これを聴く!」とか言ってますが、やっぱりジャニーズ系某漢字一文字グループのを聴くような気がするんですけど・・・(笑)。 -
駐車場にあった車。
「和倉 結名(わくら ゆいな)」。
南砺市城端に本拠地を置く、「P.A.WORKS」の10周年記念アニメーション作品「花咲くいろは」のキャラクターみたいです。
「城端曳山祭り」は、まだまだ続き、いよいよクライマックスを迎えます。
⑨に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/11007982
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