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神戸市中央区に渓流が流れ、そこに立派な滝があるとは信じ難いのですが、実際に山陽新幹線「新神戸駅」から徒歩15分の所に布引の滝が存在します。それも、日光華厳滝や紀州那智滝と共に日本三大神滝のひとつに数えられる修験道行場の滝です。都心から至近距離ながら、ここでは都会の喧騒を忘れ、心静かにマイナスイオンを浴びることがでるオアシスです。<br />水源は六甲山系の獺(かわうそ)池で、摩耶山(まやさん)や再度山(ふたたびさん)の水を一手に集め、布引貯水池を経て落下して生田川となり南流して大阪湾へと注ぎます。神戸ウォーターの源泉のひとつでもあります。<br />布引の滝は、生田川の中流 布引渓流にある4つの滝の総称です。駅の北約100mの所に雌滝があり、その上の200mの所に雄滝があります。その2つの滝の間を挟んで鼓ヶ滝と夫婦滝があります。「布引の滝」の名の由来は、滝を落ちる水がまるで布を垂れているように白く美しく見えたところからだそうです。布引の滝は日本の滝百選に選ばれ、古来から名瀑として知られる景勝地です。<br />マップです。<br />http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/chuou/shoukai/nunoichi/img/nunobikinotakimappuuranew.pdf<br />新幹線で来られる方のための新神戸駅の構内図です。<br />http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0610156

青嵐薫風 神戸逍遥③布引の滝

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2015/04/25 - 2015/04/25

2位(同エリア5119件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

神戸市中央区に渓流が流れ、そこに立派な滝があるとは信じ難いのですが、実際に山陽新幹線「新神戸駅」から徒歩15分の所に布引の滝が存在します。それも、日光華厳滝や紀州那智滝と共に日本三大神滝のひとつに数えられる修験道行場の滝です。都心から至近距離ながら、ここでは都会の喧騒を忘れ、心静かにマイナスイオンを浴びることがでるオアシスです。
水源は六甲山系の獺(かわうそ)池で、摩耶山(まやさん)や再度山(ふたたびさん)の水を一手に集め、布引貯水池を経て落下して生田川となり南流して大阪湾へと注ぎます。神戸ウォーターの源泉のひとつでもあります。
布引の滝は、生田川の中流 布引渓流にある4つの滝の総称です。駅の北約100mの所に雌滝があり、その上の200mの所に雄滝があります。その2つの滝の間を挟んで鼓ヶ滝と夫婦滝があります。「布引の滝」の名の由来は、滝を落ちる水がまるで布を垂れているように白く美しく見えたところからだそうです。布引の滝は日本の滝百選に選ばれ、古来から名瀑として知られる景勝地です。
マップです。
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/chuou/shoukai/nunoichi/img/nunobikinotakimappuuranew.pdf
新幹線で来られる方のための新神戸駅の構内図です。
http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0610156

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 神戸北野教会<br />異人館街から北野通りを新神戸駅へ向かう途中にある教会です。<br />蔦に覆われた白壁にスペイン瓦の屋根が目に眩しい、南欧風の佇まいを見せています。<br />土地柄か、入口には「ここは観光施設ではありません」みたいな貼紙があったので立ち寄ることは遠慮しました。このようなことが書かれた教会ははじめてです。<br />ネット情報では、もっぱら結婚式に力をいれている教会のような…。<br />十字架の先端で羽を休めるカラスは、何を意味しているのでしょうか?

    神戸北野教会
    異人館街から北野通りを新神戸駅へ向かう途中にある教会です。
    蔦に覆われた白壁にスペイン瓦の屋根が目に眩しい、南欧風の佇まいを見せています。
    土地柄か、入口には「ここは観光施設ではありません」みたいな貼紙があったので立ち寄ることは遠慮しました。このようなことが書かれた教会ははじめてです。
    ネット情報では、もっぱら結婚式に力をいれている教会のような…。
    十字架の先端で羽を休めるカラスは、何を意味しているのでしょうか?

  • 北野SOLAの下のツツジ園<br />斜面に色とりどりのツツジの花が咲いています。<br />花の最盛期には眩しいくらいになるのでしょうね!

    北野SOLAの下のツツジ園
    斜面に色とりどりのツツジの花が咲いています。
    花の最盛期には眩しいくらいになるのでしょうね!

  • 生田川<br />クイズです、この生田川の上にある建物は何でしょうか?<br />正解は「山陽新幹線 新神戸駅舎」です。川の真上に建てられています。その理由は、トンネルに挟まれ、僅かな敷地しかなかったという地理的なものです。<br />都会とは思えないほどきれいな水が流れ、水遊びも楽しめるスポットです。

    生田川
    クイズです、この生田川の上にある建物は何でしょうか?
    正解は「山陽新幹線 新神戸駅舎」です。川の真上に建てられています。その理由は、トンネルに挟まれ、僅かな敷地しかなかったという地理的なものです。
    都会とは思えないほどきれいな水が流れ、水遊びも楽しめるスポットです。

  • 砂子橋(いさごばし)<br />駅舎のほほ中央を通る道を北側へ抜けると景色は一転します。<br />「布引の滝」の標識を辿って進むと、ハイキングコースに最初に架かる古めかしい橋が現れます。この橋が砂子橋です。<br />明治時代に建てられた水源地水道施設として国重要文化財に指定された布引水路橋のひとつです。1976年の改修により欄干に煉瓦が増し積みされ、石造アーチと煉瓦装飾が美しい現在の姿になりました。<br /><br />橋の右横にある歌碑には、九条内大臣兼実(基家)が「あしのやの砂子の山のみなかみを のぼりて見れば布びきのたき」と詠んでいます。

    砂子橋(いさごばし)
    駅舎のほほ中央を通る道を北側へ抜けると景色は一転します。
    「布引の滝」の標識を辿って進むと、ハイキングコースに最初に架かる古めかしい橋が現れます。この橋が砂子橋です。
    明治時代に建てられた水源地水道施設として国重要文化財に指定された布引水路橋のひとつです。1976年の改修により欄干に煉瓦が増し積みされ、石造アーチと煉瓦装飾が美しい現在の姿になりました。

    橋の右横にある歌碑には、九条内大臣兼実(基家)が「あしのやの砂子の山のみなかみを のぼりて見れば布びきのたき」と詠んでいます。

  • 砂子橋<br />雌滝と鼓ヶ滝で汲まれた水をこの橋の中に通された直径20cmと60cmの導水管で送水している水路橋です。<br />今も現役で奥平野浄水場や北野浄水場に水を送っています。

    砂子橋
    雌滝と鼓ヶ滝で汲まれた水をこの橋の中に通された直径20cmと60cmの導水管で送水している水路橋です。
    今も現役で奥平野浄水場や北野浄水場に水を送っています。

  • 砂子橋を渡って左側へ進むと、こうした分岐が現れます。<br />左の小路を進むと雌滝(めんたき)経由で右の階段に途中で合流します。<br />雌滝を見てから雄滝へ行きたい場合には、左の小路を進んでください。<br />階段を下ってこられる方が多いため、つられて右側の階段を登ってしまい、後で「雌滝はどこだった???」なんてことがたまにあるそうです。

    砂子橋を渡って左側へ進むと、こうした分岐が現れます。
    左の小路を進むと雌滝(めんたき)経由で右の階段に途中で合流します。
    雌滝を見てから雄滝へ行きたい場合には、左の小路を進んでください。
    階段を下ってこられる方が多いため、つられて右側の階段を登ってしまい、後で「雌滝はどこだった???」なんてことがたまにあるそうです。

  • 雌滝<br />落差19m。水がサラサラと落ちる様子がしなやかで上品な女性的な感じのする滝です。<br />観瀑橋から一部を見ることができます。駅からここまで徒歩5分ほどで着いてしまう至近距離の滝ですのでびっくりです。<br />布引の地名は、この雌滝の滝水が布を垂らしたように優雅に流れ落ちる様子から生まれたといいます。<br />

    雌滝
    落差19m。水がサラサラと落ちる様子がしなやかで上品な女性的な感じのする滝です。
    観瀑橋から一部を見ることができます。駅からここまで徒歩5分ほどで着いてしまう至近距離の滝ですのでびっくりです。
    布引の地名は、この雌滝の滝水が布を垂らしたように優雅に流れ落ちる様子から生まれたといいます。

  • 雌滝<br />滝壺の手前には堰堤があり、滝見台横には民家が建ち、多少味気なさもありますが、滝自体は落差、水量共に申し分なしです。<br />「雌滝」という名前からもう少しおとなし目で繊細な滝をイメージしていたのですが、数日間降雨していないにもかかわらずこの迫力です。<br />雌滝も侮れません!

    雌滝
    滝壺の手前には堰堤があり、滝見台横には民家が建ち、多少味気なさもありますが、滝自体は落差、水量共に申し分なしです。
    「雌滝」という名前からもう少しおとなし目で繊細な滝をイメージしていたのですが、数日間降雨していないにもかかわらずこの迫力です。
    雌滝も侮れません!

  • 雌滝<br />阪神淡路大震災の影響で、崩落の危険があるため滝に近づいて水と触れ合うことはできない、鑑賞に徹した滝です。また、木立が邪魔して全貌を見渡す事ができず、撮影場所も限定されてしまうのがやや難点です。<br /><br />雌滝を堪能したら滝見台のすぐ後ろにある急峻な階段を上ると先程分岐した遊歩道(階段)の本線に合流できます。先程の分岐まで戻る必要はありません。

    雌滝
    阪神淡路大震災の影響で、崩落の危険があるため滝に近づいて水と触れ合うことはできない、鑑賞に徹した滝です。また、木立が邪魔して全貌を見渡す事ができず、撮影場所も限定されてしまうのがやや難点です。

    雌滝を堪能したら滝見台のすぐ後ろにある急峻な階段を上ると先程分岐した遊歩道(階段)の本線に合流できます。先程の分岐まで戻る必要はありません。

  • 取水塔<br />雌滝の滝壺の右横にあるドーム屋根を被った石積みの建物は、国指定重要文化財の取水堰堤の一部です。装飾性の高い建造物で、丁寧に石組みされた珍しい構造物です。<br />取水堰堤には3個の制水弁があり、現在も水を汲み上げています。その水はハイキングコースの地中に埋められたパイプと先ほど渡った砂子橋を通り、調整池を経て奥平野浄水場に送られ、神戸市の水道水として利用されています。<br />1900(明治33)年竣工。堤高は7.7m、堤長:19.3m、堤頂幅:1.2mあります。<br />この取水堰堤は、日本初のアーチダムという建設史上の価値があるものです。しかも、その形式の選択により周囲の地形との調和が生まれ、取水塔も石をあまり加工せずに積み上げ、景観を尊重したデザインになっている点は見習うべき思想だと思います。

    取水塔
    雌滝の滝壺の右横にあるドーム屋根を被った石積みの建物は、国指定重要文化財の取水堰堤の一部です。装飾性の高い建造物で、丁寧に石組みされた珍しい構造物です。
    取水堰堤には3個の制水弁があり、現在も水を汲み上げています。その水はハイキングコースの地中に埋められたパイプと先ほど渡った砂子橋を通り、調整池を経て奥平野浄水場に送られ、神戸市の水道水として利用されています。
    1900(明治33)年竣工。堤高は7.7m、堤長:19.3m、堤頂幅:1.2mあります。
    この取水堰堤は、日本初のアーチダムという建設史上の価値があるものです。しかも、その形式の選択により周囲の地形との調和が生まれ、取水塔も石をあまり加工せずに積み上げ、景観を尊重したデザインになっている点は見習うべき思想だと思います。

  • 歌碑のみち<br />1872(明治5)年には、花園社という市民団体が布引の滝を詠んだ多くの和歌の中から36首を選び、歌碑を建てました。これらの歌碑は、その後、散逸してしまったものも多いそうですが、後にいくつか復元され現在も滝の近辺に点在しています。<br /><br />「山姫の嶺の梢にひきかけて 晒せる布や滝の白波」源俊頼<br />

    歌碑のみち
    1872(明治5)年には、花園社という市民団体が布引の滝を詠んだ多くの和歌の中から36首を選び、歌碑を建てました。これらの歌碑は、その後、散逸してしまったものも多いそうですが、後にいくつか復元され現在も滝の近辺に点在しています。

    「山姫の嶺の梢にひきかけて 晒せる布や滝の白波」源俊頼

  • 鼓ヶ滝(つつみがだき)<br />滝見台にある大きな石には、鼓滝と刻まれています。<br />しかし、期待とは裏腹にここから滝の姿を拝むことは叶いません。<br /><br />布引の滝は、布引断層が動いた時の力で、割れたり潰されたりした断層破砕帯の谷間を川が流れることにより形成された4つの滝の総称です。

    鼓ヶ滝(つつみがだき)
    滝見台にある大きな石には、鼓滝と刻まれています。
    しかし、期待とは裏腹にここから滝の姿を拝むことは叶いません。

    布引の滝は、布引断層が動いた時の力で、割れたり潰されたりした断層破砕帯の谷間を川が流れることにより形成された4つの滝の総称です。

  • 鼓ヶ滝<br />遊歩道のすぐ側にあり、滝見台等も設けられているのですが、樹木の葉枯れした時期にしか滝の姿を拝むことができない幻の滝となっています。僅かに滝壺に注いだ水飛沫に滝のありかをそれとなく知るだけです。<br />滝壺に落ちる滝音が周囲の岩に反響し、鼓を打ったかのように聞えることから名付けられたと言われ、辺りには鼓を打ったような滝の音だけが響き、ここでは聴覚を通して滝を鑑賞させてくれます。<br />

    鼓ヶ滝
    遊歩道のすぐ側にあり、滝見台等も設けられているのですが、樹木の葉枯れした時期にしか滝の姿を拝むことができない幻の滝となっています。僅かに滝壺に注いだ水飛沫に滝のありかをそれとなく知るだけです。
    滝壺に落ちる滝音が周囲の岩に反響し、鼓を打ったかのように聞えることから名付けられたと言われ、辺りには鼓を打ったような滝の音だけが響き、ここでは聴覚を通して滝を鑑賞させてくれます。

  • 鼓ヶ滝 滝口<br />こうしたV字の狭い淵を流れた後、この先で一気に鼓ヶ滝として落下します。<br /><br />明治初期、布引の滝の一帯は、神戸の貿易業者団体によって滝見展望台や回遊路が整備され、「布引遊園地」と呼ばれていました。茶店や土産物店が建ち並ぶ観光地として賑わいを見せましたが、時代と共にレジャーの多様化や後継者難などで撤退が相次ぎ、今は使命感を背負った「おんたき茶屋」だけが孤軍奮闘して観光客に寛ぎの場を提供しています。

    鼓ヶ滝 滝口
    こうしたV字の狭い淵を流れた後、この先で一気に鼓ヶ滝として落下します。

    明治初期、布引の滝の一帯は、神戸の貿易業者団体によって滝見展望台や回遊路が整備され、「布引遊園地」と呼ばれていました。茶店や土産物店が建ち並ぶ観光地として賑わいを見せましたが、時代と共にレジャーの多様化や後継者難などで撤退が相次ぎ、今は使命感を背負った「おんたき茶屋」だけが孤軍奮闘して観光客に寛ぎの場を提供しています。

  • 雄滝(おんたき)<br />雄滝は落差43m、滝壺面積430平方m、滝壺の深さは6.6m。<br />布引の滝の中で最大規模の滝です。観瀑用の「狭ご路も橋」から望む、岩頭から6段に折れながら滝壺に落下する景観は圧巻です。各段毎に、水がえぐってできた甌穴があるそうですが、水飛沫で見ることは叶いません。<br />平安の昔から多くの人たちが訪れた景勝地でもあり、『伊勢物語』や『栄華物語』など多くの紀行文や詩歌で紹介されています。

    雄滝(おんたき)
    雄滝は落差43m、滝壺面積430平方m、滝壺の深さは6.6m。
    布引の滝の中で最大規模の滝です。観瀑用の「狭ご路も橋」から望む、岩頭から6段に折れながら滝壺に落下する景観は圧巻です。各段毎に、水がえぐってできた甌穴があるそうですが、水飛沫で見ることは叶いません。
    平安の昔から多くの人たちが訪れた景勝地でもあり、『伊勢物語』や『栄華物語』など多くの紀行文や詩歌で紹介されています。

  • 雄滝<br />雄滝の両側の山を見ると、滝の上流側の山が下流側に比べて高くなっているのが判ります。六甲山の隆起に生田川がかかってできたのが雄滝です。<br /><br />この布引の滝には、龍宮伝説なるものが語り継がれています。<br />昔々、布引滝の麓に白髪の翁と娘が住んでいました。翁の勧めで毎日滝に打たれ続けた娘は、いつの間にか不思議な力を身に付け、龍神の姿となり妖怪を退治し、弁財天の姿となって困っている人々を助けました。いつしか人々は、この娘を大龍王とか弁財天と呼んで信仰するようになりました。人々は滝修行を続ける娘を乙姫と名付け、滝壺を龍宮と呼ぶようになり、娘が滝に打たれる様を白い布を纏う乙姫に見立て、この滝を布引の滝と呼ぶようになりました。   <br />在原業平は、この龍宮伝説を知っていたのか、滝の飛沫を龍宮の乙姫が首飾りから抜き取って撒き散らす真珠に見立てて「ぬきみだる人こそあるらし白玉の まもなくちるかそでの狭きに」との和歌を詠んだとのことです。

    雄滝
    雄滝の両側の山を見ると、滝の上流側の山が下流側に比べて高くなっているのが判ります。六甲山の隆起に生田川がかかってできたのが雄滝です。

    この布引の滝には、龍宮伝説なるものが語り継がれています。
    昔々、布引滝の麓に白髪の翁と娘が住んでいました。翁の勧めで毎日滝に打たれ続けた娘は、いつの間にか不思議な力を身に付け、龍神の姿となり妖怪を退治し、弁財天の姿となって困っている人々を助けました。いつしか人々は、この娘を大龍王とか弁財天と呼んで信仰するようになりました。人々は滝修行を続ける娘を乙姫と名付け、滝壺を龍宮と呼ぶようになり、娘が滝に打たれる様を白い布を纏う乙姫に見立て、この滝を布引の滝と呼ぶようになりました。  
    在原業平は、この龍宮伝説を知っていたのか、滝の飛沫を龍宮の乙姫が首飾りから抜き取って撒き散らす真珠に見立てて「ぬきみだる人こそあるらし白玉の まもなくちるかそでの狭きに」との和歌を詠んだとのことです。

  • 雄滝<br />瀑水と競って駆け下る岩の表面に刻まれた傷跡と黒光りする岩質とのシナジーが、この滝の印象をよりダイナミックな景観にしています。<br />ここの岩質は、布引花崗閃緑岩と呼ばれ、角閃石を含めため黒っぽい色をしているのが特徴です。<br /><br />文楽『源平布引滝』でも布引の滝が登場します。<br />平治の乱で源義朝を討った平清盛でしたが、布引滝の龍神の神託によれば、平家滅亡が近いという。それを聞いて怒り心頭の清盛は、滝の中から手に入れた源氏の白旗と宝刀を破棄すると共に、源氏の流れをくむ者を根絶やしにするよう命じました。ところが、源氏の白旗と宝刀を何者かに奪われてしまうというくだりです。

    雄滝
    瀑水と競って駆け下る岩の表面に刻まれた傷跡と黒光りする岩質とのシナジーが、この滝の印象をよりダイナミックな景観にしています。
    ここの岩質は、布引花崗閃緑岩と呼ばれ、角閃石を含めため黒っぽい色をしているのが特徴です。

    文楽『源平布引滝』でも布引の滝が登場します。
    平治の乱で源義朝を討った平清盛でしたが、布引滝の龍神の神託によれば、平家滅亡が近いという。それを聞いて怒り心頭の清盛は、滝の中から手に入れた源氏の白旗と宝刀を破棄すると共に、源氏の流れをくむ者を根絶やしにするよう命じました。ところが、源氏の白旗と宝刀を何者かに奪われてしまうというくだりです。

  • 雄滝<br />滝壺を迂回するように設けられた遊歩道を登りながら、このように滝を間近に見下ろすこともできます。<br />切り立った崖から流れ落ちる滝の水飛沫は、まさに白い布を垂らしたようにも見えます。布引の滝が白く見えるのは、この乙姫様の着る衣が水に晒されているためと考えられ、多くの和歌にこのことが詠まれているのにはロマンを感じずにはいられません。

    雄滝
    滝壺を迂回するように設けられた遊歩道を登りながら、このように滝を間近に見下ろすこともできます。
    切り立った崖から流れ落ちる滝の水飛沫は、まさに白い布を垂らしたようにも見えます。布引の滝が白く見えるのは、この乙姫様の着る衣が水に晒されているためと考えられ、多くの和歌にこのことが詠まれているのにはロマンを感じずにはいられません。

  • 夫婦滝(めおとだき)<br />落差9m。雄滝のすぐ下流に夫婦滝があります。つまり、夫婦滝の滝口は、雄滝の滝壺になります。<br />2筋に分かれて落ちる滝水が滝壺で仲睦まじく交わる様子を夫婦になぞらえています。<br /><br />すぐ上流にかかる雄滝の豪快さと比べると見劣りしてしまいますが、もしこの滝だけが単独で存在すれば、それなりの評価を得ること間違いなしです。

    夫婦滝(めおとだき)
    落差9m。雄滝のすぐ下流に夫婦滝があります。つまり、夫婦滝の滝口は、雄滝の滝壺になります。
    2筋に分かれて落ちる滝水が滝壺で仲睦まじく交わる様子を夫婦になぞらえています。

    すぐ上流にかかる雄滝の豪快さと比べると見劣りしてしまいますが、もしこの滝だけが単独で存在すれば、それなりの評価を得ること間違いなしです。

  • 雄滝 不動尊<br />右岸崖にはこのように不動尊が何体も祀られ、白龍神と書かれた自然石や灯明台なども置かれています。<br />かつては役小角が開いた滝勝寺の修験道行場であり、下界とは一線を画する地でした。故に、日本3大神滝に数えられています。<br />しかし、現在は渓流沿いおよび布引山一帯から滝を経て布引ハーブ園へと至る遊歩道が整備され、新神戸駅からも気軽にアプローチできるハイキングコースになっています。

    雄滝 不動尊
    右岸崖にはこのように不動尊が何体も祀られ、白龍神と書かれた自然石や灯明台なども置かれています。
    かつては役小角が開いた滝勝寺の修験道行場であり、下界とは一線を画する地でした。故に、日本3大神滝に数えられています。
    しかし、現在は渓流沿いおよび布引山一帯から滝を経て布引ハーブ園へと至る遊歩道が整備され、新神戸駅からも気軽にアプローチできるハイキングコースになっています。

  • 神戸ムスリムモスク(神戸回教寺院) <br />布引の滝から再び異人館を横断し、トアロードを下って行きます。すると、山手幹線の手前左手に奇妙な建物が見えてきます。<br />玄関回りに繊細な装飾と、中央に大きな玉葱型ドームを配し、その周囲に「ミナレット」と呼ぶ大小4本の尖塔を並べた姿が印象的な建物です。南アジア系のイスラム教徒が多かった事もあってか、どこかインド風のデザインを感じさせます。<br />神戸に居を構えたモスリム達が、異国での礼拝を望み、神戸在住のトルコ人やタタール人、インド人貿易商らが組織を立ち上げて寄付金を募った末、チェコ人建築家ヤン・ヨセフ・スワガー氏の設計により1935(昭和10)年に建設された、日本で2番目に古いモスクです。ムスリムとはイスラム教徒の意味です。戦時中には日本海軍に接収されたそうです。また、神戸の市街地が焼け野原となった神戸大空襲で奇跡的に焼け残ったモスクです。因みに、日本初の名古屋モスクは戦火で焼失しており、現存する最古のモスクです。<br />スワガー氏は横浜山手教会の設計者としても知られ、他にも多くのカトリック系の宗教施設を手掛けているのですが、その中でこのイスラム建築は異彩を放つ存在と言えます。

    神戸ムスリムモスク(神戸回教寺院) 
    布引の滝から再び異人館を横断し、トアロードを下って行きます。すると、山手幹線の手前左手に奇妙な建物が見えてきます。
    玄関回りに繊細な装飾と、中央に大きな玉葱型ドームを配し、その周囲に「ミナレット」と呼ぶ大小4本の尖塔を並べた姿が印象的な建物です。南アジア系のイスラム教徒が多かった事もあってか、どこかインド風のデザインを感じさせます。
    神戸に居を構えたモスリム達が、異国での礼拝を望み、神戸在住のトルコ人やタタール人、インド人貿易商らが組織を立ち上げて寄付金を募った末、チェコ人建築家ヤン・ヨセフ・スワガー氏の設計により1935(昭和10)年に建設された、日本で2番目に古いモスクです。ムスリムとはイスラム教徒の意味です。戦時中には日本海軍に接収されたそうです。また、神戸の市街地が焼け野原となった神戸大空襲で奇跡的に焼け残ったモスクです。因みに、日本初の名古屋モスクは戦火で焼失しており、現存する最古のモスクです。
    スワガー氏は横浜山手教会の設計者としても知られ、他にも多くのカトリック系の宗教施設を手掛けているのですが、その中でこのイスラム建築は異彩を放つ存在と言えます。

  • 神戸ムスリムモスク(神戸回教寺院) <br />各派のキリスト教会が市内各地に点在する神戸ですが、神戸の国際性を象徴するのがこのイスラム寺院をはじめユダヤ教やジャイナ教、中華街にある関帝廟など種々様々な宗教施設です。世界各国の人々によって支えられてきた国際都市神戸ならではの光景と言えます。<br />現存する日本最古のモスクゆえ、文化財登録の打診もあったそうですが、「ここはムスリムの建物だから、我々が守る」と断ったそうです。阪神淡路大震災でも大きな被害は受けず、住民の避難所としても使われました。<br />ミナト神戸の歴史の生き証人として、モスクは聳え建ち続けることでしょう。<br /><br />トアロードを右折し、相楽園へと向かいます。モスクからは、徒歩10分ほどの距離です。<br />この続きは、神戸逍遥④相楽園でお届けします。

    神戸ムスリムモスク(神戸回教寺院) 
    各派のキリスト教会が市内各地に点在する神戸ですが、神戸の国際性を象徴するのがこのイスラム寺院をはじめユダヤ教やジャイナ教、中華街にある関帝廟など種々様々な宗教施設です。世界各国の人々によって支えられてきた国際都市神戸ならではの光景と言えます。
    現存する日本最古のモスクゆえ、文化財登録の打診もあったそうですが、「ここはムスリムの建物だから、我々が守る」と断ったそうです。阪神淡路大震災でも大きな被害は受けず、住民の避難所としても使われました。
    ミナト神戸の歴史の生き証人として、モスクは聳え建ち続けることでしょう。

    トアロードを右折し、相楽園へと向かいます。モスクからは、徒歩10分ほどの距離です。
    この続きは、神戸逍遥④相楽園でお届けします。

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