
2015/04/25 - 2015/04/25
1位(同エリア4826件中)
montsaintmichelさん
- montsaintmichelさんTOP
- 旅行記351冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 2,843,727アクセス
- フォロワー127人
三宮から六甲山側へ緩やかな坂道を登り詰めると、そこに広がるのは華やかな異人館の街 北野。かつて故国を離れた外国人たちが海を見下ろす高台に邸宅を構え、遠く離れた故郷に思いを馳せたことから誕生した街です。
神戸北野が歴史に登場したのは意外に古く、1180年に平清盛が400年に亘る平安京を捨てて福原(神戸)遷都を行い、その時、都の鬼門鎮護のために京都 北野天満宮をこの地に勧請したことにはじまります。
時代が下り明治の開港までの間、北野~三宮の地域は、砂浜と田畑、山野が広がる神戸村や北野村という農村でした。中でも北野村は居留地に最も近い山麓にあり、開港当時は戸数60軒、人口230人でした。北野に外国人が住むようになったきっかけは、1868年の神戸開港です。港に近い居留地だけでは来日外国人向の住宅地が不足しはじめ、そこで注目されたのが山の手でした。往時、異人館街の住人となったのは、欧米の進んだ技術や学術を日本に伝えるために遠い国からやってきた技術者や学者、そして貿易商やその家族でした。その後、明治~昭和初期にかけては、日本人も中国人も競うように洋館を建て、大正末期には洋館の数は300余棟もあったそうです。
しかし、1939年に勃発した第二次世界大戦が外国人の国外撤去や帰国を招きました。神戸大空襲の被害もありましたが、現在の西洋館ベルト地帯は奇跡的に戦火を逃れました。しかし、60~70年代の高度成長期以降、次第にビルやマンションへの建替えが進み、異人館街の破壊が進みました。歯止めを打ったのが女性向雑誌が組んだ異人館特集でした。更に1977年のNHK連続TV小説『風見鶏の館』をきっかけに一気に観光地化されていきました。1995年の阪神淡路大震災では異人館も甚大な被害を受けましたが、残された30棟ほどの建物は全国から駆けつけた自治体や 大学、研究機関、ボランティアの方々の支援を授かり、速やかに修復作業が進められ、観光地としての復興を遂げて今に至っています。
往時の欧米人の暮らしぶりに思いを馳せながらの異人館巡りも、また趣のあるものです。
今回、活用させていただいた異人館マップです。
http://www.ijinkan.net/ijinkan/
異人館の後に行った布引の滝や相楽園、兵庫県公館を含めたマップはこちらが便利だと思います。
http://homepage2.nifty.com/gontaroh/model-ijinkeiro.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 私鉄
PR
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北野坂 Le Lien Wine&Flower
神戸三宮駅から北野坂を3分ほど上った右側に、フロントマスクの半分をフラワーで豪快にデコレーションした神戸っぽいお洒落なショップがあります。
ここは、昨年の暮れにオープンしたカネキ酒販(株)が経営しているワイン・シャンパンとフラワーのコラボレーションショップ「Le Lien(ル・リアン)」です。セラーでは、常時600本以上のワインをストックしているようです。
「Le Lien」を辞書で調べてみると、フランス語で「絆」という意味でした。 -
北野坂 喫茶店「にしむら珈琲 北野店」
北野坂にひっそりと佇む、隠れ家風の喫茶店です。チェーン店ですが、ここだけは別格です。
赤煉瓦に蔦が絡まる外観はどこかエキゾチックな雰囲気があり、オーナーさんが戦時を過ごされた上海の英国風洋館をモチーフにしたデザインだそうです。1974年に日本発の会員制の超高級喫茶店としてオープンしましたが、阪神大震災を期に一見の観光客でも入れるようになっています。
時代の流れと言うのか、どこか今話題の「大塚家具」を思い浮かべてしまうのは当方だけでしょうか?大塚家具のように赤字経営にならないことを願うばかりです。
しかしいくら隠れ家風がキャッチフレーズでも、ここまで蔦が生い茂っては不気味な妖怪屋敷に見えてしまうのでは?観光客が入のには、かなり勇気が要りそうです。 -
北野坂 喫茶店「にしむら珈琲 北野店」
一般開放されたものの、お値段は据え置きだとか…。
やはりゴージャスでレトロな雰囲気を愉しむ特別な方向けの、知る人ぞ知る喫茶店という位置づけでしょう。
話のネタにはうってつけかも??? -
北野坂 ダルビッシュ コート
ここを通るまで存在すら知らなかったのですが、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有選手の背番号に因んで、2013年11月11日11時11分にオープンした「スペース11ダルビッシュミュージアム(ダルビッシュ記念館)」がこの3階にあります。オーナーは、父親ファルサさんです。
http://darvish-court.com/
ダルビッシュ選手と兵庫の繋がりと言うと高校野球くらいしか思いつかないのですが、甲子園球場は西宮で神戸とは距離もあるし…。
ネットで調べてみると、首をひねるような由来が書かれていました。真偽のほどは不明ですが、次のような趣旨です。
ダルビッシュ選手は大阪府羽曳野市出身ですが、幼少の頃、父ファルサさんと神戸 北野にある外国人向スポーツクラブ「神戸レガッタ&アスレチッククラブ」に通っており、その街並みを気に入ったファルサさんが建設を決めたそうです。
現在故障中なのでほとんど話題にも上りませので、こうした呼び込みを動員してもほとんどの方が素通り状態でした。
早く復帰して活躍していただきたいと思います。 -
北野坂 Bistrot Cafe de Paris
オープンテラス席です。
赤を基調としたハイセンスなインテリアと店内に流れるシャンソンは、まさにパリの街角にあるカフェの雰囲気が味わえます。
比較的カジュアルなカフェで通りからも目立つため、お昼時には満席になります。 -
北野坂 ローソン
クリーム色と水色を基調とし、南面の煉瓦壁をアクセントとした、町並みにマッチさせた「ローソン」です。 -
旧シェー邸(スターバックス北野店)
北野坂を上っていくと、左手に白とグリーンを基調とした洋館が見えてきます。よく見るとスターバックスの看板が掲げられていて唖然としてしまうのですが、ここが1907(明治40)年に建てられた木造2階建の旧シェー邸です。
元々はこの場所から北東300m離れた場所に建っていたそうです。阪神淡路大震災で大きな被害を受けた後、神戸市に譲られてこの地に移設されて「北野物語館」の名称でカフェ&資料館として公開されていたものが休館し、その後スタバがリノベーションして神戸の旗艦店として新しいスタバを発信し続けています。
当初米国人M.J.シェー邸だったものが、後に連続テレビ小説『風見鶏』の主人公のモデルであるドイツ人パン職人ハインリヒ・ブルクマイヤー氏が所有者となり、その後ご子息フロインドリーブ氏に受け継がれた由緒あるコロニアルスタイルの西洋館です。 -
旧シェー邸(スターバックス北野店)
寄席棟造に下見板張り、白いオイルペイントの外壁と深緑に塗られた窓は、北野異人館の典型的スタイルです。ガラスが張られたベランダ兼サンルームが、少し小ぶりなのがこの館の特徴です。
震災でかなりのダメージを受けたそうですが、昔の資料に基づいてオリジナルに近い状態に復元されています。新旧の部材が使われているはずですが、違和感なく仕上げられています。
他のスタバと同じ料金でコーヒーが飲めるのですから、流行る理由も判りますね! -
北野通り
東西に伸びる自動車が走れる広い通りが「北野通り」です。
その東側(右側)には、英国館や洋館長屋、ベンの家などがずらりと建ち並んでいます。
ベンの家の手前に山の手に登る少し急な短い階段がありますので、それを登るとすぐ左手に「ラインの館」があります。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)
来日後の日本で出会った夫と死別、さらに再婚という波乱の時を過ごしたJ.R.ドレウェル夫人。その人生の一幕を知る洋館が「ラインの館」です。
異人館界隈で最も賑やかな一角に、1915(大正4)年に建造されたのが旧ドレウェル邸。建築主はフランス人ドレウェル夫人、設計者は詳細不明です。1876(明治9)年、夫人は大阪造幣寮の御雇外国人のイタリア人マンチーニ氏と結婚し、大阪で暮らしていました。しかし1880年にご主人を亡くし、その後ドレウェル氏と再婚してから建てたのがこの洋館です。その後ドイツ人が居住していましたが、やがて神戸市が所有するところとなり、1978年から一般公開されています。
建物は主屋と付属屋からなり、主屋は庭のほぼ中央に玄関を東面して建ち、1階の開放されたベランダは異人館様式をよく残しています。楓の新緑がクリーム色の外壁に映え、庭園と一体になった憩の空間が広がっています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)
この館の愛称は、一般公開に先立って公募され、クリーム色にオイルペンキ塗装された下見板張りに描かれたチョコレート色の水平ラインの美しさを讃えた「ラインの館」に決まりました。クリーム色の外壁とチョコレート色の鎧戸など他の異人館にはないユニークなツートンカラーが美しい、ベランダコロニアル様式の異人館です。
また、庭には蘇鉄や楠の大樹があり、心地よい緑陰を提供しています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)
西面と東面にそれぞれベイウインドウ(張り出し窓)が設けられ、南面の1階が開放式ベランダ、2階がガラス張りのベランダ兼サンルームになっています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)
この館は、北野異人館では珍しく、神戸市の配慮により無料開放されています。人気の高い異人館が有料なのはある意味仕方のないことですが、ファミリーで何館も見て回れば相当な金額になります。そんな中、これだけ見ごたえのある館が無料開放とは何ともありがたいことです。
横浜異人館ではほぼ無料のようですが、観光地にお金を落としてもらえるリピーターの獲得を考えれば横浜方式に分がありそうです。近江商人「三方よし」の理念の欠落なのでしょうか???
また、ここは北野界隈では数少ない公衆トイレとしても併用されていますので、場所をチェックしておかれるといざという時に役立ちます。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)庭
玄関先の庭には、ユニークな3匹の犬のブロンズ製オブジェがあります。
異人館のお庭には、こんな風に行儀よくお座りしたおとなしい大型犬が似合います。
どれも表情豊かですので、人気の撮影スポットとなっています。
これらの作品は、「Three dog houses」と題された1981年のポートピア万博の彫刻展で神戸市長賞を受賞した、中ハシ克シゲ氏の作品です。
一番奥のワンちゃんは後ろを向いていますが、実はブルブル震えながらある動作の真っ最中です。それをここでアップするのは憚られる光景ですので載せられません!
(全景が写っている写真を拡大すればなんとなく雰囲気が分かります)
この動作に気付かれた方は、必ずこの子を触って行かれます。ワンちゃんから「運」をもらって神戸の旅をお愉しみ下さい!! -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)1階応接間
応接間には、ドレウェル夫人が在りし日に飾っていたという気品高い磁器人形が展示され、この館のかつての主人が女性であったことが偲ばれます。
(写真の右端に小さく写っています)
因みに、ドレウェル夫人は、再度山(ふたたびやま)にある神戸外国人墓地で静かな眠りに就いています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)1階居間
ベイウインドウとそこに映し出された色彩が異国情緒を醸しています。
明治期に建てられたものが多い神戸異人館では、比較的新しい年代の建物と言えます。1階には応接間と居間、食堂があり、食堂はショップになっています。内部は観光客のための休憩所になっている他、異人館や神戸関連の資料が展示されています。
御雇外国人であったドレウェル夫人の前夫ニコラ・カルロ・ナポレオーネ・マンチーニ氏は、明治初期に殖産興業のため欧米の技術や学問、制度の輸入のために国に雇用されました。マンチーニ氏は、大阪造幣寮で棒状の金銀をロールで伸ばし、各種円形に裁断する伸金局の助役兼機械方を務めていました。日本政府も高額給与を支払い、国の基礎事業を任せるだけに、外国人雇用に際しては様々な気配りを要したとされています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)階段ホール
とても品格のある色彩と形の階段です。親柱も豪華な作りをしています。
また、吊り下げられたペンダントライトが西洋館の雰囲気を醸しています。
この階段付き玄関ホールにも暖炉が置かれています。(右手奥) -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階階段ホール
2階階段ホールから見るとこんな感じです。
左側の壁には大きな絵画が掛けられています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階ベランダ
2階の複柱式ベランダは、硝子戸を入れてサンルームを兼ねています。東西に長く、寛げる空間となっており、異人館越しに神戸市街が望めます。
東南アジアに多いベランダコロニアル様式とは異なり、ガラス戸で囲っているのが神戸異人館の特徴とも言えます。六甲おろしに代表される、神戸の冬の寒さが必然的にサンルームを欲したと言うことでしょう。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階寝室
2階には寝室3部屋と浴室が配置されています。
これは寝室にあったアンティークな家具です。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階寝室
各部屋には暖炉が設けられ、暖炉のマントルピースには繊細な模様が施されています。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階寝室
招福イラストレーター「もり うめこ」さんの作品が展示されていました。
オメデタイことをモチーフにした作品を制作されている、神戸で活躍されている若手アーティストです。和のテイストに、どこかほっこりする今を描く作風は、身近な幸福感にふと気づかさせてくれます。
この作品には「午後四時タキツボ集合」との名が付けられていました。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階寝室
ユーモラスな小物3部作。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)2階寝室
どの作品も温かみがあってほっこりさせるものばかりですが、これが一番のお気に入りの作品です。
この作品は「だるまさん」。 -
旧ドレウェル邸 (ラインの館)
「ラインの館」は、異人館鑑賞のウォームアップには最適でした。
赤煉瓦とチョコレート色の水平ラインのコラボレーションが目を惹き付けます。 -
旧米国領事館官舎(神戸北野美術館)
ラインの館の向かい側にあるのは「神戸北野美術館」。
ここにはカフェも併設されています。 -
北野天満神社
ハイカラな洋館が建ち並ぶ中、忽然と姿を現したのは古式ゆかしい鳥居と石段です。
北野天満神社は、この北野の発祥とも言え、1180年に平清盛が京都から福原(神戸)遷都した際、禁裡守護や鬼門鎮護の神として京都の北野天満宮を勧請して祀った古い歴史のある神社です。
現在は、他の天満宮同様に学問の神様です。 -
北野天満神社
急峻な石段を上がって振り返ると神戸の街を一望できる素晴らしい眺めが待っているそうですが、ここは先の予定を考慮して自重します。
都の守護神を祀る神社をわざわざこんな高台に建てた気持ちが判る気がします。
平清盛が遷都した福原京は、現在の兵庫県神戸市中央区から兵庫区北部あたりにあったとされます。福原京には経ヶ島という人工島が作られたそうですが、往時、人工島を作る技術があったということに驚かされます。しかし、長い年月の間に地形が変わってしまい、経ヶ島がどこにあったのか分からないままだそうです。また福原京は源義仲によってことごとく焼き払われてしまい、遺構は何一つ残されていないそうです。 -
北野町広場
「風見鶏の館」の前では、サクソフォンを手にしたジャズメンがベンチに腰掛け、ようこそ北野へと手を振って歓迎してくれています。
これはこうした記念撮影用のオブジェです。他にも色々なジャズメンがいますので、お気に入りとツーショットで撮影されてはいかがでしょうか?
また、手前の北野町広場にある円形広場では、大道芸人のパフォーマンスが見られます。西洋館には余り興味を示さない子供たちにも大人気ですので、ここで一休みされてはどうでしょう。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)<重文>
北野異人館の代名詞ともなる旧トーマス邸です。入口の門扉の上には白く「Rhenania(レナニア:ライン川)」と書かれ、これは表札がわりだそうです。
ドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス邸として1909(明治42)年に建てられました。ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ氏の設計による、煉瓦の外壁に2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)、石積みの玄関ポーチを巧みに組み合わせたドイツ古典様式の重厚な洋館です。北野界隈にある多くの異人館がベランダコロニアル様式である中、この色鮮やかな煉瓦外壁の建物の存在感は際立っています。この館は、1983年から2年かけて本格的な保存修理が行われています。
トンガリ屋根にチョコンと載せられた風見鶏から「風見鶏の館」の愛称で知られ、神戸の観光案内に必ず採り上げられる北野のランドマーク的存在です。現在の北野は賑わいと引き換えに俗化してしまったとの見方もあるのですが、無秩序な開発から街並みが守られて来たことを思えば、目をつぶれる範囲ではないでしょうか? -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
頂部に風見鶏を載せ、急勾配屋根のゴシック風塔屋を持つなど他の洋館とは異なったドイツ風の趣を漂わせています。
煉瓦外壁の基本部分に、木造で奥行き部分と上階を接いだ構造になっています。煉瓦と木材という異質の素材を巧みに組合わせ、それぞれの持ち味を引き出しています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
尖塔の頂点に載せられた風見鶏は北野町のシンボルとして欠かせない存在です。風見鶏はその名の通り風向きを知る役目を持ちますが、雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味、あるいはキリスト教の教勢を発展させる効果があると言われてきました。
そう思って眺めていると、屋根の上から注意深く見張りながらくるくると歩き廻っているようにも見えます。また、ドイツのプロテスタントの教会には風見鶏が見られ、設計者ラランデ氏は旧オリエンタルホテルにも風見鶏を付けていました。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
いびつとも言える独特のフォルムが、興味を誘う館です。
この館では、トーマス夫妻と一人娘エルザさんの3人が1914(大正3)年まで住んでいました。 1914年といえば、第一次世界大戦が勃発した年です。往時日本と同盟関係にあったイギリスがドイツに宣戦布告したため、欧州の戦乱がアジアにも波及するはめになったのです。中国の青島では、エルザさんの故国ドイツと日本が戦っていました。わずか5年という歳月ながら、ここ北野の地で思春期の10代を迎えた少女の目には、どんな風景が映っていたのでしょうか…。
屋根上の風見鶏は、時代の風向きまではとらえようもなかったということです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
低層部は石積みとし、半地下を構成しています。所々、石積みに窓と柵が見られますが、これらは半地下室の窓で、5〜6人の使用人が使用していたそうです。
勿論、半地下への出入口は内部にはなく、外から出入りしたそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
玄関ポーチから見えるベイウインドウは、半8角形をした書斎の一部です。
実はこの部屋が見所のひとつでもあります。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
玄関扉の飾り格子に施された、どことなく中国っぽい意匠のアイアンアートです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
1階には玄関ホールや応接間、居間、食堂、往時の家具が展示されている書斎があり、各部屋には豪華な調度品が備えられています。
特に印象的なのは、ウィンド・トリートメント(窓装飾)やカーテンの吊り方による演出効果です。カーテンは、単純に窓枠に合わせて吊られたものではなく、天井に近い部分から床上までカバーしています。こうすることで天井をより高く見せ、窓回りの高級感を高めています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)応接間
1階応接間では、高さ4mもある天井から吊り下げられたアール・デコ風シャンデリアが存在感を顕にしています。
木の質感が柔和な雰囲気を醸す中、ドイツ伝統建築に日本建築の様式や玄関の中国風の建具、往時欧米で流行したアール・ヌーヴォーやアール・デコ様式など多彩な建築様式を取り入れながら全てをバランスよく調和させている点です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)応接間
各部屋で注目していただきたいのは、天井の模様です。応接間は欧風、居間横の小部屋は教会のドーム風の天井、1階居間は日本の格子模様の天井と多彩な様式がミックスされています。建築家ラランデの見事な設計と、日本の宮大工が仕上げた建築美が見事です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)応接間
1階各入口扉のドアノブには曲線美が目を引くアール・ヌーヴォーの意匠を見ることができます。ドアノブは全て往時のものだそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)応接間
アンティークな大きなボンボン時計です。
文字盤にはHERTZの文字があるのでHERTZ社製なのでしょうか?
HERTZというとレンタカーを思い浮かべてしまうのですが…。
床に直置きされているので、時報が鳴った時は家中に響いたかもしれません。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)応接室
家具に施された繊細な絵柄です。
職人さんの心意気がしっかりと表現されています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)居間
ダンスパーティーなどもできる部屋として広い間取りになっています。
窓辺にはグランドピアノも置かれ、内装はより現代的な感覚です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)居間
天井の意匠も各部屋毎にデザインが変えられていますので鑑賞ポイントです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)居間
シャンデリアにワイヤや滑車が付けられているのは、往時のシャンデリアは高さを上下させて明るさを調節していたためです。
このシャンデリアには、19世紀末〜20世紀初頭にかけての新しい芸術運動「アール・ヌーヴォ」の動きを感じさせるものがあります。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)居間
ダンス等の休憩時に使った、淡いピンク色でコーディネートされたスキップフロアです。恐らく女性向けの休憩フロアだったような気がします。
天井と床の高さを変え、同じ部屋ながら独立した別室のような雰囲気を出しているのが特徴です。天井のアーチも斬新でとても美しい。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)ベランダ
壁の煉瓦調にコーディネートした、シックな趣のある天井デザインです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)食堂
中世城館風の天井小梁や飾り戸棚、暖炉のマントルピースなど見ごたえのある意匠が目白押しです。この館の中で最も重厚な雰囲気がする部屋で、ドイツ風様式が強調されています。
正面中央に鎮座するのは、造りつけの配膳棚です。地階の厨房につながっており、使用人が料理を運び上げてテーブルに置くためのリフトも設けられています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)食堂
壁板や戸棚の最上部にある凸凹の意匠は、中世の城館をイメージしたものだそうです。
壁板にも端正な模様が施されています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)食堂
暖炉の両脇にあるステンドグラスです。花や植物などのモチーフを自由な曲線の組合せで表現し、アール・ヌーヴォーの特徴がよくでています。
往時は非常に高価だったそうですが、2か所に使われています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)書斎
小ぶりなデスクと椅子が置かれた右側のスペースには、来客用の調度品が展示されています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)書斎
アーチの向こうは半8角形の張り出しとなり、こうもり傘を彷彿とさせるドーム状の天井が可愛らしい感じです。これが玄関ポーチから見た時にあったベイウインドウの正体です。
置かれている椅子は、清朝の皇帝と皇后の椅子ではないかとも言われているのですが、来歴は不明だそうです。この館で使われていた家具で、一旦ドイツに送り返されていたものをエルザ・ガルボ夫人から寄贈されたものだそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)書斎
デスクの脇に置かれた衝立にも3本爪の龍が彫られており、これも皇族由来の調度品だそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)書斎
2つのコーナを分ける寄木細工の腰板に描かれた風刺画などに、19世紀末〜20世紀初頭にかけての新しい芸術運動「アール・ヌーヴォ」の動きを感じさせるものがあります。
こうした所に世紀末の暮らしぶりを垣間見ることができます。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)書斎
電灯のスイッチですがとても凝ったデザインです。
誤って切られないようにプラスチックの透明カバーが被せてあります。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)階段
階段の踊り場にある大きな半円アーチ状の採光窓です。
薄いピンク色を呈したガラスには繊細な花模様が施され、摺りガラスのような質感を見せています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階ホール
実物大の風見鶏のオブジェが置かれ、記念撮影に最適です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階客用寝室
2階では、客用寝室や子供部屋、朝食の間、バスルームが見学できます。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階客用寝室
カーテンと壁紙の絵柄と色彩が統一された部屋です。
高貴な雰囲気が漂い、当方のような庶民には落ち着かない部屋です。
この鏡台は、大正期に神戸で製作されたもので、芦屋市住在の方から寄贈されたものだそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階子供部屋
2階南側の一番広い部屋が愛娘エルザさんの部屋でした。
24畳程の広さがあり、この家で一番日当たりが良い場所です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階子供部屋
繊細なステンドグラスが飾られ、訪問者を歓迎してくれています。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階客用寝室
スズランを思わせるアール・ヌーヴォー風のスタンドです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階子供部屋
子供部屋の暖炉の上には、エルザさんの往時の写真と88歳の時に来館された際の写真が左右に飾られ、少女時代を過ごした神戸やこの館への愛情溢れる表情が伝わってきます。
エルザさんは、上級学校進学のために一家で一時帰国していた最中に第一次世界大戦が勃発し、そのままドイツで暮らしていました。そして時を経て、朝ドラで風見鶏の館が話題になった際、偶然かつての自邸がまだ残されていることを知り、神戸市の温かい取り計らいによって再訪が実現しました。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階子供部屋
懐かしいSINGER社製のミシンです。
旧いミシンですが、フォルムは機能美というかアートそのものでお洒落です。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階子供部屋
MUSIC BOXと書かれているので、メリーゴーランドのオルゴールでしょうか? -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)
子供部屋とベランダ間の扉に取り付けられた絵柄入りのガラス。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階ベランダ
ベランダの窓枠は日本風の格子窓や引き戸となっており、自然光が差し込む中で風見鶏の館の建築美を味わうことができます。
この館もベランダをガラス戸で囲み、サンルームを兼用したスタイルです。
往時は、このベランダで観葉植物などが育てられていたそうです。
今でも往時の吹きガラスで作られた板ガラスが数枚残されてるそうです。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階ベランダ
どこか懐かしい感じのする引き戸の鍵。 -
旧トーマス邸 (風見鶏の館)2階夫婦の寝室
現在はショップになっています。
カーテンとお揃いの濃い色の壁が上品な雰囲気を醸す部屋です。
北野異人館はそのほとんどが有料施設です。そのため、セット割引券なるものものがあり、2館券¥600円(風見鶏の館、萌黄の館)、3テーマ館共通券(黄色いパスポート)¥1300、4館特選入館券¥2000、5館特選入館券¥2000、9館特選入館券¥3500が販売されています。各セットにより対象の施設が異なるので注意が必要です。どこでも入れるわけではありません。
詳細は次のサイトでチェック願います。
http://www.ijinkan.net/ijinkan/
さっと回るのでしたら、2館券+ラインの館(無料)がお勧めです。2館券は風見鶏の館のチケット売り場で購入できます。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)<重文>
見晴らしの良い高台に米国総領事ハンター・シャープ邸として1903(明治36)年に建てられた木造2階建、下見板張りの洋館です。設計はA.N.ハンセル氏。
長らく白ペンキが塗られていたため、その印象から「白い異人館」と呼ばれていましたが、1987年の修理に伴う調査で建築当初は萌黄色だったことが判明し、萌黄色に復され、以来「萌黄の館」の愛称で親しまれています。周囲の緑にコーディネートされた趣のある色合いです。
1階を開放式、2階をガラス張りにしたベランダコロニアル様式で、東側と西側には異なる意匠のベイウインドウが設けられています。米国総領事の自邸として建てられた後、数回所有者が変わり、最後は元神戸電鉄社長の小林秀雄氏の所有となり、現在も小林家の名義のまま神戸市が借り受けて1978年から一般公開しています。因みに、2015年1月7日に入館者が1千万人を突破したそうです。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
シャープ氏は1886年に25歳で来日。神戸で結婚して間もなく、ベイウインドウや赤煉瓦の煙突が映えるこの洋館を建てました。当時の日米関係は、1905年の米国の斡旋による日露戦争講和条約締結に見られるように良好な関係にあり、新居での生活も快適であったろうことが想像できます。
しかし、この時期をピークに日米関係は急速に悪化し、その後の経済不況などの時代を経て衝突が避けれらない状況へと推移していきます。そして、米国内では日本人の移民急増に対する反日感情が高まりを見せ、やがて1908年にシャープは離日することになります。その際、長年の功を讃え、神戸市長から薩摩焼茶器が記念品として贈られています。神戸を去った彼は、モスクワやリオン、エジンバラの領事を歴任し、1923(大正12)年に死去するまで生涯を外交官として活躍しました。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
屋根中央に据わった赤煉瓦の化粧積みの煙突がアクセントになっています。
左下には石塔もあります。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
裏庭には大きな石燈籠も置かれています。
シュウエケ邸の庭にも石燈籠が置かれているとの情報があるので、和の要素を取り入れるのは往時の欧米人の流行だったのかもしれません。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
裏庭の北西には、震災の時に屋根の上から落ちて庭に突き刺さったという赤煉瓦の化粧積み煙突が落下した状態そのままにモニュメントとして展示されていました。
3本の煙突が全て崩落したようですが、もうひとつの煙突はメイド・ルーム(非公開)内に落ちたそうです。
復旧には1年かかったそうです。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
北面にはこうした階段が設けられています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
庭の一角にはこのように沢山の金魚が泳いでいます???
この謎については、後ほど説明いたします。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
ゆったりとした奥行きのある空間を構成している玄関ホール。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)
玄関口の上部には、美しいステンドグラスが嵌められています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)食堂兼居間
やわらかな光彩が差し込む各部屋には、どこか懐かしい温かな空気が横溢しています。
正面にはお洒落なピアノも置かれています。このピアノは、20世紀半ばまでフランスを代表したピアノ製造会社「エラール」製のもので、現在は大変希少なものだそうです。
さすがに元米国総領事の邸宅だけあり、どの部屋にもその片鱗が垣間見られます。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)応接室
映画「少年H」の撮影ロケ地として使われた由縁でポスターが展示されています。左端のポスターには主演の水谷豊さんのサイン色紙が掲げられています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)応接室
暖炉のマントルピースに嵌め込まれたタイルの意匠は、部屋毎の雰囲気に合わせてコーディネートされています。こうした格調高い調度品が風格ある空間を演出しています。
この暖炉には東洋風の風景画が描かれています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)応接室
各部屋毎に意匠が異なっています。
壁と天井の見切りに貼られた薔薇柄のトリムにも注目してください。
このトリムの薔薇柄は、オリジナルのデザインを復元しているそうです。
壁に備え付けられていたランプとその影もお洒落です。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)応接室
庭で泳いでいた金魚の正体です。
この部屋では、和金絵師 岩田明久氏(雅号:ARTIST GUN)の作品が常時展示されています。
石の上に金魚を描いた、トリック・ストーン・フイッシュアートと呼ばれるものです。石には「みはま小石」が使われ、三重県熊野市にある日本一長い砂利浜 七里御浜海岸で採取されたものだそうです。
岩田氏は、地場産業振興のお手伝いをされているそうです。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)書斎(ショップ)
この部屋にある右側の窓だけが「ハニカム=蜂の巣」模様の窓枠になっており興味深いものがあります。
書斎なので、何か特別な意味があるのかもしれません。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)階段
柱頭にアラベスク風の模様が施された優雅な階段です。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)寝室
朝目覚めた時、東の窓からはどんな朝日が差し込むのか、見てみたい気がします。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)寝室
寝室のテーブルにセットされたチェスボード。
レースのカーテン越しに差し込む日差しが明るい雰囲気をつくっています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)化粧室
往時はこのようなレイアウトではなかったのだと思いますが、ドレッサーの存在感が半端ではありません。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)ベランダ
お勧めのポイントがこのベランダ兼サンルームです。ガラス窓から神戸の港を一望することもできます。
ガラス枠の幾何学模様はこの館のシンボルマークともなっており、1階の開放式ベランダの天井の意匠にも使われています。
こんな部屋で、午後の日差しを浴びながらのんびりと珈琲をすすり、好きなBGMを流しながら読書に耽りたいですね! -
旧シャープ邸(萌黄の館)ベランダ
窓の鍵も懐かしい。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)ベランダ
天井には和のテイスト「吊り燈籠」がそれとなく下げられています。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)居間
広いスペースなのでゆっくり寛げそうです。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)居間
ここの暖炉のタイルがとてもきれいです。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)子供部屋
左の窓辺に置かれた地球儀が時代を感じさせます。 -
旧シャープ邸(萌黄の館)バスルーム
バスルームの内装の色も萌黄色でコーディネートされています。
シャワーヘッドのデザインがいかにもクラシックで思わず頬を弛ませます。 -
旧ハリアー邸 (うろこの家)
異人館街の最北端には旧ハリアー邸が聳え立っています。詳細は不明ですが、明治後期の竣工と言われています。
元々は旧居留地に商館として建てられたもので、1922(大正11)年に当地に移築され、その後は外国人向けの高級貸家として使われていました。最後の居住者の名前から旧ハリアー邸の名称で親しまれています。
下見板張り、ベランダコロニアル様式の洋館が並ぶ北野地区にあって、外壁が天然スレート仕上げなのはユニークで、外壁が魚の鱗に見えることから「うろこの家」と呼ばれて親しまれています。北野地区で最初に一般公開された異人館です。伝統的建造物郡保存地区として観光客で賑わう今日の北野を形作り、広く全国に知られる観光スポットに導いた点でも大きな意味を持つ建物です。
西隣には美術館が併設され、ヨーロッパとロシアの近・現代絵画を収集しています。マチスやユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスなどの高名な画家の佳作が展示されています。(拝観料¥1000には美術館も含まれます。)
国登録有形文化財、兵庫住宅百選のひとつともなっています。
時間が許せば異人館で美術鑑賞するのも乙ですね! -
北野KOUBAN
赤煉瓦造のかまぼこ型屋根をしたお洒落な交番です。
よく見ると軒の左上に「ミミズク」が留まっています。これには、「夜も守る」という夜警の意味が込められているそうです。
形窓にはステンドグラスが嵌められ、図柄は風見鶏と船の錨です。神戸らしいデザインですね!
半地下室でもあるのか、斜面に小窓が覗いています。これは何なのでしょう? -
旧ハンセル邸 (シュウエケ邸)<重文>
1896(明治29)年に英国王室建築家協会のメンバー アレクサンダー・ネルソン・ハンセル邸として建てられました。設計者はもちろんハンセル氏です。ハンセル氏は、元々は神学校の教師として来日したのですが、異人館や洋館の設計で大きな足跡を残し、この北野に建てられた多くの外国人貿易商の邸宅の他、神戸塩屋のグッゲンハイム邸や京都の同志社大学、平安女学院などが知られています。特に北野には多くの作品を残し、往時の神戸を代表する建築家でした。戦後、繊維関係の貿易商であったユダヤ人エズラー・シュウエケ氏が買い取ったため「シュウエケ邸」と呼ばれています。現在もシュウエケ家の自邸として使用されています。
一時期部屋の一部と庭を公開されていましたが、その後公開を止めていました。しかし写真に写っている看板では、再公開されているようです。行かれる方は、WEB情報を確認してみてください。 -
旧ハンセル邸 (シュウエケ邸)
白壁にオフグリーンのラインが映え、童話の世界に登場するようなやさしい雰囲気の洋館です。中央にバルコニーを配し、左右対象に半8角形のテラスを設けたベランダコロニアル様式の典型です。一方、流造風の玄関ポーチや屋根にさりげなく燻し瓦の鯱飾りを載せたり、広い庭園の芝生に石灯籠を配するなど、和のテイストも積極的に取り入れています。また、切妻部分にはスティックワークの手法を用いて英国木造ゴシック建築の特徴を燻し出しています。和洋折衷というか、色々なスタイルを調和さたユニークな洋館と言えます。神戸ファッションなどの卓越したセンスの良さは、こうした西洋と日本の「雑居文化」から生まれ、連綿と磨かれてきたのでしょうね! -
神戸北野ホテル
阪神淡路大震災後、北野ホテルの存続を願う地元の人たちに応え、異人館の街に佇む都市型オーベルジュとしてリニューアルしました。
川崎造船創業者の川崎正蔵男爵邸跡にフランス三ッ星レストラン出身のオーナーシェフ山口浩氏が2000年夏にグランドオープンした料理を楽しむためのホテルです。英国製別誂え家具を配した客室は、全室内装の異なるスイート級のグレードを誇るそうです。
宿泊はともかく、一度はここの朝食を味わってみたいものです。 -
旧ビショップ邸(東天閣)
1894(明治27)年にドイツ人F.ビショップ邸として建てられた、現存する最古の異人館です。ビショップ氏は、人名録には「Pillot」と記されています。設計者は英国人ガリバー氏と推定されています。
白い装飾の入った外壁に縁取りされた緑色と、側面にある2階まで伸びたベイウィンドウが印象的な建物です。多くの異人館と同じくベランダコロニアル様式、木造2階建、桟瓦葺、寄棟造で、外壁は下見板張りにオイルペンキ塗装です。当初開放式だった2階ベランダに厳冬の神戸の気候に合わせてガラスが嵌められているのも他の異人館と共通しています。
この建物は、終戦の年に北京宮廷料理の名店「東天閣」に改装されています。現在は北野地区の多くの洋館が商業施設にリノベーションされていますが、この建物はそのパイオニア的な存在と言えます。
異人館を一堂にまとめた関係で「布引の滝」の前後に訪れた洋館を一緒にして紹介しています。
実際には、「うろこの家」から新神戸駅を経由して布引の滝を愉しみました。
この続きは神戸逍遥③布引の滝でお届けします。
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