
2014/07/04 - 2014/07/04
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旅するうさぎさん
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抽象画の創始者、カンディンスキー。
私が初めてカンディンスキーの絵に出会ったのは、
学生時代、美学芸術史の先生から西洋絵画の歴史について
学んでいた時に、授業でカンディンスキーの絵のスライドを
見た後、東京国立近代美術館で開催された『カンディンスキー展』
を見に行ったのがきっかけです。
「小さな喜び」というタイトルの絵を美術館で見た瞬間に、
「私の好きな絵はまさにこれだ!」と思ったのです。
その時の衝撃は今でも覚えています。
以来、日本にカンディンスキーの絵が来れば展覧会に行き、
カンディンスキーの作品が多い、パリのポンピドゥーセンター
(国立近代美術館)や、このミュンヘンのレンバッハハウスに行き、
カンディンスキーゆかりの地である南ドイツのムルナウや
ミュンヘンのシュヴァービングなども訪ねました。
今回、レンバッハハウスに行くのは実に17年ぶりです。
カンディンスキー以外の青騎士の絵も好きなので
それらの絵を見るのも楽しみに出かけました。
※青騎士(der Blaue Reiter)とは、カンディンスキーを中心とした
表現主義の画家の集まりのことです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
楽しみにしていた、LENBACHHAUS(レンバッハハウス)再訪。
でも今回は運悪く、どこかの美術館に作品を貸し出していたのか、
カンディンスキーを初めとする青騎士の絵はとても少なく、
特にフランツ・マルクの絵は一点もありませんでした。(ガッカリ!)
しかし、残りものには福があると言います。
おかげで残った絵をじっくりと見ることができました。
この美術館はフラッシュをたかなければ写真を撮ってもかまいません。
以下の写真は、全て今回の訪問で撮ったものです。レンバッハハウス美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
カンディンスキーの抽象画というと、何が描いてあるのか
さっぱり分からない、難解だ、という印象を持つ方も
いらっしゃるかもしれません。
でも、決して難解なものではなく、
見る人は自分が感じるまま、
自分の感覚で見るだけでよいと私は思っています。
それに、彼は初めから抽象画を描いていたわけじゃないんです。
何が描かれているのか、分かる絵も実は沢山あるのです。
完全な抽象画に到達する前に、彼がどんな絵を描いてきたのか、
抽象画に至る変遷を、このレンバッハハウスでは
鑑賞することができます。
じっくり見ていくことにしました。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウの鉄道
1909年
こちらは蒸気機関車が描かれています。
ムルナウはカンディンスキーが、弟子であり恋人でもある
ミュンターと住んでいた町で、
ドイツのミュンヘンから南へ、ガルミッシュ・パルテンキルヘン
方面に向かう途中にある市場町です。
汽車の向こうに見えるのは、ムルナウにあるシュロス(お城)です。
私は以前、ムルナウにも行ったことがあるのですが、
この線路とお城の位置関係は、結構正確に描かれていると思います。
ですので、この黒い汽車はミュンヘン方面に向かう汽車だと分かります。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウ―グリースブロイの窓からの眺め
1908年
ムルナウの町の風景画です。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウ―「塔のある風景」のための習作
1908年
緑の牧草地に塔が建ち、その向こうにアルプスの山々が見えます。
ムルナウは、バイエルンアルプスのすぐ近くの町。
こんなふうに遠くを眺めると、アルプスの青い山々が
美しく見える町なんです。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
オーバーアウ近郊 秋の習作
1908年
バイエルンらしい、静かな秋の風景を描いています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウ―グリュン小路
1909年
こちらもムルナウの町の様子。 -
カンディンスキーの、いわゆる「ムルナウの時代」
に描かれた風景画が並んでいます。
なお、この旅行記の絵のタイトルは、レンバッハハウスに
表示されていたタイトルを日本語に訳したものです。
また、1996年にセゾン美術館で開催された
「カンディンスキー&ミュンター 1901-1917展」
で購入した目録の日本語タイトルも参考にしました。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
「木の幹のある風景」のための習作
1908年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
コッヘル―墓地と教区司祭館
1909年
コッヘルというのは、ムルナウの隣り町です。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウ―歩道と家並
1909年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウ―虹の見える風景
1909年
この辺りから、少しづつ抽象化されてきているのがわかります。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
コッヘル―まっすぐな道
1909年
左側に二人の農夫が見えます。大胆に単純化されています。
かなり画面が平面的になってきました。 -
展示の様子です。
カンディンスキーはちょっと異色の経歴の持ち主で、
ロシアで生まれ、名門モスクワ大学で法律と政治経済を学び、
ロシアの大学で将来を嘱望されていたのですが
1896年、30歳の時に、絵の勉強をするために
ミュンヘンにやってきました。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
ムルナウの教会
1910年
右上に建っている、青い玉ねぎ坊主を付けた白い塔は
ムルナウの教会です。
彼にとってムルナウの玉ねぎ坊主の教会は、
なつかしいロシア正教の玉ねぎ型の教会を
思い起こさせるものだったようです。 -
カンディンスキー以外の
青騎士のメンバーの絵も展示されていました。
アレクセイ・ヤウレンスキー
ムルナウ近郊の風景
1909年
ヤウレンスキーもロシア出身の人で、
彼もまた絵のためにミュンヘンにやってきた人です。 -
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン
洗濯婦
1909年
ヴェレフキンもヤウレンスキーと共にミュンヘンに
やってきたロシア人です。
世紀末のミュンヘンには、生粋のミュンヘンの人は
36%しかおらず、18%が外国人で、
特に東欧の国の人が多かったそうです。
また当時のミュンヘンは、ヴィッテルスバッハ家の君主が
積極的に美術を育成していたので、まさに芸術の都でした。 -
エルマ・ボッシ
明かりのある室内
1909年 -
アルベルト・ブロッホ
ボクシングマッチ
1912年/1913年
このキュビズムの絵、気に入りました。
最初、ブラックの絵かと思いましたが、ブロッホでした。
でも、ブロッホって誰だろう?と思い、日本に帰って調べたところ、
この人はアメリカ人で、1909年から1921年まで
主にドイツで活動し、青騎士に加わったのだそうです。
その後、アメリカに帰って大学の教授になったのだそう。 -
アレクセイ・ヤウレンスキー
ムルナウの夏の夕べ
1908年/1909年
アルプスの夕暮れを描いています。 -
ガブリエーレ・ミュンター
ヤウレンスキーとヴェレフキン
1909年
こちらは、カンディンスキーの弟子であり、
恋人でもあった女流画家ガブリエーレ・ミュンターが、
画家仲間であるヤウレンスキー(右)と、
ヴェレフキン(左)を描いたものです。
アルプスの山でくつろぐ二人。
伸びやかに描かれていて、ミュンターさんの絵の中で
私はこの絵が一番好きです。 -
ガブリエーレ・ミュンター
マリアンネ・フォン・ヴェレフキンの肖像
1909年
ミュンターがヴェレフキンだけを描いた作品。
美しい飾りの付いた帽子と、大胆な長いスカーフ、色使いが印象的。 -
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン
自画像
1910年 -
アレクセイ・ヤウレンスキー
ダンサー、アレクサンドル・ザハロフの肖像
1909年 -
展示の様子です。
-
ガブリエーレ・ミュンター
耳を傾ける(ヤウレンスキーの肖像)
1909年
これも大好きなミュンターさんの絵です。
なあに? と聞いているヤウレンスキーの様子が
よく出ていて面白いです。
伸びやかで、大胆に単純化されています。 -
この写真の一番手前、右側にいるのがカンディンスキー、
後ろの中央にいる白っぽい服の女性がミュンターです。
ミュンターはドイツのベルリン出身です。
彼女はずっとカンディンスキーと恋人関係にあって、
ムルナウの家も、カンディンスキーの強い勧めで彼女が購入し、
一緒に暮らしていました。
しかし、最終的には別れることに…。
彼女はカンディンスキーを何年も待ち続けたのですが、
カンディンスキーはモスクワで、別の女性と結婚してしまいました。
それでカンディンスキーは、ミュンターに預けておいた自分の絵を
返してくれと言ったのですが、ミュンターは返しませんでした。
それで裁判になって、何年も争ったのですが、
結局ミュンターが勝って、預けておいたカンディンスキーの
作品のうち、大きな作品は返されたものの、ほとんどが
ミュンターの物になりました。 -
ガブリエーレ・ミュンター
冬の村道
1911年
ナチスの時代、カンディンスキーの絵は退廃美術と見なされていました。
それらの絵を、ミュンターはナチスに見つからないように
ムルナウの自宅の地下室に巧妙に隠し続けました。
そして、ミュンターが80歳になった時、
ずっと守ってきたカンディンスキーの作品や、
青騎士の仲間の絵や自分の絵を、
レンバッハハウス・ミュンヘン市立美術館に寄贈したのです。
そういうわけでレンバッハハウスには、
この時代のカンディンスキーの作品が沢山あるのです。
その数が凄くて、油彩画88点、水彩とテンペラが116点、
素描160点、スケッチと習作250点、ガラス絵24点などなど。
ですので、この美術館はカンディンスキー好きな人なら
一度は行ってみたい美術館なのです。 -
ガブリエーレ・ミュンター
コッヘルの十字架墓標
1909年
私はミュンターがカンディンスキーに絵を返さなかったのが、
わかる気がします。
彼女にとってそれらの絵は、自分の生きてきた証のようなもの。
カンディンスキーを尊敬し、共に暮らし、共に時代と戦ってきた
という自負があったのだと思います。 -
ミュンターとカンディンスキー、二人の絵が並んでいます。
2点とも好きな絵なので、今回は作品数が少ないけれど、
こうしてまたここで見ることができ、嬉しかったです。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
秋の習作 1
1910年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
冬の習作 2
1910年 -
こちらはカンディンスキーのガラス絵
(Reverse glass painting)です。
ガラス絵というのは、ガラスの裏に描いて、鑑賞する時は
表から見るという、描いた時とは左右の向きが反対になる絵です。
青騎士の人たちは好んでこのガラス絵を描きました。
バイエルンでは伝統的にガラス絵が描かれていたので、
彼らはそれを学びました。 -
私はカンディンスキーのガラス絵が好きです。
しかし、写真を撮るときにガラスが光ってしまい、
なかなかうまく、写真には撮れませんでした。
比較的、光らず写ったものはこちらです。
ヴァシリー・カンディンスキー
モスクワの牛
1912年 -
こちらもガラス絵です。
ヴァシリー・カンディンスキー
白鳥のいるガラス絵
1912年
額縁がペイントされていますが、これもカンディンスキー
自身がペイントしたものです。
私はこのカンディンスキーの額縁が好きです。
とても絵に合っていると思います。 -
展示の様子。
日本の美術館にカンディンスキーの作品が来ると、
びっくりするような人混みの中、鑑賞することが多いですが、
こちらの美術館は空いていて、ゆっくりと鑑賞することができます。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
山
1909年
山の上には、ロシアの玉ねぎ型の塔を持つクレムリンが描かれ、
左下には白馬に乗った人、右側にも人が描かれています。
そう言われなければ分からないくらい、かなり抽象化されています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
馬
1909年
こちらにも白馬が描かれています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
牛
1910年
これは一見すると、私には目玉焼きに見えたのですが(笑)、
牛ということなので、再度絵を見ると、手前に大きな牛がいて、
卵の黄身に見えた部分は牛の模様であることが分かりました。
この絵も後ろに山があって、その上にロシアの玉ねぎ型の塔が
描かれています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
万聖節
1911年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 6 (アフリカ)
1909年
カンディンスキーは<インプロヴィゼーション><印象>
<コンポジション>という連作を通じて、
ついに抽象画に到達したのですが、
こちらの絵は、その<インプロヴィゼーション>シリーズの1つです。
ミュンターはこの絵を見て「アフリカ風」と呼んだのだそうです。
かつて二人はチェニスに旅行したこともありました。
<インプロヴィゼーション>とは、
「内面的な性格の事象が、主として無意識的に、
大部分は突然成立した表現」とカンディンスキーは
自分の著作「芸術における精神的なもの」の中で書いています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 2(葬送行進)
1909年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 渓谷
1914年
館内にこの絵の解説文が掲示されていました。
この絵は、ガルミッシュ・パルテンキルヘン近くの
渓谷に行った後に描かれた絵で、
真ん中やや下に、バイエルンの民族衣装を着たカップルが橋の上にいて、
滝や手漕ぎボートも描かれており、
大きな白い馬の上に人が乗っていて、その人の頭上には
カラフルなハカリがあるのだそうです。
カップル、滝、ボートは分かりました。
でも、大きな白い馬ってどこに描いてあるんだろう?
とよーく見ると、なんとなく右の方に、馬の頭らしきものが大きく
描いてあるような気がします。
色々な要素が混在しています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 19A
1911年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 19
1911年 -
展示の様子。
今でこそ、カンディンスキーは抽象画の創始者として、
偉大な画家という評価を受けていますが、
作品を発表した当時は、画壇から強烈なバッシングを受け、
当時の新聞の批評にも、ここまで書くかというくらい
酷いことを書かれていました。
それまで抽象画というものが存在しなかった時代のことですから
わからなくもないですが、そんな中で自分の表現を
追及していくのは、とても大変なことであったろうと思います。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 21A
1911年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 18 (墓石)
1911年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 26(ボート漕ぎ)
1912年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
インプロヴィゼーション 大洪水
1913年
この旅行記を見てくださったトラベラーのウェンディさんが
この絵はノアの方舟のお話しですね、とコメントを下さいましたが、
その通りで、この絵はノアの大洪水をモチーフにしたものです。
私の持っているカンディンスキーの画集や過去の展覧会の目録
によりますと、画面の下のほうには押し寄せる波が、
画面右や中央などから降り注ぐラインは雨を、
左上には山を、描いているそうです。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
印象 4 (衛兵)
1911年
ここからは<印象>のシリーズです。
これはミュンヘンで行われた、摂政宮ルーイトポルト90歳の
誕生日の祝典の際、たいまつ行列から着想を得て描かれたものです。
真ん中に馬に乗る衛兵がいて、その背後に、たいまつと思われる
黄色い火や群集が見えます。
<印象>とはカンディンスキーによると、
「外的自然」から受けた直接の印象が、素描的・絵画的な
形態をとって現れるもの、とのことです。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
印象 6 (日曜日)
1911年 -
ヴァシリー・カンディンスキー
印象 3 (コンサート)
1911年
カンディンスキーは作曲家アルノルト・シェーンベルクを
高く評価していました。
この絵は、そんなシェーンベルクのコンサートに行った時に
着想を得て描かれたものです。
大きな黒い部分はグランドピアノ。その周囲に聴衆が描かれています。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
E.R.キャンベルのための壁画No.3の習作
1914年
カンディンスキーは自動車会社シボレーの創始者、
エドウィン.R.キャンベルから注文を受け、4枚のパネルを
作ったのですが、こちらはその習作です。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
コンポジション7のためのスケッチ2
1913年
ここからは<コンポジション>のシリーズです。
カンディンスキーが自身の芸術の集大成として位置付けた
「コンポジション」シリーズは10点あります。
その中の1つ、「コンポジション7」という大作を描くために
彼は10点の油彩習作と20点以上の水彩・素描を描きました。
この絵はそんな油彩習作の1つです。
コンポジションとはカンディンスキーによると
「私の内面で形づくられるが、時間をかけ、
ほとんどぺダンチックなまでに、最初の構想に従って
私により検討され、練り上げられる表現」とのことです。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
コンポジション7のためのスケッチ3
1913年
こちらも大作「コンポジション7」を描くための油彩習作の1つです。
このスケッチでは、もはや何を描いているのかは分からず、
形態が平面的な色彩の中に溶け込んでいます。
美しい、素晴らしい絵だと思いました。 -
ヴァシリー・カンディンスキー
赤い斑点
1921年
こちらは時代が進み、モスクワに戻ってから描いた絵。
この後、彼はモスクワを離れ、ドイツの美術学校、
バウハウスの教師となり、バウハウス閉鎖後は、
パリ近郊に移住し、そこで生涯を閉じます。 -
今回のレンバッハハウスには、たまたま展示品が少なく、
残念な部分もありましたが、しかしそのぶん、
1点1点をじっくりと見ることができました。
椅子に腰かけ、人のほとんどいない中、ゆっくり眺めました。
椅子の上には、画集が置いてありました。
ページをめくると、それは今回見ることのできなかった
フランツ・マルクの絵が載っている画集でした。
この画集は分厚く重いので、買って帰れませんでしたが、 -
こちらの小さめの画集を、美術館のスーベニアショップで買いました。
他に絵葉書も買い、それらのお土産は、フランツ・マルクの絵が
プリントされている美しい手提げ袋に入れてもらえました。
これは嬉しかったです。
今度ここに来る時には、マルクの絵もじっくり見てみたいです。
私の夢は、青騎士ゆかりの地、ムルナウにもう一度行って、
絵が描かれた場所を探して歩き、
コッヘルのフランツ・マルク美術館に行くことです。
そして、近くのアルプスの山々を歩いたり、
町の壁絵をじっくりと見る旅がしてみたいです。
いつになるかは分からないけれど、是非、実現させてみたいです。
この後、この美術館で少しクレーの絵を見てから、
ミュンヘンの街中を歩き、翌日、帰国しました。
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