2015/03/12 - 2015/03/16
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ふくうめちゃんさん
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私と5歳年下の妹、2人で台北を訪れるのは今回が2回目。前回は妹が怪我をするアクシデントに見舞われほとんど何もできず帰国。その後私達の父が幼少時(終戦の2年後まで)台北で暮らしたことがわかり‥リベンジ旅を決行!「台北・台北近郊に現存している日本統治時代の建物めぐり」をメインに、ついでに季節のイベントも見学。
日本統治時代の建物&跡地めぐりが続きます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
台湾大学をでて、1番の路線バスで「捷運公館站」→「建国中学」へ移動。
南海路にあるこちらは「ニニ八国家記念館」。
日本統治時代1931年に「旧台湾教育会館」として建てられたもの、三級古跡。
先ほど見てきた「台湾大学文学院・旧総図書館」と同じ‘井手 薫’氏の設計。
1930年以降の建物は鉄筋コンクリート建てでタイルの張られた建物が多い‥。
大正期の威厳と権力を象徴するかのような豪華な建物とは異なり、
どちらかというと控えめで目立たない印象です。
1930年=昭和5年、日本は昭和恐慌の真っ只中。
そしてこの年以降、力を持った日本軍が政府の意思に反した軍事クーデターや暗殺・戦闘行為を引き起こすようになります。
「質素倹約」「戦争・空爆」‥時代背景が建物にも反映されている?二二八国家紀念館 博物館・美術館・ギャラリー
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二二八国家記念館から南海路を西へ進むと「台北市立建国高級中学」。
1898年創立、台湾最古の公立学校。
台湾大学への進学者は台湾TOPという超名門校(台湾大学に入るより難しいとか‥?)
‘国語学校第四付属学校増設尋常中等科’として開校。
→台湾総督府台北中学校→台北州立台北第一中学校→数回の改名を経て現在に至る。
南海路に面した正門を入るとあるのが‘学校の顔’ともいえるこの建物。
市定古跡「建国中学紅楼」
1908年建築、建築したのは台湾総督府営繕課・近藤十郎氏。台北市立建國高級中學 建造物
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「近藤十郎」
東京帝国大学工学部建築学科出身
森山松之助氏と同時代に台湾総督府営繕課技師として活躍。
この方も辰野金吾氏のお弟子さんのようです。
辰野式建築でありながら斬新で個性的なデザインの建物を手掛けたため、当時‘気鋭の建築家’と称されました。
代表作
1907年「台大医学院旧館」
1908年「西門紅楼」
1916年「台大医院旧館」
1921年「台北当代芸術館(旧建成小学校)」 -
建国中学向かいは「南海学園」
文教エリアの総称です。私は学校だと勘違いしてました。
南海学園内のこの建物は「国立歴史博物館」
1955年創設。中国河南省立博物館の収蔵品や、戦後に日本から返還された文物を中心に陶磁器・玉製品・青銅器などを展示している博物館。
ここには日本統治時代「商品陳列館」がありました。
写真はありませんが‥南海学園内の「台湾芸術教育会館」は
日本統治時代1928年に建立した「建功神社」の社殿を改築したもの。
設計は井手薫氏。台湾の戦死者・殉職者などを祀った‘台湾の靖国神社’として建てられました。
日統時代の絵葉書でみました。純和風の神社ではなく、和洋に台湾の祠廟様式を取り入れた和洋中折衷の大変珍しい建物です。
現在当時のものがそのまま残っているのは境内の玉垣の一部だけ。建物外観は大きく変わったようですが、内部の展示室には建功神社の面影がそのまま残っているそうです。国立歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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南海学園に隣接する「台北植物園」、歴史博物館脇の道から入ることができました。
台北植物園の前身は、1896年台湾総督府殖産課が設置した「園芸栽培所(台北苗園)」、1921年に「植物園」になりました。
敷地は広大で約8ヘクタール、約1500種類の植物が17のエリアに分けられ種類別に栽培されています。
エリアは柵で仕切られていて、開放時間でないと入れません(〜17:00)。 -
台北植物園内に清代の貴重な建築物が残っています。
二級古跡「台湾布政使司衛門」
清代に建築された役所「布政使司衛門行署弁公所」の門。
台湾総督府新庁舎(現総統府)が完成される前は、この役所が総督事務所として使われたそうです。
現在の台北中山堂近くにありましたが、台北公会堂建設のため1930年撤去され、植物園内のこの場所に移築されました。 -
二級古跡「欽差行臺」
清代の1894年落成。
中央高級官僚の台湾視察の際の接待や会議、行宮として使われた建物。
元々は「台湾布政使司衛門」の西側にあり、こちらも台北公会堂建設の際移築されたようです。
16:30過ぎの訪問だったので中を見ることはできませんでした‥。
月曜日・春節暇日(旧正月)休館
開放時間 火〜日曜日 9:00〜16:30 -
植物園の中にある温室。変わった形をしていて古そう‥。いつ造られたものか、情報なくわかりません‥
-
台北植物園をでて小南門駅に行く途中、右に見えた建物「自由之家」。
「大同之家」に隣接して建っていました。
日本統治時代1902年に建てられた高級官舎で、台湾銀行頭取の邸宅・台銀倶楽部(工員の休憩所)として使われたそうです。 -
MRT小南門の通路に古い写真が並んでいました
これは市定古跡「台湾軍司令部」1920年建築。
現在も軍の施設「国防部後備司令部」として使われています。
この建物の警備は総統府以上に厳重な感じなんです‥。
機関銃をもった衛兵や警官が建物近辺には沢山いてその眼光の鋭いことったら‥とっても怖ーい。
出入口近くに置いてある有刺鉄線のバリケードは、日本のような針状のものではなく、カミソリみたいになってるし‥やっぱり怖ーい。
なので写真を撮る勇気なく、カメラに収めたことことが未だかつてない建物です。 -
台北府城の城壁と鉄路
現在の中華路北站付近?(西門紅楼で見た地図から推測) -
「重熙門」
清代の台北府城の城壁にあった5つの門のひとつです。
城壁南側の小門、すなわち「小南門」です。 -
現在の小南門。
実際あった清代のものとは風貌違うし新しい(歴史を感じさせない)‥でも一応‘一級古跡’
建築当時‘福建式’だった門は1965年‘北方様式’に改築されました‥。
現在ある南門、東門も改築されたもの。
北門だけが改築されず建築当時の姿を今もそのまま残しているのでした。 -
これは西門の‘寶慶路’‘衡陽路’の交わるところにある「寶成門遺址」。
台北府城の城壁にあった5つの門のひとつ「寶成門(西門)」があったことを示す石碑です。
一番美しい城門だったため「宝成門」と名づけられたこの門は、日本統治時代に城壁と共に取り壊されました。
この門を取り壊したことで住民の反発が非常に強まったため、台湾総督府は住民感情に配慮し当初取り壊す予定だった他の4つの門は保存することにしたそうです。
今回気づいたことがひとつ‥
城中付近を歩いているとこのような黒い石碑がポツリと立っているところが他にもありまして‥ -
これは‘国立台湾博物館’の入り口脇にあった「大天后宮遺址」
かつてここには台北府城天后宮という、大きな媽祖廟がありました。
日本統治時代に博物館・新公園の建設のため取り壊されました。
そのほかに私がみた石碑は
‘中山堂’近くに「清台湾巡撫衛門遺址」
‘漢口街一段’と‘中華路’の交わる道端に「台北府城隍廟遺址」
‘重慶南路’司法大廈を南に進んだ道端に「清台湾府武廟遺址」
どれも「清代に建設され→日本統治によって破壊・撤去された建物の跡地」を示している‥
(日本統治時代の建物跡地の石碑は見たことがありません)
日統時代の建築物を有効利用してくれたり積極的に保存してくれている台湾だけれど‥
‘それまであった台湾の物(清代の建築物)を日本が壊しやがった!’と、
この石碑がアピールように思えてしまい、ちょっと複雑な心境‥。 -
最高法院検察庁
柱の並ぶ外観から一見日本統治時代の建物かと思いましたが、違うみたいです。 -
総統府・司法大廈近く、重慶南路と貴陽街交差点にある「台北市立第一女子高級中学」
台湾大学への進学率は建国高級中学をしのぐほどの超名門校。
1904年‘国語学校第三付属学校’として開校。
→台湾総督府台北高級女学校→台北州立台北第一高等女学校→など改名を経て現在に至る。
現在の校舎は1932年の竣工、1945年の空襲で被害を受け修復されたもの。
ベージュのタイル張り、シンプルな建物です。校内に戦前の‘校訓碑’があると片倉佳史さんの著書に書いてあり見てみたかったのですが‥中には入れませんでした。
入り口脇の黒い瓦屋根・緑の壁の木造建築物は、守衛所だった建物とのこと。 -
日本統治時代は「第一高女」と呼ばれていたようです。
貴陽街のところにあったパネル。
「台北第一高女」は市定古跡。 -
「景福門」
台北府城「東門」です。
前述したように1965年‘北方様式’に改築されたもの。
中山南路・仁愛路・信義路・ケタダラン大道の交差点・ロータリーの真ん中にあり門に近づくことはできません。 -
中山南路はかつて台北府城の東城壁があった場所。
日本統治時代、撤去した台北府城の城壁跡には「三線道路」が造られました。
(北城壁跡は現在の‘忠孝西路’、西城壁跡‘中華路’、南城壁跡‘愛国西路’)
「三線道路」は2つの緑地帯によって三線に分けられている道路で、中央は自動車専用、両端は人・自転車・人力車が通行しました。
三線道路の名残である緑地帯が残されています。
(写真は以前撮影したもの) -
中山南路に面してそびえる大きなビル‘国立台湾大学病院’の南側にある「台大医学人文博物館」。愛国西路に接しています。
1913年竣工、台北帝国大学医学部の校舎だった建物、設計は近藤十郎氏。
1930年の火災で屋根が延焼し、屋根は修復後建築当時と違う姿のものになってしまったそうです。
暗かったのであまり建物がよくわからない‥今度明るいとき行きます。
「台大医学院旧館」は市定古跡。台大医学人文博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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中山南路沿い、立法院近くにある「済南教会」。
1896年、馬偕牧師と台湾人豪商・李春生の協力のもとこの地に設立されたのが「日本基督教団幸町教会」。戦前は日本人専用の教会だったそうです。済南教会 寺院・教会
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以前明るい時間に撮影した「済南教会」です。
現在の建物は1916年竣工、設計は井手薫氏。
現存する井手氏の作品で最も古いものではないでしょうか‥?
赤煉瓦作りで白い石を配したデザインを見ると、井手氏はやはり‘辰野金吾氏’のお弟子さんだったんだな〜と、思います。
「済南基督長老教会」は市定古跡。 -
国定古跡「監察院(旧・台北州庁舎)」の後ろ側、正面とはまた違い・小さな可愛いお城のようです。
陽が落ちてだいぶ暗くなりました。監察院 (旧 台北州庁舎) 現代・近代建築
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母にお願いされていた棗を買いにMRTとバスを使って迪化街へ。
お店は殆ど閉まっていて、周囲は暗い〜。人もあまりいなくて淋しい感じ。
開いていた百勝堂薬行で棗を購入、1斤(600g)350元。
欲しい竹細工の入れ物があったのですが、高建桶店はやっていなくて、開いていた林豊益商行にもなかった‥GETできず、残念。
妹が急に無口になり全く話さなくなった‥この4日間動きっぱなしでかなり疲れた様子。
夜市に行ってみたいと言っていたので士林夜市に行こうと思ったけど止め、
バス41で「台北橋」→「民権中山路口」、ホテルに戻りました。 -
ホテルに着くと妹はベッドに倒れこみ、そのまま爆睡‥。
目覚めたらきっとお腹が空いているだろうと思い、民権西路站近くで夜食を調達。
一旦ホテルに戻り、置き手紙をしてまた一人で外出。
雙城街周辺をぶらぶら。雙城街には朝夕で入れ替わる食べ物屋台が集まる一画があります。規模は大きくないけれどローカル色が強く、観光夜市とはまた違う面白さがあります。
民権西路近くの「楽楽養生館」前を通りかかると、オーナーの小林さん(日本人男性)に声をかけられました。
妹はマッサージが好きではなくて一緒にできない‥空きあったので入店。
足裏マッサージ+足裏角質とり+上半身マッサージ(90分)+耳掃除で1950元。
各種クレジットカードの取り扱いありますが+3%、現金で支払いました。
肩首腕がかなり凝っていて、指圧する指が入らないほどガチガチ‥痛〜っ!
でも歩き疲れた足も身体もほぐれてすごく楽になりました。
かなりグイグイやられたので「明日はきっと揉み返しが酷いだろう」と思ったけれど全然なくてびっくりでした。
ホテルに戻ると妹が起きていたので、明日の帰国に備え荷造りをして就寝。 -
最終日の朝を迎えました。
朝食を済ませ8:30過ぎホテル出発。
バス287で「台泥大楼」→「忠列祠」へ。
ここは日本統治時代、台湾に縁のある殉国者を祀る「護国神社」があった場所です。
1969年護国神社跡地に造られた施設がこの「忠列祠」。
バスを降り進行方向へ進むと入口‘大門牌楼’が。
大門には2名の守衛兵が立っていて、一緒に記念撮影する人で賑やかでした。 -
「国民革命忠列祠」
辛亥革命や抗日戦争・内戦(中共との戦い)で殉死した軍人や、中華民国に貢献した人の英霊を祀る施設。
‘山門’の向こうに大殿の大きな屋根が見えます。 -
‘大殿‘
橙屋根に整然と並ぶ朱赤の柱、細部の模様をみると格式の高い建物であることがわかります。北京にある故宮・大和殿を模して建てられたそうです。
辛亥革命(打倒清国)で命を落とした人を祀っているのに、なぜ敵の宮殿を模したのか‥?
大殿の左右に‘文烈士祠’‘武烈士祠’があり、位牌がずらりと並んでいました。
安置されている烈士の位牌は約33万人。
回廊のレリーフには台湾の革命と戦いの歴史が刻まれていて、有名な革命家の胸像がありました。 -
終戦で護国神社は、祀る対象が全く違う場所に変わってしまいました‥。
護国神社の遺構はここにはもう何も残されていないようです。
どこかに遺構が移されていないか調べた所、
ニニ八和平紀念公園にある馬の銅像が、かつて護国神社に奉納されていた神馬とのこと(お腹のところに護国神社の神印があるらしい)。
全然気が付かなかった‥。(写真見つからず‥すみません) -
この「国民革命忠烈祠」は中華民国国防部直轄。
各地に忠烈祠はありますが、政府直轄の忠烈祠は台湾でここだけ。
正殿正面に2名の守衛兵。人形みたい‥ピクリとも動きません。
黒いスーツの男性が、汗をふいたり洋服のシワを直したりしていました。(このスーツの人も眼光が鋭くて、ただならぬ雰囲気の人でした‥) -
毎時正時の衛兵交代式が有名で、人気の観光スポットとなっています。
守衛は陸海空軍持ち回りで行っており、青い制服は‘空軍’、白‘海軍’、緑‘陸軍’。
守衛兵は皆スタイルがよく、美男子揃い‥容姿も選考基準に入っているとか。
優秀でないと決して選ばれず、守衛兵に選抜されることは大変栄誉で自慢できることだそうです。
軍から選び抜かれたエリートによる交代式はそれはそれはお見事。
銃剣と靴の音もピタリと一致、指先まで神経を使っているのが感じられ何とも言えない緊張感が漂います。
一糸乱れぬその姿は一見の価値あり。 -
交代式は大門西側(守衛詰所)から5名の守衛兵がでてきて始まります(毎時00分)
大殿へ行進→大殿の任務交代→大門へ行進(戻る)→大門の任務交代→詰所へ、
所要約30分。 -
忠烈祠の西、劍澤山中腹にそびえ立つ「圓山大飯店」。
1952年「台湾大飯店」として創業、創業者は蒋介石夫人・宋美麗。
迎賓館として使われ、多数のVIPが滞在した歴史あるホテルです
中国北方様式の豪華で巨大な建物は、中華民国の威厳と力をアピールしているかのようです。(写真は高速道路からとったもの)
この圓山大飯店のある場所には、日本統治時代「台湾神社」がありました。
台湾神社1944年‘天照大神’が増祀され「台湾神宮」に昇格・改称。
台湾神社と護国神社の間(現在中央広域電台のある付近)に新社殿を造成し遷御する予定でしたが、‘神宮御昇格奉告祭(遷御式典)’の前日夜、新社殿に旅客機が墜落し本殿の一部を残し殆どが焼失してしまったそうです。
まるで終戦・敗戦を暗示しているかのような出来事ですね‥。
ここには立ち寄らず外観をみるだけに留めます。
何故かというと、ここは私達にとって鬼門‥ -
‥というのは
前回の姉妹旅(妹は初訪台)
妹はこの大階段を降りている途中、足がつまづき転倒し一番下のフロアまで落下、怪我をしてしまったのでした。
この1階ロビー部分は台湾神社の拝殿があった所。 -
正面の階段をのぼり、2階奥に行くとレストラン金龍庁。
その入り口にある‘金の龍’
中国伝統の龍は4枚爪か5枚爪、この龍はとぐろを巻いた3枚爪が珍しいとのこと。
実はこれ、台湾神社にあった龍の銅像に24金メッキを施したもの‥。
台湾神社の本殿があった場所は、丁度この龍あたりです。(2013年1月撮影) -
それからこれ! 国立台湾博物館前、門の両側にある牛の銅像。
秋恵文庫にあった本‘大城中旅人手帳’によると、
牛の銅像は「一体は一重まぶたで、もう一体はは二重まぶたであることから、別々に台湾神社に寄付されたものだとはわかる」
なぜここに牛の銅像‥?とずっと疑問に思っていたのですが、まさかこれが台湾神社の遺構だったとは‥知らなかった!
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