2015/02/06 - 2015/02/08
1505位(同エリア11698件中)
ONMKさん
ずっとずっと気になっていた。変貌し続ける上海。上海へは学生時代の1985年と1987年に2度訪れた。また実際にこの目で今の上海を確かめてみたい。28年ぶりの上海。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 株式会社アップルワールド
PR
-
1985年8月、バイトで貯めた10万円を資金に、大阪南港から就航したばかりの鑑真号に乗り上海を目指した。丸2日かけてたどり着いた初めての異国は、18歳の目には何もかも新鮮だった。
-
飛行機は関空からわずか2時間余りで上海浦東国際空港に着陸した。あっけないくらいだった。空港は巨大で、ターミナルも真新しい。
-
空港から直結している地下鉄に乗る。便利だ。乗っている人々の服装は皆カラフルで、スマホをいじっている。ここまでは日本と何ら変わりない。自分が知っている中国とのギャップに頭が追いつかない感じだ。
-
1時間後、人民公園駅に着いた。地上に出て驚いた。高層ビルが林立し、道路は車で渋滞している。
-
駅から歩いて10分、福州路にあるホテルにチェックインし、身軽になって街歩き開始。腹が減った。上海に来たからにはまず小龍包と生煎を食うのだ。
-
黄河路にある小楊生煎でテイクアウト。焼き上がるまで10分ほど待った。
-
すかさず真向いにある佳家湯包に入り、小龍包を注文。両方いっぺんに食おうという魂胆。もちろん青島ビールも。
-
初めて食う生煎の皮はカリカリですこぶる熱い。噛むと中から肉汁が飛び出てヤケドしそうになる。絶妙に旨い。
-
小龍包は目の前で蒸したのをすぐに持ってきてくれる。小ぶりで皮は薄く、一口で食べられる。これも旨い!今まで食べた小龍包でいちばん旨いかも。
-
大満足で店を出てそぞろ歩く。ここは南京西路の東端あたり。けっこう緑が多く落ち着いた雰囲気だ。
-
28年ぶりに南京東路にやって来た。歩行者天国になっていた。人が多いのは昔と変わらないが、人々の垢抜けた服装とカラフルな看板に今を感じる。
-
1985年の南京東路。これでも当時は流行の最先端を行く通りだったはず。
-
南京東路を通り抜けて、外灘までやって来た。レトロな建物は昔と全く変わっていない。懐かしさが込み上げて来る。でも今は黄浦江沿いに広い遊歩道ができて多くの観光客で賑わっている。そして、黄浦江の対岸を見やると・・・
-
これだよ、これ。上海の発展の象徴として何度となくTVや雑誌で見た浦東の高層ビル群が眼前に広がっていた。
-
ビル群はずっと南の方までえんえんと続いている。
-
しばし眺めて遊歩道を北へ向かう。もう一つの懐かしい場所を目指す。上海大厦が見えてきた。
-
外白渡橋にやってきた。記憶どおり昔とほとんど変わっていない。上海大厦の外観も昔のままだ。
-
1985年の外白渡橋。当時は皆ガーデンブリッジと呼んでいた。
-
外白渡橋の上から浦東を眺める。
-
1985年も同じ場所から浦東を眺めていたのだった。あの時はビルなど1つもなかった。橋も架かってないしもちろん地下鉄もない。眺めても対岸へ渡ろうなどとは思わなかった。でも当時中国の人はどうやって行き来していたんだろうか。
-
国際フェリーターミナル方面を眺める。ターミナルは立派になっていて、周囲には高層ビルが林立している。鑑真号は今も就航していると聞いた。もう2度とあんな旅はできないだろうけど。
-
1985年の国際フェリーターミナル。
-
当時いつも泊まっていた浦江飯店にやって来た。外観は当時とさほど変わっていないようだが・・・浦江飯店は当時はバックパッカー御用達の安ホテルで、ドミトリーに1泊数百円で泊まることができた。
-
当時の部屋はもちろん冷房などなく、8月の上海は日本以上に高温多湿で、窓を全開にしても夜は寝付くのに苦労した。隣の海鴎飯店で冷たいコーラを買うのが楽しみだった。
-
ロビーに足を踏み入れて驚いた。あの安ホテルが見事にリノベーションされ、重厚なクラシックホテルに様変わりしていたのだった。ちょっと腰が引けてしまったわ。
-
せっかくだから中をプチ探索してみよう。装飾も凝っていてまさに高級ホテルの趣がある。
-
廊下の床も無垢板の重厚なフローリングが施されている。昔は軋みそうなボロボロの床だったのだが。
-
1階のカフェでしばし休憩し思い出に浸った。コーヒーを飲んだら800円もした。(それなりに旨かったけど)。外に出たらもう夕闇が迫り、見事にライトアップされていた。
-
1985年、上海大厦の前を通る北蘇州路。当時はもちろん普通の家も冷房などないため、夜は大勢の人が家の前に出てきて、スイカを齧ったりして夜風に当たって涼んでいた。
-
当時の記憶を頼りにその場所に行ってみた。建物は既に取り壊され、当時の面影はなかった。
-
浦東にやってきた。南京東路から地下鉄でわずか2分。地上に出ると中国とは全くわからない大都会。
-
真近に見る東方明珠塔。TVや雑誌で何回も見たが、実際に見てやっぱり思っ
たことをあえて声に出して言いたい。気持ち悪い。 -
黄浦江沿いの濱江大道にやってきた。外灘のビル群のライトアップを楽しみにしていたのだが、大晦日に群衆が将棋倒しになって大勢の人が亡くなったため、ライトアップは自粛しているようだった。残念。せめて観光船が通るところを撮影した。
-
外灘に戻り今度はさっきまでいた対岸の浦東を見る。浦東はライトアップされていた。
-
夕食は福州路にある上海姥姥へ。上海の家庭料理を食べさせてくれるという触れ込みなので、期待して入った。
-
まずは蟹粉豆腐。蟹味噌と蟹の身がふんだんに入っている。これは旨い。トロトロの豆腐に蟹の旨味がマッチして旨い。いくらでも食べられる。
-
看板メニューーの紅焼肉。これがいちばん楽しみにしていたメニュー。骨付き豚バラ肉を甘辛く煮込んである。甘辛いのが上海料理の肝らしい。確かに旨い。トッピングの茹で卵も効いている。しかし、味が濃いため、だんだん苦しくなってきた。1人だといささかツラい。それにしてもちょっと甘すぎやしないか。この他ガイランと思われる野菜炒めもたのんだのだが、ビールも1本飲んで、しめて3500円なり。いい値段だわ。少なくともバンコクよりは物価はかなり高い。周囲は地元の人々でほぼ満席。中国も豊かになったということかな・・・
-
泊まるホテルは24K国際連鎖酒店福州路店。窓がない寝るだけのいわゆるバジェットホテル。でも新しく清潔だ。ベッドも広くフカフカ。1日目終了。爆睡。
-
2日目の朝。ホテルの周辺は、少し横道に入ると地元の人々が普通に生活している様子が垣間見える。
-
冬なのに新鮮な苺がいっぱい売られていた。
-
上海のマンション。
-
朝食は麵を食べる。適当に指差してたのんだ。具は豚足のブツ切り。麺はストレートの細麺。コシは普通。まあまあ旨い。
-
今日はまずかつて日本人租界があったという虹口地区まで歩くことにした。蘇州河にかかる四川北路橋から上海大厦を眺める。上海大厦は周囲の高層ビルに囲まれてあまり目立たなくなっていた。
-
1985年の同じ場所。当時は上海大厦の周囲は高層建築は何もなかった。道に迷ったらまず上海大厦を目印にしたものだった。
-
蘇州河では投網で魚を捕っている人がいた。鯉だろうか。網で捕っているくらいだから、食べるんだろうな・・・
-
集合住宅の上を見ると、必ず物干し竿を突き出して洗濯物を干している。これは昔と変わらないね。
-
ごくろうさんです。
-
四川北路を北上する。このあたりは垢抜けた大都会という感じだが。
-
虹口地区に入った。これは日本と関係あるのかな?
-
四川北路から横道に入ると長屋が連なり、地元の人の普段の生活が垣間見える。
-
多倫路文化街。1階は骨董品やら文具などの渋い店が連なる。2階は普通の住居。なんかこのへんが緩いというか、ちょっと侘しいというか・・・
-
かつて魯迅が常連だった内山書店跡。今は銀行になっていた。
-
甜愛路。ちょっと洒落た雰囲気。木の下の方はわざわざ白ペンキで着色していた。
-
魯迅公園にやって来た。当時は虹口公園と呼ばれていたと思うが、公園自体は昔と変わりない。ただ、背景の高層ビルに時の流れを感じる。
-
魯迅の墓があった。
-
公園は地元の人々の憩いの場になっているようだ。
-
張り切ってますな。
-
こちらはトランプですかい。
-
釣りまでしてるよ。こんな池で釣れるのか?
-
と思ったら大きい鮒が釣れた。子供大喜び。釣ってどうするんだと思ったら、しっかりバケツにキープしていた。やっぱり食べるのね・・・
-
虹口は上海の人々の日常が垣間見れて楽しかった。虹口公園駅から上海駅に向かう。このあたりは高架鉄道になっている。
-
1985年の上海駅。ここから杭州、南京、そして1987年には西安に向かい、遥か西のウルムチ、トルファンを目指した。
-
上海駅に着いた。近代的な巨大ターミナルになっていた。もはや昔の面影は全くない。
-
構内に入ろうとしたら公安に止められた。切符がないと入れないらしい。
-
ならせめて列車を見ることにした。乗ることは叶わないが・・・
-
衡州路にやって来た。プラタナスの並木道で、かつてフランス租界があったというのも頷ける洒落た雰囲気だ。
-
散策しながら宛平路に入る。このあたりも雰囲気がある。ヨーロッパのどこかの街と言われても信じてしまうだろう。
-
武康大楼。三叉路に沿った三角の面白いビル。
-
武康路はやたら外人が多い。
-
豫園商場にやって来た。
-
多くの人々で賑わっている。建物は昔と雰囲気は似ているが建て直したのではないかな。
-
1985年の豫園商場。当時も今と同様賑わっていた。
-
1985年の湖心亭。
-
今も当時と変わっていないようだ。
-
豫園商場内のフードコートで遅い昼飯をとる。小龍包は見かけは旨そうだったけど佳家湯包には遠く及ばなかった。
-
いったん豫園商場を出て周辺をそぞろ歩く。横道に入ると地元の人の生活圏となる。
-
上海蟹が大量に売られていた。地元の人が買うくらいだから、本当は安いんだろうな。
-
ウナギ、スッポン、値段が気になる。
-
これも日本では考えられんわな。そもそも感電しないのか!?
-
豫園商場に夜の帳が下りてきた。
-
昼間とは表情が一変する。
-
建物の特徴をうまく生かした電飾で、しばし見とれてしまう。暗くなるまで粘ったかいがあった。
-
南京東路まで戻ってきた。ここもライトアップされていた。
-
冬の夜なのに昼間同様大勢の人で賑わっている。
-
まるで香港かと見まがうようなたくさんのド派手な電飾看板が。上海もここまで来たかと感慨にふける。
-
最後の夜はホテルに戻って1人宴会した。
-
今日は昼の飛行機で帰る。早朝に起きて最後の街歩きに出かける。ホテル前の福州路はまだ人もまばらで閑散としていた。
-
朝焼けの浦東ビル群。この光景も見納めだ。
-
-
遊歩道ではおじさんが凧揚げをしていた。
-
ジョギングはもはや万国共通か。朝の外灘は空気も澄んでおり、人も多くないのでベンチに座ってゆったり休憩できる。だが、いかんせん寒い。体が冷え切ったので、熱い物が食べたくなった。
-
最後の食事はここで。
-
最後も麵で〆ることにした。今回も適当に指差し。今日の麺は味付け豚肉の塊がトッピングされていた。体が温まった。
-
帰りはいつもあっけない。スーパーで土産を買って、慌ただしく荷造りしてチェックアウト。地下鉄に乗って1時間で浦東国際空港へ。
-
28年ぶりに訪れた上海は、外灘のビルディングや大通りから入った路地など昔の面影を残している所もあったが、やはり大きく様変わりしていた。その変貌ぶりをこの目で実際に確かめることができたので一区切りついた感じがする。いちばん変わったことといえば、「没有(メイヨ)」と全く言われなかったこと。いや、正確には一度だけ言われた。それは最後の朝食にビールでも飲むかと思って、「ピージウイーガ!」とたのんだ時のこと。それを聞いた店員のおばちゃんは、申し訳なさそうな顔をして「没有」と言ったのだった。それは昔と違って優しい感じがした没有だった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
95