2014/06/27 - 2014/06/27
3570位(同エリア7241件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 191,994アクセス
- フォロワー41人
個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
時刻は午後5時半。今から行けば、サン・パウ病院の参観に間に合うかもしれないと思い立った私は、地下鉄路線図を取り出して、行き方を調べ始めました。オスピタル・デ・サン・パウHospital de Sant Pauはすぐに見つかりました。先ほどサグラダ・ファミリアに歩いてくるときに通ってきたヴェルザゲルVerdaguerで乗り換えればいいんだと、地下鉄の駅へ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
バルセロナの地下鉄は、もう御手の物です。乗るときも乗り換えるときに、終着駅さえしっかり記憶してさえいれば、東京と同じ。
-
今回の地下鉄は、とてもすいていたので、車内の様子もこっそり写す事ができました。連結部分に扉がなく、ゆったりしているので、車両間の移動にはとても便利です。車内の電光板で、現在地を簡単に確認することもできます。
-
Hospital de Sant Pauで降りてはみたものの、どちらへ行けば良いのかな?ガイドブックによれば、駅からすぐのはずなのに、それらしい建物も観光客らしき人もいません。
散々迷ったあげく、駅に戻り、道行く人に、「サン・パウ病院はどこですか?」と尋ねると、駅前にある大きなコンクリート造りの病院を指差したのです。「あれは病院でしょう。そうじゃなくて、私が行きたいのはもっと古い・・・・えーっと!」 -
確かにここはサン・パウ病院。病院の敷地は広大で、地下鉄の路線が2本通っていたのでした。私は今、四角形の上辺右角辺りにいるのですが、観光名所となっている古いサン・パウ病院は、下辺左角辺りに位置しています。ちょうど対角線上に当たる感じ。
駅名は、今いる方がグィナルド/オスピタル・デ・サン・パウGuinardó/ Hospital de Sant Pau。正しい方は、サン・パウ/ドス・デ・マイSant Pau/Dos de Maig(5月2日と言う意味)。まぎらわしいったらありゃしない。今いる方の駅は、2009年までは、ただのGuinardóだったため、古いガイドブックだったら、間違いようがなかったのですが、観光案内所でもらった最新路線図で調べたのが失敗の元でした。
ぐるっと廻って歩いていくことも出来たのですが、折角駅前まで戻ったので地下鉄で仕切りなおし。なんと、正しい駅は、サグラダ・ファミリアの一個先の駅。歩いてもいける距離だったのに・・・ああ〜くたびれた!!
上とこちらの写真は、迷っている間にみつけたバルセロナ大学医学部とサン・パウ看護大学が入っている建物。Guinardó/ Hospital de Sant Pau駅から病院を右に見て坂を降りきったところにありました。ここもサン・パウ病院の敷地内。この建物のある角を曲がって、右にずんずん進んで行けば、目的地だったのですが、悲しいかな、頭がそこまで廻らない・・・ -
古い煉瓦の塀には、こんな紋章が残されていました。バルセロナ大学医学部訪問記念にしようっと! 実はこれを見に来たのです。なんちゃって・・・
-
またまた地下鉄で15分。Sant Pau/Dos de Maigで降りると、今度は紛れもない特徴的な建物をすぐ発見することが出来ました。
-
やっとたどり着きました。本日3軒目のリュイス・ドメネク・イ・モンタネーの作品で、1997年、カタルーニャ音楽堂と共に世界遺産に登録されました。今日は、カタルーニャ音楽堂で始まり、サン・パウ病院で終わるという理想的なスケジュールとなるはずだったのですが、到着したときはすでに午後6時半を少し過ぎていました。
見学は午後6時半まで・・・まっすぐここに来ていれば、内部を見学できたのに・・・と悔やんではみたものの、自分で間違えたのだから、誰にも文句は言えませんね。 -
サン・パウ病院は、1902年から1930年にかけて建築されました。1902年から13年までの間に、リュイス・ドメネク・イ・モンタネーにより13のモデルニスモの建物が建てられました。その後は、彼の息子ペールPere Domènech Rouraに引き継がれ、複数の建物が同時並行で建てられていきました。1920年以降にも更に6つの建物が追加され、最終的には48もの建物が造られました。殆んど1つの町のような規模ですね。
両翼のあるこの建物が管理棟で入口部分にあたり、中央の時計塔のある部分は、ちょうど敷地の対角線上に建っています。奥にある数多くの建物も、この対角線上にある広場を中心にシンメトリーに構成されているそうです。 -
管理棟の中央時計塔に向かって左側のウイングには、カフェ(その名もずばり、1902カフェ・モデルニスタ Cafè Modernista)があり、まだ大勢のお客さんで混雑していました。
-
向かって右側にあるウイングの扉を入っていくと、見学者入口と案内所が設けられています。
-
ああ〜
やはり、4月から10月までは、月曜日から土曜日は10:00から18:30の開館となっています。日曜日は10:00から14:30とかなり短い。 -
内部を覗きこんでいたら、目が合ったお姉さまに、大きくバッテンマークをされてしまいました・・・わかってますって。
-
見学入口の上部には、ご覧のような素晴らしく綺麗なタイルのモザイク画があります。
左側の馬に乗った少年は、アラゴンの王子ジャウメjaume。イスラム勢力からイベリア半島を取り戻したということで、カタルーニャでは今なお根強い人気の、征服王ジャウメ1世の少年時代のエピソードが描かれているそうです。 -
サン・パウ病院は、近代的な設備を備えた病院として、100年以上使われてきましたが、2009年に老朽化により閉鎖。病院機能は先ほど見た無機質の最新型病院へと移されたそうです。それで、駅名が2009年を境に変わったんですね。了解!
そして、こちらの建物群は、2009年から4年以上の修復工事を経て、極最近、一般公開されたようです。ゴシック様式とムデハル様式が見事に融合した、とても温かみのある煉瓦造りの建物です。 -
建物を飾る彫像は、お馴染みのエウセビ・アルナウEusebio Arnauとその弟子パウ・ガルガリョ Pau Gargalloの作品です。上部中央にある盾(アルナウ作)は、古い病院から引き継がれたものですが、以前のものは、両脇の天使がひざまずいていたそうです。そして、盾の左右には男女3人ずつの聖人達の彫像がありました(ガルガリョ作)。
その下にある4人の女性達の像は、キリスト教の美徳である信仰、希望、奉仕、労働を表しているそうです(ガルガリョ作)。
下部のバルコニーとその下の3連アーチを飾る丸い青と白のセラミックタイルもとても印象的でした。良く見るとタイルには、バルセロナを表す二本の盾、十字架、そしてPとGという文字が描かれた4種類が繰り返し使われています。PとGは病院の大パトロンであるパウ・ギルの頭文字をとったものだそうです。
窓に描かれたステンドグラスを見ると、カタルーニャ音楽堂の内部が蘇ってきますね。 -
サン・パウ病院自体は15世紀から6つの病院が統合され、サンタ・クラウ・イ・サン・パウ病院Hospital de la Santa Creu i Sant Pauとして機能してきましたが、20世紀となり、バルセロナの人口が膨れ上がり、近代的な病院の整備が急務とされた頃、バルセロナ市に救い主が現れました。それが、パウ・ギル・イ・セラPau Gil i Serra。1816年生まれ、パリ育ちで、親からの遺産だけでも船が1艦隊分あったとか。彼自身は銀行家でしたが、生涯独身を貫きとおしたため、財産の半分は兄弟の子供達に、そして残りの半分はバルセロナに建てる病院の建築資金にという遺言を残したのです。
パウ・ギルの資金の得て、バルセロナ市はその頃は町外れだったこの地に広大な土地を購入、そしてデザインおよび建築の総責任者としてモンタネーを選んだのです。
建物の正面玄関前にあるこの銅像は、パウ・ギルに感謝を捧げるためにエウセビ・アルナウによって作られました。 -
サン・パウ病院の管理棟のある建物の周りは、このような鉄柵で囲まれています。3本の円柱を組み合わせた、煉瓦張りの支柱は、モデルニスモらしさ満載です。
-
メインゲート横の門柱は複雑な構造。ずっと見ていても飽きないデザインです。
-
で、メインゲートに立って、正面を見ると、ありゃ〜、こんなに近いところにあったんですね。サグラダ・ファミリア。また、思い出してしまいました。1時間も一体どこをうろついていたんだ!
ここから始まるアントニ・ガウディ通り。正面に見えるのは、後陣でしょうか?せいぜい徒歩10分という距離ですかねえ。 -
わざわざ、サグラダ・ファミリアが見えるこの角に、正面玄関を持ってきたということは、リュイス・ドメネク・イ・モンタネーも、両者の位置関係を意識していたと言うことになりますね。
-
サグラダ・ファミリアへは、このサン・パウ病院から、四角形の対角線上を貫くアントニ・ガウディ通りを通って近づくのがお勧めルートかもしれません。
ここから見る景色は、毎日変わっていくのを発見することが可能な景色でもあります。移り行く季節と変わり行く教会、同じアングルでまた撮ってみたいです。 -
このメインゲート以外に、中の建物を拝める入口はないものかと、あきらめの悪い私は、最後の最後まで粘ってみました。メインゲートに向かって、左方向に進むと・・・
-
塀に沿って、少々剥げかかったモザイク画のある管理棟の建物が続いていました。ここが、管理棟の左ウイングの一番端にあたります。
中央にある盾はオリジナルの盾かしら? 左の天使は確かにひざまづいているけれど、右はどう見ても天使ではなく、怪鳥のように見えます。 -
こんな高い煉瓦塀に阻まれて、中の様子をよく見ることができません。
手前の建物は、サンタ・アポロニアPavelló de Santa Apolònia というパビリオン(1902年〜1911年)。反対側にあるサン・ジョルディSant Jordiというパビリオンと対を成していて、主に感染症の疑いのある隔離患者用に男女別に作られた建物だそうです。
ちらっと奥に見える丸いドーム屋根は、ラ・プリッシマLa Puríssimaと呼ばれるパビリオン。サンタ・アポロニアと同時期に建てられた建物で、こちらは、広場の左側に並んで建っている同じ形をした4つの建物(La Puríssima、 Marededéu del Carme、 Marededéu de la Mercè、 Marededéu de Montserrat)の一つです。 -
裏側から見た、管理棟の建物です。建物の角に立っている彫像はエウセビ・アルナウの作品。右は11世紀のバルセロナ公爵Ramon Berenguer、左は彼の妻でElisabet。
-
更に進むと、今度は右側にサンタ・アポロニアの裏口、左にラ・プリッシマが見えてきます。道端にベンチがあったので、その上に乗って、爪先立ちして覗き込みました。少しだけでも見ることが出来て嬉しい! 屋根の色瓦が、単調さを壊していて良いアクセントになっています。沢山並んだ、先が少し開いた煙突の形がとても可愛いです。
2階の窓枠の上にあるクローバー型をしたモザイクの装飾にも、リュイス・ドメネク・イ・モンタネーが繰り返し使っている十字、二本の盾のデザインと共に、P とG の文字が見えます。 -
ベンチの上に立って、思いっきり手を伸ばしても、これが撮れる精一杯でした。道を行きかう人には、かなり怪しい女と思われたかも・・・
-
この先は、ベンチもなさそうなので、ラ・プリッシマの建物が終わったあたりで引き返すことにしました。中央にチラッと見えているのは、聖マルガリタSanta Margarida。両脇に天使を従えているこの美しい像は、またしてもエルセビ・アルナウでした。
-
メインゲートに戻って、別れを告げます。まだ門扉は開いていましたが、あたりはだいぶ暗くなってきました。
-
今度はメインゲートの右側を歩いていきます。こちらの盾を両脇から支えているのは、人間ではありませんね。
-
左から、サン・サルヴァドール・パビリオンpavelló de Sant Salvadorと、先ほど見たサンタ・アポロニアと対になっているサン・ジョルディ・パヴィリオンpavelló de Sant Jordiが並んでいました。
-
管理棟右ウイングの一番端です。中央、工事テントのそばに立っている像は、ドクター・ロベールとして知られるBartomeu Robert i Yarzábal。医者であり、また元サンタ・クラウ病院のオーナーでした。1842年生まれで、この病院の工事が始まった1902年に亡くなっています。これもアルナウの作品。
-
道路に沿ってあった教会。こちらは1920年〜1922年にかけて、モンタネーの息子Pere Domènech i Rouraによって建てられました。初期のパビリオンと比べて装飾も色も大層地味で、教会内部でも、壁の縞模様に使われているブルータイルが唯一目立つ色だそうです。
-
教会の横に中に入る道があったので、入ってみました。教会の後陣に沿って廻っていくと・・・
-
ありましたよ。ちょっと離れていましたが、これは多分サン・ラファエル・パビリオンPavelló de Sant Rafael。もう辺りは暗くなり始めていて、今日はもうこれ以上写真は難しい状況・・・場所を間違えたせいで、とんでもない写真ばかりになってしまいました。
しかし、全体的には実りの多い1日となりましたし、町歩きの醍醐味を味わったような気がします。バルセロナにすっかり魅せられ、再訪したい町がまた一つ増えてしまいました。明日は町を離れて、モンセラにハイキングです。
この続きはイタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その66 モンセラ(1)で。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
junemayさんの関連旅行記
バルセロナ(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35