2014/08/19 - 2014/08/25
9位(同エリア37件中)
Minty Pinkさん
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4日めは終日フィラデルフィアへ。
目的は美術館2つ。
ここでは2つめ、まだまだ続くフィラデルフィア美術館。
ピカソから入って近・現代アートへ。
フィラデルフィア美術館門外不出のデュシャンの遺作もございます。
うっかりとばしていた印象派のお部屋に舞い戻り、最後はオキーフ。
夕ご飯はまたしても安メシ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
午後4時を過ぎました。
ここからは、Modern and Contemporary Art のセクション。第166室。
一瞬「野球部?」と思っちゃうこの方はピカソ。
『パレットをもった自画像』
Pablo Ruiz y Picasso, Spanish, 1881 - 1973
Self-Portrait with Palette, 1906
ピカソってこんな顔してたっけ? ああ、ピンとこないのは年をとった時の写真しか印象にないからか。 -
細長い通路のような展示室を通り抜けてどんどん歩いていくと、第174室にこちら。ジャコメッティですね。
Alberto Giacometti, Swiss, 1901 - 1966
Standing Figure,1957-1958
ただの棒じゃありません。よーく見ると『人』です。 -
さらにどんどん歩いていくと、このような広いお部屋が。
第188室です。ブランクーシの《空間の鳥》が2つ。
中央にあるのは大理石製。
その左側の四角いのもブランクーシ《ザ・キス》。拡大すれば、わかるかしらん。 -
こちら、左端のはブロンズ製。
-
いよいよ第182室。デュシャンの部屋と言ってもよろしいかと。
フィラデルフィア美術館はマルセル・デュシャンの膨大なコレクションで有名。
こちら、代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
通称《大ガラス》。
タイトルからして「なんでそうなる?!」と言いたくなるが。
ともあれ。上部が「花嫁」、下部が「独身者」なんだそうです。真ん中の細長いのが「脱ぎ捨てられた花嫁の衣装」 -
2枚のガラスの間に「何か」はさんであるだけに見えるんだけれども、もちろんそんなわけはなくて、その制作過程には恐れ入る。(東京大学総合研究博物館にあるレプリカの制作過程を見て。)
写真右側は「チョコレート研磨機」だ、そうです。ここだけでも独立した作品になっており、同じ第182室に展示。
で、左側のなにやら吊されてる9体の制服が「独身者たち」。 -
で、こっちの吊されてるのが「花嫁」。
………。
あちこちのサイトさんでいろいろ読んでみましたが、遙かに理解を超えていました…。 -
窓側から撮ってみました。
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ちょっと角度を変えて。
《大ガラス》の前にはベンチがあるので、そこでしばらくぼけっと眺めていました。
窓からの光が差し込んでいるのも効果的ですが、この位置決めはデュシャン自身が行ったとか。 -
《大ガラス》を正面にして左手には「レディ・メイド」のコーナー。
白い台の上に置かれているのは… -
出ました《泉》!
デュシャン自身が展示委員をしていたニューヨーク・アンデパンダン展に匿名で出品されたものの、委員会の議論の末、展示されることはなかった。(Wikipedia)
なるほど、匿名なのでサインが MUTT となっている。
出品されたオリジナルは紛失(展示に反対した委員が意図的に破棄したとも)。写真が1枚残っているのみ。 -
さて、これは? モダンアートに詳しい方なら何を今さら…ということかと思いますが、デュシャンの《遺作》ですね。これまた《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》という難解なタイトル。なにやらおどろおどろしいこのドアにはのぞき穴があって、中をのぞくと…。
晩年の20年間、この作品を内緒でこつこつ作り続けていたそうです。で、デュシャンの死後に解体設置マニュアルとともに発見される。フィラデルフィア美術館のために作られた作品であり、門外不出。
《大ガラス》の向こうの小部屋(第183室)にありますのでお見逃しなく!
しばらく第182室にいて10人くらいの人は来ましたが、これを見に第183室に行った人は一人しかいなかった…。しかもすぐに出てきた…。私も事前調査がなければ「なに、この怖そうなドア」と思ってすぐに引き返したでしょう…。 -
こんなのもございます。
《パリの空気50cc》
…やるな。 -
デュシャンはこのアンプル容器を、パリの薬局で買ったのですって。
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第169室。
右の大きい絵はダリ。
Salvador Dalí, Spanish, 1904 - 1989
Soft Construction with Boiled Beans (Premonition of Civil War), 1936 -
日本語のタイトルは
『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造;内乱の予感』
本作の半年後に第二次世界大戦の前哨戦とも言える「スペイン内乱」が起こる。 -
インゲン豆?
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怪物?の足下にこそっと。誰?
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戦争が迫り来るヨーロッパの危機を表現した…という解釈でいいでしょうか?
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荒涼とした風景が。弾痕が見える、ような。
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第169室の様子。奧に見えるのは…
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キリコ。
Giorgio de Chirico, Italian (born Greece), 1888 - 1978
The Soothsayer's Recompense, 1913
《予言者の報酬》という邦題。 -
汽車からもくもく煙が。よく出てくるモチーフ。
そして、ずーっと上の方にではためいている旗。風向きが…! -
なぜ椰子の木?
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メトロポリタンで見損ねた「アリアドネ」。
ここにいたのか。
キリコ、お気に入りの彫刻だとか。
「予言者」はどこにいるのか? これが「報酬」なのか? -
クレーやカンディンスキーのある第168室を抜けて、第167室。
マティス、ブラック、レジェなどもありますが、こちらはピカソ。キュビズム。
Three Musicians, 1921
《三人の音楽家》
解説によると、3人の音楽家たちは、ハーレクィン、ピエロ、僧侶の扮装。ピカソ自身、アポリネール(詩人)、ジャコブ(詩人、画家)を表わしているとのこと。芸術的な親交を深め、仲良しだった3人の友情へのノスタルジー。
1918年にアポリネールが、スペイン風邪で急死、1921年にジャコブは修道院へ。(ユダヤ人だった彼は、1944年にドランシー強制収容所で亡くなる。) -
楽しそうだよね。
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午後4時45分。ヨーロッパ絵画のセクションに戻ってきました。
ここは印象派満載の第152室。(なんでさっきここをとばしてモダンアートの方に行ったんだろう?)
私にとっては「ここを見なきゃ帰れない」級の作品が続々。
真ん中に見えますのはルノワールの《ルグラン嬢の肖像》。もう、むちゃくちゃかわいいです。 -
ピサロ晩年の「都市シリーズ」も。
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では、見ていきましょう。まずはお花たち。
こちらはモネです。花瓶にいけた花の絵はあまり見ないような気がしますが、どうでしょう。
Flowers in a Vase, 1888
1888年ですから、もうジヴェルニー時代ですね。 -
透き通る花瓶。輪郭はない。この白いラインがポイントなんだね。
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何の花かわからない。ジヴェルニーの庭に咲いていたものでしょうか。
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タイトルは同じですが、こちらはルノワール。
Flowers in a Vase, c. 1880 -
クロード・モネ《アルジャントュイユの鉄道橋》1874年
1871年にアルジャントュイユに移住。
普仏戦争とパリ・コミューンの時期をロンドンで過ごしたモネは、オランダを回って1871年秋にパリに戻る。聞きしにまさるパリの惨状。その年の暮れにカミーユとジャンを伴ってアルジャントュイユに移住。(島田紀夫『セーヌで生まれた印象派の名画』2011 小学館101ビジュアル新書 より) -
この鉄橋の絵は4枚制作。オルセーにもあります。オルセーのはヨットなしで夕暮れ時。こちらフィラデルフィアは明るい午後。
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汽車はアルジャントュイユからパリのサン・ラザール駅へ。30分ほどの列車の旅。
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一時期滞在したオランダを描いたものですね。
The Zuiderkerk, Amsterdam (Looking up the Groenburgwal), c. 1874
《アムステルダム南教会》1874年 -
これは川ではなく運河。跳ね橋も見えます。アムステルダムにはたくさん跳ね橋がありますね。
そう言えば、アムステルダムに行ったとき、ここらへんで迷子になった。道行く人に親切に教えてもらったっけ。やっと自分の位置を理解して歩き出した先に南教会があって、鐘の音を聞いたのだった。 -
さあ、こちらはむちゃくちゃかわいいルノワールの肖像画ですよ。
《ルグラン嬢の肖像》1875年 -
アデリフィーヌ・ルグランちゃん。8歳です。
8歳にしてはおとなっぽい表情ですね。 -
黒いドレスに白いブラウスが素敵。
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左手の薬指にきれいな指輪。もしかして、ダイヤ?
こちら、2007年のフィラデルフィア美術館展に《アリーヌ・シャリゴ》とともに来ているのですね。
これを書いている2015年1月現在、Not on View となってまして、世界のどこかの展覧会に行っているのか、はたまた舞台裏で休憩中なのか。 -
それでは、ピサロ、いってみましょう。
Camille Pissarro, French, 1830 - 1903
Afternoon Sunshine, Pont Neuf, 1901
《午後の陽光、ポンヌフ》1901年
ピサロ晩年の作品。眼病が悪化して、ほこりっぽい街角に出ないように眼科医に助言されたので、アパルトマンの部屋から見下ろしたパリの風景を描いた。 -
馬車がたくさん走っていきますね。
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こちらもピサロの都市シリーズ。
Avenue de l'Opéra: Morning Sunshine, 1898
《オペラ座通り:朝の陽光》1898年 -
Apple Tree in the Meadow, Eragny, 1893
《牧場の林檎の木、エラニー》1893年
ピサロは1884年4月にエラニー=シュル=エプトに引っ越す。
エプト川沿いの田園地帯の小さな村。
絵の左側、林檎の木向こうに見える煉瓦の家がピサロ家。 -
Railroad to Dieppe, 1886
《ディエップへの鉄道》1886年
これは点描時代のピサロ。 -
「鉄道って?」と思ったが、よく見たら確かに汽車が走っていた。
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Vegetable Garden, Overcast Morning, Eragny, 1901
《菜園、曇りの朝、エラニー》
エラニーの大きな家。ピサロは納屋をアトリエに改造。 -
手前の紫の花が咲いている茂み。
奥さんのジュリーさんは庭に花壇や菜園を作った。 -
エトルタの風景を2点。まずは、モネに戸外で絵を描くことを教えた師匠のブーダン。
Eugene-Louis Boudin, French, 1824 - 1898
Beach at Etretat, 1890
ウジェーヌ・ブーダン
《エトルタの浜》1890年 -
エトルタにある3つのアーチのうちの真ん中にある「アヴァルのアーチ」。
「奇巌城」こと「エギィユ・クルーズ」は、アーチに重なっていてよく見えない。 -
こちらは弟子のモネ。
Manne-Porte, Etretat, 1885
《マンヌ・ポルト、エトルタ》1885年 -
この絵が描かれたのは1885年。シーズンも終わりのエトルタに、モネは家族とともに訪れる。
光の効果を模索して、何カ所かから描く。ここは浜辺の南西。
解説によると、マンヌポルトのアーチの中に、「エギィユ・クルーズ」の足下が見えるとか…。あ、本当だ。あのアーチの向こうがエトルタの浜辺。 -
穏やかなお日和なのに、何かとても緊張感のある水面の表現。
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そうそうたる印象派の館、第152室の端っこにはこの娘さん。
Hilaire-Germain-Edgar Degas, French, 1834 - 1917
Little Dancer, Aged Fourteen, Executed in wax 1878-81; cast in bronze after 1922
エドガー・ドガ《14歳の踊り子》1922年 -
この作品のことを調べようと思って、いつも頼りにしているブログ「クラバートの樹」さんにたどりつくと、原田マハ著『ジヴェルニーの食卓』という短編小説集が紹介されていました。その中の『エトワール』という作品に、この踊り子のことが出ています。
おもしろそうなので読んでみよう。 -
モスリンのチュチュをはかせ…
-
髪にはサテンのリボン。
ドガの死後にブロンズに鋳造され、約30の像が欧米の美術館に所蔵されているそうです。そう言えばいろいろなところで見ますね。
ワシントンのナショナルギャラリーにあるのがドガが作ったオリジナルのワックス製の像なのですって。高さは約1mで、モデルとなった少女の2/3のサイズ。
『ナイト・ミュージアム2』で、アメリア・イアハートが一緒に踊ってたのはワシントンの踊り子だったっけ? -
午後5時を過ぎました。5時半ごろここを出る予定。遅くとも、6時には…。
しかし、あと1カ所見ておきたいところがあります。場所は調べてあるのですが、行き着かない。それと、もしかしてNot on Viewの「カーニバルの夜」がどこかに展示されてるってことはないか? インフォメーションで聞いてみました。
①ルソーの「カーニバルの夜」は、もしかしてどこかに展示されていない?→なし。
②オキーフの作品を見たいのだけど、Ground Floor の Gallery 50 ってどう行けばいいの? -
Ground Floor 第50室。
これは聞かなきゃわからんわ。ひと気のない細長い廊下みたいなところにずらり。
なんでこんなところに? わざわざ探して来る人がいなけりゃ、目に触れることもなさそう。 -
見たかったのはこちら。
Georgia O'Keeffe, American, 1887 - 1986
Two Calla Lilies on Pink, 1928 -
吸い込まれそうな画面いっぱいのカラー。背景のピンクがとてもきれい。
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花のクローズアップの他に、動物の骨もよく描いたモチーフ。
Red Hills and Bones,1941 -
こんな作品もありました。桃がかわいらしい。
Peach and Glass, 1927 -
アイスクリームかと思ってしまった…。
Three Small Rocks Big, 1937 -
岩…なんですよね。
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5時半です。予定時刻通りに退出。
滞在時間約4時間。ギャラリー数から言ったら半分も見ていないけれど、見たかった作品はほとんど見ることができたので満足。 -
「ロッキーステップス」とは反対側の風景。
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38番バスで16th×Market St.まで戻る予定。
その乗り場はロッキーステップス側。建物の右斜め前にバス停があるはずなので、そっちへ向かう。
しかし、巨大な美術館ゆえ、ぐるりと回るのも一苦労。中を通り抜けるべきだったか。 -
どうにか戻ってきました。
-
さよなら、フィラデルフィア美術館。またいつか来られますように。
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なんて、呑気に構えている場合ではなかった。美術館前のでっかいロータリー。
いったいバス停はどこ? -
まだこんな写真を撮る余裕があったのか。
しかし、その後、本当にバス停が見つからない! 美術館前の道路をまっすぐ行けばいいのはわかってるのだが、そんなに歩きたくない。バスに乗りたい。バス停がない。えー、もうロダン美術館前まで来ちゃったよ。
ということで、地元の人っぽいお姉さんに聞いてみた。「38番のバス停?よくわからないけど…。…あ。」と、彼女が指さす先には。 -
冗談みたいな本当の話。頭のすぐ上にこれ。苦笑い…。バス停のサインが思ったよりずっと高いところにあったのよ…。お姉さん、ありがとう。
すでに5時55分。 -
無事にバスに乗ることができて、16th×Market St.で降りるも、ビル街の中でどっちに行ったらいいかわからなくなる。地図を見ながらどうにかこうにか地下鉄駅へ。しかしここでも乗り場がわからなくて迷うし…。
やっと正しい乗り場に来たのが午後6時23分。
地下鉄は5分おきくらいにくるし、2分で30th Street の駅まで行けることはわかっているけど、焦る。
フィラデルフィア自力観光は、「なんとなくで行けるでしょう」は通用しない気がする。タクシーを使っちゃえばいいんでしょうけど。よーく計画を立ててから実行しましょう。 -
アムトラックが出る30th Street 駅に到着! 午後6時30分。
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そう言えばフィラデルフィア名物のチーズステーキを食べていない。
駅の売店で売っていたので一つ買う。チーズステーキ1個と水1本で9ドル26。
高い…。
注文してから奧のキッチンで作ってくれる。おつりをくれるとき、レジの人は「チップ入れのびん」から小銭をとって渡してくれた。これ、最初にアメリカで体験した時は衝撃だったんですけども。「そ、そんなとこからおつり出していいわけ?! 収支が合わなくなっても気にしないの?!!」と。…気にしないんですね。 -
上から2段目。ニューヨーク行きは6時50分発、On Time。
フィラデルフィア美術館であれ以上長居していたら間に合わなかった。 -
いっしょに乗るみなさん。
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ガラガラでした。4人がけの向かい合わせの席に1人。
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行きと同じく、なんてことない風景が続き…
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唯一の見どころデラウェア川?
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午後7時。夕ご飯にしよう。チーズステーキの包みをごそごそ開ける。写真ではなんだかしょぼくれて見えますが、おいしかったですよ。
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7時18分。トレントンに到着。
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一人ベンチに座る、遠目にトム・ハンクス風の乗客(ちがう?)。これからどちらまで。
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帰りはニューアークの駅にも停車。川面に映る街の灯り。
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定刻通り8時12分にペンステーションに到着。
明日は実質旅行最終日。フリックコレクションとメトロポリタンにもう一度行く予定。フリックが開館する前に町歩きも少々。
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