2015/01/10 - 2015/01/10
296位(同エリア437件中)
滝山氏照さん
上毛電鉄大胡駅から徒歩約15分、そして大胡城跡の西方に位置する養林寺(ようりんじ、群馬県前橋市堀越町)は戦国期において大胡氏支配時代には同氏の居館跡であったと言われる由緒ある寺院です。
境内に掲げている養林寺縁起について次の通り記載されています。
「浄土宗 無量山月照院 養林寺縁起
鎌倉時代大胡太郎実秀といえる武将あり。浄土宗の宗祖法然上人に帰依し此の地に草庵を建て念佛修業を怠らなかった。
徳川家康公の御家来牧野康成侯は、天正18年、2万石を以て大胡城主となる。大胡太郎実秀の念佛の旧蹟成るを聞き、養林寺を創建し、念佛修業の寺とした。
百石を御朱印として寺へ寄進されたので、養林寺は上野三壇林の一つとして、名刹であった。
度々の火災に罹い、堂塔はすべて焼失したが、山門は江戸時代初期の建築である。勢多郡下唯一ケ寺の浄土宗寺院で、称名念佛の法燈を継承している。」
また牧野家墓所前に建立の牧野家墓地の説明ではつぎの通り記載されています。
「 前橋市指定史跡 牧野家墓地
この墓地は、天正18年(1590)から慶長9年(1604)まで、大胡城の主として大胡藩2万石を治めた牧野康成(まきの・やすなり)の墓ほか、同室(妻)、康成の父成定(なりさだ)、子の忠成(ただなり)など7基の墓石が並ぶ江戸時代初期の大名墓である。
牧野康成は、弘治元年(1555)、三河西尾の城主牧野成定の子として生まれ、徳川家康に仕え、酒井忠次に属して、「長篠の戦」など家康の主要な合戦の多くに参戦して、数々の武力を重ねた。
康成は天正18年(1590)の徳川家康の関東入府に伴って、江戸城の北辺の守りとして大胡城に入り、大胡城を近世の城として大改修をした。
慶長5年(1600)の「関ケ原の戦」のおりに、中仙道を進む徳川秀忠の将として従軍した。
慶長9年には病のため家督を長男の忠成に譲り、慶長14年(1609)に55歳で没し、菩提寺として天正18年に建立したここに浄土宗無量山月照院養林寺葬られた。
康成の子、牧野忠成は、元和2年(1616)越後国頸城郡長峰に5万石で転封となり、同4年(1618)にはさらに1万石が加増され、長岡に転封となった。以後、牧野家は明治の初めまで長岡藩を治めた。
大胡城は、牧野氏移封後、酒井氏前橋藩の所領となり、城番が置かれた。その後酒井氏が姫路に転封されるにさいして廃城となった。
群馬県教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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