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※[奥方と行く東京都内御朱印巡りの旅。~蒲田八幡神社編~]の続きです。<br /><br /><br />奥方と始発の新幹線でやってきた東京も早くも半日が経ちました。<br /><br />蒲田で昼食を済ませた我が家は京急に乗って「泉岳寺」を目指します。<br /><br />

奥方と行く東京都内御朱印巡りの旅。~泉岳寺編~

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2015/01/03 - 2015/01/03

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空飛ぶ旅人

空飛ぶ旅人さん

※[奥方と行く東京都内御朱印巡りの旅。~蒲田八幡神社編~]の続きです。


奥方と始発の新幹線でやってきた東京も早くも半日が経ちました。

蒲田で昼食を済ませた我が家は京急に乗って「泉岳寺」を目指します。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄
  • ・・・&lt;箱根駅伝&gt;・・・<br /><br />「京急・泉岳寺」で下車。<br /><br />徒歩でテクテクと向かいます。<br /><br />実は、上京日は「第91回 箱根駅伝」の復路。<br />沿線では警視庁の警察官が交差点などところどころで警戒・交通整理中。歩道には多くの人が応援でランナーを今か今かと待っています。<br /><br />パトカーからは通行車両に「左の車線には入らない!!」とお怒りの声も。<br /><br />写真には撮れませんでしたが、先頭の青山学院のランナーを見送ってから「泉岳寺」を目指します。

    ・・・<箱根駅伝>・・・

    「京急・泉岳寺」で下車。

    徒歩でテクテクと向かいます。

    実は、上京日は「第91回 箱根駅伝」の復路。
    沿線では警視庁の警察官が交差点などところどころで警戒・交通整理中。歩道には多くの人が応援でランナーを今か今かと待っています。

    パトカーからは通行車両に「左の車線には入らない!!」とお怒りの声も。

    写真には撮れませんでしたが、先頭の青山学院のランナーを見送ってから「泉岳寺」を目指します。

  • ・・・&lt;高輪神社&gt;・・・<br /><br />先頭の青山学院のランナーを見送って「高輪神社」に辿り着きました。<br /><br />どうやら、曲がるべきところを通り過ぎてしまったようです。<br /><br />折角なので参拝します。<br />

    ・・・<高輪神社>・・・

    先頭の青山学院のランナーを見送って「高輪神社」に辿り着きました。

    どうやら、曲がるべきところを通り過ぎてしまったようです。

    折角なので参拝します。

  • ・・・&lt;拝殿&gt;・・・<br /><br />参拝と御朱印のお願いをするために拝殿建屋内に入ります。<br /><br />途中、駅伝見学で道路へ向かう神職さん2人とすれ違いますが、拝殿内にも神職さんがおいでだったのでお願いします。<br /><br />

    ・・・<拝殿>・・・

    参拝と御朱印のお願いをするために拝殿建屋内に入ります。

    途中、駅伝見学で道路へ向かう神職さん2人とすれ違いますが、拝殿内にも神職さんがおいでだったのでお願いします。

  • イチオシ

  • ・・・&lt;高輪神社の力石&gt;・・・<br /><br />「高輪神社の力石」です。<br /><br />港区の文化財に指定されているようです。<br /><br />

    ・・・<高輪神社の力石>・・・

    「高輪神社の力石」です。

    港区の文化財に指定されているようです。

  • ・・・&lt;御朱印&gt;・・・<br /><br />御朱印をいただきました。<br /><br />改めて「泉岳寺」を目指します。

    ・・・<御朱印>・・・

    御朱印をいただきました。

    改めて「泉岳寺」を目指します。

  • ・・・&lt;泉岳寺&gt;・・・<br /><br />高輪神社を後に歩くこと10分くらいだったか。<br />「泉岳寺」に到着しました。<br /><br />早速境内に入ります。<br /><br />

    ・・・<泉岳寺>・・・

    高輪神社を後に歩くこと10分くらいだったか。
    「泉岳寺」に到着しました。

    早速境内に入ります。

  • ・・・&lt;泉岳寺&gt;・・・<br /><br />泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。<br /><br />しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失し、今の高輪に移転されたとのこと。<br /><br />しかしながら、泉岳寺の復興が進んでいなかったため、時の将軍家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったそうです。<br /><br />

    ・・・<泉岳寺>・・・

    泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。

    しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失し、今の高輪に移転されたとのこと。

    しかしながら、泉岳寺の復興が進んでいなかったため、時の将軍家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったそうです。

    泉岳寺 寺・神社・教会

  • ・・・&lt;こちらにおいでは?&gt;・・・<br /><br />泉岳寺の境内に像が立っています。<br /><br />「大石 内蔵助」その人です。<br /><br />江戸時代前期の播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄赤穂事件では指揮を執った人物です。<br /><br />

    イチオシ

    ・・・<こちらにおいでは?>・・・

    泉岳寺の境内に像が立っています。

    「大石 内蔵助」その人です。

    江戸時代前期の播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄赤穂事件では指揮を執った人物です。

    泉岳寺 寺・神社・教会

  • ・・・&lt;江戸城松之大廊下&gt;・・・<br /><br />事件の概略・・・<br /><br />元禄14年(1701年)3月14日。江戸城松之大廊下において、勅使接待役にある浅野長矩が吉良義央に対して刃傷におよんだ事件です。<br /><br />時の将軍、徳川綱吉は朝廷との儀式を台無しにされたことに激怒し、長矩を大名としては異例の即日切腹に処し、さらに赤穂浅野家をお家断絶とした一方、吉良には何の咎めもなかった。事件です。<br /><br />

    ・・・<江戸城松之大廊下>・・・

    事件の概略・・・

    元禄14年(1701年)3月14日。江戸城松之大廊下において、勅使接待役にある浅野長矩が吉良義央に対して刃傷におよんだ事件です。

    時の将軍、徳川綱吉は朝廷との儀式を台無しにされたことに激怒し、長矩を大名としては異例の即日切腹に処し、さらに赤穂浅野家をお家断絶とした一方、吉良には何の咎めもなかった。事件です。

  • ・・・&lt;御朱印はこちらで&gt;・・・<br /><br />事件の話しは一旦置いといて。<br /><br />御朱印をお願いします。<br /><br />「お時間をいただきます。」とのことなので、赤穂浪士のお墓を訪ねることにします。<br />

    ・・・<御朱印はこちらで>・・・

    事件の話しは一旦置いといて。

    御朱印をお願いします。

    「お時間をいただきます。」とのことなので、赤穂浪士のお墓を訪ねることにします。

  • ・・・&lt;拝殿&gt;・・・<br /><br />勿論 拝殿の参拝も忘れずに (^^)<br /><br /><br />

    ・・・<拝殿>・・・

    勿論 拝殿の参拝も忘れずに (^^)


  • ・・・&lt;赤穂義士墓所&gt;・・・<br /><br />「赤穂義士墓所」に来ました。<br /><br />気持ちを引き締めて進みます。<br /><br />

    ・・・<赤穂義士墓所>・・・

    「赤穂義士墓所」に来ました。

    気持ちを引き締めて進みます。

  • ・・・&lt;水琴窟&gt;・・・<br /><br />「水琴窟」です。<br /><br />地中に伏瓶した空洞に水がしたたり落ちて琴の音色に聞こえるようにした装置です。<br /><br />

    ・・・<水琴窟>・・・

    「水琴窟」です。

    地中に伏瓶した空洞に水がしたたり落ちて琴の音色に聞こえるようにした装置です。

  • ・・・&lt;血染めの石・血染めの梅&gt;・・・<br /><br />浅野長矩が切腹した田村邸の切腹の場にあったとのこと。<br /><br />当事者ではないので分かりませんが・・・<br /><br />「浅野長矩本人も事の重大さは覚悟していたんだろうけど、幕府の判決には納得できないままだったのかな。」<br />と勝手ながら想いをはせます。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ・・・<血染めの石・血染めの梅>・・・

    浅野長矩が切腹した田村邸の切腹の場にあったとのこと。

    当事者ではないので分かりませんが・・・

    「浅野長矩本人も事の重大さは覚悟していたんだろうけど、幕府の判決には納得できないままだったのかな。」
    と勝手ながら想いをはせます。





  • ・・・&lt;首洗井戸&gt;・・・<br /><br />事件発生時、吉良上野介の首を洗った井戸とのこと。<br /><br />吉良上野介はお国では領民から慕われていたとのこと。<br /><br />立場や家柄が違うことは致し方ないにしろ、この様な結果になったことが残念でなりません。<br />

    ・・・<首洗井戸>・・・

    事件発生時、吉良上野介の首を洗った井戸とのこと。

    吉良上野介はお国では領民から慕われていたとのこと。

    立場や家柄が違うことは致し方ないにしろ、この様な結果になったことが残念でなりません。

  • ・・・&lt;浅野長矩及び赤穂義士墓所門&gt;・・・<br /><br />「浅野長矩及び赤穂義士墓所門」です。<br /><br />港区の文化財に指定されています。<br /><br />

    ・・・<浅野長矩及び赤穂義士墓所門>・・・

    「浅野長矩及び赤穂義士墓所門」です。

    港区の文化財に指定されています。

  • ・・・&lt;赤穂義士墓所位置及び解説&gt;・・・<br /><br />赤穂義士の墓所に来ました。<br /><br />解説と各人の墓所の場所が示されています。<br />

    ・・・<赤穂義士墓所位置及び解説>・・・

    赤穂義士の墓所に来ました。

    解説と各人の墓所の場所が示されています。

  • イチオシ

  • ・・・&lt;浅野長矩の墓所&gt;・・・<br /><br />先ずは。赤穂浅野家藩主、浅野長矩の墓所を訪ねます。

    ・・・<浅野長矩の墓所>・・・

    先ずは。赤穂浅野家藩主、浅野長矩の墓所を訪ねます。

  • イチオシ

  • ・・・&lt;浅野家のお墓&gt;・・・<br /><br />浅野家のお墓もあります。<br /><br />

    ・・・<浅野家のお墓>・・・

    浅野家のお墓もあります。

  • ・・・&lt;夫人の墓所&gt;・・・<br /><br />浅野長矩の婦人。阿くりの墓所です。<br /><br />「行年41才」とのこと。

    ・・・<夫人の墓所>・・・

    浅野長矩の婦人。阿くりの墓所です。

    「行年41才」とのこと。

  • イチオシ

  • ・・・&lt;大石 良雄(通称/内蔵助)墓所&gt;・・・<br /><br />「大石 良雄(通称/内蔵助)」の墓所です。<br /><br />江戸城・松の廊下の刃傷事件時は赤穂藩筆頭家老の要職にあった人物です。<br /><br />行年45才。

    イチオシ

    ・・・<大石 良雄(通称/内蔵助)墓所>・・・

    「大石 良雄(通称/内蔵助)」の墓所です。

    江戸城・松の廊下の刃傷事件時は赤穂藩筆頭家老の要職にあった人物です。

    行年45才。

  • ・・・&lt;順不同にて&gt;・・・<br /><br />赤穂義士各位の墓所を訪ねます。<br /><br />これより先は順不同にてご容赦を。<br /><br />右;「吉田忠左衛門兼亮」(足軽頭・郡奉行) 行年63才<br /><br />左;「原惣右衛門元辰」 (足軽頭) 行年56才<br />

    ・・・<順不同にて>・・・

    赤穂義士各位の墓所を訪ねます。

    これより先は順不同にてご容赦を。

    右;「吉田忠左衛門兼亮」(足軽頭・郡奉行) 行年63才

    左;「原惣右衛門元辰」 (足軽頭) 行年56才

  • 右;「片岡源五右衛門高房」(側用人・児小姓頭) 行年37才<br /><br />左;「間瀬久太夫正明」(大目付) 行年 63才

    右;「片岡源五右衛門高房」(側用人・児小姓頭) 行年37才

    左;「間瀬久太夫正明」(大目付) 行年 63才

  • 右;「小野寺十内秀和」(京都留守居番) 行年61才<br /><br />左;「間喜兵衛光延」(勝手方吟味役) 行年69才<br /><br />

    右;「小野寺十内秀和」(京都留守居番) 行年61才

    左;「間喜兵衛光延」(勝手方吟味役) 行年69才

  • 右;「礒貝十郎左衛門正久」(物頭・側用人) 行年25才<br /><br />左;「堀部弥兵衛金丸」(前江戸留守居) 行年77才

    右;「礒貝十郎左衛門正久」(物頭・側用人) 行年25才

    左;「堀部弥兵衛金丸」(前江戸留守居) 行年77才

  • 右;「近松勘六行重」(馬廻) 行年34才。<br /><br />左;「富森助右衛門正因」(馬廻・使番) 行年34才。

    右;「近松勘六行重」(馬廻) 行年34才。

    左;「富森助右衛門正因」(馬廻・使番) 行年34才。

  • 右;「村松喜兵衛秀直」(扶持奉行・江戸定府) 行年62才。<br /><br />左;「杉野十平次次房」(札座横目) 行年28才。<br />

    右;「村松喜兵衛秀直」(扶持奉行・江戸定府) 行年62才。

    左;「杉野十平次次房」(札座横目) 行年28才。

  • 右;「勝田新左衛門武尭」(札座横目) 行年24才。<br /><br />左;「前原伊助宗房」(金奉行・中小姓) 行年40才。<br /><br />

    右;「勝田新左衛門武尭」(札座横目) 行年24才。

    左;「前原伊助宗房」(金奉行・中小姓) 行年40才。

  • 「小野寺幸右衛門秀富」(部屋住み) 行年28才。<br /><br />

    「小野寺幸右衛門秀富」(部屋住み) 行年28才。

  • 右;「神崎与五郎則休」(徒目付) 行年38才。<br /><br />左;「三村次郎左衛門包常」(台所奉行・酒奉行) 行年37才。<br />

    右;「神崎与五郎則休」(徒目付) 行年38才。

    左;「三村次郎左衛門包常」(台所奉行・酒奉行) 行年37才。

  • 右;「横川勘平宗利」(徒目付) 行年37才。<br /><br />左;「茅野和助常成」(横目付) 行年37才。

    右;「横川勘平宗利」(徒目付) 行年37才。

    左;「茅野和助常成」(横目付) 行年37才。

  • 右;「間瀬孫九郎正辰」(部屋住み) 行年23才。<br /><br />左;「村松三太夫高直」(部屋住み) 行年27才。<br /><br />

    右;「間瀬孫九郎正辰」(部屋住み) 行年23才。

    左;「村松三太夫高直」(部屋住み) 行年27才。

  • 右;「矢頭右衛門七教兼」(部屋住み(譜代)) 行年18才。<br /><br />左;「奥田貞右衛門行高」(部屋住み) 行年26才。<br />

    右;「矢頭右衛門七教兼」(部屋住み(譜代)) 行年18才。

    左;「奥田貞右衛門行高」(部屋住み) 行年26才。

  • 右;「間十次郎光興」(部屋住み) 行年26才。<br />・この人物が吉良上野介に一番槍をつけて首級をあげたとのこと。<br /><br />左;「寺坂吉右衛門信行」(吉田兼亮の足軽)<br />・唯一の足軽で、討ち入り時は38才でしたが、討ち入り後に一行から離れ、江戸にて死去したとのこと。享年83才。<br />

    右;「間十次郎光興」(部屋住み) 行年26才。
    ・この人物が吉良上野介に一番槍をつけて首級をあげたとのこと。

    左;「寺坂吉右衛門信行」(吉田兼亮の足軽)
    ・唯一の足軽で、討ち入り時は38才でしたが、討ち入り後に一行から離れ、江戸にて死去したとのこと。享年83才。

  • 右;「大石瀬左衛門信清」(馬廻) 行年27才。<br /><br />左;「矢田五郎右衛門助武」(馬廻・江戸定府) 行年29才。<br /><br />

    右;「大石瀬左衛門信清」(馬廻) 行年27才。

    左;「矢田五郎右衛門助武」(馬廻・江戸定府) 行年29才。

  • 右;「奥田孫太夫重盛」(武具奉行・江戸定府) 行年57才。<br /><br />左;「赤埴源蔵重賢」(馬廻) 行年35才。<br />

    右;「奥田孫太夫重盛」(武具奉行・江戸定府) 行年57才。

    左;「赤埴源蔵重賢」(馬廻) 行年35才。

  • 右;「早水藤左衛門満尭」(馬廻)  行年40才。<br /><br />左;「潮田又之丞高教」(郡奉行、絵図奉行) 行年35才。

    右;「早水藤左衛門満尭」(馬廻) 行年40才。

    左;「潮田又之丞高教」(郡奉行、絵図奉行) 行年35才。

  • 右;「岡嶋八十右衛門常樹」(札座勘定奉行) 行年38才。<br /><br />左;「吉田沢右衛門兼貞」(部屋住み) 行年29才。<br />

    右;「岡嶋八十右衛門常樹」(札座勘定奉行) 行年38才。

    左;「吉田沢右衛門兼貞」(部屋住み) 行年29才。

  • 右;「武林唯七隆重」(馬廻) 行年32才。<br /><br />左;「倉橋伝助武幸」(扶持奉行・中小姓) 行年34才。<br />

    右;「武林唯七隆重」(馬廻) 行年32才。

    左;「倉橋伝助武幸」(扶持奉行・中小姓) 行年34才。

  • 「間新六郎光風」(間光延の次男) 行年24才。<br /><br />・養子に出されたが養父と折り合いが悪く江戸に出て浪人になっていた。願い出て義盟に加えられたとのこと。<br /><br />

    「間新六郎光風」(間光延の次男) 行年24才。

    ・養子に出されたが養父と折り合いが悪く江戸に出て浪人になっていた。願い出て義盟に加えられたとのこと。

  • ・・・&lt;大石主税&gt;・・・<br /><br />部屋住み。 行年16才。<br /><br />赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助の長男です。<br /><br />最年少同志となります。

    ・・・<大石主税>・・・

    部屋住み。 行年16才。

    赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助の長男です。

    最年少同志となります。

  • 右;「堀部弥兵衛金丸」(前江戸留守居) 行年34才。<br /><br />左;「中村勘助正辰」(書物役) 行年46才。

    右;「堀部弥兵衛金丸」(前江戸留守居) 行年34才。

    左;「中村勘助正辰」(書物役) 行年46才。

  • 右;「菅谷半之丞政利」(馬廻・郡代) 行年44才。<br /><br />左;「不破数右衛門正種」(元馬廻・浜奉行) 行年34才。<br />

    右;「菅谷半之丞政利」(馬廻・郡代) 行年44才。

    左;「不破数右衛門正種」(元馬廻・浜奉行) 行年34才。

  • 右;「木村岡右衛門貞行」(馬廻・絵図奉行) 行年46才。<br /><br />左;「千馬三郎兵衛光忠」(馬廻) 行年51才。<br />

    右;「木村岡右衛門貞行」(馬廻・絵図奉行) 行年46才。

    左;「千馬三郎兵衛光忠」(馬廻) 行年51才。

  • 右;「岡野金右衛門包秀」(部屋住み) 行年24才。<br /><br />左;「貝賀弥左衛門友信」(中小姓・蔵奉行) 行年54才。<br />

    右;「岡野金右衛門包秀」(部屋住み) 行年24才。

    左;「貝賀弥左衛門友信」(中小姓・蔵奉行) 行年54才。

  • 右;「大高源五忠雄」(金奉行・膳番元方・腰物方) 行年32才。<br /><br />左;「萱野三平重実」(中小姓近習) 行年28才。<br />・刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした人物です。<br />義盟に加わるが、家族から再仕官を勧められ、板ばさみになり自害してしまいました。<br /><br />年末ごろのNHK系の番組でも取り上げられていました。

    右;「大高源五忠雄」(金奉行・膳番元方・腰物方) 行年32才。

    左;「萱野三平重実」(中小姓近習) 行年28才。
    ・刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした人物です。
    義盟に加わるが、家族から再仕官を勧められ、板ばさみになり自害してしまいました。

    年末ごろのNHK系の番組でも取り上げられていました。

  • ・・・&lt;赤穂義士記念館&gt;・・・<br /><br />「赤穂義士記念館」です。<br /><br /><br />&lt;入館料金&gt;;<br />◯大人¥500− ◯中・高生¥400− ◯小学生¥250−<br /><br />館内は撮影禁止です。<br />

    ・・・<赤穂義士記念館>・・・

    「赤穂義士記念館」です。


    <入館料金>;
    ◯大人¥500− ◯中・高生¥400− ◯小学生¥250−

    館内は撮影禁止です。

  • ・・・&lt;御朱印&gt;・・・<br /><br />御朱印をいただきました。<br /><br />境内を離れると大勢の人が泉岳寺を目指して登ってきます。<br />どうやら駅伝も通過して見学の観衆が上がってきたようです。<br /><br />今更ですが?<br />「もし、浅野内匠頭が刃傷事件を起こさなければ。」<br />「もし、幕府が時間をかけて詳細を捜査されていたら。」<br />「もし、捜査の上平等な判決が出ていたら。」<br />浅野家・吉良家・赤穂義士をはじめとする多くの人たちの人生が変わっていたかも。<br />と、勝手ながら想いにふけながら「烏森神社」へ移動します。<br /><br /><br />※[奥方と行く東京都内御朱印巡りの旅。〜烏森神社&amp;日比谷神社編〜]に続きます。<br /><br />ここまでのお付き合いありがとうございます。<br /><br /><br />

    イチオシ

    ・・・<御朱印>・・・

    御朱印をいただきました。

    境内を離れると大勢の人が泉岳寺を目指して登ってきます。
    どうやら駅伝も通過して見学の観衆が上がってきたようです。

    今更ですが?
    「もし、浅野内匠頭が刃傷事件を起こさなければ。」
    「もし、幕府が時間をかけて詳細を捜査されていたら。」
    「もし、捜査の上平等な判決が出ていたら。」
    浅野家・吉良家・赤穂義士をはじめとする多くの人たちの人生が変わっていたかも。
    と、勝手ながら想いにふけながら「烏森神社」へ移動します。


    ※[奥方と行く東京都内御朱印巡りの旅。〜烏森神社&日比谷神社編〜]に続きます。

    ここまでのお付き合いありがとうございます。


    泉岳寺 寺・神社・教会

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