2014/12/07 - 2014/12/13
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1.カレル橋の欄干の像を片っ端から見ます。
2.ユダヤ人地区のシナゴーグめぐりをします(中は撮影禁止でしたので、写真は外見だけです)。
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2014年12月8日(月)
天気予報によると、今日は雨のち曇り。相変わらずどんよりとした空です。天気がよくないときは博物館でも行こうと思っていたのですが、ホテル近くの博物館が改装工事中で閉まっていたようなので、あてもなく旧市街広場に来てみました。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.087678,14.421481&spn=0.003191,0.008256&t=m&z=18 -
広場の旧市庁舎より西の奥にある小広場に面した建物
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ガイドブックの欄外の口コミでおすすめになっていた両替所に行って、両替をしました。1万円が1850コルナくらいになりました。空港で1400コルナくらいにしかならなかったことを思えば確かにレートはいいようです。
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まっすぐ歩いていくと、右手にマイゼルシナゴーグがありました。この際だから、シナゴーグめぐりでもしようかと考え、
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今度はスペインシナゴーグに来てみました。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.090393,14.421197&spn=0.001602,0.004128&t=m&z=19 -
傍らにはカフカのユニークな像があります。
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スペインシナゴーグの正面のように見えるファサードは、大通りから見て側面にあります。縦方向でないと、左手の建物が写りこんでしまいます。
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ユダヤ人地区のパリ通りのあたり。ここで向こうを眺めると、青空が広がっていることに気づきました。
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ピンカスシナゴーグ
いよいよ青空です。天気の移り変わりが早まったのかもしれません。晴れたらカレル橋とプラハ城に行こうと決めていました。ここから急きょ、カレル橋に行ってみます。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.08922,14.417163&spn=0.001602,0.004128&t=m&z=19 -
ルドルフィヌム(芸術家の家 Rudolfinum)が見えます。ルネサンス様式の建物です。この建物にはドヴォジャークホールがあって、毎年5月12日から開かれる「プラハの春」国際音楽祭のメイン会場になっています。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.089829,14.415404&spn=0.003204,0.008256&t=m&z=18 -
この辺りで、クリスマスコンサートの宣伝をもらいました。プラハでは、ルドルフィヌムをはじめ、いろいろな建物で毎日コンサートが開かれていて、ときどきこのような宣伝をもらいます。わたしはクラシック音楽ファンですが正装はしたくないし、インターネット上の無料の音楽で十分だというタイプです。こうしたたぐいのコンサートは正装の必要はありませんが、結構高いです。時々路上で演奏しているのを無料で聞けるので、必要性も感じていませんでしたが、せっかくこういう場所に来たので、後日別の場所でコンサートを聞いてみました。
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正面から眺めたルドルフィヌム
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サイレンを鳴らして通り過ぎる車がありました。形からして救急車だと思いますが、ランプが青く、サイレンもパトカーのようで、何か書いてありますがチェコ語は読めないので、よくわかりません。
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カレル橋の手前まで来ました。左手の旧市街広場の方から歩いてくると、正面の建物手前の信号を横断して、右手のカレル橋に向かうことになります。向こうに行く車とこちら側に来る車は(路面電車も含めて)違うトンネルを通ります。右のトンネルの右には四角いアーケードの入口があって、人はここを通ります。アーケードの中では、両替屋などの呼び込みにあいます。やや狭いですが、車道トンネルの歩道を歩いて向こうに行くことも可能です。
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橋塔が立っています。昨日も来ましたが、やはり、背景が青い方が気持ちがいいです。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.086129,14.414256&spn=0.001602,0.004128&t=m&z=19 -
この塔にはいくつかの像が貼りついています。この時よく見なかったので、上の写真を無理やり拡大してみました。2階の部分にあたるところには、2人の像が並んでいます。これは、チェコの守護聖人であるSt.AdalbertとSt.Sigmundです。人名などの横文字は英語名で、チェコでの呼び名と必ずしも一致しません。
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1階部分にあたるところには、3人の像が並んでいます。中央が守護聖人のSt.Vitusで、左手がCharlesIV(カレル4世)、右手がWenceslasIV(ヴァーツラフ4世)です。像の間には紋章があります。右手は、ボヘミアのライオンが描かれています。左手は、雌のイーグルを紋章にした帝国のもののようです。
人の通るアーチの上の部分にも、この2つを含む10個の地域の紋章が並んでいます。 -
カレル4世像
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カレル橋にさしかかりました。いい天気になりました。プラハ城が見えます。この後プラハ城に行きたいと思います。でもその前に、せっかくですから青空をバックに、一つ一つ像の写真を撮りたいと思います。
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左手の一つ目の像。太陽が左手前にあって、逆光を防ぐためにこの角度で撮るしかなかったのですが、この通り真っ黒です。
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そこで、青空を犠牲にして画像編集したのがこれ。こういう角度で撮ったので2つの像が目立ってしまいますが、主役は右側です。これは聖イヴォ(SaintIvo)です。1253年にBrittany(フランスの地方)のKermartinの領主の息子として生まれ、法律、神学、哲学をパリとオルレアンで学びました。「貧しい人々の擁護者」として知られます。1284年に聖職者となり、貧しい人たちや病気の人たちのために身を捧げました。50歳のときに、自ら築いた病院で亡くなりました。
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左手の2つ目の像。こちらは2人しか写っていませんが、主役は3人でした。予習もせずに写真を撮ると、結局こんなものです。右手(本来中央)は聖バルバラ(Saint Barbara)、左手は聖マルガリータ(Saint Margaret)で、写っていない右手は聖エリザベート(Saint Elisabeth)です。バルバラはキリスト教が禁じられていた3世紀にNicomedia(現在トルコのイズミット)の裕福な家庭に生まれ、求婚者やキリスト教徒から遠ざけるために父により塔に幽閉されました。彼女はキリスト教の洗礼を受けて父から逃れました。途中で目の前の岩が避け、逃げのびました(この逸話から、鉱山で働く人の守護聖人とされています)。でもとうとう見つかってしまい、父に殺害されてしまいますが、この父はその後稲妻で感電死してしまいます。聖マルガリータという人は何人もいますが、これはアンティオキア(現在のトルコのアンタルヤ近郊)のマルガリータです。Olybriusという地方高官からキリスト教の信仰放棄と引き換えに求婚されましたがこれを拒んだため、拷問を受けましたが、そのとき奇跡が起きたとされています。聖エリザベートはハンガリー王女で、ルートヴィヒ4世と結婚し、その後修道女になった人です。
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ここで息抜きのため左手を眺めます。あまりいい天気とは言えません。回復してくれることを祈ります。
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3つ目の像はピエタ像(Pieta)です。ピエタとは、亡くなって十字架から下ろされたキリストを聖母マリアが抱く場面です。キリストは下に横たわっていて、中央に立っているのは福音記者ヨハネ(St. John the Evangelist)、左側が聖母マリア(Virgin Mary)、右手がマグダラのマリア(St. Mary Magdalene)です。以前の十字架像は洪水で度々流されてしまい、これは1859年Maxという人が作ったものだそうです。カレル橋のこの場所は「水の裁判」の場所でもあったそうです。自白をしない被告を縛ってこの位置からモルダウ川に落とし、生き延びたら無実ということになったそうです。
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4つ目の像は聖ヨゼフ(Saint Joseph)です。マリアの夫でイエスの養父です。大工さんだったといわれています。一緒にいるのはイエスでしょうか。イエスが生まれた後、ヘロデ大王に狙われるのを避けるため、天使の忠告に従い、家族を連れてエジプトに避難し、ヘロデ大王の死後戻ってきて、ガラリアのナザレで暮らしました。多くの国で守護聖人になっています。また、結婚や家族、労働者、大工、家具職人の守護聖人でもあります。
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5つ目の像は聖フランシスコ・ザビエル(Saint Francis Xavier)です。日本にキリスト教を伝えた人として有名です。スペインのバスク地方の地方貴族の家に生まれ、パリ大学に留学した後聖職者を志し、ポルトガル王ジョアン3世の依頼で、イエズス会のメンバーとしてインドに渡り、その後マレーシアや日本にも渡って宣教活動を行い、多くの人をキリスト教に導きました。その後、中国に行く途中で病に倒れ、36歳で亡くなりました。
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見やすいように上の部分を拡大しました。
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下の部分も拡大しました。ザビエルが宣教活動を行ったアジアの人々が、担いでいます。上の写真のザビエルの横の人も、アジア系の人のようです。
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6つ目の像は聖クリストフォロス(Saint Christopher)です。もともとReprobus1という名前のローマ人で、キリスト教に改宗しました。隠者に指導を仰ぐと、人々に奉仕するため、川を渡る人を助けることを提案され、そのようにしていると、ある日小さな子が川を渡りたいというので担いで渡っていると、その子がどんどん重くなっていったので尋ねると、全世界の罪を背負っているキリストだから重いのだと告げられ、その後洗礼を受けるとともに、「キリストを担ぐ」という意味のクリストフォロスの名前をもらいました。キリスト教の信仰のため捕えられ、首をはねられてしまいました。旅行者や輸送の守護聖人です。
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7つ目の像はメンテナンス中です。本来は聖ボルジャ・フランシスコ(Saint Francis Borgia)の像があります。イエズス会の聖職者で地震の守護聖人です。像がないから、何ともいえないですね。
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8つ目の像は聖ルドミラ(Saint Ludmila)と聖ヴァーツラフ(Saint Wenceslas)です。聖ルドミラは、ヴァーツラフ広場に騎馬像のある聖ヴァーツラフ(ヴァーツラフ1世)の祖母です。夫とともに871年にキリスト教に改宗し、夫はキリスト教徒となった最初のボヘミア王となりました。孫の聖ヴァーツラフをキリスト教徒として育てました。
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9つ目の像は熾天使に守られた聖フランチェスコ(Saint Francis Seraph)です。アッシジのフランチェスコとも呼ばれます。裕福な商人の家に生まれましたが、その後修道士となりました。フランシスコ会を創設した人です。熾天使(してんし)は、9つの階級の中で最高位の天使のことです。
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10個目はメンテナンス中ですが、聖ウィンケンティウス・フェレリウスとプロコプ(Saint Vincent Ferrer and Prokop)です。ウィンケンティウスはスペインのドミニコ会士です。プロコプはボヘミア生まれで、サーサヴァ修道院を設立しました。
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11個目はトレンティーノの聖ニコラス(Saint Nicholas of Tolentino)です。北イタリアのサンタンジェロで生まれ、両親は生まれる前から彼を神に捧げました。聖職者となり、奇跡を起こしたり病人を治したりしました。その後Tolentinoに住み、亡くなるまで人々を救いました。
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12個目は聖ルトガルティス(Saint Luitgarda)とキリストです。聖ルトガルティスは1182年にベルギーのトンヘレン(Tongeren)に生まれ、1246年に亡くなった女の人です。出産を助け、安産をもたらす聖人とされています。この像は、傷口に口づけしようとする彼女のために十字架のキリストが身をかがめている場面で、橋の上で一番美しい像とされているそうです。でも、この角度では何のことやらよくわかりませんね。
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13個目は聖ヴォイチェフ=アダルベルト(Saint Adalbert)です。956年頃、中央ボヘミアの村でSlavnik公という裕福な貴族の息子として生まれました。その後、先生の名前をもらってアダルベルトと改名し、清貧の生活を送ってボヘミアで宣教活動を続けました。ポーランド北東部のプルーセンで宣教活動をする際、捕えられ、殺害されてしまいました。チェコの守護聖人とされてきました。
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14個目はマタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックスおよび聖イワン像(Saints John of Matha, Felix of Valois and Ivan)です。マタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックスは、第3次十字軍遠征中の1198年に、三位一体会を創設し、モロッコで捕えられていたキリスト教徒を救出しました。聖イワンは、伝説的なチェコ最初の隠者で、ハンガリーからボヘミアにやってきたそうです。
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上の左側がマタの聖ヨハネで右側は聖イワンです。シカの頭には金の十字架があります。
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その下側です。上にいるのがヴァロフの聖フェリックスです。手前左側にいるのはトルコ人で、かろうじて右下にイヌが写っています。
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そして檻の中にキリスト教徒たちがいます。そういうわけでこの像は、犬を連れたトルコ人が檻の中のキリスト教徒を見張り、その上に聖イワンと三位一体会創設者の2人が立っているということを表しています。でも、横から眺めたので、何のことかよくわかりませんね。
この像は絶対、正面から写真を撮っておくべきでした。 -
15個目、つまりマラー・ストラナに一番近い像は聖ヴァーツラフ(Saint Wenceslas)です。ヴァーツラフ1世(907-935)のことで、チェコの守護聖人です。ヴァーツラフ広場の国立博物館に近いところに騎馬像があります。ボヘミアをキリスト教化することに努めましたが、それをよしとしない勢力が弟ボレスラフを立ててクーデターを起こし、殺害されてしまいました。チェコの民族の英雄とされていて、チェコが危機に陥ったときは眠れる彼の騎士を呼び起こして外敵を打ち破ってくれると考えられています。命日の9月28日はチェコ国家の日として祝日になっています。
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マラー・ストラナ側の橋塔が目の前にあります。いい天気です。さて、左半分をすべて見ました。このままプラハ城に行きたいところですが、ここでUターンして、また左側の像を手前(マラー・ストラナ側)から順に見ていきます。
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一つ目は救世主と双子の聖コスマスとダミアヌス(Saints Cosmos and Damian)です。真ん中がキリストで、左側が聖コスマス、右側が聖ダミアヌスです。双子の医者で、患者を治しながらキリスト教のゴスペルを伝えました。ローマ総督が捕えて火であぶったり石を投げたりしましたがびくともせず、最終的に首をはねられてしまいました。医療従事者や患者の守護聖人となりました。
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二つ目は聖ヴィート=ヴィトゥス(Saint Vitus)です。イタリア南部の非キリスト教徒の支配者の息子として生まれましたが、キリスト教徒である里親とその妻に育てられました。彼らはローマで捕えられ、ディオクレティアヌス帝に死刑判決を言い渡されて、煮えたぎる油の中に入れられたり、ライオンたちの中に放り込まれたりしましたが無傷でした。最終的に首をはねられてしまいました。像の台座には、ライオンやヘビが岩から現れている様子が表現されています。
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三つ目は聖ペニート=フィリッホ(St. Philip Benizi)です。1233年にフィレンツェで生まれ、医学と哲学を学んだ後、Servites修道会に入り、その修道会総長になりました。病気の人や困った人々を救い、北イタリアの宗教紛争では平和交渉にあたりました。教皇の候補だったのですが、1285年に亡くなりました。
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4つ目は聖カイェタヌス(Saint Cajetan)(1480-1547)です。Vicenza(イタリア北部)で生まれ、教会の再建に努め、貧しい人や病気の人を救いました。後に教皇Paul4世となるG.Caraffaとともに、テアティノ(Theatine-Cajetan)修道会を創設しました。聖なる燃えさかる心臓を掲げています。
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5つ目は聖アウグスティヌス(Saint Augustine)です。北アフリカの今のアルジェリアで生まれました。若い時は怠惰な生活を送っていましたがキリスト教に改宗し、聖職者になり、教会文書作成者になりました。やはり右手に燃え盛る聖なる心臓を持っています。
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6つ目は聖タダイのユダ(Saint Jude Thaddeus)です。新約聖書に現れるキリストの使徒の一人です。キリストを裏切ったイスカリオテのユダとは別人です。シリア、アルメニア、メソポタミアにキリスト教を広めましたが、ペルシャで殉教しました。
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7つ目はパドゥアの聖アントニウス(Saint Anthony of Padua)(1195-1231)です。ポルトガルのリスボン出身で、イタリア、南フランス、モロッコに修道院を建てました。
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8つ目は聖ヤン・ネポムツキー(Saint John of Nepomuk)で、一番最初に建てられた像です。ネポムクのヨハネという14世紀のボヘミアの司祭で、当時のボヘミア王ヴァーツラフ4世から拷問を受けて瀕死の状態で、カレル橋のこのあたりから投げ捨てられてしまったそうです。遺体はモルダウ川の岸で発見されました。殉教の理由には諸説あるようですが、ボヘミア王とカトリック教会の対立が背景にあったようです。18世紀の調査で、舌(たぶん拷問時に切り取られた舌)が腐らないで残っていたとして奇跡と認められ、聖人に加えられたそうです。5つ星と棕櫚の枝がトレードマークです。
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レリーフに触れると幸運が訪れるという言い伝えがあって、たくさんの人が順番待ちをして触っています。そのため、ピカピカに輝いています。左側は、王妃が聖ヤン・ネポムツキーに告解(キリスト教で、罪を許してもらうため秘密を告白すること)をしている場面のレリーフです。王妃に不貞の疑いを抱いた王が、告解の内容を王に明かすよう脅しましたがヤン・ネポムツキーがこれを拒んだのが殉教の理由だという説もあります。右側は、聖ヤン・ネポムツキーが橋から投げ落とされているところを表しています。以前の旅行記「2014年12月プラハ(03)」で2つのレリーフを大きめに写しました。
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9つ目は聖ノルベルト、ヴァーツラフ、ジギスムント(Saint Norbert, Wenceslas and Sigmund)です。真ん中が聖ノルベルト、左手が聖ヴァーツラフ、右手が聖シギスムントです。ノルベルトはドイツのXantenの貴族の息子で、33歳のときに雷に撃たれて突然キリスト教に改宗し、Premonstratensian修道会を設立し、Magdeburg大司教となりました。シギスムントはブルグントの王で、2番目の妻に騙されて息子を殺害してしまいますが、その後真実を知って誤りに気づき、懺悔の苦行をしました。フランク軍に敗れ、家族とともに井戸に投げ込まれてしまいました。聖ヴァーツラフについては他の像のところでふれましたので省略。
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10個目は洗礼者聖ヨハネ(Saint Jphn the Baptist)です。ヨルダン川でイエスを洗礼した人です。当時の領主ヘロデ・アンティパスが異母兄の妻ヘロディアを妻としたことを批判したため捕えられました。ヘロデはヨハネを預言者と崇める群衆を恐れて彼を殺害できずにいましたが、ヘロデの誕生日に嬉しくなって「何でもかなえてやる」と娘に言ったところ、母親にそそのかされた娘が「ヨハネの首をほしい」と言ったため、ヨハネを殺害してしまいました。
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11個目は聖キリルと聖メトディウス(Saint Cyril and Methodius)で、左手がキリル、右手がメトディウスです。ギリシャのテッサロニキ出身の兄弟で、皇帝の外交使節として、地方を布教して回りました。
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12個目は聖アンナ(Saint Anne)、聖母とみどり児像です。聖アンナは聖母マリアの母親(イエスの祖母)です。夫ヨアヒムとの間に20年も子供が生まれませんでしたが、ついにマリアが誕生しました。現地で買った本によると、赤ん坊を抱えている背の高い方が聖アンナで、左手が聖母マリアらしいです。
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13個目はブロンズの十字架像(Calvary)です。キリストの両腕の下の丸くなったところにヘブライ語の碑銘があるのが特徴です。「群集たちの聖なる、聖なる、聖なる神」と書かれているそうです。左手には聖母マリア、右手には聖ヨハネの像があります。もともとここには橋ができた頃から、十字架があったそうですが壊れてしまい、その後新たな十字架や像を経て、現在のこの像になっているようです。
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14個目は聖母と聖ドミニクス、トマス・アクィナス(Saint Dominic, the Virgin Mary and Saint Thomas Aquinas)です。真ん中が聖母マリア、左が聖ドミニクス、右がトマス・アクィナスです。ドミニクスはドミニコ会を創設したスペインの律修司祭です。トマス・アクィナスは「神学大全」で知られるイタリアのスコラ哲学者です。
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15個目、つまり旧市街側に一番近い像は聖母と聖ベルナルドス(Saint Bernard)です。中央に聖母マリアがいて、左手は十字架や釘など、イエスの受難に関するさまざまな道具があって、右手はひざまずく聖ベルナルドスです。ベルナルドスはフランスのディジョン近郊の貴族の家に生まれました。シトー修道会に入り、その後Clairvauxに独自の会を設立しました。
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旧市街側の橋塔まで戻りました。これで欄干の像を一通り見ました。
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ここに来て、雲行きが怪しくなってきました。天気予報によれば明日から晴れるということでしたので、プラハ城はお預けとします。(この決断が失敗でした)
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カレル橋を再度見て
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戻ります。
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さて、ところ変わって、ピンカスシナゴーグに戻ってきました。今日はやはり、シナゴーグめぐりをして過ごそうと思います。
プラハには、ユダヤ人地区というところがあります。旧市街広場からも近いいい場所ですが、かつて迫害されていたユダヤ人が、ゲットーと呼ばれるこの地域にだけ住むことを許されたのがはじまりです。ナチスドイツの時代には、各国のユダヤ人が強制収容所に送られる際の中継地点となったようです。今はユダヤ人の人たちはあまり住んでいないようですが、当時のシナゴーグが残され、一部がユダヤ人の博物館として一般に公開されています。 -
ここは、プラハで2番目に古いシナゴーグだそうです。
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大勢の観光客が並んでいます。時間も十分にあるので、並びます。
するとここで、やや年輩の女性が「これはチケットを買うための列ですか、それとも入るための列ですか」と聞いてきました。「あれ、他にも列があるんですか」と言うと、「ほら、あそこにも」と指差したので見ると、たしかに少し列があります。「あれ、どうなんでしょう」と言うと「見てくるから場所を確保しておいて」と言って見に行き、しばらくして戻ってくると、「向こうの本屋さんで売っているらしいから、行きましょう」と言うので、 -
言われるがままついていくと、
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確かにここの本屋さんでチケットが手に入りました。お客さんが誰もいなかったので簡単に手に入りました。
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旧新シナゴーグを含めたものと含めないものとで、2種類の共通券がありました。店の人が、「旧新シナゴーグは大したことがないよ」と言いましたが、せっかくですからそれも含めたものを買いました。480コルナでした。
女性はノルウェー人のようです。昼食を食べてからシナゴーグめぐりをするということで、立ち去っていきました。おかげで並んでチケットを買う時間が省けました。ありがとうございました。 -
ピンカスシナゴーグから見学を始めました。あいにくシナゴーグ内はどこも撮影禁止です。ピンカスシナゴーグでは、ナチスの犠牲者の名前が壁一面に書かれているのが印象的でした。名字のアルファベット順になっているようです。当時の子供たちが描いた絵や文字、子供たちの写真も展示されていました。シナゴーグの内部構造についての説明を一番期待していたのでしたが、そういった説明は一切ありませんでした。これはどこのシナゴーグでも一緒でした。
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ピンカスシナゴーグの建物を出て中庭(というのでしょうか)に戻ると、シナゴーグの入口とは別に、先に進む通路があって、進んでいくと旧ユダヤ人墓地に出ました。ここは写真撮影してもいいようです。
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反時計回りに一周します。墓石があちこちの方向を向いています。苔むしたものもあります。イタリア人のツアーが来ていたので、ほとんど理解できないながらも、ガイドさんのイタリア語の解説を少し盗み聞きしました。
思っていたより広い場所に、ぎっしり墓石が並んでいました。現地で買った英語のガイドブックに、いくつかの墓が誰のものか解説されていました。でも、そういった観点で見ていなかったので、ただ一周しただけで終わってしまいました。 -
墓地を一周した後、ピンカスシナゴーグとは全く違うところに出ました。墓地を出てそのままの向きで左手を見ると、墓地の出口のすぐ左に階段があって観光客が次々に上っていきます。
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それはこの儀式の家でした。遺体置き場になっていた場所だそうです。共通チケットを使って入りました。ユダヤ人の文化についての展示がありました。例えば、墓碑や慈善箱、ミシュナーの書かれた板、櫛、ヘブライ文字の書かれた皿、スプーン、ナイフなどがありました。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.090048,14.417077&spn=0.001602,0.004128&t=m&z=19 -
今度は、左手のクラウセンシナゴーグに行ってみました。やはり共通券で入れます。ユダヤ人の宗教儀礼などについて展示されています。例えば、メノラーやハヌカーのランプ、テフィリンのかばん、トーラーの巻物、マントルや盾、冠などがありました。キッチンの展示もありました。
この写真で正面右に少し見えるのが儀式の家で、左手のクラウセンシナゴーグとの間に、ユダヤ人墓地の出口があります。 -
ここには露店が並んでいます。
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露店の軒には枯葉が積もっています。
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ここはユダヤ人地区だけあって、旧市街広場の露店とはちょっと違うものを売っています。
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これはゴーレムです。ユダヤ教の伝承に出てくる泥人形のようです。
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ユダヤの燭台も売っています。7枝のものをメノラーといい、8枝や9枝のものをハヌッキヤーというようです。メノラーは、モーセによる出エジプトのとき荒野で建てた会見の幕屋にあり、ソロモン王が建てたエルサレムの神殿にもあったと伝えられているそうです。
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ダビデの星が描かれていますが、これは何かな。
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こんな感じのものも売っていました。
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振り返ると、こんな感じです。
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今度は、旧新シナゴーグに行ってみました。屋根の形が特徴的です。1270年頃に建てられたヨーロッパで一番古いシナゴーグだそうです。昔は新しかったので新シナゴーグと呼ばれていましたが、のちに次々新しいシナゴーグができたので、このような名前で呼ばれているそうです。
※周辺の地図
https://maps.google.com/maps?ll=50.090117,14.418692&spn=0.001602,0.004128&t=m&z=19 -
少し斜めから見ます。
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入口です。ここも内部は撮影禁止です。本屋さんが言っていたように、たしかに博物館のような展示は一切ありませんでした。構造物についての解説も一切なく、儀式をやりそうな部屋の周囲に椅子が並んでいたので、座ってしばらく休みました。
資料や現地で買った英語のガイドブックなどを頼りに思い出しながら少し書きます。メインホールの真ん中には、Bimah(またはAlmemar)とよばれる、読書台付きの講壇があり、フェンスようなものに囲まれて、周りより高くなっています。そこの上方には、プラハのユダヤ人コミュニティの象徴である1716年からの旗が掲げられています。エルサレムに面している東側の壁は、シナゴーグで最も神聖な場所で、そこが祭壇のように豪華になっていて、トーラー(ユダヤ教の教え)の巻物が、ここのカーテンの後ろ側の「ひつ(Holy ark)」の中におさめられているようです。メインホールの南側には、細長い前期バロック様式の控えの間があって、入口もこの部分にあります。 -
このシナゴーグでは帽子の着用が義務付けられています。入口でこのような帽子を渡してもらえますから、心配には及びません。
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ちゃんと簡単な資料をくれます。
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横から見た新旧シナゴーグ
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スペインシナゴーグに再び来ました。この外観がスペインのアルハンブラ宮殿似ているため、このように呼ばれるそうです。
中はやはり博物館ということで、ユダヤ人についての展示一色でした。チェコの有名人についての展示が印象的でした。 -
ファサードには、十戒を表したアラベスクのパネルがあります。
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先ほどのカフカの像を横から眺めてみました。
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スペインシナゴーグの横のあたりの教会
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マイゼルシナゴーグも共通券に含まれていましたが、改装工事中のようでした。たくさんのシナゴーグをめぐって、時間をかけて、博物館のような展示を一通り見ました。
ところどころに青空がありました。博物館の展示は参考になりましたが、翌日からの天気を後で考えると、このような天気のときに屋内で時間をつぶしてしまったのは勿体ないことでした。
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