2014/11/01 - 2014/11/12
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ペコリーノさん
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11月6日(木)
ライプツィヒに到着した私が一番先に向かったのが「ニコライ教会」です。ライプツィヒで起きた月曜デモの歴史を調べてみたいと思ったのです。
けれど、ライプツィヒの街はそれだけでなく、美しい建物が建ち並びます。
ニコライ教会の「平和の祈り」→月曜デモの歴史の説明パネルはドイツ語のみで、おまけに私の写真も不鮮明なため簡単な訳しかついていません、すいません。これでも辞書を片手に頑張って見たのですが、日本語をどのようにつけるか等は一般的に知られている言葉が良いと思い、関連のネット情報を調べてそこで使われている表現を使いました。
展示されている資料の説明もあったら良いんですけどね。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ライプツィヒの駅を出たところ。前はトラム乗り場になっています。
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このトラム乗り場を超えていくとニコライ教会等がある、市街地です。
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駅に近いところはタクシー乗り場。
ここで、私は気づかなかったのです。バス乗り場が無いことに。
これが後で大変なことになるのですが、私はバスに乗る気もないし興味もなかったので、この時は大した問題ではありませんでした。 -
ヨーロッパ最大級といわれるライプツィヒ駅の左半分。
行き止まり式の駅で、鉄道のプラットホームが全て1フロアなので、面積が広いのだと思います。 -
そして右半分。大きいです。
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駅前のカラフルなビル。
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ニコライ通りを歩いていきます。
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すてきな建物ですね。プラハの街並みを思い出します。
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お!鹿?
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なかなかこちらも凝ったビル。
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ライプツィヒの街並、なかなか侮れませんぞ。
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ここは石専門かな。お菓子じゃありません。
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ニコライ教会の説明が書いてあります。
トーマス教会と並んでライプツィヒ最古の教会です。
トーマス教会の音楽隊として、バッハがここで演奏しました。
1790年に内装がネオゴシック様式に変わりました。
1862年に作られたオルガンは教会の中にあるオルガンとしては、ザクセン州最大である。
と、ざっとこんなことが書かれてるのではないかと… -
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こちらにもバッハの胸像があります。
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ネオゴシック様式ですか。
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教会にあるオルガンでは、ザクセン州最大と言われる教会のオルガン。
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ここのパネルに「月曜デモ」の歴史が説明されています。
「Friedensgebet」を平和の祈りと訳させていただきます。
1.平和の祈りの始まりから現代へ -
2. 東ドイツの中の教会と、自由組織
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3. 平和組織?への成り立ち。剣から鋤(すき)若しくは鍬へ
意訳して、「戦いから労働へ」 -
4. 毎週の平和の祈りの始まり
これは、1978年〜1981年にドレスデンで運動が始まりました。
ニコライ教会で1982年9月に、平和の祈りの後に市内をデモ行進したことが「月曜デモ」の始まりとなります。 -
5. 1984年、ターニングポイント
すいません、内容を説明出来なくて。 -
6. グループ創立の基礎
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7. ニコライ教会は「すべての人に扉を開く」
自由デモと出国許可
ニコライ教会は「すべての人に扉を開く」と言う言葉が掲げられると、自由な発言を求める反体制派のグループも集まるようになった。 -
8. 抑圧下の自由デモ
自由デモは政府によって圧力をかけられますが、それでも続いていきます。 -
9. 国家権力が神経質になった
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10. ピックアップ(?)
1989年9月4日に始まった「月曜デモ」は、9月25日には8000人が参加し、10月2日には25000人が街に溢れた。 -
11. 1989年10月9日、決着の日
1989年10月9日、30万人の規模になる。
ドイツ大使館HPより
1989年10月9日。この日も、東ドイツ各地でSED政権に反対す るデモが行われました。ライプツィヒも騒然 とした雰囲気に包まれました。月曜恒例の 「平和の祈り」に引き続き、大規模な抗議デ モが行われ、参加した75000人もの市民が政 治改革を求めました。同時に、暴力に訴えな いようにという呼びかけが行われました。
6人の著名なライプツィヒ関係者による声明が 読みげられました。これは、デモ参加者およ び警察・軍隊の双方に対し、暴力に訴えず、 SED政権側も含め互いに自由な意見交換をす すめることで、国が抱える問題を解決するよ う促すものでした。ラ イプツィヒには、警 察、軍、動員された労働者階級戦闘団が集結 していましたが、介入することなく引き上げ ました。SED上層部が実力行使を躊躇したためです。 -
12. 「平和の祈り」の影響は更に続く
そして、この動きがベルリンの壁を崩壊するきっかけとなり、東西ドイツ統一へと向かっていくのです。 -
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これが「月曜デモ」の記念碑です。
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ニコライ教会の内部の柱の形をしています。
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ライプツィヒの地図がここにありました。
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ライプツィヒの市内にある建物はこのように何棟かが繋がっていて、空いたスペースがあります。パッサージュと言うそうです。この、パッサージュがライプツィヒには沢山残っており、ドイツでは最多だそうです。
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こちらは、毛皮の取引所があった「シュペックス・ホーフ」
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当時の取引の様子が描かれています。
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この建物も素敵な装飾がされています。
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ゾウさんですか。
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マンホールの蓋
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ゲーテの銅像。
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ゲーテの「ファウスト」の一場面がここに。
そして、この地下には私が行こうと思っている「アウアーバッハスケラー」があるのです。 -
観光客の人が説明を聞いています。
お店は12時開店なので後で行こうと思います。 -
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この、後で行こう、がねぇ〜、失敗の元です。
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メードラーパッサージュの
内部です。 -
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旧市庁舎広場の前にある「マルクト駅」
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カフェ・バウムが見えて来ました。
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