2014/12/21 - 2014/12/21
315位(同エリア572件中)
にっくさん
「今年の冬休みは函館!五稜郭!!」とのたまった我が娘。
まだまだ鎮静しない娘の新撰組熱。いや、むしろ「燃えよ剣」と「新撰組血風録」で更に過熱。
ちょっと待ちなよお嬢さん。今年の冬休み、両親は長期の休みが取れないから、宿泊込みの旅行は無理よ。冬の函館寒いわよ。
そんな訳で今年の冬は「安/近/短」で日帰り旅。新撰組ファンの娘の希望で、東京は日野へ半日旅行。今回は母娘の二人旅です。
日野だけじゃ少し寂しいので、別の機会で訪れた、新撰組ゆかりの地も紹介いたします。
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千葉県在住の私達は、JR武蔵野線→中央線と乗り継いで、約90分ほどで目的地「日野駅」へ到着。
駅のホームに降り立った感想は、東京の典型的なベッドタウンといいますか、高層マンションが立ち並び、そしてどこか鄙びた感じの街の景観。 -
駅の改札を出るとすぐに日野の観光マップがあります。
中央線日野駅を貫くように南北に甲州街道が走っており、それを南下すれば第一の目的地「日野本陣」に辿り着くことを確認してレッツらゴー。
本陣より近くに「井上源三郎資料館」などもありますが、娘に「行く?」と聞いたところ「六番隊隊長に用はない。」だそうです。 -
本陣へ向かう道すがら、右手に八坂神社があります。
こちらには近藤勇や沖田総司が会得した剣術「天然理心流」の奉納額があるそうです。
早く本陣へ行きたい娘はここも無視。八坂神社 寺・神社・教会
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こちらがその奉納額のレプリカ。神社入り口すぐ側に紹介されています。
安政五年に奉納されたそうですが、奉納者の一覧には沖田惣次郎(後の沖田総司)の名前も。正式入門が安政六年の土方歳三の名前はありません。 -
さらに甲州街道を南下すると、左手に日野本陣が登場。
写真は道を挟んで反対側から移したもので、JR日野駅からのアプローチだと、写真の右手からのアクセスになります。 -
日野本陣は「新撰組のふるさと歴史観」と共通のチケットで大人300円、子供70円。もちろんバラバラにも購入できます。
こちらの建物は簡単に説明すると、日野の名主、佐藤家の邸宅。
佐藤彦五郎といえば天然理心流の近藤勇と兄弟弟子で土方歳三の義兄となる男。
そんな訳で由来の品々が伝わっていたそうです。日野宿本陣 名所・史跡
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本陣の中ではガイドさんが案内してくれます。
表玄関は現在立ち入り禁止(文化財的な扱いで)、観光客のアクセスはお勝手口、すなわち土間からの上がりになります。
上がりかまちが高く、鴨居が低いのは、大金を所蔵していたがゆえ夜盗などの襲撃を緩和させるためだそうです。(登り難くて、刀を振りにくい) -
襖を外せば大宴会場に早変わり。そのために天井に太い梁をめぐらせて、部屋の境目の柱を要しない構造にしたとか。
今でも襖の開け閉めが簡単にできるくらい、構造上の歪みはないそうです。 -
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さて、日野本陣の向かいに「日野宿交流館」があります。
こちらはさほど大きくはないですが、お土産用の売店と、二階に日野宿に関する資料館があります。こちらの資料館は新撰組というより日野の郷土にスポットを当てた資料館。
子供は売店で新撰組のクリアファイルを購入。売店のおばちゃんが言うには売れ行きランキング第1位は「土方歳三うどん」。
何故にうどん・・・日野宿交流館 名所・史跡
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日野宿交流館内の自動販売機は局中法度。
もうここぞとばかり新撰組と土方歳三プッシュの街です。 -
交流館の後は「佐藤彦五郎新撰組資料館」を目指しましたが、なんと閉っておりました。
そもそもこちらの開館日は第1第3日曜日の11時から16時までしかやっていませんが、今思えば、到着時刻が11時前だったかもしれません。
そこから少し離れた「新撰組ふるさと歴史館」へ向かいます。
ここは日野本陣と共通チケットがあるくらいだから近いのかな?と思ったら大間違い。徒歩圏内ではありますが、20分くらいは歩きます。
しかも途中、けっこうな急勾配の長い坂道があります。 -
到着しました。住宅街の中に突然「新撰組ふるさと歴史館」
手作り感満載の顔出し看板がお出迎えしてくれます。
娘の顔出し欲求にメラメラと火が・・・
看板にいるのは馬上の近藤とその左右に土方と沖田、そして土方の許嫁ながらも土方からお断りされてしまったお琴さん。新選組のふるさと歴史館 美術館・博物館
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取り敢えず、顔出してみました。
看板に描かれた人物全員の顔面部が扉構造になっていて、全て顔を出すことができます。もちろん娘は全部顔を出して写真を撮影。
館内には日野宿や新撰組にまつわる書物等の展示がされております。 -
玄関を入れば、市村鉄之介が函館から日野に持ち帰ったとされる、あの有名な土方の写真がお出迎え。
さて、こちらのふるさと館は館内写真撮影禁止ですが、館内で唯一写真OKの場所があります・・・ -
それがこちらのコーナー(笑)
夏休みに引き続き、娘はコスプレでご満悦。ついでに母ちゃんも土方洋装スタイルに付き合わされ・・・いえいえ、結構ノリノリでした。平成27年の年賀状はコスプレ写真に決定。 -
写真用の小物に土方愛刀「和泉守兼定」のレプリカも準備。娘の指示に従って、ポーズをとらされる母ちゃん・・・。
こちらのコスプレはなんと無料。しかしながら着付けは基本自分、写真撮影も自分のカメラで。(係のお姉さんに言えば手伝ってくれます。) -
さて、たっぷりコスプレで遊んだ後は再び甲州街道を南下。
途中、和食レストラン「とんでん」で昼食を食べ、さらに南下。すると多摩モノレールの「甲州街道駅」に辿り着きます。
甲州街道駅から一駅「万願寺駅」で下車(多分、歩ける距離)
ここには土方歳三生誕の地・・駅もばっちり自己主張。
改札から「土方歳三資料館→」みたいな案内版があるので迷わずにすみます。 -
こんな感じ。
街の至る所にダンダラ模様の浅葱色の幟も目立ちます。 -
到着しました「土方歳三資料館」。万願寺駅から徒歩5分くらいでしょうか。
建物は「どこかの会社社長の邸宅」といった感じでしょうか。表札に「土方」とあるように、土方歳三の兄「土方隼人」の直系が御当主ということです。
門の前にお土産屋さんが出ていました。土方歳三資料館 美術館・博物館
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そちらのお土産屋さんで「石田散薬」のトートバックを購入。駄菓子のおまけを付けてくれて3500円。ちょっとお高いけれど、シブいデザインです。
こちらでも「土方歳三うどん」が販売されていました。あと人形焼きとかw -
さて、資料館へ突入です。
歳三当時の建物は平成2年に立て替えられたそうです。やはり「会社社長邸宅」といった趣。
個人経営ということもあり、開館は第1第3日曜日のみということで、行かれる予定のある方は、開館日の確認をしてから行かれた方が良いかもしれません。 -
日本人には見えない歳三の胸像とスリーショット。
・・・なんか日本人離れした顔立ちですね・・・ -
こちらが資料館入り口。
入館料は大人500円、子供300円。窓口とかはなくて、こちらの下足所前に箱を持った係員の方がお金を徴収→チケットしおりをくれる。そんな感じです。
中は20畳くらいの展示スペース一間のみ。ですが歳三が身に付けた鎖帷子やら鉢金、佐藤家に送った書状や近藤勇斬首時の瓦版など、ファンなら必見の資料が盛り沢山。(いや、私はファンじゃないですが・・) -
資料館入り口に立て掛けられていた天然理心流稽古用の木刀です。
真剣の重さに合わせて重量を設定させてあるとか。一応剣道2段の母ちゃんですが、重くてうまく振れませんでした。 -
これは当時から現存しているらしい、歳三が武士になるとの誓願を立てて手植えした竹だそうです。
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再び万願寺駅から多摩モノレールでJR立川駅まで戻ります。これにて本日の日帰り新撰組ツアー終了! この時点で15時5分。晩ご飯の時間までに帰宅できそうです。
さて、日野旅行は以上ですが、次の写真からはいづれも日帰りで訪れた新撰組ゆかりの地の紹介です。 -
こちらは東京新宿区にある「試衛館跡地」。近藤勇が通ったという天然理心流の道場の跡地です。今はこんな看板が立っているだけ。
東京メトロ大江戸線、牛込柳町駅下車。徒歩5分ほどでわりと近いのですが、住宅街の路地裏にひっそりと立っているので分かり辛いです。 -
ね、こんな風に雑草も生えまくった中にひっそりと立っています。
この日は8月、関東地方に台風が直撃した日で、土砂降りの風雨の中訪れましたが、実際に現場を見た娘はひと言、「しょぼ!!」 -
さて、こちらは12月7日に訪れた、墨田川。東京スカイツリーが輝いております。
東京メトロ銀座線、浅草駅を下車して、隅田川添いを歩いて北上すること約15分。
沖田総司終焉の地、今戸神社があります。今戸神社 寺・神社・教会
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こちらがその今戸神社。
少し分かり辛いですが、鳥居の足元に浅葱色のダンダラ看板と、そこに「沖田総司終焉の地」の文字。
沖田総司は肺病の治療をこちらの近所に住む松本良順医師に受けていたそうです。 -
今戸神社は人形としての招き猫(今戸焼)発祥の地でもあるそうで、境内の至る所に招き猫の自己主張が半端ないです。
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こちらの縁起の足元、その周囲にも招き猫型の如雨露が沢山置かれています。
・・・黒い招き猫如雨露で怪しい雰囲気。 -
今戸神社の帰りに上野駅で下車。恩賜公園内にある「彰義隊士の碑」見学のためです。彰義隊は戊辰戦争で新撰組と同じく幕府の為に戦った集団です。
この日は青空も清々しい12月7日だったのですが、上野では「西郷隆盛生誕祭」なるものが開催されておりました。
(肝心の彰義隊士の碑の写真撮影を失念しておりました・・orz) -
さて、こちらのローカル感が漂う青い列車は「流山鉄道」の車両。
千葉県の西側に住んでいる私達にとっては地元と言っても過言ではない「流山」は、新撰組局長の近藤勇が戊辰戦争時に陣屋を構え、新政府軍に投降した場所でもあります。
この後、近藤は板橋で斬首、近藤と別れた土方は、五稜郭へと行くわけですね。 -
「近藤勇・土方歳三別離の地」なんて書かれると、新撰組に思い入れがなくとも少しうるっとしてしまいます。
夏休みから娘と一緒に新撰組ゆかりの地を訪ねてきました
武家に生まれていないのに武士になりたくて、国(幕府)の役に立ちたくて。コトの是非はともかく、すごく一生懸命生きていた人達なんだろうな、と思いを馳せつつ今回の記事は終わります。
背後で娘が叫んでいますよ。
「春休みこそ函館だ〜!!」(いや、無理だろ!!)
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