2012/02/04 - 2012/02/04
346位(同エリア572件中)
滝山氏照さん
京王電鉄高幡不動(たかはたふどう)駅徒歩3分、高幡不動尊(たかはたふどうそん)の裏山(不動ヶ丘)にひそやかに時代の流れを見守る高幡城(たかはたじょう、東京都日野市高幡町)を訪問しました。
高幡城の築城時期や築城主に関しては記録がなく詳細はわかっていません。
享徳4年(1455)鎌倉公方足利成氏(あしかが・しげうじ)軍と管領山内・扇谷の両上杉連合軍が立河原で戦った際(第一次分倍河原の戦い)、上杉方大将の上杉憲秋(うえすぎ・のりあき)は深手を負い当寺に逃げ込み自決しましたがこの頃には高幡城は存在していたと思われます。
更に永正元年(1504)の管領上杉氏の内部争いにより山内家と扇谷家が分倍河原に於ける戦い(第二次分倍河原合戦)も高幡城近隣で行われ、当然ながら巻き込まれていずれか方の拠点としての役割を果たしていたと思われます。
高幡不動尊は多摩地区では余りにも著名な寺院で、初詣を始め日常的にも参拝は欠かさないほどですが、当寺院の裏山に城跡があったとは最近まで知りませんでした。
確かに高幡不動尊案内図でも慎重に見ないと城の存在を見逃しそうで高幡不動の評判が高いが故、城跡が影に隠れた存在となったのではないかと思います。
現地は二の郭入口に高幡城跡立札が確認できる他説明板あるいは主郭標柱も設置なくいささか戸惑います。
城郭は全体的に手狭で各郭についても尾根を平たく切削するほどで、建物等があったかは疑問でおそらく山麓に居館があり、緊急時に山頂に避難するという役割ではなかったかと勝手に想像しています。
2023年5月14日追記
途中の小型立て札には次のように簡単に記載されています。
「 高 幡 城 址
不動ヶ丘一帯に中世高幡城が築かれました
頂上の広場は本丸あとと伝えられています。
麓には根小屋、陣川戸等城址ゆかりの地名が残っています。」
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
高幡城跡案内図
山頂までは遊歩道で繋がり、道中は山内八十八ケ所の順拝路となっています。 -
山内八十八ヶ所巡拝入口
高幡城跡頂上までの遊歩道入口が見えます。 -
山内十三番札所
本四国札所案内板と地蔵が見られます。 -
遊歩道階段
登城途中を振返ります。 -
遊歩道と地蔵
遊歩道の所々には山内八十八ヶ所の札所が立ち並びます。 -
二の郭跡
右手には郭跡らしきものが見られようやく城跡の雰囲気が感じられます。 -
二の郭跡
ニの郭へ導く階段と共に傍らに城跡を示す案内板が見えます。 -
高幡城跡案内板
唯一の情報源です。 -
土塁
階段の左右には土塁が確認されます。 -
二の郭跡
南北に長い二の郭を捕えます。 -
主郭跡
主郭跡ですが東西は狭くて窮屈です。 -
展望
主郭跡から京王電鉄高幡不動駅を展望します。当駅は構内が広く車輌基地となっています。 -
展望?
主郭跡から多摩モノレール高幡不動駅を展望します。たまたま4輌編成の車輌をキャッチできました。 -
二の郭跡
二の郭跡南端面から北方向を望みます。 -
二の郭跡
二郭跡から三の郭跡を望みます。 -
二の郭・三の郭跡遊歩道
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三の郭に導く階段
緩やかな登り階段が暫く続きます。 -
三の郭
三の郭の先は物見台のようです。北東部の視界を存分に楽しめます。 -
三の郭
三の郭を降りますとやや広めな路に繋がります。 -
土塁
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腰郭跡
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土塁
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馬場跡
広々としたスペースですが、往時はもしかして居館だったのかも知れません。 -
馬場跡右手
外部に接している関係で高い土塁に囲まれた状態です。 -
馬場跡左手
城郭の内部の為土塁はほどほどの高さとなってます。
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