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京王本線平山城址公園駅下車、駅前に建てられた図書館併設の「平山季重ふれあい館」を中心とする一帯にあったと伝えられる平山季重居館跡(ひらやますえしげきょかんあと、東京都日野市平山)を訪問しまた。<br /><br />平山氏居館跡に関して著名な人物は平山季重(ひらやま・すえしげ、1140?~1212?)で舟木田荘平山郷(現在の日野市平山)を本拠とする武蔵七党のうち西党日奉(ひまつり)氏に属する武士です。つまり武蔵七党の西党とは平安末期・鎌倉期に武蔵国多摩地域西部’(多西郡)に住む武士集団の呼称です。<br /><br />季重は源義朝の代から源氏に仕える源氏譜代の御家人で保元・平治合戦にも参戦しており、治承4年(1180)頼朝が平家打倒の挙兵に対しいち早く合流し頼朝を支え、勢力拡大に中心的な働きをします。更に平氏追討・奥州討伐などすべての戦場に姿を見せて数々の戦功を挙げます。特に季重の活躍が紹介されたのは一の谷合戦に於ける熊谷直実と先陣の争いで「平家物語」に描かれた源平合戦の中でも有名な場面となってます。<br /><br />建久3年(1182)には頼朝の子である実朝が生まれ、鳴弦(めいげん)の役を勤めます。鳴弦の役は弓を弾き鳴らして魔を払う武家にとっては重要な出産儀礼で季重はこの名誉ある役を果たす事になります。<br /><br />更に建久6年(1195)には頼朝の東大寺大仏殿落慶供養への供奉にも随行するほどの信任を受けるに至ります。<br /><br />このように源氏の重鎮として活躍した平山季重は晩年には深く仏門に帰依する中、近隣の高幡不動尊の再建に携わり、頼朝の命を受けて西多摩郡横沢(現在のあきるの市)の大悲願寺(だいひがんじ)の造営にも関わります。<br /><br />季重の居館跡には曹洞宗大福寺が建立されるも明治6年の廃仏毀釈によって廃寺となります。現在は駅前の「平山季重ふれあい館(図書館併設)」一帯が平成19年の発掘調査で居館跡と確認されています。ただ大福寺から移設された季重の墓は南方の高台にある曹洞宗宗印寺(徒歩3分)の境内で見られます。<br /><br />江戸時代においても平山は季重の地として知られ彼にゆかりのある人々の来訪を受けます。松本藩士平山季長はこの地に先祖季重の墓を建立します。また文化2年(1805)下総国香取郡の豪農平山正名が平山を訪れ、嘉永3年(1851)にはその子正義が季重を顕彰する「平山季重跡之碑」を建立します。<br /><br />自分の勤務地が京王線沿線でしたので駅名は認識していましたが、目的を持って下車したのは初めてです。自宅の八王子から近隣の地で歴史のひとコマに接することが実現できて嬉しさも倍増です。加えて鎌倉時代の人物が現在でも駅名とともに存在している事に深い感銘を受けます。<br /><br /><br /><br />【大悲願寺】<br /><br />大悲願寺は真言宗として、1192年(建久2年)平山季重が京都醍醐寺三宝院の僧を招いて開山、木造阿弥陀三尊像(国重要文化財)の他本堂・大般若写経本・大悲願寺文書(都指定文化財)が保存されています。交通:JR五日市線武蔵五日市又は武蔵増戸徒歩約15分。<br />

武蔵日野 武蔵七党西党の流れをくみ頼朝の父義朝時代から源氏仕えていた平家討伐の猛将『平山季重居館』跡(平山城祉公園)訪問

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2011/10/30 - 2011/10/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

京王本線平山城址公園駅下車、駅前に建てられた図書館併設の「平山季重ふれあい館」を中心とする一帯にあったと伝えられる平山季重居館跡(ひらやますえしげきょかんあと、東京都日野市平山)を訪問しまた。

平山氏居館跡に関して著名な人物は平山季重(ひらやま・すえしげ、1140?~1212?)で舟木田荘平山郷(現在の日野市平山)を本拠とする武蔵七党のうち西党日奉(ひまつり)氏に属する武士です。つまり武蔵七党の西党とは平安末期・鎌倉期に武蔵国多摩地域西部’(多西郡)に住む武士集団の呼称です。

季重は源義朝の代から源氏に仕える源氏譜代の御家人で保元・平治合戦にも参戦しており、治承4年(1180)頼朝が平家打倒の挙兵に対しいち早く合流し頼朝を支え、勢力拡大に中心的な働きをします。更に平氏追討・奥州討伐などすべての戦場に姿を見せて数々の戦功を挙げます。特に季重の活躍が紹介されたのは一の谷合戦に於ける熊谷直実と先陣の争いで「平家物語」に描かれた源平合戦の中でも有名な場面となってます。

建久3年(1182)には頼朝の子である実朝が生まれ、鳴弦(めいげん)の役を勤めます。鳴弦の役は弓を弾き鳴らして魔を払う武家にとっては重要な出産儀礼で季重はこの名誉ある役を果たす事になります。

更に建久6年(1195)には頼朝の東大寺大仏殿落慶供養への供奉にも随行するほどの信任を受けるに至ります。

このように源氏の重鎮として活躍した平山季重は晩年には深く仏門に帰依する中、近隣の高幡不動尊の再建に携わり、頼朝の命を受けて西多摩郡横沢(現在のあきるの市)の大悲願寺(だいひがんじ)の造営にも関わります。

季重の居館跡には曹洞宗大福寺が建立されるも明治6年の廃仏毀釈によって廃寺となります。現在は駅前の「平山季重ふれあい館(図書館併設)」一帯が平成19年の発掘調査で居館跡と確認されています。ただ大福寺から移設された季重の墓は南方の高台にある曹洞宗宗印寺(徒歩3分)の境内で見られます。

江戸時代においても平山は季重の地として知られ彼にゆかりのある人々の来訪を受けます。松本藩士平山季長はこの地に先祖季重の墓を建立します。また文化2年(1805)下総国香取郡の豪農平山正名が平山を訪れ、嘉永3年(1851)にはその子正義が季重を顕彰する「平山季重跡之碑」を建立します。

自分の勤務地が京王線沿線でしたので駅名は認識していましたが、目的を持って下車したのは初めてです。自宅の八王子から近隣の地で歴史のひとコマに接することが実現できて嬉しさも倍増です。加えて鎌倉時代の人物が現在でも駅名とともに存在している事に深い感銘を受けます。



【大悲願寺】

大悲願寺は真言宗として、1192年(建久2年)平山季重が京都醍醐寺三宝院の僧を招いて開山、木造阿弥陀三尊像(国重要文化財)の他本堂・大般若写経本・大悲願寺文書(都指定文化財)が保存されています。交通:JR五日市線武蔵五日市又は武蔵増戸徒歩約15分。

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 平山季重の道案内地図<br /><br />ふれあい館をスタートするハイキングコースが赤ラインで記入されています。平山城址公園はコースに組み込まれています。また季重の墓石がある宗印寺の位置も確認できます。

    平山季重の道案内地図

    ふれあい館をスタートするハイキングコースが赤ラインで記入されています。平山城址公園はコースに組み込まれています。また季重の墓石がある宗印寺の位置も確認できます。

  • 平山季重ふれあい館<br /><br />駅を出ますとすぐ右手に当建物が見えます。平成19年実施の発掘調査によりますとこの付近に季重居館があった可能性が高いとされています。<br />帰路に当館に立ち寄ります。<br />(当館は図書館も兼ねており、季重に関する書籍・資料を閲覧することが可能です)

    平山季重ふれあい館

    駅を出ますとすぐ右手に当建物が見えます。平成19年実施の発掘調査によりますとこの付近に季重居館があった可能性が高いとされています。
    帰路に当館に立ち寄ります。
    (当館は図書館も兼ねており、季重に関する書籍・資料を閲覧することが可能です)

  • 平山城址公園案内柱<br /><br /><br />駅前広場を歩き北野街道を越えると案内柱が方向を示してます。

    平山城址公園案内柱


    駅前広場を歩き北野街道を越えると案内柱が方向を示してます。

  • 平山城址公園案内<br /><br />公園へは770m、季重神社へは860mと案内されています。

    平山城址公園案内

    公園へは770m、季重神社へは860mと案内されています。

  • 宗印寺・山門<br /><br />山号を「大澤山」と称する曹洞宗の寺院で、境内には平山季重の墓石が配されています。<br /><br />

    宗印寺・山門

    山号を「大澤山」と称する曹洞宗の寺院で、境内には平山季重の墓石が配されています。

  • 宗印寺・本堂<br /><br />季重居館跡に建立された大福寺は廃寺となり、当寺に季重の墓が移設されました。<br />自分が訪問した時間は午後でしたが参拝客は誰一人として見えません。

    宗印寺・本堂

    季重居館跡に建立された大福寺は廃寺となり、当寺に季重の墓が移設されました。
    自分が訪問した時間は午後でしたが参拝客は誰一人として見えません。

  • 宗印寺における日野市指定文化財<br /><br />木造平山季重坐像は江戸時代前期の製作と思われます。故人の遺徳を追慕して造立されたものだそうです。

    宗印寺における日野市指定文化財

    木造平山季重坐像は江戸時代前期の製作と思われます。故人の遺徳を追慕して造立されたものだそうです。

  • 季重の五輪塔<br /><br />もとは大福寺にあったものが併合により、当寺に移されたもので松本藩士平山季長により季重の供養として建立されました。

    イチオシ

    季重の五輪塔

    もとは大福寺にあったものが併合により、当寺に移されたもので松本藩士平山季長により季重の供養として建立されました。

  • 平山季重の墓(都旧跡)説明<br /><br />豪放大胆な武蔵武士の面影を充分に発揮して、保元・平治の乱にも大いに活躍しました。<br />元保元年(1213)の和田義盛の乱には平山氏は加担せず所領は安堵、近隣の横山氏は義盛の妻が横山氏出身により加担し和田氏とともに滅亡します。<br /><br />

    平山季重の墓(都旧跡)説明

    豪放大胆な武蔵武士の面影を充分に発揮して、保元・平治の乱にも大いに活躍しました。
    元保元年(1213)の和田義盛の乱には平山氏は加担せず所領は安堵、近隣の横山氏は義盛の妻が横山氏出身により加担し和田氏とともに滅亡します。

  • 宗印寺から市街を展望<br /><br />高台の当寺から遠くにJR豊田駅方面が見えます。

    宗印寺から市街を展望

    高台の当寺から遠くにJR豊田駅方面が見えます。

  • 公園案内板<br /><br />途中は既に大規模住宅が並びそのはずれに当案内板があります。

    公園案内板

    途中は既に大規模住宅が並びそのはずれに当案内板があります。

  • 八王子市街遠望<br /><br />遠方のタワーマンション付近がJR八王子駅となります。

    八王子市街遠望

    遠方のタワーマンション付近がJR八王子駅となります。

  • 公園への通路<br /><br />道が少しずつ険しくなってきます。

    公園への通路

    道が少しずつ険しくなってきます。

  • 公園への通路<br /><br />途中を振返ります。随分歩きました。

    公園への通路

    途中を振返ります。随分歩きました。

  • 公園への通路<br /><br />偽木設置で景観を保っています。

    公園への通路

    偽木設置で景観を保っています。

  • 公園への通路<br /><br />まだまだ登っていきます。

    公園への通路

    まだまだ登っていきます。

  • 遠景<br /><br />随分高い所まで登ってきました。ここでしばしの休憩を取ります。

    遠景

    随分高い所まで登ってきました。ここでしばしの休憩を取ります。

  • 公園案内板<br /><br />

    公園案内板

  • 再度八王子市街<br /><br />やや曇っていますが何とか見えます。

    再度八王子市街

    やや曇っていますが何とか見えます。

  • 季重神社案内板<br /><br />帰路に立ち寄ります。

    季重神社案内板

    帰路に立ち寄ります。

  • 急峻な階段<br /><br />住宅街のはずれに設置の階段を登ります。

    急峻な階段

    住宅街のはずれに設置の階段を登ります。

  • 平山城址公園入口<br /><br />階段を登りますと公園入口が眼に入ります。

    平山城址公園入口

    階段を登りますと公園入口が眼に入ります。

  • 公園名の由来紹介<br /><br />平山氏の所領地から「平山城址公園」と命名されました。当所は高台であった関係で往時は物見台だったそうです。<br />

    公園名の由来紹介

    平山氏の所領地から「平山城址公園」と命名されました。当所は高台であった関係で往時は物見台だったそうです。

  • 公園内部

    公園内部

  • 公園内部

    公園内部

  • 公園内部

    公園内部

  • 公園内部

    公園内部

  • 公園内部<br /><br />湧き水を集めた猿渡の池です。

    公園内部

    湧き水を集めた猿渡の池です。

  • 隣接の東京薬科大学<br /><br />公園の奥には大学がありまして訪問時はたまたま学園祭の日でした。

    隣接の東京薬科大学

    公園の奥には大学がありまして訪問時はたまたま学園祭の日でした。

  • 六国台への道<br /><br />公園に別れを告げ帰路は六国台、七生口を経て野猿(ヤエン)尾根道に向かいます。

    六国台への道

    公園に別れを告げ帰路は六国台、七生口を経て野猿(ヤエン)尾根道に向かいます。

  • 六国台<br /><br />休憩用のベンチが設置されてここで暫く疲れを癒します。広いスペースで眺めがとてもいいです。<br />

    六国台

    休憩用のベンチが設置されてここで暫く疲れを癒します。広いスペースで眺めがとてもいいです。

  • 眼下の展望<br /><br />手前に多摩川の支流である浅川(あさかわ)が見えます。

    眼下の展望

    手前に多摩川の支流である浅川(あさかわ)が見えます。

  • 六国亭跡<br /><br />かつてはレストランとして営業していたと思われます。火災の跡の様子で現在はで廃墟となっています。<br /><br />

    六国亭跡

    かつてはレストランとして営業していたと思われます。火災の跡の様子で現在はで廃墟となっています。

  • 公園案内図<br /><br />現在位置が確認できます。六国台にいる事がわかります。

    公園案内図

    現在位置が確認できます。六国台にいる事がわかります。

  • 空堀?<br /><br />城郭ではありませんが険しい谷間が見えます。

    空堀?

    城郭ではありませんが険しい谷間が見えます。

  • 周辺案内地図<br /><br />季重神社の近くまで来てます。

    周辺案内地図

    季重神社の近くまで来てます。

  • 平山季重神社<br /><br />古くは日奉(ひまつり)明神社と呼ばれ、現在でも日奉神社とも呼ばれています。季重が祖先の日奉氏を祀ったのかあるいは季重の子孫が季重を奉ったのか定かではありません。<br /><br />

    平山季重神社

    古くは日奉(ひまつり)明神社と呼ばれ、現在でも日奉神社とも呼ばれています。季重が祖先の日奉氏を祀ったのかあるいは季重の子孫が季重を奉ったのか定かではありません。

  • 神社全景<br /><br />この場所は丸山と呼ばれている所でかつては平山氏の物見台との言い伝えがあります。

    神社全景

    この場所は丸山と呼ばれている所でかつては平山氏の物見台との言い伝えがあります。

  • 拝殿<br /><br />地域の協力により50年ぶりに建替えられたそうです。現在の祀は平成17年4月に落成したものです。

    イチオシ

    拝殿

    地域の協力により50年ぶりに建替えられたそうです。現在の祀は平成17年4月に落成したものです。

  • 散策コース標柱<br /><br />ハイキングコースとなっています。

    散策コース標柱

    ハイキングコースとなっています。

  • 平山城址公園駅案内<br /><br />公園から降りてついに駅付近にまで達しました。

    平山城址公園駅案内

    公園から降りてついに駅付近にまで達しました。

  • 季重公霊池碑(平成24年1月28日再訪)<br /><br />京王線平山城址公園駅下車、改札を出てバス停広場の奥に、ひっそりと平山季重の石碑が建てられています。

    季重公霊池碑(平成24年1月28日再訪)

    京王線平山城址公園駅下車、改札を出てバス停広場の奥に、ひっそりと平山季重の石碑が建てられています。

  • 季重公石碑(平成24年1月28日再訪)

    季重公石碑(平成24年1月28日再訪)

  • 平山季重居館跡説明(平成24年1月28日再訪)<br /><br />平山季重遺跡の碑が建てられている周辺は、もと曹洞宗由木永林寺末、大福寺のあったところで、古く平山季重の館跡であったと伝えられている。1805年(文化2年)、大福寺を訪れた平山正名(下総国香取郡鏑木村・季重の子孫と称する)は寺内の季重の墓に詣で、その荒廃を嘆いて修復を発願した。その意思は子の正義に受け継がれ、遺跡の碑は正義によって建てられた。碑文の筆者は幕末の剣客として有名な男谷精一郎信友である。季重居館の碑は1925年(大正14年)に七生青年団平山支部によって建てられた。(現場説明文)

    平山季重居館跡説明(平成24年1月28日再訪)

    平山季重遺跡の碑が建てられている周辺は、もと曹洞宗由木永林寺末、大福寺のあったところで、古く平山季重の館跡であったと伝えられている。1805年(文化2年)、大福寺を訪れた平山正名(下総国香取郡鏑木村・季重の子孫と称する)は寺内の季重の墓に詣で、その荒廃を嘆いて修復を発願した。その意思は子の正義に受け継がれ、遺跡の碑は正義によって建てられた。碑文の筆者は幕末の剣客として有名な男谷精一郎信友である。季重居館の碑は1925年(大正14年)に七生青年団平山支部によって建てられた。(現場説明文)

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