2014/11/23 - 2014/11/24
356位(同エリア1141件中)
Zabiさん
吉野と高野山へ車で行って来ました。
最初は高野山だけに行くつもりでしたが、1泊しないと厳しそうだったので、吉野と高野山で1泊2日の旅行にしました。
2日目は高野山を観光しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
高野山では金剛三昧院という宿坊に宿泊。
早起きしてまだ暗い朝の六時半から勤行に参加しました。 -
法要のあとは本堂やご本尊を見学。
その後住職からの法話を聞かせていただきました。
ありがたい法話かと思ったら、まずは文化財保護にはとてもお金がかかるというお話からスタート。
文化庁が結構渋いというようなお話でした。
他にもありがたいお話をしていただきましたが、お金の話だけが残りました・・・。 -
小栗宗丹の描いた襖絵です。
平成24年に修復したそうですが、かなりの費用がかかったそうです。 -
勤行が終わって外へ出ると夜が明けていました。
早朝の境内を見物しました。 -
本堂です。
中にご本尊の愛染明王像が祀られています。 -
国宝の多宝塔。
高野山で最も古い建物で、1223年に北条政子が源実朝の菩提を弔うために建立した塔です。
こちらも平成24年に檜皮の葺き替えをしたそうですが、やはりかなりの費用がかかったそうです。 -
境内を散策して部屋へ戻りました。
写真は金剛三昧院の門です。 -
お寺の方に宿泊している方もいましが、私たちが泊まったのは向かいにある新館でした。
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部屋へ戻ると朝食が用意されていました。
朝食を頂いたあとチェックアウト。 -
車を停めて、まずは高野山の真ん中にある金剛峰寺へ向かいました。
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玄関ですが、一般入口は右側に行ったところにありました。
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入ったところです。
襖絵のある部屋は撮影禁止。
入ってすぐに大広間が、その横に豊臣秀次が自刃した柳の間がありました。 -
玄関を入ったところ。
扁額がかかっていました。 -
新別殿という建物ではお接待としてお茶とお菓子をいただきました。
法話をされていましたが、話のつかみは消費税が上がって大変と言うお話。
毎回お金の話から入るのは関西だから? -
寺内にはたくさんの部屋のほか庭が広がっていました。
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続いて檀場伽藍へ向かいました。
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境内にある国宝の不動堂。
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根本大塔です。
現在のものは昭和12年の再建。
内部にはご本尊の胎動大日如来像がありました。壇上伽藍 寺・神社・教会
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金堂です。
高野山の総本堂とされている建物です。
現在のものは昭和7年の再建。 -
境内には多くの建物が建っており、見ごたえがありました。
一通り見たので移動しました。
こちらは再建中の中門です。
中門は1843年に消失しましたが、高野山開創1200年記念事業として再建が行われています。 -
隣にある霊宝館へ行きました。
高野山の文化財を集めた宝物館です。 -
内部は3つのエリアに分かれています。
高野山に伝わる宝物が展示されていますが、それ程広くはありませんでした。 -
続いて女人堂へ向かいました。
途中にあった徳川家霊台は休館中でした。 -
急な坂を登って女人堂へたどり着きました。
こじんまりとした建物でした。
明治時代に女人禁制が解かれるまでは、女性はここまでしか入れなかったそうです。女人堂 寺・神社・教会
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ここも高野山の入口のひとつです。
女人堂から高野山へ入る道は急な坂道になっており、歩くとかなりこたえました。女人堂 寺・神社・教会
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車へ戻り、奥の院へ向かいました。
奥の院入口の一の橋前にある駐車場は有料。 -
戦国武将の墓めぐりをするには一の橋から歩くほうがよさそうだったので、一の橋から歩きました。
歩いて奥の院を目指します。 -
参道脇にはおびただしい数の墓が立ち並んでいます。
事前に入手した地図を見ながら有名人の墓を探しつつ歩きました。 -
入ってしばらくして武田信玄と勝頼の墓を発見。
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左が信玄、右が勝頼の墓です。
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続いて石田三成の墓発見。
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明智光秀の墓への案内がありました。
思わず素通りしそうになりました。 -
明智光秀の墓は少し中に入ったところにありました。
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案内図には書いてありませんでしたが、参道沿いにあった本多忠勝の墓。
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一番石塔という奥の院最大の石塔。
徳川秀忠夫人のお江の供養塔です。
崇源院の墓はこちらという案内があるところを少し入ったところにありましたが、調査中になっていました。 -
参道を進むと結城秀康の霊屋がありました。
右が秀康で左が母親のお万の方のものです。 -
さらに進むと豊臣家の墓がありました。
少し上がったところにありましたが、案内が出ていました。
ここだけ柵で囲われています。
真ん中が秀吉かなと思いましたが、墓碑から確認できるのは母のなか、姉のとも、弟の秀長夫妻、長男の鶴松と淀殿までで、秀吉の墓がここにあるのかどうか良く分からないようです。 -
豊臣家墓から少し先に進むと織田信長の墓がありました。
こちらも少し上がったところにあります。
隣は筒井順慶の墓のようです。
信長の墓には清洲名物の鬼殺しがお供えされていました。
頓知が利いているのやら、いないのやら。 -
奥の院にかなり近いところには春日局の墓がありました。
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ここから先は弘法大師の御廟ということで、撮影禁止です。
正面建物は灯篭堂で、中では法要が営まれていました。
灯篭堂の裏に弘法大師が入定したという御廟があります。 -
奥の院にお参りしたので戻ります。
戻る途中に浅野内匠頭の墓と赤穂四十七士の菩提碑がありました。 -
来る途中に見落とした伊達政宗の墓。
石田光成の墓の手前で少し奥まった所にありました。 -
こちらも来る途中に見過ごした上杉謙信廟。
ここが上杉謙信的な標識がありませんでしたが、武田信玄墓の近くに何たら院はこちらという階段があったので登っていくと廟がありました。 -
駐車場まで戻り、高野山をあとにしました。
戻る途中に大門があったので寄ってみました。
昨日は真っ暗で気づきませんでしたが、立派な門です。 -
480号線と370号線の山道を下ること30分ほどで九度山町へ到着しました。
来るときに看板が気になった真田庵に行ってみました。
近くに駐車場があったので駐車。 -
案内看板がかかり過ぎですが、看板の指している狭い路地を進みました。
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路地を進むとすぐに到着。
実際には善名称院というお寺です。 -
案内板によるとここに真田屋敷があったようです。
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境内には真田地主権現が祀られています。
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すぐ隣には真田昌幸の墓がありました。
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今年作られたと思しき真田父子の記念碑。
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資料館もありましたが、かなり微妙な感じ。
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入口にあった掲示板がカオスでした。
無料だからラッキーって・・・? -
駐車場の看板を見ていると、すぐ近くの慈尊院と丹生官省符神社も世界遺産指定されているようです。
折角なので行ってみました。 -
慈尊院と丹生官省符神社はほぼ一体化していました。
階段を登ると丹生官省符神社。
左手が慈尊院です。慈尊院 寺・神社・教会
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ご本尊は開帳されていませんでした。
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こちらは本堂です。
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階段を登って丹生官省符神社へ向かいました。看板によると石段は119段あるようです。
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階段を登って丹生官省符神社に到着。
車でも来れるようでしたが、道がかなり狭そうでした。丹生官省符神社 寺・神社・教会
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ここから見えるのが高野山とのことでした。
いい時間になってきたので戻ることにしました。 -
24号線を通って天理インターを目指しましたが、結構渋滞していたので2時間ちょいかかりました。
夕食を食べるため針の道の駅へ寄りました。
案内所ではせんとくんの像が出迎えてくれましたが、台座が大分傷んでいました。 -
夕食に食べた天理スタミナラーメン。
辛かったけど美味かった。
この後名古屋へ向けて走りましたが、やはり亀山から四日市が渋滞。
しかたないので1号線と23号線で帰りましたが、針から2時間半程かかりました。
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