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円光寺の庭を攻略後、曼殊院に向かう。円光寺から15分ゆるい坂を上ったり下りたりする。何とか到着。蒸し暑くて大変でした。<br /> 以前、来た事があるのですが、記憶には幽霊の掛け軸しか記憶にありません。情けない限りである。<br /> 以前、写真でここの庭と紅葉を見て撮りたいと思った。人は土曜日10時過ぎ、雨のち曇りの状態だったのでまあ多いといった感じ。泉州の晴れの3連休ならまさに地獄絵図であったろうと思われる。名古屋弁や大阪弁が飛び交う中の撮影である。部屋の中は写真は禁止で、縁側ないしは外に向かって撮るのはありということでした。<br /> 一応禁止事項は、部屋の中の撮影、荷物は欄干などに立てかけないということでした。あと座り込んで場所を占有するばばあは、邪魔の限りでした。空いていればOKですが混んでいるときには???です。<br /> しかしここはゆっくり眺めるといいところで、1度ならず2度も回ってしまいました。2度目の鑑賞は、違ったものが見えて素敵でした。<br /> 曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。<br /> 曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であった(法親王とは皇族男子で出家後に親王宣下を受けた者の称である)。曼殊院の現在地への移転は明暦2年(1656年)のことで、現存する大書院(本堂)、小書院などはこの時のものである。この地は曼殊院と同じく比叡山の小坊の1つで慶滋保胤らによって勧学会が開かれたものの後に廃絶した月林寺の跡地であったと言われている。<br /><br />良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、後水尾天皇の猶子であった。良尚法親王は天台座主(天台宗最高の地位)を務めた仏教者であると共に茶道、華道、香道、和歌、書道、造園などに通じた教養人であり、当代文化に与えた影響は大きかった。曼殊院に伝存する茶室、古今伝授資料(古今和歌集の秘伝を相承するための資料)、立花図(池坊流2世池坊専好の立花をスケッチしたもの)などの文化財は法親王の趣味と教養の広さを示している。<br /> 境内は比叡山西麓に位置する。入口である勅使門の左右の塀は5本の水平の筋が入った築地塀で、門跡寺院としての格式の高さを表している。主要な建物としては玄関、大書院、小書院、庫裏、護摩堂などがある。中心になる仏堂はなく、本尊は大書院の仏間に安置されている。枯山水庭園は小堀遠州の作といわれる。<br /><br />大書院(本堂)<br />明暦2年(1656年)の建築。仏間に本尊阿弥陀如来立像を安置することから「本堂」とも呼ぶが、解体修理の際に発見された墨書等から、建設当時は「大書院」と称されたことが分かる。寄棟造、?達(こけら)葺きの住宅風建物である。正面東側に「十雪の間」、西側に「滝の間」があり、「十雪の間」背後には「仏間」、「滝の間」背後には「控えの間」がある。建物内の杉戸の引手金具には瓢箪、扇子などの具象的な形がデザインされ、桂離宮の御殿と共通したデザイン感覚が見られる。「十雪の間」の床の間には木造慈恵大師坐像(重要文化財)を安置し、仏間には本尊阿弥陀如来を中心とする諸仏を安置する。<br />小書院<br />大書院(本堂)の東北方に建つ。大書院と同時期の建築で寄棟造、?達(こけら)葺きである。間取りは東南側に八畳の「富士の間」、その北に主要室である「黄昏(たそがれ)の間」がある。黄昏の間は、七畳に台目畳二畳の上段を備え、床(とこ)・棚・付書院をもつ。床脇の棚は多種類の木材を組み合わせたもので「曼殊院棚」として知られる。建物西側は二畳の茶立所を含むいくつかの小部屋に分かれている。二畳室は板床(いたどこ)があり、炉が切ってあって、茶室としても使用できるようになっている。「富士の間」「黄昏の間」境の欄間の透かし彫りや、七宝製の釘隠し(富士山をかたどる)もこの建物の特色である。小書院の北側には前述の二畳の茶立所とは別の茶室が付属し、「八窓席」の名で知られる。<br />八窓軒<br />小書院の北側に隣接して建つ茶室。大書院・小書院と同時期の建築と考えられる。平三畳台目、中柱、下座床の席。小堀遠州風の意匠が随所に見られる。東側の壁の連子窓の上に下地窓を重ねる手法は珍しく、遠州好みとされている。天井は東側(躙口側)を化粧屋根裏、西側(床の間側)を平天井とする。この平天井が点前畳の上まで続き、点前座を落ち天井としないのは古い手法である。躙口上の連子窓は虹のような影が生じることから「虹の窓」と呼ばれて名高い。<br /><br /><br />

紅葉に燃える曼殊院 雨の京都に進出

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2014/11/29 - 2014/11/29

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bakaneko

bakanekoさん

円光寺の庭を攻略後、曼殊院に向かう。円光寺から15分ゆるい坂を上ったり下りたりする。何とか到着。蒸し暑くて大変でした。
 以前、来た事があるのですが、記憶には幽霊の掛け軸しか記憶にありません。情けない限りである。
 以前、写真でここの庭と紅葉を見て撮りたいと思った。人は土曜日10時過ぎ、雨のち曇りの状態だったのでまあ多いといった感じ。泉州の晴れの3連休ならまさに地獄絵図であったろうと思われる。名古屋弁や大阪弁が飛び交う中の撮影である。部屋の中は写真は禁止で、縁側ないしは外に向かって撮るのはありということでした。
 一応禁止事項は、部屋の中の撮影、荷物は欄干などに立てかけないということでした。あと座り込んで場所を占有するばばあは、邪魔の限りでした。空いていればOKですが混んでいるときには???です。
 しかしここはゆっくり眺めるといいところで、1度ならず2度も回ってしまいました。2度目の鑑賞は、違ったものが見えて素敵でした。
 曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。
 曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であった(法親王とは皇族男子で出家後に親王宣下を受けた者の称である)。曼殊院の現在地への移転は明暦2年(1656年)のことで、現存する大書院(本堂)、小書院などはこの時のものである。この地は曼殊院と同じく比叡山の小坊の1つで慶滋保胤らによって勧学会が開かれたものの後に廃絶した月林寺の跡地であったと言われている。

良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、後水尾天皇の猶子であった。良尚法親王は天台座主(天台宗最高の地位)を務めた仏教者であると共に茶道、華道、香道、和歌、書道、造園などに通じた教養人であり、当代文化に与えた影響は大きかった。曼殊院に伝存する茶室、古今伝授資料(古今和歌集の秘伝を相承するための資料)、立花図(池坊流2世池坊専好の立花をスケッチしたもの)などの文化財は法親王の趣味と教養の広さを示している。
 境内は比叡山西麓に位置する。入口である勅使門の左右の塀は5本の水平の筋が入った築地塀で、門跡寺院としての格式の高さを表している。主要な建物としては玄関、大書院、小書院、庫裏、護摩堂などがある。中心になる仏堂はなく、本尊は大書院の仏間に安置されている。枯山水庭園は小堀遠州の作といわれる。

大書院(本堂)
明暦2年(1656年)の建築。仏間に本尊阿弥陀如来立像を安置することから「本堂」とも呼ぶが、解体修理の際に発見された墨書等から、建設当時は「大書院」と称されたことが分かる。寄棟造、?達(こけら)葺きの住宅風建物である。正面東側に「十雪の間」、西側に「滝の間」があり、「十雪の間」背後には「仏間」、「滝の間」背後には「控えの間」がある。建物内の杉戸の引手金具には瓢箪、扇子などの具象的な形がデザインされ、桂離宮の御殿と共通したデザイン感覚が見られる。「十雪の間」の床の間には木造慈恵大師坐像(重要文化財)を安置し、仏間には本尊阿弥陀如来を中心とする諸仏を安置する。
小書院
大書院(本堂)の東北方に建つ。大書院と同時期の建築で寄棟造、?達(こけら)葺きである。間取りは東南側に八畳の「富士の間」、その北に主要室である「黄昏(たそがれ)の間」がある。黄昏の間は、七畳に台目畳二畳の上段を備え、床(とこ)・棚・付書院をもつ。床脇の棚は多種類の木材を組み合わせたもので「曼殊院棚」として知られる。建物西側は二畳の茶立所を含むいくつかの小部屋に分かれている。二畳室は板床(いたどこ)があり、炉が切ってあって、茶室としても使用できるようになっている。「富士の間」「黄昏の間」境の欄間の透かし彫りや、七宝製の釘隠し(富士山をかたどる)もこの建物の特色である。小書院の北側には前述の二畳の茶立所とは別の茶室が付属し、「八窓席」の名で知られる。
八窓軒
小書院の北側に隣接して建つ茶室。大書院・小書院と同時期の建築と考えられる。平三畳台目、中柱、下座床の席。小堀遠州風の意匠が随所に見られる。東側の壁の連子窓の上に下地窓を重ねる手法は珍しく、遠州好みとされている。天井は東側(躙口側)を化粧屋根裏、西側(床の間側)を平天井とする。この平天井が点前畳の上まで続き、点前座を落ち天井としないのは古い手法である。躙口上の連子窓は虹のような影が生じることから「虹の窓」と呼ばれて名高い。


旅行の満足度
4.5
交通手段
私鉄 徒歩 バイク
  • いきなりの落葉。

    いきなりの落葉。

  • 雨に濡れた紅葉が苔の上に映える

    雨に濡れた紅葉が苔の上に映える

  • 曼殊院はいってすぐの光景。みなここでその赤に魅入る。

    曼殊院はいってすぐの光景。みなここでその赤に魅入る。

  • ここの廊下のガラスを通してみる庭園も素敵である。<br />昔のガラスは、でこぼこがあり風景がいがんで見える。<br />ならでも見たが、これは素敵だと思う。

    ここの廊下のガラスを通してみる庭園も素敵である。
    昔のガラスは、でこぼこがあり風景がいがんで見える。
    ならでも見たが、これは素敵だと思う。

  • 紅葉も終盤。エエ色になってきている。

    紅葉も終盤。エエ色になってきている。

  • 落葉に埋め尽くされた庭。

    落葉に埋め尽くされた庭。

  • はい定番です。額縁庭園。

    はい定番です。額縁庭園。

  • このアングルもいいものです。

    このアングルもいいものです。

  • 小堀遠州作といわれる枯山水庭園

    小堀遠州作といわれる枯山水庭園

  • もう少し腰をかがめればよかった。

    もう少し腰をかがめればよかった。

  • これが勝負写真です・・・

    これが勝負写真です・・・

  • 雨のち曇りの日ですが、逆光にならずこれも正解かと思う。

    雨のち曇りの日ですが、逆光にならずこれも正解かと思う。

  • 庭園の写真は難しいです。光線加減がわからない。

    庭園の写真は難しいです。光線加減がわからない。

  • 出来るだけ空をいれず。人のいないときこの庭を歩きたい

    出来るだけ空をいれず。人のいないときこの庭を歩きたい

  • 色々角度を変えるもぱっとせず

    色々角度を変えるもぱっとせず

  • 御用松もええです。

    御用松もええです。

  • 片隅に

    片隅に

  • もう一周。これが撮りたくて

    もう一周。これが撮りたくて

  • きっちりとここは押さえなあきません。

    きっちりとここは押さえなあきません。

  • どこを回っているのか判らなくなります

    どこを回っているのか判らなくなります

  • 谷崎潤一郎の寄贈

    谷崎潤一郎の寄贈

  • 元に戻ってきました。

    元に戻ってきました。

  • ここから外です。

    ここから外です。

  • 一瞬の風景ですが、京都らしい

    一瞬の風景ですが、京都らしい

  • 外側の紅葉も画になります

    外側の紅葉も画になります

  • もっとうまく撮りたい

    もっとうまく撮りたい

  • 雨上がりの苔は最高です。

    雨上がりの苔は最高です。

  • なんとなく気に入っている写真

    なんとなく気に入っている写真

  • 勅使門

    勅使門

  • 階段の落葉も撮りたかった

    階段の落葉も撮りたかった

  • まあ満足な紅葉でした

    まあ満足な紅葉でした

  • 奥まで続く赤の道

    奥まで続く赤の道

  • 黄の紅葉

    黄の紅葉

  • それでは撤収。あとは下りです

    それでは撤収。あとは下りです

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