2014/09/13 - 2014/09/15
39位(同エリア104件中)
naoさん
長野県北安曇郡小谷村千国(おたりむらちくに)は、信州の「塩の道」として知られる、新潟県糸魚川市と長野県松本市を結ぶ全長120kmの千国街道(松本街道、糸魚川街道とも呼ぶ)沿いに位置しています。
甲斐と信濃の大半を領地としながらも海が無かった武田信玄は、海を求めて、今川義元亡き後の駿河へ侵攻を企てますが、そのことをいち早く察知した今川氏真が、相模の北条氏康と共謀して武田領内への「塩止め」を行います。
これにより領内の塩不足に喘いでいた武田信玄に対し、敵対していたとはいえ、義を重んじる越後の上杉謙信が、牛馬の隊列を整えて塩をおくったのがこの千国街道を通じてで、「敵に塩をおくる」と云う、あまりにも有名な逸話が語り継がれています。
実際は、単に商業上の理由によるものだったのかも知れませんが、「信義を重んじる」だの、「謙譲の美徳」だのと云った、日本人が持つ素晴らしい道徳観に通じる、ロマンあふれる逸話だと思います。
それはさておき、江戸時代以降の千国街道は、越後と信州を結ぶ大動脈でありながら大名行列が通ることもなく、日本海側からは水揚げされる海産物や塩などを、逆に、信州側からは山の幸、麻、たばこなどが運ばれ、専ら庶民の生活を支える物資の輸送路として重要な役割を果たしていました。
糸魚川から姫川の谷をさかのぼり、安曇野の中央を縦断して松本に通じる街道は、山岳地帯の険しい山道の通行に難渋をきわめ、背中に塩俵を載せた6〜7頭の牛を一人の牛方が手綱を引いて連れて歩いた牛方や、歩荷(ボッカ)と呼ばれる荷役人夫たちの力に頼らざるを得ない状況で、特に、冬場の豪雪期には牛でさえも通行困難となり、歩荷が背中に荷物を担いで運ぶ以外方法はありませんでした。
このため、代々稲作を生業としてきた千国集落でも、耕地面積、生産量ともに少なかったことに加え、千国街道の荷継宿としても機能していたこともあり、牛方や歩荷を業とする者も多くを数えました。
このような状況から、ここ千国集落を含めたかつての千国街道沿いには、険しい山道を歩いてきた牛方や歩荷たちが一つ屋根の下で疲れを癒したという「牛方宿(うしかたやど)」が何軒も開かれ、活況を呈していました。
しかし、明治20年頃の新しい国道の開通とともに街道がその役割を終えると、「牛方宿」もいつしか姿を消してしまい、現在小谷村沓掛に残る「牛方宿」のみが、かつての塩の道を物語る唯一の生き証人となっています。
この「牛方宿」は、間口が6間、奥行が10間ある茅葺屋根の建物で、1700年代末から1800年代初頭に建てられたと考えられており、1階が牛を休ませた土間、2階が牛方たちの宿泊場になっており、牛方はもっぱらここから牛の様子を見ながら寝ていたと云われています。
一方、現在の千国集落は一部に茅葺屋根の民家が残ってはいるものの、大半は茅葺屋根をトタン板で覆った寄せ棟造りに、白い真壁造りの外壁を見せる建物と、棚田や畑が混在した農村集落を形成しており、日本の原風景とでも云うべき美しい姿を見せています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の最終日は、長野市内のホテルを出て、先ずは小谷村を訪れます。
昨日までの素晴らしい晴天から一転して、曇り空になってしまいました。
小谷村へ向かう山越えの途中、鬼無里で「おやき」のお店に立ち寄りました。
昨日から販売を始めたと云う「舞茸のおやき」をお願いすると、「野沢菜のおやき」も1個サービスしてくれ、ホテルで朝食を採ったと云うのに、ついつい2個もたいらげてしまいました。
「おやき」も別腹のようです・・・。 -
鬼無里から国道406号線を白馬村方面に進み、トンネルを抜けた所でいきなり現れたのがこの風景です。
白馬連峰の雄姿が眼前に広がっています。 -
白馬村まで下りてくると、田圃の畦道にキバナコスモスがきれいに咲いています。
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もちろん、雄大な白馬連峰とツーショットにしました。
この光景、白馬連峰が見下ろしていると云うべきか、はたまた、白馬連峰を見上げていると云うべきか・・・。 -
白馬村から小谷村へ向かう途中で、優しいお顔をした石像と出会いました。
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小谷村に入ってまず訪れたのが、千国街道沿いの沓掛に残る「牛方宿」です。
信州の「塩の道」として知られる千国街道は、背中に塩俵を載せた6〜7頭の牛を連れて歩いた牛方が、塩の荷役を引き受けていました。
かつての千国街道には、そんな牛と牛方が一つ屋根の下で疲れを癒したという「牛方宿」が何軒もあったようですが、現在、残っているのはここだけだそうです。 -
「牛方宿」とともに、これも唯一残っている塩蔵。
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この塩蔵は、平成19年にこの地に移築されたもので・・・
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塩の道を語るうえで貴重なものとなっています。
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母屋は茅葺きの寄棟屋根で、間口6間、奥行10間の建物は、1700年代末から1800年代初頭に建てられたと云われています。
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茅葺屋根の棟押さえ。
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明治20年頃の新しい国道の開通により、千国街道とともに役割を終えた「牛方宿」。
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現在、この「牛方宿」のみが、かつての塩の道を物語る唯一の生き証人となってしまいました。
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今はギャラリーになっている土蔵。
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では、母屋を見せていただきます。
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紙障子のくぐり戸を開けて入ります。
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中へ入った時は薄暗くてはっきり見えなかったんですが、目が慣れてくるとだんだん姿形が判ってきました。
ここは竈や囲炉裏のある台所です。 -
台所の右手に茶の間や客間が続いています。
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茶の間に置かれた糸車と機織り。
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障子の隙間から水車が見えています。
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白熱灯に傘だけが付いた、シンプルな客間の照明器具。
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客間に続く縁側。
雪深い里なのに、ガラス戸1枚だけで冬の寒さをしのいでいたようです。 -
客間から見た茶の間。
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糸車。
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「牛方宿」に秋を告げるススキの穂。
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稲穂もそっと顔を覗かせています。
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塩の荷役に使われた道具類。
蓑やかんじきは、雪深い街道の荷役を支えるのに欠かせないものだったでしょうね。 -
農機具の上の中2階が牛方の寝床で、牛の様子を見守りながら寝泊まりしていたそうです。
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入り口のすぐ左手にある、牛達を繋いでいた馬屋。
優しいまなざしで見守っていた、牛方の姿が思い浮かびます。 -
では、母屋はこれくらいにして、外周りを見てみます。
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土蔵を覆う上屋は雪囲いの意味があるんでしょうか・・・。
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「牛方宿」にコスモスが彩りを添えています。
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母屋の裏に広がる蕎麦畑には・・・
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蕎麦の白い小さな花が咲き誇っています。
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母屋裏側の外観です。
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塩蔵の奥に見える民家は、江戸時代の古民家を利用したお休み処。
信州蕎麦や名物の塩羊羹などがいただけるようです。 -
屋根の一部を盛りあげ、格子のはまった開口部が作られています。
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宿の家族が使っている部屋の上部にあたるので、屋根裏部屋があるのかもしれません。
では、もう少し北へ走って、小谷村千国集落へ向かいます。 -
そろそろ千国集落だろうなと思って走っていると、集落南側の入り口に千国街道の石標が立っているのを見つけました。
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道端の空き地に車を停めさせてもらって、集落に向かいます。
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集落に入ると、すぐ目に入って来たのが小谷村の汚水枡の蓋。
村の花である大山桜をモチーフにしたデザインになっています。 -
千国集落の民家は、かつての茅葺屋根をトタン板で覆ったものが殆どのようです。
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畑仕事に余念のないおばあちゃん。
こうして写真を撮らせてもらっている事が申し訳ないような気がします。 -
稲刈りを前に、地元の方が野焼きに精を出しておられます。
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かぶと造りによく似た屋根をしつらえた民家が並んでいます。
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2階建ての大きな民家。
玄関先に置かれた燃料タンクが、厳しい冬の寒さを想像させます。 -
トタン屋根に反りがついた民家。
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こちらの民家は、冬に備えて薪の準備を始めておられます。
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軒先に整然と積み上げられた薪。
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こんなにたくさんある薪も、ひと冬で使いきってしまうんでしょうね・・・。
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集落の真ん中を貫く千国街道。
江戸時代は越後と信州を結ぶ大動脈でありながら、大名行列などが通ることもなく、専ら庶民の生活を支える、重要な物資輸送路でした。
また、『盆と暮れにはこの街道沿いに「千国市」が立ち、近郷から多くの人々が訪れる「街」だったんですよ』と、先に訪れた「牛方宿」の係の方が話しておられました。
当時は政治、経済の中心地だったんですね。 -
大きな岩の上に、木柵で囲った祠のようなものを祀る民家。
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信仰心に厚いお宅なんでしょうね・・・。
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入母屋屋根の民家がありました。
寄棟屋根ばかりの集落にあって、とても珍しい存在です。 -
白い漆喰壁に化粧貫が映える民家。
白と黒のコントラストが印象に残ります。 -
花に囲まれた民家。
このお宅の主は花がお好きなようです。 -
妻面の板壁の荒々しさに目を引かれました。
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千国街道を行き交う物資や通行人改めを目的に設けられた、旧松本藩の千国番所跡です。
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左手前が番所跡、中央奥が千国の庄史料館、右手前の小さな建物が塩蔵です。
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この番所跡は、集落内の別の場所に建っていたものを移築、復元したものだそうです。
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千国の庄史料館は、集落にあった民家を移築したもので、建物内には馬屋が設けられ、牛や馬が家族の一員として生活していた当時の名残を留めています。
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番所と云うだけあって、人々を威圧するような雰囲気が漂っています。
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かぶと造りの屋根に、小さな越屋根が載った民家。
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この集落でも貴重な存在の茅葺屋根の民家。
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第三者がとやかく云う事ではないんですが、かつてこの集落にも茅葺屋根が並んでいたことを考えると、ちょっと寂しい気がします。
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でも、頭を垂れる稲穂に似合うのは、何といっても茅葺屋根ですね。
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千国街道は、正面の険しい山を越えて糸魚川と結んでいます。
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棚田一面に広がる黄金色の田圃。
千国集落でも、そろそろ稲の収穫を迎えようとしています。 -
日本の原風景とも云えるこの牧歌的な風景は、旅人の心を癒して余りあります。
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では、千国集落を後に、この旅最後の目的地へ向かいます。
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