2014/10/30 - 2014/10/30
418位(同エリア574件中)
滝山氏照さん
JR青梅線福生駅から徒歩約12分、柚井山・真福寺(しんぷくじ、東京都福生市大字熊川)は江戸時代当地域に知行を得ていた旗本田沢(たざわ)氏の墓所で4代目の正忠(たざわ・まさただ)と家臣の墓石があります。
そもそも当寺は上恩方村の松竹城主の大石道俊なる武将が不動尊を本尊として城内に創建し、その後小田原北条氏の支配に変わると天正年間に八王子城築城に従って移転するも天正18年(1590)小田原城合戦により建物が兵火を受けて焼失します。
同年徳川家康の関東入部に伴い400石の知行を得て当熊川打出地区の地頭となった旗本の田沢氏の庇護の下再建して現在に至っています。
田沢氏は甲斐武田氏の家臣で正忠は信玄・勝頼に仕えていましたが天正10年(1582)に武田氏滅亡後は徳川家康の家臣となり、その後長久手の戦いで戦功を挙げ、熊川打出地区に入った田沢氏は正忠の後裔が知行を継いでゆきます。
境内の一隅には田沢氏を紹介する説明板が置かれ、記載内容は次の通りです。
「田沢氏の墓一基、附家臣の墓二基
旗本田沢氏は天正18年(1590)に熊川村(内出地域)246石4斗を加封され地頭となり、以後明治維新を迎えるまで領地した。
現在の石塔は安政4年(1792)に家臣嶋田左右平師往によって再建されたもので、総高1.3mの方丈石塔一基が南面して建てられている。また並んで家臣の墓二基も建立されている。
真福寺に葬られたのは、田沢七右衛門正忠とその室、久左衛門正久とその室、そして、久次郎、大学、姓名不詳の者一人、合わせて七人である。
近世、旗本領の支配者である地頭の墓が、その領地に存することは稀であり、福生市における近世の遺跡としてまことに貴重である。
(以下 続く墓石の塔身記載内容については記載略)
福生市教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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真福寺・寺門
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真福寺・寺標
石標には「真言宗豊山派 柚井山真福寺」と刻されています。 -
柱標
石標の右側には「市史跡 田沢氏の墓」と記された柱標が立っています。 -
真福寺・本堂
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真福寺・寺額
「真福寺」の社額が掲示されています。 -
真福寺・本堂
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真福寺・境内
境内の芝が程よく手入れされています。 -
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真福寺・鐘楼
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真福寺・境内
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田沢氏墓所・説明板
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田沢氏・家臣の墓石柱
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「田沢氏墓・家臣の墓」説明板
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「如意輪観音坐像」説明
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田沢正忠墓石(遠景)
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田沢正忠墓石(近景)
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田沢氏家臣墓
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田沢氏家臣墓
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田沢氏墓石正面
風雪により墓石の痛みが激しく読めません。 -
田沢氏墓石裏側面
墓石には正忠と室を含む7名の名前等が刻されています。 -
田代氏墓石左側面
説明板によれば田沢氏の経歴などが記載されてるとのことですがほとんど読めない状況です。
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