2014/10/30 - 2014/10/30
346位(同エリア573件中)
滝山氏照さん
正式には本覚院(ほんがくいん)と称する拝島大師(はいじまだいし、東京都昭島市拝島町)はJR青梅線の昭島駅から約徒歩20分の国道16号(東京環状)と奥多摩街道とが交差する位置にある寺院です。
本覚院は大日八坊(大日堂の八つの子院で現在は三つ)の一つで現在の建物は文政2年(1819)の再建、昭和26年の改修されて現在に至っています。
堂内には平安中期の名僧慈恵(じえ)大師像が安置されていますが、元亀2年(1571)織田信長による比叡山延暦寺焼き討ちの際運び出された経緯が伝えられています。
また大師は寛和元年(985)の正月3日に亡くなったので「元三大師」と敬われ、現在でも毎年正月2・3日にはだるま市がたち参詣する人々で賑わっています。
さて戦国時代には小田原北条氏と上杉謙信との相越同盟がなされ、自国の孤立を懸念した武田信玄が小田原城を攻略するという事態が起こります。
小田原に至るその進軍経路に北条氏照(ほうじょう・うじてる、1540~1590)が本拠とする滝山城が包囲・攻撃を受ける際、信玄がこの拝島大師を含む大月堂を本陣として設営しています。
その詳細については下記の通りとなります。
即ち、天文23年(1554)に結ばれたいわゆる相甲駿同盟は駿河国の今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)は桶狭間にて討ち死にしその結果勢力のバランスが崩れる事になり、永禄3年(1560)甲斐の武田信玄は駿河の今川領に侵入しここに三国同盟は破綻することになります。
信玄の駿河侵入に対し永和12年(1569)小田原北条氏3代の氏康(うじやす)は北からの脅威を排除するため、これまで敵対していた越後国の上杉謙信と同盟して信玄勢の孤立を狙います。
永禄12年(1569)上記越相同盟に激怒した信玄は北条氏攻略のため2万の大軍を率いて碓氷峠を越えて小田原に向かいます。
途中に北条氏支城である鉢形城(氏政弟の氏邦城駐)を経て北条氏照が本拠とする滝山城攻撃をするため多摩川対岸の拝島大日堂に本陣を置きます。
9月26日に武田軍の別働隊として郡内を治める小山田信茂(おやまだ・のぶしげ)が千名の軍勢で通行不可能と思われる小仏(こぼとけ)峠から滝山城に向けて侵入、不意を突かれた氏照はすぐさま横地監物、中山勘解由(家範)らに2千名を付けてを高尾近くの廿里(とどり)にて応戦しますが、先着した信茂軍に迎え撃たれ敗退を喫します。
翌27日には滝山街道側に陣を構えていた武田勝頼の軍勢と共に信玄本隊は滝山城を猛攻撃、遂に三の丸まで攻め込まれたとされ、氏照は二の丸の二階門に駆け上がり応戦します。
然しながら信玄の目的は小田原であったことから無理して滝山城を落とすことはせず、3日目の28日夜には陣容を整え御殿峠を通り北条氏の本拠である小田原に向かいます。
信玄の徹底した攻撃がなかった事で落城を免れた氏照は滝山城の防御力に限界を感じてかその後(築城時期は明確ではないが天正12年(1584)~天正15年(1587)の間と思われる)甲府口に近い深沢山に新たに新城建設になります。
2022年12月27日追記
当該寺院のホームページには下記の通り紹介されています。
『 拝島大師 縁起
拝島大師のお大師様は醍醐天皇延喜12年(912)9月3日のお誕生、12歳の延長元年(923)5月3日に比叡山に登り、学問修行に励み北嶺比叡山を代表する存在となり、南都東大寺・興福寺の学僧と仏教論争を繰り返し、誰でも仏に成れる法華経教義を確立しました。
また慈覚大師円仁将来の密教修法を発展させ、修法の霊験はとてもの人間の技とは思えす、人々は大師の正体は仏が菩薩だと思いましたが、お弟子の恵心僧都は如意輪観音とのことでした。そこで拝島大師奥の院多宝塔に如意輪観音を祀ります。
拝島大師の元三・慈恵大師の正体は如意輪観音ですので、大師の力を念じ、信仰することで皆さまの苦境はたちまち乗り越えることができるのです。朝に暮れに観世音を念じる。その一念はすべて我々の心、煩悩に汚れた迷いの心から起こる・一念一念はいつも我らの心を離れない。いつも観音さまを心に念じ、無事に暮らしたいと願います。お大師さまが観音さまの生まれ変わりであることが了解されます。
永観3年正月3日(985)の御入滅により、元三大師と称されます。大師は入滅後にその像が画像や彫刻に造られ、人々の信仰を生んできました。拝島大師の尊像は大師が生前にご自分で作られたもので、永く比叡山に伝わりましたが、元亀の織田信長の兵火で焼尽に帰すべきも、敬湛大僧都により救出され、諸国行脚の末拝島に来ました。
角大師・豆大師のお札があります。大師が修法すると魔が降りること現すのが角大師で、厄除け、魔除けです。豆大師は観音さんが三十三身に変じて出現することにより、開運・諸願成就です。また、観音経の文句によって、「おみくじ」を作り、人々に正しい指針を示しました。
方角では丑と寅、?の方向と言えば「鬼門の方角」、京都の鬼門の方角に比叡山があり、鬼門除けが比叡山延暦寺でした。戦国の世、北条氏の滝山城の方角に拝島大師ができたのです。
400余年、拝島大師はみなさまの厄除け、魔除けに力になり、病気を治し、運勢を開き、迷いに「おみくじ」の指針を与えてまいりました。』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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拝島大師・南大門
一般より脚が一段と高い南大門奥多摩街道に面しているのが見えます・ -
南大門上部の寺額
よくよく見ますと「拝島大師」と記載された寺額が掲載されています。 -
拝島大師・参道
南大門を過ぎると直線の参道を進みます。 -
イチオシ
文殊楼
鉄筋コンクリートで造られた文殊楼が参道の先に認められます。拝島大師の山門は楼上に文殊菩薩をお祀りする文殊楼で本山比叡山根本中堂の文殊さまを勧請した竜宮城様式の建物です。 -
拝島大師・本堂
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本堂一部
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奥の院・多宝塔(全景)
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奥の院多宝塔(近景)
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多宝塔一望
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奥の院多宝塔・説明板
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拝島大師・西口
年末年始等の特定の日以外は常時閉門とされています。 -
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拝島大師境内
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拝島大師・大梵鐘
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水天宮
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大黒堂(旧本堂)
平成3年(1991)まで本堂でした。 -
大黒堂(近景)
堂宇の上部には「大悲殿」と刻された扁額が見えます。 -
拝島大師・境内
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八角円堂
奈良興福寺の北円堂及び南円堂を思わせる壮大な木造八角円堂は関東随意一といわれています。 -
拝島大師・庭園
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ちぶさの鐘・説明板
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奉献天然理心流
堂宇の外壁に掲示されている「奉献 天然理心流」が眼に入ります。 -
奉献天然理心流
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奉献天然理心流
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