2014/10/02 - 2014/10/06
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ハナママゴンさん
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ヨークといえば、ミンスター。
今回は市壁の外側にある公園ミュージアム・ガーデンズと、ミンスターの周辺をご紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回ご紹介する場所の位置です。
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見づらいですが、●1の上にあるヨーク市美術ギャラリー(York City Art Gallery)の前面には、エキシビション・スクェア(Exhibition Square)という名の広場(噴水つき)があります。 でも全面的に工事中だったので写真は撮りませんでした。
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広場の南西にあるのは、近隣にあった聖メアリー修道院の院長の住居として1483年に建造されたキングス・マナー。 修道院が取り壊されたあとはキングス・マナーは王家に没収されました。 イングランド内戦中、チャールズ1世がここに本部を置いたため、キングス・マナーは1642年に攻撃されました。
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現在はヨーク大学に属し、考古学部が置かれているそうです。 一部は一般にも公開されているとのことなので、静かな中庭に入り込み、図々しくもトイレまで拝借しました。
ここの食堂では、訪問者もランチを取れるそうです。 -
大通りに沿って歩き始めたら、右手にローマ時代の壁の名残りがありました。
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“ローマ人の壁
この古代の壁は、のちにヨーク市へと発展する砦であり市でもあった Eboracum の防御壁の一部であった。 紀元300年頃にローマ皇帝コンスタンティウス・クロルスにより建造された。 紀元306年にこの市で死亡したクロルス皇帝は、コンスタンティヌス大帝の父親である。”
(・・・ で、いいのかな ・・・・・?) -
さらにその先には、屋根のない教会?礼拝堂?の名残りが。
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通路にはポスターが貼られていました。
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大通り(Museum Street)側から見た、公園への入口です。
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公園内から入口を振り返ってみました。 大通りを隔てた向こう側には、セント・ヘレン広場へと通じるレンダル通り(Lendal)が伸びています。
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少し歩くと右手に見えてくる、Multangular Tower (多角塔)。
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10面ある塔で、以前はローマ時代の防御壁の一部として8つもあったそうです。 地面から6mほどまでの部分は、オリジナルの石造建築が残っています。
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“多角塔
この塔はローマ軍団の砦 Eboracum の北西の角に位置していた。 紀元300年頃の建造で、より古く単純な造りの塔があった場所に建築された。 上部のより大きな石造建築は、中世の時代に付け加えられた。” -
この公園には灰色リスがあちこちにいました。
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しかもあまり人間を怖れないようで、けっこう近くを平気で走り回るんです。
とはいえ、上のもこれも、ズームイン写真ですが。 -
若い男性のグループを盗撮したわけではありません。
左下隅の杭にご注目。 -
リスがバランスを取っていたんです! その背景にももう一匹。 カワイイ。
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ヨークシャー博物館です。 私は入りませんでしたが。
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聖メアリー修道院の名残です。 1055年に建てられた教会があったところに、1088年に修道院教会が設立されました。 その後イングランド北部で最も大きく最も豊かな修道院へと発展しましたが、ローマ・カトリック教会と対立したヘンリー8世の修道院解散令によって16世紀前半に取り壊されました。
石材はリサイクルされ、牢獄とウース橋の建設に使われたそうです。 -
13世紀に建造された、Hospitium(巡礼者や参拝者のための宿泊所)です。
穀物倉、厩舎、醸造所、製粉所、製パン所、集魚所、仕立て屋の作業所などがすべて取り壊され消えてしまった中、唯一これだけが残りました。 -
現在は結婚披露宴などに使われているようです。
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ミュージアム・ガーデンズの北西側に長い壁がはしっていたので、その外側を歩いてみました。
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でも何もなく、途中で公園に戻る入口もなく、歩いたことを後悔。
壁はブーサム通り(Bootham)へと右に折れ、ヨーク市美術ギャラリーの手前で終わっていました。 -
その巨大さ・立派さで有名なヨーク・ミンスターの正面です。 西を向いています。
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右端に見える、ミンスターの南に隣接する教会は、ミンスターとは別個の聖マイケル・ル・ベルフレイ(St. Michael Le Belfrey)教会です。
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ミンスターの南面に寄生しているかのようなこの建物は??
外壁の案内文を見てみましょう。 -
“マイルズ・カヴァーデイル(1488年頃‐1569年頃)
エクセター司教を務めたカヴァーデイルは、ヨークの生まれだと信じられている。彼は初めての完全な英語版聖書を翻訳・出版し、トマス・クロムウェルの後援でグレート・バイブル(Great Bible)を改訂した。
彼はイギリスの宗教改革における主要人物であり、欽定訳聖書(1611年)と聖公会祈祷書(1662年)の詩篇にも大きく貢献した。 彼の翻訳のコピーは、1420年頃に建立されて1810年まではミンスターの書庫として使用されていたこの建物内に保管されていた。” -
ミンスターの南側に設置されている、ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝(274−337年)の像です。
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“大帝コンスタンティヌス (274−337年)
コンスタンティヌスは紀元306年にこの辺りで、ローマ皇帝であることを宣言された。 キリスト教徒である平民の人権を認識し、自らもキリスト教に改宗した彼は、西洋におけるキリスト教界の宗教的基盤を確立した。” -
ミンスターの南にある私立学校、ミンスター・スクールです。
ミンスターの聖歌隊員の教育を目的に627年にヨーク司教によって設置されたのが始まりで、現在も音楽教育に重きをおき、3歳から13歳までの180名の生徒のうち40名はミンスターの聖歌隊員だそうです。 -
ミンスターのお尻の部分(東側)は、修復作業中でこんな風になっていました。
右端の建物にご注目。 -
ミンスターの東に立つ、聖ウィリアム・カレッジです。
1461年に、寄進者のために有料で祈りを捧げる若い僧たちの住居として建てられました。 若さゆえ粗暴になりがちな僧たちを、ミンスターの目の届くところに住まわせるのが目的でした。 カレッジはヨーク出身の聖人ウィリアム・フィッツハーバート(11世紀末‐1154年)にちなんで命名されました。 -
その後うち棄てられていたカレッジは、1906年に富裕な実業家フランク・グリーンによって修復されました。 現在は会議場とレストランになっているそうです。
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写真右端に、かわいいカフェがありました。
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その名も “バニラ・カフェ” です。
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歩いた跡を、地図で確認。
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ミンスターの北東に位置するトレジャラーズ・ハウスです。
1547年までは、ミンスターの収入役(トレジャラー)の住居として使われていました。 その後何度も持主が変わり、老朽化した建物は、1897年から1930年にかけて、これまた実業家フランク・グリーンによって修復されました。
グリーンは1930年にヨークから転出する際に、トレジャラーズ・ハウスをナショナル・トラストに寄贈。 おかげで現在も、訪問者はグループ・ツアーで内部を見学できるようです。 (私は入りませんでしたが。) -
ミンスターの北西側は芝生が敷かれ、ディーンズ・パーク(Dean's Park = 首席司祭?の公園)と呼ばれています。 その公園から見た、ミンスターの北側面です。
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公園を出て、ミンスターの西側正面近くに戻りました。
移動式カフェが来ていました。
次回はいよいよ、ミンスター内部をレポートします。
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