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 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。<br /><br />日程表<br />6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア<br />6月4日(水) ベネチア<br />6月5日(木) ベネチア<br />6月6日(金) ベネチア→フレンツェ<br />6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ<br />6月8日(日) フィレンツェ<br />6月9日(月) フィレンツェ<br />6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア<br />6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア<br />6月12日(木) ラスペチア→サンレモ<br />6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ<br />6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ<br />6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊<br />6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)<br />6月17日(火) 船中泊(Le Lot)<br />6月18日(水) 船中泊(Le Lot)<br />6月19日(木) 船中泊(Le Lot)<br />6月20日(金) 船中泊(Le Lot)<br />6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール<br />6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール<br />6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス<br />6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス<br />6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス<br />6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ<br />6月27日(金) バルセロナ<br />6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ<br />6月29日(日) バルセロナ<br />6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→<br />7月1日(火)  →羽田<br /><br />サンタ・クローチェだけでアルバム3冊目って、ちょっと時間をかけすぎでしょうか?<br />でも、気に入った場所には好きなだけいるというのがわがモットーなので、もう少しお付き合いくださいませ。<br />後悔したのは、もう少し勉強してくるんだった・・・ということだけ。ってこれは、いつも後悔することなのですが、帰国すると忘れてしまうのです。

イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その23 フィレンツェ(8)

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2014/06/09 - 2014/06/09

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junemay

junemayさん

 個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。

日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火)  →羽田

サンタ・クローチェだけでアルバム3冊目って、ちょっと時間をかけすぎでしょうか?
でも、気に入った場所には好きなだけいるというのがわがモットーなので、もう少しお付き合いくださいませ。
後悔したのは、もう少し勉強してくるんだった・・・ということだけ。ってこれは、いつも後悔することなのですが、帰国すると忘れてしまうのです。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

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  • ここは聖具室です。前回最後に訪れたリヌッチーニ礼拝堂は、確か聖具室の中にあったと思います。大きな長方形の、木製の屋根を持つこの聖具室は、1340年頃、ベルッツィ家の依頼を受け、建てられました。

    ここは聖具室です。前回最後に訪れたリヌッチーニ礼拝堂は、確か聖具室の中にあったと思います。大きな長方形の、木製の屋根を持つこの聖具室は、1340年頃、ベルッツィ家の依頼を受け、建てられました。

  • 南壁のフレスコは、タッデーオ・ガッディ作。1333年に描き始められましたが、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニとスピネッロ・アレティーノによって完成したのはそれからおよそ60年後のことです。<br /><br />中央の絵キリストの磔はガッディと言われていますが、他の絵については諸説あるようです。通説では、上の絵キリストの昇天と右の絵キリストの復活はジェリーニ、左の絵ゴルゴダへの道はアレティーノと言われています。<br />保存状態も、これまで見てきたものよりはるかに良く、素晴らしいです。

    南壁のフレスコは、タッデーオ・ガッディ作。1333年に描き始められましたが、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニとスピネッロ・アレティーノによって完成したのはそれからおよそ60年後のことです。

    中央の絵キリストの磔はガッディと言われていますが、他の絵については諸説あるようです。通説では、上の絵キリストの昇天と右の絵キリストの復活はジェリーニ、左の絵ゴルゴダへの道はアレティーノと言われています。
    保存状態も、これまで見てきたものよりはるかに良く、素晴らしいです。

  • 聖具室にかかっていた、痛ましい十字架です。これもアルノ川氾濫の置き土産なのでしょうか?

    聖具室にかかっていた、痛ましい十字架です。これもアルノ川氾濫の置き土産なのでしょうか?

  • この絵がどこにあったのか、よく思い出せませんが、ロレンツォ・ディ・ニッコロの聖母戴冠です。天使達、福音記者聖ヨハネ、マグダラの聖マリア、聖ピエトロと聖ステファノが周りを囲んでいます。

    この絵がどこにあったのか、よく思い出せませんが、ロレンツォ・ディ・ニッコロの聖母戴冠です。天使達、福音記者聖ヨハネ、マグダラの聖マリア、聖ピエトロと聖ステファノが周りを囲んでいます。

  • 次はブロンズィーノのThe scenes from life of Christ and cardinal virtues。題名を日本語に訳せませんでした。<br /><br />写真が稚拙ですが、この絵には、様々な登場人物がいて、結構楽しめます。アダム、イヴ、モーゼ、ダヴィデ、ノア、等々オールスターキャストの絵です。探してみてください。

    次はブロンズィーノのThe scenes from life of Christ and cardinal virtues。題名を日本語に訳せませんでした。

    写真が稚拙ですが、この絵には、様々な登場人物がいて、結構楽しめます。アダム、イヴ、モーゼ、ダヴィデ、ノア、等々オールスターキャストの絵です。探してみてください。

  • フランチェスコ・サルヴィアティの十字架から降ろす。これも訳が変ですね。<br />色の使い方が独特で、とても綺麗!キリストを下方から見上げている女性達の衣装の揺れ動く様が伝わってくるようです!

    フランチェスコ・サルヴィアティの十字架から降ろす。これも訳が変ですね。
    色の使い方が独特で、とても綺麗!キリストを下方から見上げている女性達の衣装の揺れ動く様が伝わってくるようです!

  • 聖具室の廊下を進むと、突き当たりにメディチ家の礼拝堂があります。翼廊から突き出したような格好のこの礼拝堂は、コジモ・イル・ヴェッキオが、メディチ家お気に入りの建築家ミケロッツォに依頼して作らせたそうです。<br /><br />礼拝堂内にあった、「受胎告知」とロドヴィコ・カルディ・デット・イル・チーゴリの 「三位一体」です。チーゴリは1559年生まれ。フィレンツェにおけるバロック絵画の始祖と呼ばれています。

    聖具室の廊下を進むと、突き当たりにメディチ家の礼拝堂があります。翼廊から突き出したような格好のこの礼拝堂は、コジモ・イル・ヴェッキオが、メディチ家お気に入りの建築家ミケロッツォに依頼して作らせたそうです。

    礼拝堂内にあった、「受胎告知」とロドヴィコ・カルディ・デット・イル・チーゴリの 「三位一体」です。チーゴリは1559年生まれ。フィレンツェにおけるバロック絵画の始祖と呼ばれています。

  • メディチ家の守護聖人はコズマとダミアーノでした。彼らはともに医者の聖人で、メディチ家が彼らを選んだのは、単に名前がメディチ=イタリア語で医者だったからと言われています。ダミアーノは若い頃に亡くなっているため、メディチ家はその後、悪い前兆だとダミアーノを拒むようになりましたが、コズマは、代々受け継がれていったようです。

    メディチ家の守護聖人はコズマとダミアーノでした。彼らはともに医者の聖人で、メディチ家が彼らを選んだのは、単に名前がメディチ=イタリア語で医者だったからと言われています。ダミアーノは若い頃に亡くなっているため、メディチ家はその後、悪い前兆だとダミアーノを拒むようになりましたが、コズマは、代々受け継がれていったようです。

  • 祭壇の上にあったステンドグラスにコズマとダミアーノが描かれています。

    祭壇の上にあったステンドグラスにコズマとダミアーノが描かれています。

  • 祭壇の上にあった、アンドレア・デッラ・ロッビアの聖母子像です。少女のような可愛らしい顔のマリア様ですね。聖母戴冠のシーンでしょうか?釉薬を使ったテラコッタはここで初めて見ました。

    祭壇の上にあった、アンドレア・デッラ・ロッビアの聖母子像です。少女のような可愛らしい顔のマリア様ですね。聖母戴冠のシーンでしょうか?釉薬を使ったテラコッタはここで初めて見ました。

  • なぜこんなところに思うのですが、ガリレオ・ガリレイの胸像がありました。とても目立たない場所にひっそりと。

    なぜこんなところに思うのですが、ガリレオ・ガリレイの胸像がありました。とても目立たない場所にひっそりと。

  • ようやく外が見えました。なんだかほっとしますね。

    ようやく外が見えました。なんだかほっとしますね。

  • メディチ家礼拝堂を出た辺りに、皮細工職人達の工房「皮細工の学校」Scuola del Cuoioがありました。第二次大戦後、大勢の戦争孤児達に、古くからサンタ・クローチェ教会付属の修道院が持っていた皮工芸の技術を身につけさせ、独り立ちさせようと、地元の職人達が協力して出来た学校なのだそうです。

    メディチ家礼拝堂を出た辺りに、皮細工職人達の工房「皮細工の学校」Scuola del Cuoioがありました。第二次大戦後、大勢の戦争孤児達に、古くからサンタ・クローチェ教会付属の修道院が持っていた皮工芸の技術を身につけさせ、独り立ちさせようと、地元の職人達が協力して出来た学校なのだそうです。

  • サンタ・クローチェ教会のある辺りは、ここの卒業生が開いた革製品のお店が沢山あるそうですよ。こちらの売店でも、バッグから小物まで、色々と取り揃えてありました。

    サンタ・クローチェ教会のある辺りは、ここの卒業生が開いた革製品のお店が沢山あるそうですよ。こちらの売店でも、バッグから小物まで、色々と取り揃えてありました。

  • 主回廊に出ました。外に出た場所は、パッツィ家の礼拝堂のすぐそばなのですが、私はまだ気がついていません。<br /><br />中央に見えるドームのある辺りが、初期ルネサンス建築の傑作と呼ばれるパッツィ家の礼拝堂の入り口です。

    主回廊に出ました。外に出た場所は、パッツィ家の礼拝堂のすぐそばなのですが、私はまだ気がついていません。

    中央に見えるドームのある辺りが、初期ルネサンス建築の傑作と呼ばれるパッツィ家の礼拝堂の入り口です。

  • そのまま、主回廊(第一回廊)を歩きました。祈念碑、墓が所々に無造作(のように見えます。失礼!)に置いてあります。

    そのまま、主回廊(第一回廊)を歩きました。祈念碑、墓が所々に無造作(のように見えます。失礼!)に置いてあります。

  • 展覧会が行われていました。一様に苦悩の表情を浮かべている人達のレリーフで、ちょっと怖い!作者は、1934年ローマ生まれのBenedetto Robazza氏。

    展覧会が行われていました。一様に苦悩の表情を浮かべている人達のレリーフで、ちょっと怖い!作者は、1934年ローマ生まれのBenedetto Robazza氏。

  • 第一回廊の祈念碑、展覧会の作品、壁には、古い紋章も沢山残っています。

    第一回廊の祈念碑、展覧会の作品、壁には、古い紋章も沢山残っています。

  • 側廊と平行した回廊の突き当たりにあったフレスコ画です。どなたが作ったのか、どこを探しても書いてありません。名も知れぬフレスコ、彫刻、野仏、そういう類が実は好みです。

    側廊と平行した回廊の突き当たりにあったフレスコ画です。どなたが作ったのか、どこを探しても書いてありません。名も知れぬフレスコ、彫刻、野仏、そういう類が実は好みです。

  • ここまで来て、ようやく、フィリッポ・ブルネッレスキが設計したパッツィ家の礼拝堂Cappella Pazziに気がつきました。

    ここまで来て、ようやく、フィリッポ・ブルネッレスキが設計したパッツィ家の礼拝堂Cappella Pazziに気がつきました。

  • ブルネッレスキは1429年頃に工事を開始したものの、完成を見ずに亡くなりました(1446年)。ポルティコの部分は、彼の設計を元に工事が続けられて、19世紀に復元されたとの話ですが、どこまでがオリジナルデザインなのか、今となっては知る由もないようです。

    ブルネッレスキは1429年頃に工事を開始したものの、完成を見ずに亡くなりました(1446年)。ポルティコの部分は、彼の設計を元に工事が続けられて、19世紀に復元されたとの話ですが、どこまでがオリジナルデザインなのか、今となっては知る由もないようです。

  • さて、私は、死者の回廊cloister of the deadと呼ばれる、墓石がびっしりと敷き詰められた、薄暗い廊下を進みます。踏みつけたくない!と思っても、ほかに道はありません。

    さて、私は、死者の回廊cloister of the deadと呼ばれる、墓石がびっしりと敷き詰められた、薄暗い廊下を進みます。踏みつけたくない!と思っても、ほかに道はありません。

  • 引き続き、cloister of the deadです。両側の壁伝いにも、墓石や祈念碑がずらりと並んでいます。逃げ場がないとはこのこと!

    引き続き、cloister of the deadです。両側の壁伝いにも、墓石や祈念碑がずらりと並んでいます。逃げ場がないとはこのこと!

  • そろそろ、パッツィ家の礼拝堂に向かいましょう。余りに暑いので、日傘をさしている男性がいますね。今までに涼しい室内にいたので、外に飛び出すのは勇気が要ります。

    そろそろ、パッツィ家の礼拝堂に向かいましょう。余りに暑いので、日傘をさしている男性がいますね。今までに涼しい室内にいたので、外に飛び出すのは勇気が要ります。

  • Pazzi家の礼拝堂のそばでは、版画家ピエトロ・パリイPietro Parigi(1892年〜1990年)の作品が展示されていました。日本の木版にも共通する、懐かしい、温かみを感じさせる作品ですね。

    Pazzi家の礼拝堂のそばでは、版画家ピエトロ・パリイPietro Parigi(1892年〜1990年)の作品が展示されていました。日本の木版にも共通する、懐かしい、温かみを感じさせる作品ですね。

  • ビニールのカーテンのようなものをくぐって、礼拝堂の中に入ります。中はとてもシンプルです。<br />中央のドームの下、左右にあるメダリオンは、ブルネッレスキの作品で、4人の福音記者が描かれています。<br />奥のドームをちゃんと覗かなかったのですが、天球が描かれているとか・・・

    ビニールのカーテンのようなものをくぐって、礼拝堂の中に入ります。中はとてもシンプルです。
    中央のドームの下、左右にあるメダリオンは、ブルネッレスキの作品で、4人の福音記者が描かれています。
    奥のドームをちゃんと覗かなかったのですが、天球が描かれているとか・・・

  • 柱の横に並ぶメダリオン(Tondoですよね・・・)は、ルカ・デッラ・ロッビアの12使徒。ルカは、メディチ礼拝堂の聖母子を作ったアンドレア・デッラ・ロッビアの叔父に当たる人です。<br />大理石の祭壇は、ドナテッロの作。<br /><br />礼拝堂はこの位簡素な方が心が落ち着きますね。

    柱の横に並ぶメダリオン(Tondoですよね・・・)は、ルカ・デッラ・ロッビアの12使徒。ルカは、メディチ礼拝堂の聖母子を作ったアンドレア・デッラ・ロッビアの叔父に当たる人です。
    大理石の祭壇は、ドナテッロの作。

    礼拝堂はこの位簡素な方が心が落ち着きますね。

  • 祭壇の上にあったステンドグラスです。下の四角いステンドグラスとも、作者はアレッシオ・バルドヴィネッティ。このステンドグラスのタイトルはずばり、神の胸像。

    祭壇の上にあったステンドグラスです。下の四角いステンドグラスとも、作者はアレッシオ・バルドヴィネッティ。このステンドグラスのタイトルはずばり、神の胸像。

  • パッツィ礼拝堂を出て、食堂Refectoryの方に歩いていきました。この絵がどこにあったのか、思い出せませんが、食堂に至るまでに、いくつかの部屋があったので、そのいずれかだと思います。<br /><br />躍動感溢れるこの天使?のポーズがかなり気に入っています。

    パッツィ礼拝堂を出て、食堂Refectoryの方に歩いていきました。この絵がどこにあったのか、思い出せませんが、食堂に至るまでに、いくつかの部屋があったので、そのいずれかだと思います。

    躍動感溢れるこの天使?のポーズがかなり気に入っています。

  • 天使たちがマリア様を運んでいるように見えるこの絵も、かなり大胆な構図だと思います。ジュゼッペ・ベッツォーリGiuseppe Bezzuoliの聖母被昇天(1784年〜1855年)。<br /><br />年代も新しいですが、とても新鮮味を感じました。

    天使たちがマリア様を運んでいるように見えるこの絵も、かなり大胆な構図だと思います。ジュゼッペ・ベッツォーリGiuseppe Bezzuoliの聖母被昇天(1784年〜1855年)。

    年代も新しいですが、とても新鮮味を感じました。

  • 残されたわずかなフレスコ画が痛々しく感じる部屋です。<br /><br />サンタクローチェの倉庫に眠っていた作品は、1900年に旧食堂に移され、博物館として開館しました。1966年の洪水時、この辺りの浸水は5m2cmに達したそうです。前の旅行記で書いた中央礼拝堂の浸水が2m70cmだったので、殆どその倍位まで水が来たようです。

    残されたわずかなフレスコ画が痛々しく感じる部屋です。

    サンタクローチェの倉庫に眠っていた作品は、1900年に旧食堂に移され、博物館として開館しました。1966年の洪水時、この辺りの浸水は5m2cmに達したそうです。前の旅行記で書いた中央礼拝堂の浸水が2m70cmだったので、殆どその倍位まで水が来たようです。

  • こちらも痛々しい礼拝堂です。中央の十字架はリッポ・ディ・ベニヴィエーニの作品The Crucifix Filicaia。彼は14世紀前半の主要な芸術家の一人と言われています。<br />左側の壁には、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ、右には、サン・マルティーノ・ア・メンソーラの師匠?が描いたフレスコ画がわずかに残っています。

    こちらも痛々しい礼拝堂です。中央の十字架はリッポ・ディ・ベニヴィエーニの作品The Crucifix Filicaia。彼は14世紀前半の主要な芸術家の一人と言われています。
    左側の壁には、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ、右には、サン・マルティーノ・ア・メンソーラの師匠?が描いたフレスコ画がわずかに残っています。

  • 不明瞭な写真で申し訳ありません。上のフレスコ?は修道士たちが一堂に会した、あまり見たことのない構図です。まるで集合写真のようですね。

    不明瞭な写真で申し訳ありません。上のフレスコ?は修道士たちが一堂に会した、あまり見たことのない構図です。まるで集合写真のようですね。

  • ヤコポ・ディ・チョーネJacopo di Cioneの聖母子像。彼の三人の兄も皆美術家で、特に通称オルカーニャと呼ばれる長兄は、ジョットとピサーノの弟子として知られています。

    ヤコポ・ディ・チョーネJacopo di Cioneの聖母子像。彼の三人の兄も皆美術家で、特に通称オルカーニャと呼ばれる長兄は、ジョットとピサーノの弟子として知られています。

  • ネーリ・ディ・ビッチNeri di Bicci の作品。彼は1419年ルネサンス期のフィレンツェで生まれ、一生をフィレンツェで過ごした人で、フィレンツェを始め、トスカーナ各地にその作品が残されています。

    ネーリ・ディ・ビッチNeri di Bicci の作品。彼は1419年ルネサンス期のフィレンツェで生まれ、一生をフィレンツェで過ごした人で、フィレンツェを始め、トスカーナ各地にその作品が残されています。

  • ようやく最後の広い食堂にたどり着きました。ここに、タッデーオ・ガッディ最高傑作とされる生命の木The Tree of Lifeと最後の晩餐The Last Supperがあります(1335年)。<br /><br />上部中央の生命の木の部分は、十字架の寓話Allegory of the Crossとも呼ばれています。その左右にはマグダラのマリア等4場面の奇跡が描かれています。<br /><br />下部の最後の晩餐では、ユダ一人のみが反対側に座り、やや小さめに描かれているのが印象的です。キリストにもたれ掛かっているのはヨハネ。<br /><br />タッデーオ・ガッディは24年間ジョットの弟子として働きました。ヴァッサーリに、「色彩では師匠を越えた」と評価された彼は、建築家でもあり、古いヴェッキオ橋とその一つ下流のサンタ・トリアタ橋にも関わっていたそうです。いずれも16世紀の洪水でながされてしまい、「作品」としては残っていません。<br />

    ようやく最後の広い食堂にたどり着きました。ここに、タッデーオ・ガッディ最高傑作とされる生命の木The Tree of Lifeと最後の晩餐The Last Supperがあります(1335年)。

    上部中央の生命の木の部分は、十字架の寓話Allegory of the Crossとも呼ばれています。その左右にはマグダラのマリア等4場面の奇跡が描かれています。

    下部の最後の晩餐では、ユダ一人のみが反対側に座り、やや小さめに描かれているのが印象的です。キリストにもたれ掛かっているのはヨハネ。

    タッデーオ・ガッディは24年間ジョットの弟子として働きました。ヴァッサーリに、「色彩では師匠を越えた」と評価された彼は、建築家でもあり、古いヴェッキオ橋とその一つ下流のサンタ・トリアタ橋にも関わっていたそうです。いずれも16世紀の洪水でながされてしまい、「作品」としては残っていません。

  • ふぅ・・・素晴らしかったけれど、疲れました。あまりの迫力に圧倒されて、夢うつつの時間が流れていったように思います。ジョットも良かったけれど、ダッデーオ・ガッディ素晴らしすぎでした。<br /><br />再び回廊。屋根に一部フレスコが残っているのがわかります。誰もいない静かな回廊です。

    ふぅ・・・素晴らしかったけれど、疲れました。あまりの迫力に圧倒されて、夢うつつの時間が流れていったように思います。ジョットも良かったけれど、ダッデーオ・ガッディ素晴らしすぎでした。

    再び回廊。屋根に一部フレスコが残っているのがわかります。誰もいない静かな回廊です。

  • ようやく出口に近づきました。最後はジュゼッペ・ラ・ファリーナGiuseppe la Farinaの祈念碑です。19世紀の歴史家、政治家であり、作家だった人です。彼の愛したシチリアのメッシーナを読んだ詩が、祈念碑に刻まれています。<br /><br />さあ、フィレンツェの貴重な2日目の午前中が終わってしまいました。<br />この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その24 フィレンツェ(9)で。<br />

    ようやく出口に近づきました。最後はジュゼッペ・ラ・ファリーナGiuseppe la Farinaの祈念碑です。19世紀の歴史家、政治家であり、作家だった人です。彼の愛したシチリアのメッシーナを読んだ詩が、祈念碑に刻まれています。

    さあ、フィレンツェの貴重な2日目の午前中が終わってしまいました。
    この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その24 フィレンツェ(9)で。

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