2014/06/09 - 2014/06/09
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
フィレンツェ実質上の2日目にして最終日。今日も晴天、朝から猛暑です。さあ、今日はどこをうろつきましょうか?最初は、昨日と同じルートを辿ります。今日、どうしても外せないのは、K夫妻とFrancescoのお勧めサンタ・クローチェ教会と昨日アルノ川沿いから眺めたサン・ミニアート・アルモンテ教会。ドゥオモの内部やピッティ宮やボーボリ公園も行きたいのですが、果たして時間が取れるでしょうか?
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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今日も、サンタ・マリア・ノヴェッラの脇道からスタートです。
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街角にあった祠です。ヴェネチアのものとは違い、大きく立派ですね。
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興味があって、最古の薬局と言われるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局にやって参りました。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会からそんなに遠くはないですが、看板が殆ど見当たらず、みつけにくかったです。「・・・の歩き方」に出ていた地図とも違っていたみたいで、途中のホテルのコンシェルジュに尋ねて、ようやくたどり着くことができました。
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薬局と言うイメージはまったくなし。高級化粧品店という雰囲気です。売っているものもそれに近いですが・・・
日本にも支店ができたそうなのですが、日本人観光客が客の50%以上を占めていました。この部屋で注文して、もらった伝票を持って奥の部屋のカウンターに行き、支払いをします。日本人スタッフもいて、言葉の問題はなさそうです。
ここでちょっと馬鹿話。
家人が以前買ってきたアルメニアペーパー(香りをしみこませた短冊のような紙) を購入しようと思い、試しに差し出されたサンプルの香りをかいでみたら、ちょっと違うような・・・
「前にもらったのは違う香りだった。別の種類はないの?」と尋ねたら
「うちは何百年もこの香りしか作っていない。」ですっって!
「わあ〜私の鼻ってあてにならないのよねっ!」と言ってごまかしましたが、とんだ恥かきでした。てへっ!! -
店を出て、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場を歩いていたときに、この張り紙を見つけました。さすが、手工芸の町。日本から「たがね」を求めてここに来る方がいらっしゃるんでしょうね。古き良き時代の日本の張り紙が醸し出す雰囲気をフィレンツェで味わいました。
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昨日と同じコースを辿ります。ドゥオモに入場しようとやって来たのですが、10時20分現在、行列は200mを越えていました。やはり夕方狙いでしょうか?
仕方なく、次の目的地へ。
今日は、ジョットの塔最下層部を撮ってみました。ジョットが製作した部分ですね。 -
ドゥオモ広場からオリウオロ通りに入ります。左手の建物すごい数のバイク!
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横丁のボルゴ・アッレルギ通りに入ったら、道の向こうに尖塔が見えてきました。あれがサンタ・クローチェかな?
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少し行き過ぎたみたいですが、無事サンタ・クローチェに到着です。入り口はどっちでしょう?
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サンタ・クローチェ前の広場に出たら、びっくり!これは何じゃ?
そばの警備員さんに尋ねたら、これは、これから行われるカルチョ・ストーリコCalcio Storicoという中世のサッカー試合のためのスタジアムだそうです。
「いつやるの?」と聞いたら、嬉しそうに「土曜日、日曜日、フィナーレは24日だ!と 警備員さん興奮していました。
広場中が大会の準備でごったがえしていましたよ。 -
さて、振り返るとサンタ・クローチェのファサードです。サンタ・クローチェはフランシスコ会の教会。1443年に献堂されましたが、3世紀以上の間、ファサードは未完成のままでした。写真を見ましたが、ちょうど昨日行ったサン・ロレンツォ教会のようなイメージでした。
1857年、教皇ピウス9世の出席の元、ファサードの最初の石が、所定の位置に置かれ、ようやくニッコロ・マタスによって工事が始まりました。
彼は、フィレンツェの古い建築様式を引き継ぎ、ネオゴシック様式で1863年にファサードを完成させました。 -
完成のセレモニーは1863年に行われましたが、ファサードの装飾はダンテ・アリギエーリの生誕600年に合わせて1865年まで続けられました。そしてそのときに、このモニュメントも一緒に広場に作られました。
エンリコ・パッツィによるダンテは、物思いにふけり、右手で本を持ち、左手でロープのすそをつかんでいます。
以前、この像は広場の中央にありましたが、1966年のアルノ川大洪水により甚大な被害を受け、今の地に移されました。、 -
ファサードのてっぺんにはダビデの星。これはユダヤ教のものかと思っていましたが、カトリックにも共通しているそうです。中央のポータルには、ジョヴァンニ・ドゥプレによる「嘆き悲しむ聖母」像。その下の半月形のレリーフは、やはりドゥプレによる「十字架の高揚」のレリーフが飾られています。
ファサードの大理石は、白、2種類の赤、薄緑、灰色、黒、黄色と様々な種類が使われていて、近くのプラートやピサ、シエナ、遠くはエジプトから運ばれたそうです。全体的に華美ではなく、すっきりとしたデザインが特徴ですね。 -
サンタ・クローチェの中に入りました。
さあ、お墓参りに出発です。お墓といってもそんじょそこらのお墓じゃあありません。あまりに有名人が眠る廟堂となったため、未完成のままではまずいと考え、ファサードの工事を始めたという経緯があるくらいです。
カトリックでは、墓石は、踏まれれば踏まれるほど、その人の罪が軽くなるため、皆競って教会に埋葬され、踏まれることを望んだ という話を聞いたことがありますが、本当みたいですね。この磨り減りよう。
お墓を踏む・・・日本人には抵抗がありますね。 -
日本では知られていない人ですが、立派な祈念碑だったので紹介します。4種類の大理石が美しい!
フランチェスコ・プッチノッティFrancesco Puccinotti作家、医者 1794年〜1872年。断りがない限り、前述の年号は、墓の主の生年月日と死亡年月日です。 -
こちらは、あのロレンツォ ギベルティの墓。そう、ブルネレスキと最後まで競い合った彫刻家、金細工師です。1381年〜1455年
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曲がった画像ですがお許しを!
こちらは日本では知る人ぞ知るですが、発明家グリエルモ・マルコーニ。彼は無線通信の発明者としてノーベル賞を授与されました。割合最近の方です。1874年〜1937年 -
右の四角に丸のプレートは、お墓ではありません。レオナルド・ダヴィンチ死後400年と書かれた碑です。 1452〜1519年
レオナルドの墓は、フランス、ツールに近いアンボワーズ城の サン・ユベール教会堂Saint-Hubertにあります。1516年、彼はローマを離れ、より良きワインと労働条件を求めて、アンボワーズ城のフランソワ1世の城にやって来て、それから亡くなるまでの3年間をそこで過ごしました。余談ですが、そのときの彼の荷物の中に、モナ・リザがあったそうですよ。 -
こちらはガリレオ・ガリレイの祈念碑です。
1564年〜1642年
ガリレオの死後、彼の遺体は教会に隣接した小部屋に置かれました。当時の教会は、神の恐れを知らないこの異端児のために祈念碑を作ることを許可しなかったのです。この碑の建設許可が出たのは、1737年になってからのことでした。 -
ジーノ・カッポーニは、フィレンツェの古くからの輝かしい名家カッポーニ家の血を引く政治家、作家、歴史家です。1792年〜1876年
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床の上の墓石は、押しなべて所存状態は良さそうです。ざっと数えただけでも50以上の墓石がありました。髑髏のマークはやや不気味です。
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数え切れないほど踏まれて、磨り減っていますね・・・
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なんだか、墓地の中を歩いているような気分になってきました。
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こちらは、ミケランジェロ・ブオナロッティのお墓。こちらは、1570から1579年にかけて、ジョルジョ・ヴァザーリGiorgio Vassariによって作成されました。画家、彫刻家にして建築家、詩人、エンジニアと、元祖ルネッサンスのような人で、生きているうちに伝記が出版された最初の西洋人と言われています。1475年〜1564年
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ローマ教皇は、本人の遺言により、遺体をフィレンツェに送り返すと約束しながらも、ミケランジェロをサン・ピエトロに葬りたいと思っていました。これを聞いたフィレンツェの人達は、夜中に彼の遺体を持ち出し、馬車に乗せて、フィレンツェまで運んだそうです。これはヴァザーリ自身の話として伝わっていますが、真相はいかに?
墓の棺の部分の拡大です。胸像と棺の左右の女性(左が絵画、右が建築の象徴)の彫刻はロレンツィG.B.Lorenzi、棺の中央の女性(彫刻の象徴)の彫刻はチョリV.Cioliの作です。 -
ダンテ・アリギエーリは、ルネッサンスの先駆者で、イタリア文学界を代表する詩人、哲学者です。1265年〜1321年
ダンテは、フィレンツェで政争に巻き込まれ、欠席裁判でフィレンツェからの永久追放、戻ったら死刑を言い渡されたため、イタリア北部の都市を放浪して回る人生を送りましたが、彼の一番の傑作と呼ばれる神曲は、この苦しい時期に書かれたものです。
ミケランジェロは彼の死後200年たった頃に、記念碑の建築を提案しましたが、フィレンツェのシニョリーアはこれを拒否。今となっては、ミケランジェロのプランがどのようだったか想像すらできません。
その後、フィレンツェはダンテの亡くなったラベンナに対し、時には軍隊まで差し向けて、遺体を返すように求めましたが、その都度、ラヴェンナの人々は、遺体を修道院の壁の中に隠して、断固返却を拒否したそうです。
この祈念碑は、リッチ・ステファノにより1819年から1830年にかけて作られました。ちなみに、彼の遺骨はいまだにラヴェンナにあるそうです。2008年、フィレンツェは彼の死刑判決を正式に取り消したとのこと。いやはや、ついこの間の出来事ではないですか! -
こちらは余りなじみのないヴィットリオ・アルフィエリ・ディ・ソステーニョという18世紀の貴族で劇作家の祈念碑です。1749年〜1803年
処女作のクレオパトラで、一躍有名になった人だそうです。台座がバースデーケーキのような形ですね。 -
君主論で有名な思想家のニッコロ・マキャヴェッリの祈念碑です。サヴォナローラが失脚した後、マキャヴェッリはフィレンツェの外交を司る部署のヘッドに選ばれています。君主論は、このときの実体験を元に書かれたとされています。
彼の生きた時代は、メディチ家がもっとも繁栄したロレンツォ・イル・マニーフィコの時代、メディチ家が追放され、サヴォナローラが共和政を敷いた時代、メディチ家復活そして再追放と政治がめまぐるしく動いた時代と重なっています。彼は残忍な君主として知られるチェーザレ・ボルジアの行動の中に政治家としての合理性を見出し、政治から初めて宗教を切り離した実践的な近代政治理論を展開しました。1469年〜1527年 -
レオナルド・ブルーニは人文主義者、政治家、歴史家。最初の近代歴史家といわれています。1370年〜1444年
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ジョアキーノ・ロッシーニ。セヴィリアの理髪師やウイリアム・テルなどのオペラの作曲家として知られていますね。この祈念碑は1900年から1902年にかけて、ジュゼッペ・カスィオーリによって作られました。1792年〜1868年
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この墓は様々な色の大理石を合わせて丁寧に作られていますよ。
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ウーゴ・フォスコーロは18世紀から19世紀にかけてのイタリアの動乱時代を代表する詩人、作家。11年間をイギリスで過ごし、そこで亡くなったので、チズウィックにも祈念碑があります。日本では殆ど知られていませんね。1778年〜1827年
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もう十分お墓参りを楽しんだでしょうか?
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ご覧の通り、一つ一つ紹介できないほどの数があります。
人々の墓の前に立つと、それまで全く縁がなかったように思われるその人達との間に、新しい関係が築かれるような気になるのが不思議です。彼らが残したものを慈しみ、過ごした時代に思いをはせるきっかけになったと思いました。それは、自分自身を振り返る良い機会でもあります。
クリスチャンならずとも、サンタ・クローチェの聖堂はお勧めです。 -
サンタ・クローチェの聖堂内部です。長くなりましたので、墓参りはこの位にして、続きはイタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その22 フィレンツェ(7)で。
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