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JRE中央貧賤韮崎駅から釜無川を渡って徒歩で約30分、甲斐武田氏発祥の地にある鳳凰山・願成寺(がんじょうじ、山梨県韮崎市神山町)は武田氏祖の武田信義(たけだ・のぶよし、1128~1186)の菩提寺となっています。<br /><br />願成寺境内の縁起によれば宝亀2年(771)、権大僧都芯休了愚法印なる僧により開創され、社格は京都祇園寺の末寺という位置付けで、延長6年(928)、仏刹を建立して地蔵菩薩を安置して願成寺と号します。<br /><br />信義は武田の荘に居館を造り、当寺を武田氏の祈願寺として中興させ、後白河法皇に山号を奉請、更に京都の仏師に依頼して阿弥陀三尊像を奉安します。<br /><br />戦国時代では信虎(晴信(法名:信玄)の実父)の甥である俊虎和尚の時、天台宗から臨済宗に改宗して諸堂を整備して寺院の隆盛を迎え、永禄2年(1559)近隣の甘利荘に勢力を有する武川衆の曽雄対馬守定能により木造阿弥陀三尊が寄進されています。<br /><br />天正元年(1852)織田信長による武田氏攻略の際、諏訪から甲府に進攻する軍の兵器により伽藍が焼失、再建した後の慶長12年(1607)、寺より出火しますが幸いにも二組の阿弥陀三尊像は焼失を免れて現在に至っています。<br /><br />宝永15年(1638)然重応廊和尚を迎え臨在宗から漕洞宗に改宗、万治元年(1658)弟子で当地出身の僧によって荒れ放題だった寺院の復興をかけ、寛文年間には庫裏、元禄年間には本堂受付を建立し、什器を整えるなどしてかつての堂宇の姿に復元することになります。<br /><br />2022年12月3日追記<br /><br />境内に建てられた説明板には次の通り記述されています。<br /><br />『 曹洞宗鳳凰山 願 成 寺<br /><br />宝亀2(771)年、権大僧都心休了愚法印により開創され、京都祇園寺の末寺であった。延長6(928)年、仏刹を建立して地蔵菩薩を安置し願成寺と号す。<br /><br />武田信義(1128~1186)武田の荘に館を営み、この寺を祈願時として中興す。後白河法皇に山号を奉請。京都の仏師に懇請し造顕した木造阿弥陀三尊を奉安す。(重要文化財) 降って中世末戦国時代、武田信玄の甥俊虎和尚のとき、臨済宗に改宗し諸堂を整え寺運興隆す。俊虎和尚の中興本願に応じて、永禄2(1559)年2月、甘利住武川衆曽雌対馬守貞能が、木造阿弥陀三尊を寄進している。(御霊殿安置の市文化財)<br /><br />天正10(1582)年、織田信長の兵火に伽藍焼火、復興緒についた慶長12(1607)年、寺より出火再度の火災に衰退にひんしたるも、前記二組の阿弥陀三尊が焼亡を免れて今日に伝えられたことは不幸中の幸まことに奇端と云うべきである。<br /><br />寛永15(1638)年、然室応廊和尚を迎え、曹洞宗に改め復興緒につく、万治元(1658)年弟子で当地出身の?山和尚法?を嗣ぐや、桔きょ経営荒れたるを興し、欠けたるを補ひ一山の面目を保つに至る。即ち寛文年間に庫裏を、元禄年間に本堂受付を建立し、什器を整えて今日に至る。この間、廃仏毀釈、不況、戦争等の世相に荒廃余儀なき約一世紀を経過し、現在、境内伽藍の復興整備中なり。<br /><br />    以下「武田氏系図(抄)」掲載省略    』

甲斐韮崎 富士川合戦を始めとする平家追討に活躍するも嫉妬深い頼朝より謀反嫌疑かけられた甲斐武田氏始祖の信義が中興開基の菩提寺『願成寺』散歩

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2014/09/27 - 2014/09/27

93位(同エリア179件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

JRE中央貧賤韮崎駅から釜無川を渡って徒歩で約30分、甲斐武田氏発祥の地にある鳳凰山・願成寺(がんじょうじ、山梨県韮崎市神山町)は武田氏祖の武田信義(たけだ・のぶよし、1128~1186)の菩提寺となっています。

願成寺境内の縁起によれば宝亀2年(771)、権大僧都芯休了愚法印なる僧により開創され、社格は京都祇園寺の末寺という位置付けで、延長6年(928)、仏刹を建立して地蔵菩薩を安置して願成寺と号します。

信義は武田の荘に居館を造り、当寺を武田氏の祈願寺として中興させ、後白河法皇に山号を奉請、更に京都の仏師に依頼して阿弥陀三尊像を奉安します。

戦国時代では信虎(晴信(法名:信玄)の実父)の甥である俊虎和尚の時、天台宗から臨済宗に改宗して諸堂を整備して寺院の隆盛を迎え、永禄2年(1559)近隣の甘利荘に勢力を有する武川衆の曽雄対馬守定能により木造阿弥陀三尊が寄進されています。

天正元年(1852)織田信長による武田氏攻略の際、諏訪から甲府に進攻する軍の兵器により伽藍が焼失、再建した後の慶長12年(1607)、寺より出火しますが幸いにも二組の阿弥陀三尊像は焼失を免れて現在に至っています。

宝永15年(1638)然重応廊和尚を迎え臨在宗から漕洞宗に改宗、万治元年(1658)弟子で当地出身の僧によって荒れ放題だった寺院の復興をかけ、寛文年間には庫裏、元禄年間には本堂受付を建立し、什器を整えるなどしてかつての堂宇の姿に復元することになります。

2022年12月3日追記

境内に建てられた説明板には次の通り記述されています。

『 曹洞宗鳳凰山 願 成 寺

宝亀2(771)年、権大僧都心休了愚法印により開創され、京都祇園寺の末寺であった。延長6(928)年、仏刹を建立して地蔵菩薩を安置し願成寺と号す。

武田信義(1128~1186)武田の荘に館を営み、この寺を祈願時として中興す。後白河法皇に山号を奉請。京都の仏師に懇請し造顕した木造阿弥陀三尊を奉安す。(重要文化財) 降って中世末戦国時代、武田信玄の甥俊虎和尚のとき、臨済宗に改宗し諸堂を整え寺運興隆す。俊虎和尚の中興本願に応じて、永禄2(1559)年2月、甘利住武川衆曽雌対馬守貞能が、木造阿弥陀三尊を寄進している。(御霊殿安置の市文化財)

天正10(1582)年、織田信長の兵火に伽藍焼火、復興緒についた慶長12(1607)年、寺より出火再度の火災に衰退にひんしたるも、前記二組の阿弥陀三尊が焼亡を免れて今日に伝えられたことは不幸中の幸まことに奇端と云うべきである。

寛永15(1638)年、然室応廊和尚を迎え、曹洞宗に改め復興緒につく、万治元(1658)年弟子で当地出身の?山和尚法?を嗣ぐや、桔きょ経営荒れたるを興し、欠けたるを補ひ一山の面目を保つに至る。即ち寛文年間に庫裏を、元禄年間に本堂受付を建立し、什器を整えて今日に至る。この間、廃仏毀釈、不況、戦争等の世相に荒廃余儀なき約一世紀を経過し、現在、境内伽藍の復興整備中なり。

    以下「武田氏系図(抄)」掲載省略    』

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • ダブルデッカー車内<br /><br />JR中央線小淵沢行「ホリデイビューやまなし」快速電車に八王子から乗ります。休日のみ運転ですが比較的空席がありました。<br />

    ダブルデッカー車内

    JR中央線小淵沢行「ホリデイビューやまなし」快速電車に八王子から乗ります。休日のみ運転ですが比較的空席がありました。

  • ダブルデッカー車輌2階部<br /><br />乗車の車輛はかつて「アクティ」というネーミングで東海道線(東京~熱海)を走っていたダブルデッカー車輌で車内の様子を窺うと2階部の座席は展望がいいのか殆ど埋まっています。<br />

    ダブルデッカー車輌2階部

    乗車の車輛はかつて「アクティ」というネーミングで東海道線(東京~熱海)を走っていたダブルデッカー車輌で車内の様子を窺うと2階部の座席は展望がいいのか殆ど埋まっています。

  • ダブルデッカー車輌2階内部

    ダブルデッカー車輌2階内部

  • ダブルデッカー車輌1階内部<br /><br />2階部が満席に近いためか1階部は閑散とした状況です。

    ダブルデッカー車輌1階内部

    2階部が満席に近いためか1階部は閑散とした状況です。

  • ダブルデッカー車輌外観

    ダブルデッカー車輌外観

  • 韮崎駅(にらさきえき)ホーム<br /><br />ここで下車して電車を見送ります。

    韮崎駅(にらさきえき)ホーム

    ここで下車して電車を見送ります。

  • 快速電車時刻表<br /><br />駅では休日運転電車は別途掲載されており、自分が乗った車輌の他特急「はまかいじ」(横浜~松本)が運転されています。

    快速電車時刻表

    駅では休日運転電車は別途掲載されており、自分が乗った車輌の他特急「はまかいじ」(横浜~松本)が運転されています。

  • 韮崎市近郊マップ<br /><br />駅前に設置の韮崎市近郊マップが掲示されています。いつものように目的地の確認をします。まずは釜無川を渡る必要があります。

    韮崎市近郊マップ

    駅前に設置の韮崎市近郊マップが掲示されています。いつものように目的地の確認をします。まずは釜無川を渡る必要があります。

  • 韮崎駅広場<br /><br />駅舎の前は中央部が芝生になってその周辺は木立が囲んだ庭園風の造作で明るいイメ−ジが出ています。

    韮崎駅広場

    駅舎の前は中央部が芝生になってその周辺は木立が囲んだ庭園風の造作で明るいイメ−ジが出ています。

  • 球児の像<br /><br />サッカー全国優勝を果たした韮崎高校の栄誉を讃えた像が立っています。かつてのサッカー選手の中田英寿は当市の出身です。

    球児の像

    サッカー全国優勝を果たした韮崎高校の栄誉を讃えた像が立っています。かつてのサッカー選手の中田英寿は当市の出身です。

  • 小林一三生誕の韮崎市<br /><br />韮崎駅前の観光案内書入口横に掲げてある小林一三(こばやし・いちぞう、1873~1957)のポスター写真を見かけます。御存じの通り、阪急電車及び宝塚歌劇団創設に貢献した人物として有名です。<br /><br />

    小林一三生誕の韮崎市

    韮崎駅前の観光案内書入口横に掲げてある小林一三(こばやし・いちぞう、1873~1957)のポスター写真を見かけます。御存じの通り、阪急電車及び宝塚歌劇団創設に貢献した人物として有名です。

  • にらさき文化村<br /><br />市役所通りを歩いていると小林一三生誕地が「にらさき文化村」として活用されています。

    にらさき文化村

    市役所通りを歩いていると小林一三生誕地が「にらさき文化村」として活用されています。

  • 「にらさき文化村」案内標識

    「にらさき文化村」案内標識

  • 小林一三生家跡石碑

    小林一三生家跡石碑

  • にらさき文化村見取図

    にらさき文化村見取図

  • 「にらさき文化村」建物

    「にらさき文化村」建物

  • 釜無川<br /><br />市役所通から釜無川を渡る武田橋途中から上流を見渡します。

    釜無川

    市役所通から釜無川を渡る武田橋途中から上流を見渡します。

  • 釜無川と富士山<br /><br />反対に下流方向を眺めるとその先に微かに富士山の姿が視野に入ります。

    釜無川と富士山

    反対に下流方向を眺めるとその先に微かに富士山の姿が視野に入ります。

  • 富士山<br /><br />改めて撮りますがはっきりした雄姿は捉えることができません。<br /><br />

    富士山

    改めて撮りますがはっきりした雄姿は捉えることができません。

  • 願成寺・正門<br /><br />寛文2年(1662)にはじめて山門が建立され、その後元禄元年(1864)暴風雨で倒壊、平成2年(1990)再建されます。<br /><br />

    願成寺・正門

    寛文2年(1662)にはじめて山門が建立され、その後元禄元年(1864)暴風雨で倒壊、平成2年(1990)再建されます。

  • 願成寺・山門

    イチオシ

    願成寺・山門

  • 願成寺・山門扁額<br /><br />山門上部に山号である「鳳凰山」と揮毫された扁額が見えます。

    願成寺・山門扁額

    山門上部に山号である「鳳凰山」と揮毫された扁額が見えます。

  • 願成寺・山門説明石碑<br /><br />山門は寛文2年(1662)建立後元禄元年(1864)暴風雨によって倒壊、平成2年(1990)再建されます。全体的に木割が大きく構成的な力強さがあり、室町時代の手法を模した豪放な気風を現した建築様式となっています。<br /><br />山号は信心が厚い信義が奉請し後白河上皇による山号名だそうです。

    願成寺・山門説明石碑

    山門は寛文2年(1662)建立後元禄元年(1864)暴風雨によって倒壊、平成2年(1990)再建されます。全体的に木割が大きく構成的な力強さがあり、室町時代の手法を模した豪放な気風を現した建築様式となっています。

    山号は信心が厚い信義が奉請し後白河上皇による山号名だそうです。

  • 建立由来記

    建立由来記

  • 武田家家臣招魂の碑

    武田家家臣招魂の碑

  • 参道<br /><br />整備中の状況の様子で左右があわただしい風景の参道を直進します。本堂は改築したばかりの様子で参道途中で綱が引かれて前進できません。

    参道

    整備中の状況の様子で左右があわただしい風景の参道を直進します。本堂は改築したばかりの様子で参道途中で綱が引かれて前進できません。

  • 仏足石

    仏足石

  • 願正寺・宝物殿(全景)<br /><br />立札記載内容から察するにこの宝物殿内に阿弥陀三尊像が保存されているようです。

    願正寺・宝物殿(全景)

    立札記載内容から察するにこの宝物殿内に阿弥陀三尊像が保存されているようです。

  • 願正寺・宝物殿(近景)<br /><br />近づくと貼り紙があって、阿弥陀三尊像は修復中とのことです。

    願正寺・宝物殿(近景)

    近づくと貼り紙があって、阿弥陀三尊像は修復中とのことです。

  • 願勝寺縁起・説明板<br /><br />

    願勝寺縁起・説明板

  • 願勝寺・本堂<br /><br />本堂建物は完成しているようですが周囲整備はこれからのようです。

    イチオシ

    願勝寺・本堂

    本堂建物は完成しているようですが周囲整備はこれからのようです。

  • 願正寺・記念石碑<br /><br />「武田家始祖 源信義八百季追遠記念碑」と刻されています。信義の遠祖は前九年の役で安倍氏を討った源氏の棟梁頼義です。

    願正寺・記念石碑

    「武田家始祖 源信義八百季追遠記念碑」と刻されています。信義の遠祖は前九年の役で安倍氏を討った源氏の棟梁頼義です。

  • 願正寺・阿弥陀三尊像説明板

    願正寺・阿弥陀三尊像説明板

  • 願正寺・武田家御霊殿

    願正寺・武田家御霊殿

  • 武田家御霊殿(正面)<br /><br />初めて甲斐守として自ら甲斐国に赴任したといわれる源頼義の三男義光(新羅三郎義光)から天目山にて自害した勝頼の嫡男信勝までの歴代当主の霊殿となっています。

    武田家御霊殿(正面)

    初めて甲斐守として自ら甲斐国に赴任したといわれる源頼義の三男義光(新羅三郎義光)から天目山にて自害した勝頼の嫡男信勝までの歴代当主の霊殿となっています。

  • 御霊殿額

    御霊殿額

  • 武田家御霊殿一覧<br /><br />義光から信勝まで歴代当主の名前と法号・没年まで記載されています。

    武田家御霊殿一覧

    義光から信勝まで歴代当主の名前と法号・没年まで記載されています。

  • 武田信義廟遠景

    武田信義廟遠景

  • 武田信義墓標柱

    武田信義墓標柱

  • 武田信義廟

    イチオシ

    武田信義廟

  • 武田信義墓石

    イチオシ

    武田信義墓石

  • 武田家墓石群

    武田家墓石群

  • 武田信義八百回忌塔<br /><br />

    武田信義八百回忌塔

  • 武田信義説明板<br /><br />『 武田信義について<br /><br />武田信義は、大治3(1128)年に生まれ、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将である。戦国時代に信玄・勝頼を輩出した甲斐武田氏は、信義がここ武田の地を治めたことに始まる。<br /><br />信義は、武田の地に居館(武田信義館跡)を置き、勢力を拡大していく。やがて甲斐源氏の総領となった信義は、治承4(1180)年に以仁王の令旨を受け、信濃国平氏方を討伐した。さらに富士川の戦いでは、奇襲により平維盛の軍勢を退却させる。その後も、平氏方追討の主力となり、鎌倉幕府の創設に貢献したのである。<br /><br />しかし、甲斐源氏の勢力に危機感を持った源頼朝は信義に謀反の疑いをかけ、子息の一条忠頼が謀殺されるなど、晩年の信義はは幕府から冷遇されたようである。<br /><br />願成寺には、信義寄進とされる木造阿弥陀如来及両脇侍像(国重文)や、信義の墓と伝えられる鎌倉時代初期の五輪塔がある。<br /><br />   平成25年3月<br />                        韮崎市 』

    武田信義説明板

    『 武田信義について

    武田信義は、大治3(1128)年に生まれ、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将である。戦国時代に信玄・勝頼を輩出した甲斐武田氏は、信義がここ武田の地を治めたことに始まる。

    信義は、武田の地に居館(武田信義館跡)を置き、勢力を拡大していく。やがて甲斐源氏の総領となった信義は、治承4(1180)年に以仁王の令旨を受け、信濃国平氏方を討伐した。さらに富士川の戦いでは、奇襲により平維盛の軍勢を退却させる。その後も、平氏方追討の主力となり、鎌倉幕府の創設に貢献したのである。

    しかし、甲斐源氏の勢力に危機感を持った源頼朝は信義に謀反の疑いをかけ、子息の一条忠頼が謀殺されるなど、晩年の信義はは幕府から冷遇されたようである。

    願成寺には、信義寄進とされる木造阿弥陀如来及両脇侍像(国重文)や、信義の墓と伝えられる鎌倉時代初期の五輪塔がある。

       平成25年3月
                            韮崎市 』

  • 車輌通行道路

    車輌通行道路

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