2014/07/19 - 2014/07/21
54位(同エリア200件中)
naoさん
愛媛県喜多郡内子町は、松山城下と大洲城下を結び、四国八十八ヶ所の遍路道や讃岐の金毘羅さんへの参詣道として重宝された大洲街道沿いに広がる町で、中でも、南北に隣接する護国地区と八日市地区に見応えのある町並みが残っています。
高昌寺の門前町だった護国地区は、お遍路さんや金毘羅参りの人々の宿場町としての位置づけがより強く、旅籠や飲食店などが集まる町として発展します。
一方、室町時代に統治していた曽根氏が、定期的に「市」の立つ町として整備した三つの内の一つだった八日市地区は、古くは文字どおり「市」を中心とした商業地域として、また大洲藩が成立した江戸時代以降は、手漉き和紙や電気のない時代の灯りとして必需品だった蝋燭の原料となる木蝋生産が盛んな産業地域として繁栄します。
内子で大洲和紙の生産が始まったのは1628年ごろからで、手漉き和紙生産の奨励・保護に努めた大洲藩は、1760年には内子に紙役所を設け、藩収入の80パーセントを占めるまでに成長します。
他方、1738年に安芸の国から3人の蝋職人を招いて始まった内子の木蝋生産は、文久年間(1861〜64年)に八日市の芳我弥三右衛門が、高品質の晒蝋を大量生産する「伊予式蝋花箱晒法(いよしきろうばなはこさらしほう)」の技術を確立すると、ハゼやウルシの果実から抽出した生蝋をこの方法で漂白精製した晒蝋(さらしろう)の品質の優秀さから、需要拡大の一途をたどり、全国有数の生産量を誇るようになります。
その結果、木蝋生産は飛躍的に成長し、八日市を中心に多くの晒蝋業者を輩出することとなり、最盛期をむかえた明治中期には、国内でも有数の生産地に発展します。
しかし、江戸時代以来隆盛を誇ってきた木蝋生産も、大正時代の西洋蝋(パラフィン)の普及とともに、石油や電灯の導入により需要は激減、次第に衰退していきました。
護国地区や八日市地区の町並みに今も残る、江戸時代から明治時代にかけて建てられた豪壮な町家は、往時の繁栄ぶりを物語っています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この旅最後の目的地、内子へやってきました。
高昌寺近くの町なみ駐車場に車を停めて、北側から町歩きを始めます。 -
松山城下と大洲城下を結び、四国八十八ヶ所の遍路道や讃岐の金毘羅さんへの参詣道として重宝された、大洲街道沿いにこの町があることを物語る道標が立っています。
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この辺りは護国地区になります。
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町並みに入ると、いきなり卯建のあがる町家がお出迎えです。
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こちらの町家にも卯建があがっています。
両家とも、卯建には本葺きの瓦がのっかっています。 -
かつて宿場町だったことを偲ばせる行燈が置いてあります。
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この町家は、八日市護国地区町並保存会の事務所も兼ねる、八日市護国町並みセンターです。
町並み保存へ向けた取り組みの歴史や、建築様式の特徴や大工道具の展示など、地域住民が主体となって運営されています。 -
八日市護国町並みセンターの向かいにウズウズするような路地があります。
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路地から八日市護国町並みセンターを振り返ると、旅人が通り過ぎて行きます。
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この町並みでは、漆喰塗り籠めの町家がよく目につきます。
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大きな虫籠窓の間の鏝絵の獅子が町並みに睨みを利かせています。
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この町家には農産物の無人直売コーナーがあり・・・
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畑の収穫物や加工品など、いろんな商品が並んでいます。
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中には、こんな物まで値段をつけて並べられています。
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職人の手仕事が活きている窓手すりの木組み。
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さらには、垂木の一本々々が漆喰で塗り籠められています。
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この日は日差しが厳しかったので・・・
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猫ちゃんは日影から日影へと渡り歩いています。
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町家の縁台に飾られている、イチョウのミニ盆栽と・・・
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ヤツデのミニ盆栽。
イチョウはよく見ますが、ヤツデは初めてです。 -
柔らかい印象を与える浅黄色の漆喰壁がこの町の特徴のようです。
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歩いてきた方向を振り返ったところです。
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竹細工のお店が扉を開け放っています。
中を覗くとご主人が作業に没頭されておられたのですが、写真をお願いすると、「どうぞ」と快い返事が返ってきました。 -
退職後、京都伝統工芸大学校で竹工芸を学んだ大洲出身のご主人は、平成24年からこの工房を開き、第2の人生を楽しんでおられるとのことです。
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和紙と細い竹でかわいい風車を作っておられます。
細かい手仕事ですから、手先が器用でないとできませんね。 -
お遍路さんの道を示す「四国の道」の石標が、県によって立てられています。
昨年も香川県で同じような石標を見たので、四国の各県が同じように取り組んでいるのではないでしょうか。 -
町家の軒先に下げられた吊り灯籠。
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道路の分岐点に常夜灯が立っています。
ここで町並みは緩やかに曲がります。 -
その道なりに曲がると橋が見えてきました。
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この橋は、護国地区と八日市地区を分ける清正川に架かっています。
橋の向こうに見えるのは清正広場で、観光客のための休憩所が設けられています。 -
清正川の右側が護国地区、左側が八日市地区になります。
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清正川には、「かわと」によく似た水利施設が設けられています。
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橋を渡って八日市地区に入ります。
町家の傍らには白髭稲荷が鎮座しています。 -
こちらは、内子の新鮮な野菜や果物を扱うお店。
玄関には、「今日は休みます」の貼り紙がしてあります。 -
漆喰塗り籠めの外壁が殆どの町並みにあって、この町家は木部が表しになっています。
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橋の向こうに、護国地区の常夜灯が見えています。
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道はだらだらと上っています。
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2階の窓手すりが雨戸の中に取り込まれている、珍しい納まりの窓のある町家です。
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大きな寄棟屋根の下の・・・
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意匠を凝らした戸袋が良いですね。
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2階の規則正しい格子窓が間口の広さをより強調しています。
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見たところ、おそらく郵便受けでしょうね。
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この立派な建物が建っているのは上芳我家のお屋敷です。
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上芳我家の真向かいには内子中学校があります。
およそ中学校らしからぬ築地塀ですが、この町並みの雰囲気にぴったりマッチしています。 -
上芳我家は、内子最大の製蝋業者であった本芳我家から江戸時代に分家した家で、その主屋は木蝋生産で成功を収めた豪商ならではの威容を誇る大邸宅です。
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奈良東大寺大仏殿の屋根につけられている、「鴟尾(しび)」によく似た棟飾りです。
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出窓の持ち送りは、デザインが異なるものを交互に配置してあります。
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明治27年の建築で、松の巨木をふんだんに使った上芳我家は、内子に繁栄をもたらせた木蝋産業と、内子の人々の暮らしぶりを伝える貴重な文化遺産となっています。
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現在、内子町がこのお屋敷を借り受け、木蝋資料館として一般公開しています。
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贅を凝らした主屋を出たところは広い中庭になっており・・・
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植えられたザクロが枝に実をつけています。
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ザクロと棟飾り。
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中庭を挟んで主屋と対面する土蔵は、カフェやギャラリーとして使われています。
土蔵と云ってもこれだけの規模ですから、桁違いの財力のほどが窺われます。 -
中庭の北側には、窯場や出店倉が並んでいます。
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中庭の南側の一段低い所は木蝋生産の作業場だったようです。
見えている建物は土蔵です。 -
作業場の南奥には、蝋搾り小屋と晒蝋作りに使われた井戸が残っています。
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蝋搾り小屋の中には、右奥のこなし場、左奥の釜場、そしてここ搾り場があります。
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この道具で圧力をかけて蝋を搾っていたようです。
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伊予式蝋花箱晒法は、ハゼやウルシの果実から抽出した生蝋を煮溶かし、冷水に注いで出来る蝋花(花のような結晶)を浅い木箱(蝋蓋)に並べて繰り返し日光に晒す、と云う手順で作られます。
したがって、夏場の暑さで蝋花が溶け出さないように、何人もの使用人が蝋花に水を掛けて回っていたということですから、作業場に残っている大甕が盛んに使われたんでしょうね。 -
では、階段を上って中庭へ戻ります。
見えているのは主屋の鴟尾。 -
土蔵のギャラリーに飾られている和傘。
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中庭北側の窯場の内部です。
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手前の木箱に入っているのが蝋の結晶、蝋花です。
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「じゃりあげ」と呼ばれる水切り道具。
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上芳我家の主屋と釜場の間にある門から中庭が覗けます。
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釜場に続いて、出店倉や物置が並んでいます。
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路地から見た上芳我家の釜場と出店倉。
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上芳我家の隣に続くのは、上芳我家からの分家、中芳我家です。
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現在はギャラリーやゲストハウスとして利用されています。
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この町家にも鴟尾に似た棟飾りが付いています。
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町並みは緩やかに弧を描きながら続きます。
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店先で風鈴が揺れているのは、とんぼ玉工房です。
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この町家は、屋根の出が大きいので、肘木で屋根を支えています。
ばったん床机もしつらえてあります。 -
お宿の看板が掛かる町家の2階では・・・
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簾が風を受けて涼しげに揺れています。
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こちらはドイツ料理のレストラン。
ドイツ人のシェフと日本人の奥様がお店を切り盛りされています。 -
路地から見たお宿。
土間の向こうにお庭が覗けます。 -
ドイツ料理のレストランの並びに、ひと際大きな町家が姿を見せています。
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他を圧倒するようなこのお屋敷は本芳我家です。
本芳我家は、「伊予式蝋花箱晒法」の技術を確立した芳我弥三右衛門さんの邸宅で、明治17年に建てられたものだそうです。
主屋妻面には、漆喰の鏝絵で鶴を描いた懸魚が取り付けられており、木蝋生産で成功を収めた豪商の勢いを象徴する建物です。 -
2階格子窓の下の桁にも、亀や・・・
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鶴の漆喰の鏝絵が浮き出ています。
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こちらは本芳我家の土蔵です。
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この辺りは、平入りの町家が軒を連ねています。
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本芳我家の隣にあるのが、代々雑貨商、染物商、生糸製造などを営んできた大村家です。
この建物は、内子で最も古い1790年に建てられた建物だそうですが、平成21年から平成24年にかけて保存修理工事が行われ、綺麗な姿を蘇らせています。 -
こちらの町家の外壁は、1階が浅黄色の漆喰塗、2階が白漆喰塗に塗り分けられています。
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この辺り一帯には・・・
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お土産物屋さんなどが集まっています。
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土産物屋さんなどが集まっている先の突きあたりは、枡形のようになっています。
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折れ曲がっている所を・・・
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道なりに歩いて行くと・・・
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また町並みに戻ります。
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枡形に入る手前には、明治から大正時代にかけて使われていた日用品を展示している八日市資料館があります。
館内には大洲和紙や和蝋燭のお店やカフェも併設されています。 -
枡形の中に、いい雰囲気の路地が延びています。
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フサフサのススキの穂やトウモロコシで飾り立てた町家。
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そのお向かいには、卯建をあげた町家がたたずんでいます。
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こちらの町家は、ちょっと濃い目の浅黄色の漆喰壁を、黒っぽい格子窓が引き立てています。
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こちらは、1793年に建てられた町家を復元した町家資料館です。
前面の大戸や蔀戸(しとみど)が全面的に開放出来る造りで、土間の壁には背負子や蓑などの生活用具が展示されており、当時の生活様式をうかがい知ることができます。 -
1階の窓にカラスが入れられた、珍しい造りの窓が付いています。
八日市地区の町並みはこの辺りまでなので、次は内子座へ向かいます。 -
内子座へ向かう途中にある下芳我家です。
こちらも本芳我家から分家したお宅の建物で、現在、築140年の建物を活かした蕎麦と季節料理のお店として使われています。 -
下芳我家から少し歩くと、「商いと暮らし博物館」があります。
ここは、内子町が明治以来の薬商の家屋敷を買い上げて公開しているもので、大正時代の庶民の暮らしぶりを紹介しています。 -
八日市地区の町並みから歩くこと約15分で内子座へ到着です。
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内子座は、芸術や芸能を愛してやまない内子の人々の熱意により、大正5年に創建された木造2階建ての劇場です。
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ここで演じられる歌舞伎、人形芝居、落語、映画などの出し物に、内子の人々は心躍らせたそうです。
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老朽化により取り壊される運命にあった内子座は、内子の人々の努力により復元され、昭和60年に再出発しています。
さて、そろそろ家路につかないといけない時間になったので、駐車場へ戻ります。 -
左手に連なっているお店は、明治26年創業のお酢の醸造場で、現在は味噌や醤油も作っておられます。
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町家資料館まで戻ってきた所で見つけたのが・・・
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内子町の汚水枡の蓋。
町の花サツキがモチーフになっています。 -
枡形の道を抜けて・・・
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八日市資料館の前から見た町並みです。
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この辺りのお土産やさんは繁盛していますね。
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本芳我家までもう少しです。
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右側の町家の軒先にあるのは・・・
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馬や牛を繋いだ石のようです。
窪んでいる胴の部分に綱を架けるんでしょうね。 -
町家の軒下でコエビソウの白い花が顔を覗かせています。
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上芳我家をやり過ごして、内子中学校の築地塀を左に見ながら進みます。
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もう少しで清正川です。
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清正川を渡って、常夜灯を過ぎれば駐車場はすぐそこです。
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