2014/08/27 - 2014/08/27
95位(同エリア217件中)
滝山氏照さん
仙台伊達藩の南境を衛る白石城(しろいしじょう、宮城県白石市益岡町)は17代当主政宗(まさむね、1567~1636)の幼少時代から傳役(もりやく)として生涯を捧げた片倉小十郎景綱(かたくら・こじゅうろう・かげつな、1557~1615)を初代とする片倉氏歴代藩主の居城です。
平安時代中期に起きた後三年の役(1083~1087)で関東武士の棟梁として源義家(みなもと・よしいえ、1039~1106)に従い戦功をあげた苅田経元(かりた・つねもと)が苅田・伊具郡を賜り、苅田氏として白石に築城したのが始まりと言われています。
その後白石氏などの支配後、伊達氏の支配下にはいったものの、天正19年(1591)豊臣秀吉はこの地方を没収し、会津若松城と共に蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)に与え、家老の蒲生郷成(がもう・さとなり、生誕不詳~1614)が城代として入城、白石城を改修します。
慶長3年(1598)秀吉の命を受けて越後の上杉景勝が会津若松へ転封となり、白石城には家臣の甘糟清長(あまかす・きよなが、1550~1611)が入り同城の再構築を行います。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦直前に伊達政宗は当城を突如攻略し、この地方は再び伊達領となり、家臣石川昭光(いしかわ・あきみつ、1550~1622)が城代として支配することになります。
慶長7年(1602)仙台藩第一の重臣である片倉小景綱によって城郭整備がなされ、以降明治維新まで260余年間片倉氏歴代の居城となり城下町として繁栄をもたらします。
片倉氏代々の領主は様々な改良改革を実施し、白石の産業基盤造りに尽力し、農業・養蚕と共に農閑期の仕事として和紙作りを指導をして当地の地場産業の基幹的役割を果たしています。
2023年9月20日追記
現地白石城にて入手の三つ折りのパンフレットには下記の通り説明がなされています。
『 激動の歴史の中をあゆみつづけた
白 石 城 別 名 益(桝)岡 城
天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、黒川城(現在の会津若松城)とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣
蒲生源左衛門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで260余年片倉氏の居城となった。
白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で丘りょうを切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・?櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御門・表・奥の諸建物
があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張りであった。
元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥州越21列藩同盟がこの城で結ばれ、公護府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後安察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転機には一役を担う重要な城であった。』
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR東北本線白石駅舎
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駅前観光案内地図
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「片倉小十郎と真田幸村観光コース」説明
時間の制約もあり地図右側に記載のコースに従って散策することにします。 -
片倉小十郎や阿梅姫の幟
駅前通りを直進し市役所横の城来路(シロクロード)から高台の城跡へ進みます。 -
白石城案内
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白石城東口門跡
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二の丸大手二の門
明治7年(1874)白石城解体後専念寺(せんねんじ)に売却されますが、明治20年(1887)東北本線開通により本町にある当信寺(とうしんじ)に移築され同寺の参門として使用されます。 -
白石城東口門跡標柱
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本丸跡外郭石垣
白石城築城当時に積まれた初歩的な石垣(野面積)とその後地震・大雨等で崩れた為に積み直された新しい石積工法が混在しています。 -
外郭石垣
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本丸跡外郭石垣説明
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益岡公園案内地図
本来の白石城郭は既に公園化され野球場やテニスコートが設置され、城跡相当するエリアはかなり縮小されています。 -
イチオシ
本丸石垣
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白石城に関する説明板
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「白石城(益岡城)歴史」説明
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白石城(益岡公園)地図
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しろいしガイドマップ
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大手一御門
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イチオシ
本丸全景
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イチオシ
大手二御門
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本丸御殿跡
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本丸御殿跡
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白石城本丸説明板
特筆すべきは本丸御殿の中に「御成御殿」があり、藩主伊達家が江戸へ参勤する際の宿泊所として使用された場所となっています。 -
天守
大手二御門を過ぎ本丸跡に入った場所から天守を捉えます。 -
イチオシ
天守(全景)
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天守・瓦・鯱瓦説明
瓦は耐寒性に優れ吸水率が低い「美濃の耐寒いぶし瓦」を使用されています。 -
天守展望
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天守展望
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天守展望
天守から大手一御門及び大手二御門を一望します。 -
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城郭古地図
天守内部に掲載の白石城と武家屋敷・城下町区割りを示す古地図と思われます。 -
本丸御殿跡
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鐘楼堂
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「鐘堂と鐘」説明板
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井戸屋形(復元)
天守の傍らにある復元された井戸施設が見えます。 -
天守
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二の丸跡
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