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 愛媛県南宇和郡愛南町に外泊(そとどまり)集落と呼ばれる漁村があります。<br /> 台風や冬の季節風から家を守るために家々を石垣で囲んでいる所で、その特異な風景に惹かれて行ってみました。<br /> のどかな空気が流れ、静かな海面がキラキラ光り、平和そのものに酔う気分でしたが、そのあと立ち寄った場所で、思いもかけず戦争の現実をつきつけられ、言葉を失いました。

石垣の里と静かな海。平和そのものに見えましたが・・・《愛媛県・外泊集落》

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2011/05/13 - 2011/05/21

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ねんきん老人

ねんきん老人さん

 愛媛県南宇和郡愛南町に外泊(そとどまり)集落と呼ばれる漁村があります。
 台風や冬の季節風から家を守るために家々を石垣で囲んでいる所で、その特異な風景に惹かれて行ってみました。
 のどかな空気が流れ、静かな海面がキラキラ光り、平和そのものに酔う気分でしたが、そのあと立ち寄った場所で、思いもかけず戦争の現実をつきつけられ、言葉を失いました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 【 群生する金鶏草 】<br /><br /> 県道34号線を走っていると、道端に金鶏草が群生していました。あまりの見事さに車を停め、しばしの休憩です。<br /> さて出発しようとすると、ちょうどそこがY字路になっており、左右どっちに行ったらいいのか判りません。折よく50代くらいの女性が通りかかったので、外泊に行くにはどっちの道を行けばいいでしょうか、と尋ねました。<br /> 不機嫌な顔で、「まっすぐ」と一言。まっすぐの道はないので、「右ですか?左ですか?」と重ねて尋ねると、「上」とこれまたぶっきら棒な返事です。<br /> 見れば右の方が上り坂になっているようなので、右に進んだのですが、どうも納得がいきません。1本道なので脇道にそれたということはないのですが、どうも違うような気がします。<br /> 旅に出てカーナビを使うのは気が進まないのですが、仕方なく入れてみると、ナビの指示はさっきの分岐点まで戻って左の下り坂を行くようになっています。<br /> その通りにすると、すぐに外泊に着きました。いったい何だったんでしょう?<br />

    【 群生する金鶏草 】

     県道34号線を走っていると、道端に金鶏草が群生していました。あまりの見事さに車を停め、しばしの休憩です。
     さて出発しようとすると、ちょうどそこがY字路になっており、左右どっちに行ったらいいのか判りません。折よく50代くらいの女性が通りかかったので、外泊に行くにはどっちの道を行けばいいでしょうか、と尋ねました。
     不機嫌な顔で、「まっすぐ」と一言。まっすぐの道はないので、「右ですか?左ですか?」と重ねて尋ねると、「上」とこれまたぶっきら棒な返事です。
     見れば右の方が上り坂になっているようなので、右に進んだのですが、どうも納得がいきません。1本道なので脇道にそれたということはないのですが、どうも違うような気がします。
     旅に出てカーナビを使うのは気が進まないのですが、仕方なく入れてみると、ナビの指示はさっきの分岐点まで戻って左の下り坂を行くようになっています。
     その通りにすると、すぐに外泊に着きました。いったい何だったんでしょう?

  • 【 石垣に囲まれた立派な家 】<br /><br /> 外泊は豊後水道に突き出た西海半島の北側にある漁村です。<br /> 女呂岬と道越鼻に挟まれた入江をさらに切り込んで造った小さな漁港があり、そこに車を停めることができます。<br /> 歩き出すと、早速現れました、石垣の家が。<br /><br /> ※ 集落の近くに公民館があり、そこにも無料の駐車場がありました。<br />   そのほか、集落の上の方に食事のできる「だんだん館」というのがあり、そこにも駐車場があるそうです。このことは最近知りました。集落を回り込むような道があるのでしょうか。<br /> 

    【 石垣に囲まれた立派な家 】

     外泊は豊後水道に突き出た西海半島の北側にある漁村です。
     女呂岬と道越鼻に挟まれた入江をさらに切り込んで造った小さな漁港があり、そこに車を停めることができます。
     歩き出すと、早速現れました、石垣の家が。

     ※ 集落の近くに公民館があり、そこにも無料の駐車場がありました。
       そのほか、集落の上の方に食事のできる「だんだん館」というのがあり、そこにも駐車場があるそうです。このことは最近知りました。集落を回り込むような道があるのでしょうか。
     

  • 【 集落を縦横に走る坂道 】<br /><br /> 幕末の頃に、隣の中泊地区で人口増加が進み、それに対応するために次男三男が外泊に移り住んだそうです。<br /> そこは急斜面だったため、人々は石垣を築いて平地を確保したのですが、車のない時代のこととて、家と家、すなわち石垣と石垣の間は人が並んで歩けないほど狭く、その多くは階段になっています。<br /> 写真の石垣には出角部分に長方体の長辺と短辺を互い違いに重ねた「算木積み」の手法が見られます。

    【 集落を縦横に走る坂道 】

     幕末の頃に、隣の中泊地区で人口増加が進み、それに対応するために次男三男が外泊に移り住んだそうです。
     そこは急斜面だったため、人々は石垣を築いて平地を確保したのですが、車のない時代のこととて、家と家、すなわち石垣と石垣の間は人が並んで歩けないほど狭く、その多くは階段になっています。
     写真の石垣には出角部分に長方体の長辺と短辺を互い違いに重ねた「算木積み」の手法が見られます。

  • 【 堅牢な石積み 】<br /><br /> 石垣に使われている石材は、斜面の造成の際に出土した石だということですが、これほど大量の石が出たとは考えにくく、他地域から運んだものもあっただろうと、私は勝手に推測しています。

    【 堅牢な石積み 】

     石垣に使われている石材は、斜面の造成の際に出土した石だということですが、これほど大量の石が出たとは考えにくく、他地域から運んだものもあっただろうと、私は勝手に推測しています。

  • 【 坂また坂 】<br /><br /> 車のない時代とはいえ、漁村ですから大八車ぐらいは使っていたと思うのですが、これでは使えませんね。荷物はすべて担いで運んだのでしょうか。<br /> 今の人たちは集落の下に車を置いているそうですが、自転車も置き場があるのでしょうか。

    【 坂また坂 】

     車のない時代とはいえ、漁村ですから大八車ぐらいは使っていたと思うのですが、これでは使えませんね。荷物はすべて担いで運んだのでしょうか。
     今の人たちは集落の下に車を置いているそうですが、自転車も置き場があるのでしょうか。

  • 【 塀にもなっている石垣 】<br /><br /> 石垣は、単に平地を得るための土留めというにとどまらず、そのまま上に積み上げて家々の塀にもなっています。<br /> そのため各家はすっぽりと石塀に囲まれたようになっていて、強風や塩害から守られているということでした。<br /> それにしても大きな家が多く、中には御屋敷と呼べるような豪邸もありました。

    【 塀にもなっている石垣 】

     石垣は、単に平地を得るための土留めというにとどまらず、そのまま上に積み上げて家々の塀にもなっています。
     そのため各家はすっぽりと石塀に囲まれたようになっていて、強風や塩害から守られているということでした。
     それにしても大きな家が多く、中には御屋敷と呼べるような豪邸もありました。

  • 【 見事な石組み 】<br /><br /> 自然石をその形のまま積み上げた石垣で、たぶん「野面積み」「乱積み」という手法ではないかと思います。適当に積んでいるようで、小さい石を巧みに使って重力の均等化と各石の安定を図っていると、昔習ったことがあります。<br /> でも私の記憶は自分でも信用していないくらいですから、間違っているかも知れません。

    【 見事な石組み 】

     自然石をその形のまま積み上げた石垣で、たぶん「野面積み」「乱積み」という手法ではないかと思います。適当に積んでいるようで、小さい石を巧みに使って重力の均等化と各石の安定を図っていると、昔習ったことがあります。
     でも私の記憶は自分でも信用していないくらいですから、間違っているかも知れません。

  • 【 見事な石組み 】<br /><br /> こちらはまた石の表面をきれいに斫ってあります。<br /> 基本的には乱積みのように見えますが、各石の接合部が密着するように斫ってあるので、「切石乱積み」という方法かも知れません。表面に出る石の隙間をなくすように打ち込んであるとすれば「打ち込み接ぎ」という技術かもしれませんが、これまた当てずっぽうですので、読み飛ばしてください。<br /> こうして見ると、集落の石垣がいろいろな手法で組まれていることが判り、時代を越えて築造や修復が行われてきたのだろうと想像が膨らみます。<br /> こんなことなら、行く前に昔習った石積みの分類を復習していけばよかったと後悔しました。

    【 見事な石組み 】

     こちらはまた石の表面をきれいに斫ってあります。
     基本的には乱積みのように見えますが、各石の接合部が密着するように斫ってあるので、「切石乱積み」という方法かも知れません。表面に出る石の隙間をなくすように打ち込んであるとすれば「打ち込み接ぎ」という技術かもしれませんが、これまた当てずっぽうですので、読み飛ばしてください。
     こうして見ると、集落の石垣がいろいろな手法で組まれていることが判り、時代を越えて築造や修復が行われてきたのだろうと想像が膨らみます。
     こんなことなら、行く前に昔習った石積みの分類を復習していけばよかったと後悔しました。

  • 【 部分的にコンクリートブロックも 】<br /><br /> 家によっては塀の部分をコンクリートブロックで作っている所もあります。<br /> 見物だけしているよそ者にとっては風情がないように見えますが、住んでいる人にしてみれば、自然石をふんだんに使っての補修など望まれても、おいそれとはいかないことでしょう。

    【 部分的にコンクリートブロックも 】

     家によっては塀の部分をコンクリートブロックで作っている所もあります。
     見物だけしているよそ者にとっては風情がないように見えますが、住んでいる人にしてみれば、自然石をふんだんに使っての補修など望まれても、おいそれとはいかないことでしょう。

  • 【 巨石で固める出角 】<br /><br /> こちらの出角部分は算木積みになっていませんが、ひときわ大きな石が使われています。<br /> この部分だけ石の上下の面が平らになって他の石と密着しているところを見ると、やはり石垣の要としての役目は果たしているのだと思います。<br /> それにしても、坂はどこまで続くのでしょう。 狭いだけに、なおさら険しい感じがします。

    【 巨石で固める出角 】

     こちらの出角部分は算木積みになっていませんが、ひときわ大きな石が使われています。
     この部分だけ石の上下の面が平らになって他の石と密着しているところを見ると、やはり石垣の要としての役目は果たしているのだと思います。
     それにしても、坂はどこまで続くのでしょう。 狭いだけに、なおさら険しい感じがします。

  • 【 坂を登りつめると 】<br /><br /> 集落の上の方に出てきました。<br /> 畑とも草地ともつかぬ平地が目につき始めます。耕作放棄地かも知れません。<br /> 最近ではこの辺りも過疎化が進み、空き家や使われていない土地が増えているのだそうです。<br /><br /> ところで外泊集落は「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」「美しい日本の歴史的風土100選」「日本の美しいむら農林水産大臣賞」に選定されているそうです。<br /> 確かに文句なしの見事さですが、こういう選定って、どこで誰がどうやってするのでしょうか。100位になった所と101位になった所とは、どこがどう違うのでしょう。<br /> 個人が自分の好きな山や海辺を100か所選ぶのは勝手ですが、公けの機関がランクづけをして「百選」「100選」と騒ぐのは、選んでやったというお上意識が感じられて、あまりいい気持ちがしません。

    【 坂を登りつめると 】

     集落の上の方に出てきました。
     畑とも草地ともつかぬ平地が目につき始めます。耕作放棄地かも知れません。
     最近ではこの辺りも過疎化が進み、空き家や使われていない土地が増えているのだそうです。

     ところで外泊集落は「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」「美しい日本の歴史的風土100選」「日本の美しいむら農林水産大臣賞」に選定されているそうです。
     確かに文句なしの見事さですが、こういう選定って、どこで誰がどうやってするのでしょうか。100位になった所と101位になった所とは、どこがどう違うのでしょう。
     個人が自分の好きな山や海辺を100か所選ぶのは勝手ですが、公けの機関がランクづけをして「百選」「100選」と騒ぐのは、選んでやったというお上意識が感じられて、あまりいい気持ちがしません。

  • 【 集落最上部 】<br /><br /> この辺は家もなく石垣だけが残されています。<br /> せっかくの平地も使われていないようで、人の往来が少なくなったのか、石の隙間からツワブキが顔を出しています。

    【 集落最上部 】

     この辺は家もなく石垣だけが残されています。
     せっかくの平地も使われていないようで、人の往来が少なくなったのか、石の隙間からツワブキが顔を出しています。

  • 【 ベゴニア 】<br /><br /> これはベゴニアのようです。<br /> こんな所に咲いている経緯は分かりませんが、それが却ってほっこりした気分にさせてくれます。 

    【 ベゴニア 】

     これはベゴニアのようです。
     こんな所に咲いている経緯は分かりませんが、それが却ってほっこりした気分にさせてくれます。 

  • 【 絶景を望む墓地 】<br /><br /> 石垣を縫い、狭い道を行き当たりばったりで歩いていると、さして広くもない墓地に出ました。そこに立つと、遮るものもなく宇和海が望めます。左に突き出たのが道越鼻、右にちょっと見えるのが女呂岬だと思います。<br /> 入江では何かの養殖をしているらしく、筏や生簀がいくつも並んでいました。<br /> 私の墓もこんな所に作ってくれたら、毎日こういう景色を見られるのでしょうか? もっとも、この坂道では墓参も難儀だと思いますが、それ以前に、家族が私の墓を作るかどうかが問題です。

    【 絶景を望む墓地 】

     石垣を縫い、狭い道を行き当たりばったりで歩いていると、さして広くもない墓地に出ました。そこに立つと、遮るものもなく宇和海が望めます。左に突き出たのが道越鼻、右にちょっと見えるのが女呂岬だと思います。
     入江では何かの養殖をしているらしく、筏や生簀がいくつも並んでいました。
     私の墓もこんな所に作ってくれたら、毎日こういう景色を見られるのでしょうか? もっとも、この坂道では墓参も難儀だと思いますが、それ以前に、家族が私の墓を作るかどうかが問題です。

  • 【 入り組んだ坂道 】<br /><br /> 家々の間を縫うように細い道が続いています。<br /> それはまるで迷路のようですが、集落全体が斜面にありますので、とにかく下へ下へと辿れば港に出られます。

    【 入り組んだ坂道 】

     家々の間を縫うように細い道が続いています。
     それはまるで迷路のようですが、集落全体が斜面にありますので、とにかく下へ下へと辿れば港に出られます。

  • 【 民宿 】<br /><br /> 私が見た範囲では民宿が2軒ありましたが、それ以外には観光客向けの店などはなく、静かな生活が保たれているようでした。行程が合えば、こういう所に泊まってみたいものです。<br /> 去りがたい気分で外泊集落をあとにしました。

    【 民宿 】

     私が見た範囲では民宿が2軒ありましたが、それ以外には観光客向けの店などはなく、静かな生活が保たれているようでした。行程が合えば、こういう所に泊まってみたいものです。
     去りがたい気分で外泊集落をあとにしました。

  • 【 紫電改展示館 】<br /><br /> お目当ての外泊見物を終えたあと、ついでと言っては失礼ですが、同じ愛南町にある「紫電改展示館」に立ち寄りました。<br /> 紫電改とは、あのゼロ戦の後継機として終戦間近に開発された海軍の戦闘機です。ゼロ戦をしのぐ性能を持ち、連合軍に恐れられた飛行機として、名前だけは知っていましたが、子供のころ模型を作った記憶があるだけで、詳しいことは何も知りません。<br /> たまたま通り道の近くにあったから寄ったというだけで、尊崇の気持ちはまったくありませんでした。 

    【 紫電改展示館 】

     お目当ての外泊見物を終えたあと、ついでと言っては失礼ですが、同じ愛南町にある「紫電改展示館」に立ち寄りました。
     紫電改とは、あのゼロ戦の後継機として終戦間近に開発された海軍の戦闘機です。ゼロ戦をしのぐ性能を持ち、連合軍に恐れられた飛行機として、名前だけは知っていましたが、子供のころ模型を作った記憶があるだけで、詳しいことは何も知りません。
     たまたま通り道の近くにあったから寄ったというだけで、尊崇の気持ちはまったくありませんでした。 

  • 【 2階ギャラリーから見下ろした紫電改 】<br /><br /> しかし、ここに来て、私は自分の無知と軽薄さを思い知らされ、消え入りたいような気持ちに襲われました。<br /> 館内には詳しい説明があり、紫電改の何たるかがよく分かります。なによりその性能、活躍について実写で構成されたビデオが上映されていて、胸を打ちます。<br /> 感じ入って2度見てしまったそのビデオによれば、全長9m余、全幅12m、時速600kmを出し、海軍の最も優れた戦闘機と言われたとのことです。<br /> 昭和20年7月、土佐沖から広島方面に向かう米軍機を撃墜するため21機が発進し、宇和島上空で3倍の敵と交戦、16機を撃墜したものの、自軍6機も帰還できず海に沈んだそうで、その搭乗員6人の写真もありました。20歳から29歳という若さで、どの顔も誠実そうな好青年ばかりです。<br /> (この日の戦いについては上記と異なる記録が多くあります)<br /><br /> ここにある機体は、その交戦で海中に沈んでいたものを昭和54年に引き揚げ、乗員の鎮魂と恒久平和を願って展示しているものです。<br /> 軽い気持ちで入った展示館ですが、見て回るうちに知らずしらず居住まいをただし、館を出るときは展示機体に向かって一礼している自分がありました。

    【 2階ギャラリーから見下ろした紫電改 】

     しかし、ここに来て、私は自分の無知と軽薄さを思い知らされ、消え入りたいような気持ちに襲われました。
     館内には詳しい説明があり、紫電改の何たるかがよく分かります。なによりその性能、活躍について実写で構成されたビデオが上映されていて、胸を打ちます。
     感じ入って2度見てしまったそのビデオによれば、全長9m余、全幅12m、時速600kmを出し、海軍の最も優れた戦闘機と言われたとのことです。
     昭和20年7月、土佐沖から広島方面に向かう米軍機を撃墜するため21機が発進し、宇和島上空で3倍の敵と交戦、16機を撃墜したものの、自軍6機も帰還できず海に沈んだそうで、その搭乗員6人の写真もありました。20歳から29歳という若さで、どの顔も誠実そうな好青年ばかりです。
     (この日の戦いについては上記と異なる記録が多くあります)

     ここにある機体は、その交戦で海中に沈んでいたものを昭和54年に引き揚げ、乗員の鎮魂と恒久平和を願って展示しているものです。
     軽い気持ちで入った展示館ですが、見て回るうちに知らずしらず居住まいをただし、館を出るときは展示機体に向かって一礼している自分がありました。

  • 【 2階ギャラリーから見下ろした紫電改 】<br /><br /> 引き揚げたときには、錆びた機体にフジツボなどの貝がびっしりと付いていたそうで、その写真も展示されています。<br /> それをきれいに落とし、再塗装した人たちは、搭乗員への思いを込めて作業にあたられたのだと思います。34年間海底にあった機体をいとおしく思う気持ちもあったことでしょう。丁寧な仕事ぶりに胸が熱くなります。<br /> なお、墜落の衝撃で曲がったプロペラをあえてそのままにしてあるのは、遺族の意向によるものだそうです。その瞬間の悲劇をいつまでも忘れないようにとの思いからだそうで、これまた胸に迫ります。

    【 2階ギャラリーから見下ろした紫電改 】

     引き揚げたときには、錆びた機体にフジツボなどの貝がびっしりと付いていたそうで、その写真も展示されています。
     それをきれいに落とし、再塗装した人たちは、搭乗員への思いを込めて作業にあたられたのだと思います。34年間海底にあった機体をいとおしく思う気持ちもあったことでしょう。丁寧な仕事ぶりに胸が熱くなります。
     なお、墜落の衝撃で曲がったプロペラをあえてそのままにしてあるのは、遺族の意向によるものだそうです。その瞬間の悲劇をいつまでも忘れないようにとの思いからだそうで、これまた胸に迫ります。

  • 【 機体の腐食痕 】<br /><br /> 近くで見ると機体は腐食して穴だらけです。<br /> さらに私は気づきませんでしたが、操縦席斜め左前から右後ろにかけて銃弾が貫通した跡があるそうです。負傷した搭乗員が必死で操縦していたのだろうと思うと、言葉もありません。<br /><br /> 旅の途中でプラモデルでも見るような気分で立ち寄った自分の軽薄さに、いまさらながら自責の念を禁じ得ません。<br /> 私は紫電改とそれにまつわる人々のことをあまりにも知らな過ぎました。<br /> その後、申し訳ない気持ちも手伝って、少しだけ紫電改について勉強し、最近になってそれを自身のHPに載せました。<br /> 下にURLを載せておきますので、もしお暇があったら、ざっと目を通していただけたら、こんなに嬉しいことはありません。<br /><br />   http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/063_shidenkai.html

    【 機体の腐食痕 】

     近くで見ると機体は腐食して穴だらけです。
     さらに私は気づきませんでしたが、操縦席斜め左前から右後ろにかけて銃弾が貫通した跡があるそうです。負傷した搭乗員が必死で操縦していたのだろうと思うと、言葉もありません。

     旅の途中でプラモデルでも見るような気分で立ち寄った自分の軽薄さに、いまさらながら自責の念を禁じ得ません。
     私は紫電改とそれにまつわる人々のことをあまりにも知らな過ぎました。
     その後、申し訳ない気持ちも手伝って、少しだけ紫電改について勉強し、最近になってそれを自身のHPに載せました。
     下にURLを載せておきますので、もしお暇があったら、ざっと目を通していただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

       http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/063_shidenkai.html

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  • ねんきん老人さん 2021/07/20 10:45:35
    同時多発テロも忘れてはいけませんね。
     Deco さん、おはようございます。 高知・愛媛と2編の旅行記にご投票くださって、ありがとうございました。 記事も丁寧に読んでくださり、写真も細かい所までよく見てくださって、嬉しい限りです。
     外泊集落も時代の波に押されて徐々に変わってゆくことでしょうから、今行ったら10年分の変化があって、上の方などは更地になっているかも知れません。
     紫電改見学という体験を共有できて嬉しく思いますし、書き込みの中に御荘という地名が出てきたのも懐かしいことでした。 ずいぶん前になりますが、御荘に2泊ほどして釣りを楽しんだことがあります。 この旅行記にある2011年にも行きましたし、2017年にも、泊まりはしませんでしたが、御荘を通りました。

     古い旅行記をお読みいただいたことで、私も久しぶりに自分の書いたものを再読してみました。 なんと入力ミスが2か所あり、冷や汗をかきながら訂正しました。
     Deco さんのおかげで、今日からはその部分で恥をかかずに済みます。 ありがとうございました。
     これからもよろしくお願いいたします。

    ねんきん老人
  • Decoさん 2021/07/19 23:43:44
    外泊
    ねんきん老人さん、こんばんは。

    旅行記一覧からこちらの旅行記を見つけて拝見しました。
    私も今は専ら近場の温泉巡りになっていますが、以前は四国が好きで良く行きました。
    二十年前、御荘町(現愛南町)に泊まって翌日外泊に行こうとしたら、バスを乗り過ごして結局行けず。
    だから、こちらの旅行記を見て、ああ、こんな感じの地区だったんだと、もうあの時から随分経ちましたが、わかって良かったです。
    がっしりした石垣はお城のものとはまた違った生活感を感じます。配管があったり、空調の室外機が見えたり…普通の生活が根付いているように見えました。
    ただ、やっぱり過疎化は進むし、多分比較的不便であろう、上の方から人が住まなくなっていくのですね。

    実は、御荘を観光した日はアメリカ同時多発テロが起きた翌日でした。衝撃的な映像にショックを受けつつも、あまりにハードな内容で現実感が伴わず、ふわふわしたような変な精神状態だったことを覚えています。外泊に行き損ねたので、宇和海タワーや紫電改も見に行きましたが、あまり覚えていないのです。テロの映像が衝撃だったので無意識のうちにその一日を思い出すのを避けていたのかも知れません。でもフジツボがついていたとかは、妙に覚えていました…。

    とりとめのないことを書いて失礼致しました。
                                    Deco

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