2014/07/15 - 2014/07/17
442位(同エリア3284件中)
さんぽさん
一度行ってみたいと思っていた場所「草津温泉・日光・鬼怒川温泉」に夏の暑いときに、温泉はいや!!というのを説得し、やっと行った
今回、初めての日光東照宮は、陽明門の平成の大修理で、その全容を見ることはできませんでしたが、その代り、207年ぶりの壁画、眠り猫、三猿、唐門など、初めて見ることができ、感激しました
陽明門はまだ見るチャンスは有りますが、50年先になる予定の壁画は、間違いなく見られませんので、満足できた日光東照宮でした
今回のツアーの主な行程は
1日目:新大阪(新幹線)岐阜羽島(バス)→駒ヶ根(昼食)→善光寺→草津温泉(ホテル高松)。
2日目:吹割の滝→中禅寺湖(昼食)→華厳の滝→日光東照宮→鬼怒楯岩大吊橋(3日目予定分)→鬼怒川温泉(きぬ川ホテル三日月)
3日目:清里高原ホテル(昼食)→岐阜羽島(新幹線)新大阪で解散
表紙の写真は、国宝の唐門
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
いろは坂(国道120号線)
華厳の滝の観光を終え次の目的地、日光東照宮に向け走っているこの道は、中禅寺湖方面からの、下り第1いろは坂
古くは男体山や中禅寺への登拝者が通っていた道で、明治初期まで奥日光は、女人牛馬禁制(にょにんぎゅうばきせい)で、女性や牛馬は坂を上れなかったとのこと
日光市街から中禅寺湖・奥日光間、上りが第2いろは坂(2車線でカーブは30ヶ所)
下りが第1いろは坂でカーブ(有り)ごとに「いろは……」 の文字が順に48ヶ所(一時、カーブは50ヶ所あったとのこと)のカーブに表示されている(写真は撮れなかった・・・) -
いろは坂
いろはのどの文字にあたるカーブかは?
バスの席から横が進行方向、切り替えしなしで、さすがプロドライバーと思った -
いろは坂を下り、日光田母沢御用邸記念公園(にっこうたもざわごようていきねんこうえん)入口前を通過
入るのは有料
大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用された御用邸で修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園となった
平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定された
日光田母沢御用邸記念公園のHP
http://www.park-tochigi.com/tamozawa/ -
日光田母沢御用邸記念公園
もともとこの敷地にあった小林家別邸の建物が残り、また、東京・赤坂離宮の東宮御所から移築した建物もある
外からは、石垣で屋根の一部位しかあまり見えない -
二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の神橋(しんきょう)重要文化財
日光!!と最初に実感した朱塗りの橋
一瞬の車窓で、大谷川(だいやがわ)に掛る橋が見えたので撮って、調べると神橋とのこと
二荒山神社側から有料で橋の上と、橋の下からも眺められるとのこと、なお国道120号線の所は柵が有り、渡りきれないのでUターンが必要
日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つとか
橋の長さは28m、巾7.4m、高さ(水面より)10.6m -
バスは神橋を越え間もなくして、日光東照宮に着いて、降りて最初に向かったのは、日光山輪王寺本堂(にっこうさんりんのうじほんどう) 三佛堂(さんぶつどう)重要文化財・世界遺産
ここでしばし説明を受ける
輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂
現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられ、現在50年ぶりの大修理が行われている最中
ツアーの関係で、修理中の見学は含まれていない -
日光山輪王寺本堂は、富士山から見た、鬼門の方向とかのような・・・あいまいデス(後で知らべれば分かると、聞き流していた・・・反省)
この後、鬼門封じの札の説明が・・・ -
向かって大護摩堂(三佛堂の裏方向)の左隣り、光明院稲荷社(こうみょういんいなりしゃ)
この左側を右に曲がれば、東照宮の石鳥居方向 -
光明院稲荷社からの大護摩堂
紅葉が綺麗そう -
光明院稲荷社前を左に曲がると、いよいよ東照宮の「社号標」と「石鳥居」が見えてきた
社号標をもうすこし、右位置にしたかったけど、前の人の関係で・・・ -
石鳥居(いしどりい)重要文化財
この写真は帰りに撮ったもの
黒田藩52万石の藩主、黒田筑前守(ちくぜんのかみ)長政が元和(げんな)4(1618)年に奉納した石造りの鳥居で、高さ9メートル、柱の太さ3.6メートル、柱の中心の間隔が6.8メートル。
京都八坂神社、鎌倉八幡宮のものと合わせて日本三大石鳥居と呼ばれるが、江戸時代に建てられた石造りの鳥居としては日本最大。
後水尾(ごみずのお)天皇が書いた「東照大権現」の額だけでも畳1枚分の大きさがある。
使われている石は筑前(福岡県)産の花崗岩(かこうがん)で、エジプトのピラミッドなどと同じ、土嚢(どのう)を積む方法で引き上げた15個の石材で組み立ててある。
石材を心棒で継ぎ、柱の上に渡した笠木(かさぎ)・島木(しまぎ)は軽量化のため空洞がある。
こうした耐震設計の働きで、昭和24(1949)年に日光を襲った地震のときは、最初の強い揺れでかなりずれた継ぎ目が、余震で元の位置に戻ったという。(日光観光協会HPより) -
「東照大権現」の額
下から見ていると、畳1枚分の大きさとは感じないけど -
五重塔(ごじゅうのとう)重要文化財
石鳥居をくぐって左側
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された
文化12年火災にあい、その後文政元年(1818)に同藩主、酒井忠進公によって再建された
塔の高さは、約36mで、内部は吹き抜けになっていて、中心を貫く直径60cmの心柱が4層(4階)から鎖でつり下げられ、その下層部は礎石の穴の中で10cmほど浮いている
これは、耐震・耐風対策と木材の伸縮などで生じる、ひずみに対応する構造となっている
東京スカイツリーも、この耐震システムを応用して、設計されたとも言われている
五重塔の建つ場所の標高は、奇しくも東京スカイツリーとほぼ同じ高さとのこと -
表門(おもてもん)重要文化財
東照宮最初の門:表門
且っては仁王門と言われていたが、仁王は仏教の守り神で、明治4(1871)年、実施の神仏分離で、ここの仁王像は大猷院(たいゆういん)の仁王門に移された
それ以来、仁王門から表門と呼ばれるようになった
仁王像が戻ってきたのは明治30(1897)年
門までの石段、仮設の手すりが両端にあるものの、少し怖さを感じる
表門から先は、拝観料が必要
大人・高校生1,300円
http://www.toshogu.jp/etc/haikan.html -
表門(左側)吽形(うぎょう)の仁王像
大仏師法眼康音作 (高さ4m) -
表門(右側)阿形(あぎょう)の仁王像
大仏師法眼康音作(高さ4m) -
表門を入って最初に目に入った、三神庫(さんじんこ)重要文化財の一つの下神庫(しもじんこ)
三神庫(さんじんこ)は、上神庫(かみじんこ)・中神庫(なかじんこ)・下神庫(しもじんこ)を総称してと言う
この三神庫の中には、春秋渡御祭(しゅんじゅう とぎょうさい)「百物揃千人武者行列(ひゃくものぞろ(い?え?) せんにん むしゃぎょうれつ)」(正式には、神輿渡御祭(しんよとぎょさい))で年2回、使用される、馬具や装束類が収められている
百物揃千人武者行列は、徳川家康公の神霊を駿府久能山(久能山東照宮:くのうざんとうしょうぐう)から、日光(東照宮)へ改葬した、当時の行列を再現したもの
5月18日
千人を超える壮麗な大行列が、二荒山神社境内から表参道をとおり、約1キロメートル先の御旅所へ向かいます。御旅所では八乙女舞(やおとめのまい)と東遊舞(あずまあそびのまい)が奉納され、その後に行列は東照宮へ戻ります。(日光市HPから引用文)
10月16日
日光東照宮の秋の大祭は臨時祭で、春の例大祭より規模は小さいものの、徳川家康公の神霊を駿府久能山から日光へ改葬した当時の行列を再現した「百物揃(ひゃくものぞろえ)千人武者行列」と呼ばれる豪壮な「渡御祭」を催します。(日光市HPから引用文) -
正面からの下神庫(しもじんこ)
左に少し見える屋根が中神庫(なかじんこ)?
三神庫
外部は校倉造(あぜくらづくり)を模したものであり内部には百物揃千人行列と呼ばれる壮大な渡御祭奉仕者の装束1200人分が収められている。駒札記載文 -
上神庫(かみじんこ)の正面
後で撮ったもの -
三神庫(さんじんこ)の中で一番、有名な(有名と思う)、上神庫(かみじんこ)
屋根下には「想像の象」狩野探幽(かのうたんゆう)の下絵の大きな彫刻がほどこされている日光東照宮 寺・神社・教会
-
上神庫の屋根下には、狩野探幽(かのうたんゆう)の下絵による「想像の象」の彫刻がほどこされている
狩野探幽(かのうたんゆう)は、江戸時代の狩野派を代表する絵師で、二条城、江戸城、名古屋城、大徳寺、妙心寺などの障壁画がある -
左側の「想像の象」
この象のみ尻尾が3本に分かれているようにも見え鼻も短い、意図的に描いたものか、想像で描いたもか?で「想像の象」と言われている -
右側の「想像の象」
こちらの象の鼻は、長いものの、三日月の目と、猫のような爪を持ち、左側の象も同じく、耳は外を向いている(他2頭の象も、2頭の龍、表門の2頭の象の耳は外を向いている)
左右の象の違いは何からかは?
象などのコメントは、私の想像も含んでいます・・・ -
表門(おもてもん)の所の象
三神庫の左側の象以外、この2頭の象も鼻が長い -
表門をくぐって左に曲がり右側が、神厩(しんきゅう)需要文化財
東照宮唯一の素木造で、室町時代武家邸宅の厩舎式によったもで、建物の欄間に飾られた八個の神猿彫刻は、猿が馬の健康安全を守るという信仰に基づいたもの(神厩舎の所の説明文の抜粋)
神馬が神厩舎に居る時間は、午前10時から午後2時まで、着いた時間が14時54分で見ることできず・・・デ、神厩舎の全体は撮っていない -
神厩舎、正面左から成長の流れを表している
1.赤ん坊時代
小手をかざして遠くを見ている母親は、空間としての遠方ではなく、時間としての遠方、即ち未来(子の将来)を見ている。その方向には、実を付けた枇把と朱色の雲がある。
母親が子供の未来を遥かに望んでい場面で、枇把と朱色の雲は「バラ色で実り豊か」な子供の未来を暗示している。(神厩舎の所の説明原文) -
2.幼年期
両手でそれぞれ耳、口、目を押さえた三匹の猿
いわゆる、有名な『見ざる、言わざる、聞かざる』
幼いうちは、純真で周囲の影響を受けやすい。
だから世の中の悪いことは見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよ。
この時期に、良いものを身に付けておけば、悪いものに触れ(対し)ても正しい判断(行動)ができる。(神厩舎の所の説明原文) -
3.独り立ち直前
写真撮ったつもりが見つからない・・・
ピンボケで削除してしまったか?
変わりに、神厩舎の所の説明原文の写真をUP -
4.青春期
二匹の猿が上を見上げている。
希望をもって上を見上げる青年期のイメージ。
右上に青雲が配され、「青雲の志」を抱いた若い猿と解釈できる。
御遺訓にいうと「上を見るな・身の程を知れ」である。(神厩舎の所の説明原文) -
神厩舎の正面、右端
5.挫折と慰め
右側の猿は樹の上で前方を疑視している。
左側の二匹は岩の上にいる。
中央の猿は崖からの転落は免れた状況か(木から落ちた猿かも)。
左側の猿は、中央の猿の背中に手を当てている。
友達を慰める、或いは励ましているように見える。(神厩舎の所の説明原文) -
神厩舎の側面(左側が正面)
こちらは、意外と見落とされるとのこと -
6.恋に悩む
右側の猿は座って腕をお腹の前で交差させ、正面を擬視している。
左側の猿は何か考え、決断を迫られている。
(次の面から解釈するに、右側の猿は結婚の決心を固めた猿。一方の猿は、未だそれに至っていない状況下もしれない。)(神厩舎の所の説明原文) -
7.夫婦で乗り越える荒波
左下に逆巻く波、右側の根本には薔薇の花。
右側の猿は長い左手を波に差しのべ、左側の猿は腕組みをしている。
二匹とも波を見つめている。
右側の猿の上には赤い雲。
(二人で力を合わせれば「人生の荒波」も乗り越えられる。)(神厩舎の所の説明原文) -
8.お腹の大きい猿
結婚した二人が協力して荒波を乗り越え、平安な家庭環境を整え、子宝に恵まれ、子供が生まれれば、親となり、最初の面の子育てえと辿ることになる。
(そして永遠の生命が受け継がれて行く。)
子は「悪いことは見せない・聞かない・話さない」そして「平安」な心で育てなければならない。
幼児期の在るべき環境を「長春(薔薇の別名)」が象徴している。(神厩舎の所の説明原文)
これが神厩舎の右側面、右端の物語の神猿彫刻
これで物語は8枚で構成されていて「1.赤ん坊時代」に戻り、人生が繰り返される -
御水舎(おみずや)(手水舎)重要文化財
御水舎の柱は、木材でなく花崗岩で出来ている
水盤は、九州の鍋島藩主が元和(げんな)4(1618)年に奉納したもの -
御水舎の拡大写真
屋根の下には、逆巻く波と飛龍(ひりゅう)の彫刻がある
飛龍は翼のある竜で、水をつかさどる霊獣(れいじゅう)とされる -
陽明門石段登り口の右側にある南部鉄燈籠
伊達政宗がポルトガルから鉄を運んで鋳造し、奉納した南部鉄燈籠 -
輪蔵(りんぞう)(経蔵(きょうぞう))
御水舎横隣り
2層屋根、しかも建物の形が12メートル四方の正方形をしているので、重層方形造り-じゅうそうほうぎょうづくり-という。仏教の経典を納める経蔵だが、建物の真ん中に一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架が置かれていることから輪蔵の名がついた。
((一社)日光観光協会のHPを引用) -
鐘楼(しょうろう)
陽明門の手前右側、鐘舎奥 -
朝鮮鐘(ちょうせんかね)
朝鮮鐘の特徴である鐘を釣るための上部に、ちいさな穴があることから、別名:虫蝕(むしくい)の鐘と言われている
陽明門の手前右側、鐘楼の手前近くの鐘舎(ちょうしゃ)に吊るされる鐘
撞木(しゅもく)が、ないけど、どうして突くのか?、たんなる飾りの鐘なのか? -
鐘楼近くの石灯篭(左奥が鐘楼)
石灯篭の上の茂み
羊歯以外、小さな木まで生えてきている、他にもあるかも -
廻廊(かいろう)国宝
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。 (日光東照宮のHP社殿の概要からの引用文)
陽明門に向かって右側(東側)
-
陽明門(ようめいもん)国宝
陽明門は真南を向いて建っている
陽明門
御所十二門の内の名称を朝廷から賜ったもの、後水尾天皇の御宸筆(ごしんぴつ:天皇直筆)による勅額(ちょがく)があるので勅額門、あまり結構善美を尽した門で見飽きないところから日暮門ともいわれる(駒札による。ただしカッコ内は追記)
現在、保存修理工事中で、観られない・・・
工事期間は平成25年7月16日〜平成31年3月31日まで
で陽明門の外観写真はこれのみ・・・ -
陽明門東側の壁画
何の絵かは?
工事期間中しか見ることができない、貴重な壁画
最大、見ることが可能な期間は、平成31年3月31日の工事期間終了前位までか、もう少し早いか期間は、憶測です
どちらにしても、次に見ることができるのは、、次のの50年先(工事予定?)だから、少なくとも、私は今回が見納めです
写真を撮るのはokでした -
陽明門東側の幻の壁画
桐油蒔絵・岩笹梅と錦花鳥
この壁画は、昭和の大修理の時に確認されたとのこと -
陽明門東側の壁画(脇画?)
陽明門より内側に入る通路(一方通行)の最後の壁画 -
この写真から壁画は、陽明門の西側のもので、眠り猫とか見学した帰りに撮ったもの
陽明門の写真をまとめるため、並べを変えている
これは隙間から見えた、陽明門?の天井の一部か -
陽明門の西側(出口方向)
松と鶴(桐油蒔絵)
親鶴が松の木から舞い上がって巣の方を見ている構図
これも207年前の壁画、次に見られるのは50年後と思う
次の壁画の左側 -
陽明門の西側(出口方向)
松と鶴(桐油蒔絵)
親鳥が3匹のヒナに餌を与えているシーン
(思うに、二羽の夫婦で一羽が見守り、一羽が、エサを与えている)
(前の壁画写真と左右のセットもの)
217年前の壁画…次に見られるのは50年後
1796年に羽目板で覆われた幻の陽明門壁画 -
西側最後の壁画
何か絵柄が有るようにも見える壁画 -
神輿舎(しんよしゃ)重要文化財
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められている
この写真から、陽明門の内側 -
神輿(みこし)のアップ
-
唐門(からもん)国宝
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。(日光東照宮のHP社殿の概要から引用文)
この門を見て綺麗だ!!と思ったから、陽明門を見ていたらもっと感激していたと思う -
唐門のアップと唐門から拝殿正面
-
唐門から拝殿正面の内部
確か中に入ってからは写真は禁止だったような -
唐門(からもん)
側面から
拝殿内を見学
拝殿の天井に、狩野探幽(かのうたんゆう)と一門により、一頭ずつ違うデザインの龍が100頭だったか描かれていた -
眠り猫(ねむりねこ)国宝
左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。(日光東照宮HP社殿の概要からの引用文)
真正面方向(右側通行の進行方向)から
この位置からは、前足を踏ん張っていつでも跳びかかれる態勢が伺え -
これから先の拝観は、表門を入る前にもらった拝観券(大人1,300円)の一部を渡して入ることに
二度入り禁止なんでしょうね(お金を払えばokかも) -
帰る方向から振り返って撮った「眠り猫」
こちらからの方が、腰を浮かしてすぐに跳びかかれる体制でいる雰囲気がよくわかる -
眠り猫の裏でたわむれる二羽の雀
雀が裏でたわむれていても、うたた寝をするほどの平和を表しているとも言われている、眠り猫 -
123基有る燈籠の内の一つ
釣燈籠
寛永13年(1636)、オランダ国より奉納されたものローソクの火をつけ(?)自然(?)廻転するので、廻転燈籠ともいう(駒札記載文)「(?)」は修正したのか2文字が読めないヶ所 -
西側の廻廊
この前を通り次に向かうは、薬師堂 (鳴龍) -
薬師堂 (鳴龍)
ここも写真禁止
丁度、龍の顔の下で拍子木(ひょうしぎ)を打つと音が反響した
音が反響するのは、丁度顔の下のみで他の場所は反響しなかった
元の鳴龍は狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)によって書かれたが、昭和36年(1961)に焼失したものを、昭和43年(1968)に、堅山南風(かたやまなんぷう)画伯が復元したもの
拝殿の所を含め、ここでもお守りを売っていて結構、営業熱心だなぁと感じた、東照宮でした -
薬師堂(鳴龍)を出て、廻廊前を通り、帰る方向へ
-
表門近くで、日光東照宮の斜燈、発見!!
世界遺産の「ピサの斜塔」のまねではないよね、世界遺産の日光東照宮で見つけた「日光東照宮の斜燈」 -
表門裏側、阿形の狛犬(右側)
雌でしょうね
狛犬も帰り道で発見
行きと帰りで違う景色が、楽しめた -
表門裏側、吽形の狛犬(左側)
こちらは角が有るから、雄でしょうね -
苔が綺麗
-
癒される景色
-
落雷の被害に有って、枯れずに頑張っている大木
-
日光カステラ本舗
ここの3階の駐車場に帰りのバスが止まっている
旅行会社も考えたものだ・・・
嫁さんは買うのが好きだから機嫌良いけど・・・
これからもう一ヶ所、鬼怒川温泉の所の鬼怒立岩大吊橋に寄って、ホテルに向かうことに
続きは何時頃になることやら・・・
最後まで有難うございました
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
71