2014/07/19 - 2014/07/21
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海の日の3連休。土曜日半日仕事をしてから支度して出かけました、
伊丹空港から、箕面の滝のライトアップ、京の夏の旅は島原の角屋と輪違屋の特別公開、醒ヶ井の梅花藻、奥の細道結びの地の大垣、蓮の花と輪中の木曽三川公園、千代保稲荷と廻って、各駅停車7時間乗り継いで月曜日23時に帰って来ました。
地名的にはかなり地味ですが、なかなか興味深いところを廻れたと思います。
珍しく時間に余裕が有ったので、途中であれこれ買い物もして、帰りの荷物が大変な事になりました。
此処では中日の京都・島原、「京の夏の旅 特別公開」角屋と輪違屋を載せます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京都駅0番線、丁度サロンカーなにわ号が去って行くところでした
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山陰線に乗り換えて1つ目駅、丹波口下車。
駅構内に案内板が出てました。正にこの2箇所に向かいます。 -
青果市場前の駅は素っ気無いまでの何処にでも有りがちな造り。
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丹波口の駅に到着した時点で既に11時になってた事、京都のお昼は何処も混む事、朝食がコンビニでの買い置きだった事から、まだ何も見てないうちにランチとなりました。
京都まで来て両国ってどうよ?とも思いましたが、何しろ定食どれでも700円に惹かれたのです。 -
入り口はちゃんこ屋っぽさが有ったのですが、店内は完全に隣接するやっちゃ場の食堂でした。定食どれも700円で、理はメニュー(手書き)一番上の両国ちゃんこ、ツレはお造り定食を選びました。お造りはマグロ単品でしたが、ツレはまともな刺身だと驚いていました、良かったです。
ちゃんこは見た目何じゃこりゃ?でした(この置き方からしてどうかと思う)が、中につくね、鶏、豚と肉ゴロゴロでボリュームたっぷりでした。会社近くに昔やっちゃ場だった名残りで、とんでもない量の食事を供する食堂が何件か残っていますが、やっぱり市場で働く面々には見た目より量が優先するのです -
ちゃんこと言うより、ごった煮
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ちゃんこ屋の前、線路沿いの道を歩いて行くとこの看板に出会います。此処を入って行きましょう。
看板が無くても、住吉神社と信用金庫の間の通りですから判り易いです -
島原西門碑。
島原の入口は当初は東の大門だけでしたが,、享保17(1732)年に西門が設けられ、天保13(1842)年、この地に大門が建てられました。近年まで島原の旧観を伝えていたのですが,昭和52(1977)と平成10(1998)年,2回の交通事故により西門は倒壊してしまいました。残念! -
住吉神社。提灯が青いの
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祠は金網で守られています
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「こうろかん」と言うのは初めて聞いた言葉でしたが、「鴻」は大きな鳥の意から転じて大きいの意。「臚」は腹の意から転じて伝え告げるの意。「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味しており、鴻臚館は平安時代に設置された外交および海外交易の施設の事でした。
日本では平安京、難波、筑紫の3箇所に在りました -
これっていつもは神社仏閣で見かけるでしょ。1軒の家なのにこのマークって凄い☆重要文化財マーク
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角屋の塀、とってもお洒落。こうしてグルッと廻って行く事で否応無く期待が高まります
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幕末期の角屋は、西郷隆盛ら尊王派の志士が密議を凝らした場所でした。この写真は、角屋の東北角にある「久坂玄瑞の密議の角屋」と記した石碑です。石碑の左にある立て札には、主として豪商からの軍用金調達のための接待の場として使用したとあります。
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その立て札
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もうすぐ入り口です。出格子、駒寄せが素敵☆
そもそも角屋は、島原が開かれて以来現存する唯一の揚屋の遺構として昭和27(1952)年、国の重要文化財に指定されました(ただし「松の間」のみは大正末期、火事により焼失してしまい、指定されず、2012年に登録有形文化財に登録)。 -
角屋の玄関の暖簾、これが角屋のマーク、蔓三つ(つるみつつた)です
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新撰組ももここでの遊興を楽しみました。特に芹沢鴨との関わり合いは深く、文久3(1863)年6月ここで暴挙をはたらき、その際に出来たと言われる刀傷が今でもこの玄関先に残っています。
ちなみに、同年9月16日、(「川瀬家文書」による。『新選組遺聞』などでは18日)新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開き、芹沢は平山五郎・平間重助・土方歳三らと早めに角屋を出て壬生の八木家(屯所)へ戻り、八木家で再度宴会を催しました。その席に芹沢の愛妾のお梅、平山の馴染みの芸妓・桔梗屋吉栄、平間の馴染みの輪違屋糸里が待っており、すっかり泥酔した芹沢たちは宴席が終ると女たちと同衾して寝たのです。
大雨が降る深夜、突然、数人の男たちが芹沢の寝ている部屋に押し入り、同室で寝ていた平山を殺害し、芹沢に斬りつけました。驚いた芹沢は飛び起きて刀を取ろうとするが叶わず、真っ裸のまま八木家の親子が寝ていた隣室に飛び込むが、文机に転び、そこを刺客たちがよってたかってずたずたに斬りつけ、とどめを刺しました。この時、芹沢は八木家の息子・勇太郎の上に覆いかぶさるようになったところ刺客たちに斬られたため、勇太郎も足に怪我を負ったということも聞いている(「新選組遺聞」)そうです。
自分は去年、壬生の八木邸でその部屋、文机、部屋の刀傷などを見て来ました。今回此処で、その日宴会の行われた場を見て、自分の中で1つ歴史が完結しました。 -
角屋の壁は赤壁ばかりではなく、白漆喰(しっくい)壁、黄色の大津磨き壁、浅葱(ブルーグレー)色の九条土壁、淡い茶褐色(ベージュ)の聚楽土壁が在りますが、やはり目立つのはこの赤色。華やかな花街、祇園などで良く使われていますよね
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揚屋は置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を行う言わば料亭、サロンでしたから、宴会用の座敷のほかに、社寺の庫裏と同規模の大きな台所を有しています。
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こういう吊り行灯は四方八方を照らすので、八方と呼ぶ、と書かれています。天井から吊るしたのは防災などの観点から、倒して火災になる事を防ぐ為とされています。またこの土間の八方は紐で高さを調節出来るようになっていたそうです、ハイテク!
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帳場も広いです。
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角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子の姿を伝えています。江戸吉原の花魁を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません(此処がどうしても強調したいところのようです)。
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箱階段。
今回の「京の夏の旅 特別公開」では2階は公開されていません。その代わり(?)普段1000円の入場料は600円です。あ、その1000円の中に2階の分は入っていません。2階は別途800円が必要です。1000円の入場料を払うと言う事は、2階を800円で見るオプションの権利を買う事でも有ります。 -
刀箪笥。宴会で一度に沢山の刀を預かるから、いちいち刀架け使ってる訳に行かないのだろうと思いました。
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1つの引き出しに何振りも入ります。
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揚屋建築の解説
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お部屋の解説、松の間
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大広間に面した庭に3つの茶室が設けられています。この左側に在るのが「囲いの間」と言う茶室。文字通り囲われています
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こちらは曲木亭、その奥に清隠斎(ともに重文)
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初代臥龍松、1925年頃枯れた為、現在株だけが残っています。この松にちなんで松の間です
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現在は3代目、複数の松を繋いでいます
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松の間の中から庭を眺めるとこんな感じ
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松の間の床の間
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襖絵「金地桐に鳳凰」は幕末の絵師岸連山の作ですが、この座敷の襖に使われたのは戦後の事だそうです。
何しろ、揚屋としての営業は明治5(1872)年まででしたが、それ以降はお茶屋業に編入され、昭和60(1985)年まで、此処「松の間」において宴会業務を行っていました -
アップで。さすがに色くすんでませんね
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凝ったデザインの欄間、真ん中は角屋の紋です
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お部屋の解説、網代の間
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こっちは小さい枯山水式の庭
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これが28畳
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部屋の名前の由来となった網代天井
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付書院に火燈窓って左側のちょっと変わった形の窓(障子有り)の事だよね?
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此処が斜めになってるのも空間を惜しみなく使って〜〜って解説してくださったのだけど、あちこち写真撮るのに動いてて、シッカリ聞いてませんでした
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長谷川等雲の襖絵「唐子」
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メチャクチャお洒落。てか、あまりに静かなのでつい此処が地上階って意識が無くなってます
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欄間にも使われているこの5本の経木の十字は何だか凄く高級なモノでって言われて写真に撮った覚えが・・今でも通用するデザイン
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これを読むと今まで自分があれこれ説明して来た事が簡潔ながら、全て判ります☆
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主屋は東正面の道路に面した二階建て南北棟の表家と背後の台所棟からなっています。屋根は切妻造り・桟瓦葺ですが、当初はこけら葺でした
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角屋を出ると目の前にこの案内を見かけます
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ところが次の角に当たる十字路にこの家が建っており、2階の窓ガラスが縁の方が丸く歪んだ昔のモノだったのに目を奪われて曲がり損ねてしまいました
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窓の縁に近いところに摺りの違いが見えるでしょ(特に右下)
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島原では特別公開の2軒だけでなく、風情有る家並みがあちこちで見られます
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だもんで、島原大門まで来てしまいました
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島原は寛永18(1641)年に六条三筋町から移されたわが国最初の公許の花街です。当時四周は堀と塀で囲まれ、門はその東辺北寄りに設けられていました。その後、享保17(1732)年には西辺にも門が設けられました(最初の方に出て来た、住吉神社のところ)。
東辺北寄りの門は明和3(1766)年、道筋と呼ばれていた道の東端である現在地に付け替えられています。東辺の門は享保14(1729)年には冠木門であったと考えられ、その後、塀重門さらに腕木門へと変更されました。
嘉永7(1854)年8月の大火では島原の東側は大半が類焼しており、このとき門も焼失したと考えられています。大火後、門は再建されましたが、慶応3(1867)年5月には再び建て替えられ、これが現在の大門です。
この門は本柱上の屋根のほかに後方の控柱上にも小屋根をのせた高麗門で前には「出口の柳」が植えられ「さらば垣」がめぐられて、今日も当時の趣を伝えています。島原の由緒を伝える地域の文化財として大変貴重な存在です。 -
とっても江戸(時代)
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当時を今に伝えるものは、やはり角屋(揚屋;今の料亭にあたるもの)、輪違屋(置屋;太夫や芸妓を派遣する店)と島原大門だけだとこの石碑にも記されています
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自分ちはどっちかって言うと江戸・吉原に近いんですが、あっちは現在はともかく、少し前までは近寄りたくない環境の地域でしたから、或る意味、歴史的な島原が羨ましくも思います
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大門には柳でしょ!
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この目玉のような写真が2階の傘の間のふすまです。傘を剥がして貼り付けてあるので傘の間と呼ばれています。忘れずに見てくださいね。
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輪違屋は、元禄元(1688)年に創業された店で、300年以上の歴史を誇ります。この建物は、1857年に再建されたもので、1871年に改築され、現在の姿になりました。当時の構造を良く残した貴重な建物であると認められ、昭和59(1964)年に京都市の文化財に指定されています。
輪違屋は、揚屋と置屋を兼ね備えた現役の店で、日本で唯一「太夫」が居る所です。太夫は「こったい」とも呼ばれ、正五位の位を持ち十万石の大名に匹敵するとされるほど格が高く、また教養も深かったことから、客の方が太夫の機嫌をとったと言います。
輪違屋の遊女は新選組隊士と関わりが深く、山南敬助と明里、平間重助と糸里、伊東甲子太郎と花香太夫が馴染みの仲だったようです -
細い格子が粋です
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輪違屋(わちがいや)は、現在も営業されている京都の花街、島原の置屋兼お茶屋です。
って事は客として入れる訳ですが、そうなると1人600円と言う訳には行きません。
特別公開は10年ぶりだそうです。
創業は元禄元(1688)年、置屋として始まりました。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5(1872)年より。現在の建物は安政4(1857)年に再建されたものであり、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となりました -
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大きな見所の1つは2階にある傘の間です。銀箔のふすまに太夫の道中傘、日和傘が貼られているます。傘の絵ではなく、本物の傘を剥がして貼られているのです。。
そしてその隣は、紅葉の間。壁を塗るときに本物の紅葉を張り付け、生乾きのうちに剥がして紅葉の型を壁に付けます。そして其処を赤く色付けているので、まるで本物の紅葉が貼られているように見えるのです。
また太夫の間には凝った刺繍の衣装も飾られていますが、全て撮影禁止です。 -
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坪庭
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定期的に解説してくださってます。その都度結構な人数が集まります。
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太夫がお馴染みのお客さんに出した営業用の手紙、って書くと風情も何も無くなっちゃうけど、そういうのが襖に貼られています。
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墨跡も美しく・・・
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読めそうで読めません
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これは貴世さんからのお手紙
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近藤勇の書が表装された屏風
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ねっ、近藤勇って判るでしょ
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庭の灯篭にはマリア観音像が刻まれているそうです(下の方)が、客間からは見えないように配置されていた為、長い間見つからないままでした
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そのアップ。あんまりマリア様らしさ見えないんだけど?言われてみると普通のと違うって気はするって程度??
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これで島原観光はひとまず終わりです
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湯の宿「松栄」の露天風呂・檜風呂も在る浴場施設です。「溶岩露天風呂」には富士山の溶岩をタイル状に加工したものを浴槽に使用しています。貸しタオル付き1000円です。
酒と風呂の好きなツレは立ち寄りたかったようです(ではなく、立ち寄りたがったのです) -
此処で時間を費やしていては次の目的地醒ヶ井へ行けなくなってしまうので、雨がポツポツして来たのを口実に駅へと急ぎました。
丹波口駅まで戻り、ホームへ上がった途端、それこそバケツを引っ繰り返したようなとんでもない雨となり、「タイミング良かったね」って事になりました -
乗換駅の米原では特急しらさぎを見ました
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