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>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>><br /><br /><br />羽田深夜発⇒フランクフルト(乗り換え4時間)⇒ローマ、午前着<br /><br />>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>><br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br />電車やバスにちゃんと乗れるの?<br />トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・<br /><br />考えれば考えるほど心配や不安にかられ<br />出発の直前までこの計画から逃げ出したかった。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />それもこれも、空の巣症候群の鬱状態からなんとか抜け出したいという<br />必死な思いが最後に考えついた手段。<br />全ての責任を自分1人が負う海外1人旅だ。<br />そしてとうとうその日が来てしまった。<br />緊張感いっぱいいっぱいの荒治療に<br />自分を放り込むことにした<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br /><br />出発<br /><br />語学力弱者の一人旅<br /><br />初日にクリアしなければいけないミッションは<br /><br />3つ<br /><br /><br />ちゃんと、やり遂げることができるだろうか・・<br /><br />考えても<br /><br />不安が追いかけてくるばかり。。<br /><br /><br /><br />「どんなトラブルにあっても<br /><br />いいさ、死にはしないさ・・・」<br /><br />自分を無理無理励ましてみる´д` ;<br />(・・なにも励ましになってない・・)<br /><br /><br />初日に課されているミッションとは<br /><br />その1、ーー乗換えーー<br /><br /><br />ハブ空港のフランクフルトでのトランジット。<br /><br />空港が広すぎて何度も迷ったとのクチコミを<br /><br />幾つも目にして<br /><br />ビビっていた。<br /><br />ANAからルフトハンザに乗り換え1時間で<br /><br />ローマに行く便もあったが<br /><br />迷ったりトラブルがあったら大変<br /><br />念のため、4時間後の便に設定。<br /><br />これだけ余裕があれば<br /><br />困った事があってもナントカなるに違いない・・<br /><br /><br />それにしても<br /><br />イタリアへは直行便しか利用したことがなかったので<br /><br />余計に緊張した。<br /><br /><br />アリタリアの直行便にすれば良かったのになー<br /><br />今更変更できない。<br /><br />(イタリアに詳しい知人に言ったら、アリタリアは倒産する危険が噂されてるからやめたほうがいいよと・・その言葉を素直に聞いちゃったw。<br />でもずっと後で、日本語を話すイタリア人に言ったら、<br />『噂は毎年のことよ。でも倒産してないでしょ。』って。マンマミーア)<br /><br />チケットを確保した後、乗り換えの空港の様子を検索してみた。<br /><br />構内の地図を見てシュミレーションしようとしたけれど<br /><br />どうも良くわからないのは、私がアホだからか?<br /><br />地図で理解にこぎつけるのは早々に諦め<br /><br />不安のままの自分を安心させるべく<br /><br />何度かルフトハンザやANAに電話をして<br /><br />乗り換えの仕方や困った時の対処の方法を聞いた<br /><br /><br /><br />案内に沿って行けば迷いませんよ。大丈夫ですよ!<br /><br />とか<br /><br />フランクフルトで降りるときに日本人の乗務員に聞けばいいのでは?<br /><br />などなど・・<br /><br />イマイチ『これで大丈夫だわ!』という安心に結びつかなかった。<br /><br /><br />果たして無事<br /><br />フランクフルトからローマ行きの飛行機に乗換え出来るのか、私?<br /><br />考えるたびに心臓がキュンと縮み、不安はモクモク膨らむ<br /><br /><br />他にもクリアーしなければいけない課題を考えると<br /><br />もう、頭が真っ白になりそう・・・<br /><br />ふぅ<br /><br />どうなっちゃうかしら。。<br /><br /><br /><br /><br />ミッションその2  ーー携帯の購入ーー<br /><br /><br />トラブルが起きた時は携帯電話は必須。<br /><br />テレフォンカードの購入も考えたが、<br /><br />イタリアだと公衆電話が壊れていたりするし<br /><br />都会以外だと、公衆電話がみつからないことも予想された。<br /><br />海外用の携帯を2ヶ月半のレンタルをすると、かなりの高額になってしまう。<br /><br />様々な情報を集めて検討してみたら<br /><br />現地で(イタリア国内だけで使用する)携帯を買うのが<br /><br />1番安価で気軽と判断。<br /><br />(以降イタリアに行く度にその携帯が使えるのもgood)<br /><br /><br /><br /><br />ミッションその3ーー飛行機のリコンファームーー<br /><br />到着翌々日に乗る格安航空便のリコンファームを要求されていた。<br /><br />ローマからカターニャ行きのアリタリア便だ。<br /><br />リコンファーム<br /><br />・・って、電話で、ですよね!<br /><br />わずかな望みのツールの<br /><br />ボディランゲージも、使用不可!<br /><br />電話確認なんて 絶対無理だわ!<br /><br /><br />絶望感が襲って来る前に<br /><br />これだけは、即、<br /><br />思考回路<br /><br />切りました。(^◇^;)<br /><br /><br /><br /><br />日本を発って<br /><br />果たしてどんな1日になるのやら・・><・・<br /><br /><br /><br /><br /><br />

【2】※【ローマ】※1人旅、初日で座右の銘をもらう。イタリア縦断2ヵ月半。語学力初級の還暦女子、空の巣症候群の無気力な日々から脱出を試みた。

185いいね!

2014/04/03 - 2014/06/18

19位(同エリア6773件中)

9

44

キャッツアイ

キャッツアイさん

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羽田深夜発⇒フランクフルト(乗り換え4時間)⇒ローマ、午前着

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
電車やバスにちゃんと乗れるの?
トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・

考えれば考えるほど心配や不安にかられ
出発の直前までこの計画から逃げ出したかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
それもこれも、空の巣症候群の鬱状態からなんとか抜け出したいという
必死な思いが最後に考えついた手段。
全ての責任を自分1人が負う海外1人旅だ。
そしてとうとうその日が来てしまった。
緊張感いっぱいいっぱいの荒治療に
自分を放り込むことにした

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


出発

語学力弱者の一人旅

初日にクリアしなければいけないミッションは

3つ


ちゃんと、やり遂げることができるだろうか・・

考えても

不安が追いかけてくるばかり。。



「どんなトラブルにあっても

いいさ、死にはしないさ・・・」

自分を無理無理励ましてみる´д` ;
(・・なにも励ましになってない・・)


初日に課されているミッションとは

その1、ーー乗換えーー


ハブ空港のフランクフルトでのトランジット。

空港が広すぎて何度も迷ったとのクチコミを

幾つも目にして

ビビっていた。

ANAからルフトハンザに乗り換え1時間で

ローマに行く便もあったが

迷ったりトラブルがあったら大変

念のため、4時間後の便に設定。

これだけ余裕があれば

困った事があってもナントカなるに違いない・・


それにしても

イタリアへは直行便しか利用したことがなかったので

余計に緊張した。


アリタリアの直行便にすれば良かったのになー

今更変更できない。

(イタリアに詳しい知人に言ったら、アリタリアは倒産する危険が噂されてるからやめたほうがいいよと・・その言葉を素直に聞いちゃったw。
でもずっと後で、日本語を話すイタリア人に言ったら、
『噂は毎年のことよ。でも倒産してないでしょ。』って。マンマミーア)

チケットを確保した後、乗り換えの空港の様子を検索してみた。

構内の地図を見てシュミレーションしようとしたけれど

どうも良くわからないのは、私がアホだからか?

地図で理解にこぎつけるのは早々に諦め

不安のままの自分を安心させるべく

何度かルフトハンザやANAに電話をして

乗り換えの仕方や困った時の対処の方法を聞いた



案内に沿って行けば迷いませんよ。大丈夫ですよ!

とか

フランクフルトで降りるときに日本人の乗務員に聞けばいいのでは?

などなど・・

イマイチ『これで大丈夫だわ!』という安心に結びつかなかった。


果たして無事

フランクフルトからローマ行きの飛行機に乗換え出来るのか、私?

考えるたびに心臓がキュンと縮み、不安はモクモク膨らむ


他にもクリアーしなければいけない課題を考えると

もう、頭が真っ白になりそう・・・

ふぅ

どうなっちゃうかしら。。




ミッションその2 ーー携帯の購入ーー


トラブルが起きた時は携帯電話は必須。

テレフォンカードの購入も考えたが、

イタリアだと公衆電話が壊れていたりするし

都会以外だと、公衆電話がみつからないことも予想された。

海外用の携帯を2ヶ月半のレンタルをすると、かなりの高額になってしまう。

様々な情報を集めて検討してみたら

現地で(イタリア国内だけで使用する)携帯を買うのが

1番安価で気軽と判断。

(以降イタリアに行く度にその携帯が使えるのもgood)




ミッションその3ーー飛行機のリコンファームーー

到着翌々日に乗る格安航空便のリコンファームを要求されていた。

ローマからカターニャ行きのアリタリア便だ。

リコンファーム

・・って、電話で、ですよね!

わずかな望みのツールの

ボディランゲージも、使用不可!

電話確認なんて 絶対無理だわ!


絶望感が襲って来る前に

これだけは、即、

思考回路

切りました。(^◇^;)




日本を発って

果たしてどんな1日になるのやら・・><・・





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  • さ、搭乗です。<br /><br />席は窓側。<br /><br /><br />とうとう『まな板の鯉』状態だわ・・<br /><br />矢でも鉄砲でも持って来い的な<br /><br />何が起こってもどうでもイイや、と居直りの諦めの心境<br /><br /><br />しばらくして、ふと、お隣をみると<br /><br />単身で搭乗したらしい  私と同年代に見える日本の女性。<br /><br />彼女はどうも仕事で行くらしい。<br /><br />英語の書類を広げて読んだりして忙しそうです。<br /><br /><br />そのうち、彼女はお隣の外国人のかたに話し掛けられて<br /><br />ずっと英語でお喋り。<br /><br /><br />すごいなー。普通にネイティブな英語を話されて・・・<br /><br />こうやって海外でバリバリお仕事をされていらっしゃる女性が居ること<br /><br />現実に垣間見て、<br /><br />語学力無いままの自分が恥ずかしくて身を縮めたい感じ。<br /><br /><br />そして<br /><br />起きていても不安になりそうなので<br /><br />寝ることに。<br /><br />何時のまにか爆睡<br /><br />・・・そして定刻<br /><br />ANA機は無事フランクフルトに着陸態勢に。。。<br /><br />うう、とうとう、最初のミッショに挑戦となりにけり・・・(・・;)<br /><br /><br /><br />シートベルトを外し、席を立つときに、<br /><br />お隣の女性に、思い切って声をかけてみます。<br /><br /><br /><br />私「フランクフルト空港は広すぎて乗り換えに迷う人が多いらしいですね。<br /><br />クチコミでそんなことを目にしたので、ドキドキです。」<br /><br /><br />女性『私は仕事で何度も利用していますが、<br /><br />私も乗り換えなのでご一緒しましょうか?』<br /><br /><br /><br />ええ!それは有難いです!<br /><br />助かります!<br /><br /><br /><br />こんな形で<br /><br />最大の不安から解放されちゃった♪<br /><br /><br />ラッキー!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆<br /><br /><br />聞けば彼女は乗り換え待ちで3時間あるとのこと。<br /><br /><br />時間があるから一緒にお茶でもしましょう!<br /><br />と、誘ってくださり<br /><br />空港のカフェに。<br /><br /><br />そしてこのことが、私の人生を大きく変える。<br /><br /><br />イタリア一人旅の心構え<br /><br />ひいては私の人生を変える言葉を<br /><br />彼女から貰うことになったのです。<br /><br /><br />私「機内で私は、窓側でしたから、<br /><br />もしおトイレに行きたくなった時に<br /><br />お隣のかた達を立たせてしまうでしょ。<br /><br />寝ていらっしゃったらもっとご迷惑をかけてしまうことになりますから・・<br /><br />それが申し訳なくて・・、<br /><br />トイレになるべく行かなくて済むように、<br /><br />水も飲まず、食事もとらずに、頑張りました。」と<br /><br />自分の謙譲の美徳、遠慮の塊とばかりに<br /><br />彼女を見ながら笑うと<br /><br /><br />急に彼女の顔は厳しさを帯びたような怖い顔に・・・<br /><br /><br /><br />そして<br /><br /><br />毅然とした目をまっすぐに私に向け、<br /><br />彼女は私に言いました。<br /><br /><br /><br /><br /><br />『人生って、迷惑掛けてナンボよ』<br /><br /><br /><br /><br />「え?!」・・・<br /><br /><br />わが耳を疑う私<br /><br /><br /><br /><br />目を見開いたままフリーズしている私を<br /><br /><br />彼女は真っ直ぐな眼差しで見つめています。<br /><br /><br />真剣に怒ってくれてる・・<br /><br />信念の篭った深い情熱を感じる目でした。<br /><br /><br /><br />女性『その行動は間違っていると思うわ。考えてみて。<br /><br />            迷惑掛けられたり<br /><br />            迷惑かけたことのほうが記憶に残っているでしょ。<br /><br />            迷惑かけないようにしたら<br /><br />            何も問題なく済むかもしれないけど<br /><br />            逆に、<br /><br />             思い出がなくて、<br /><br />             人生がつまらないものになると思わない?<br /><br /><br />              迷惑掛けて、ナンボの人生。<br /><br /><br />               色々なこと経験したり考えさせられて<br /><br />                色々思い出に残るんだと思うの<br /><br /><br />                迷惑かけてこそ、人生は面白いのよ。<br /><br /><br />                ぜひ、これからは「遠慮」は捨てて・・<br /><br />                 どんどん迷惑かけてみてね』<br /><br /><br />ガーン・・・・<br /><br /><br />思いもかけない言葉でしたが<br /><br />目から鱗!<br /><br /><br />これから始まる旅への<br /><br />大きなプレゼントでした。<br /><br /><br /><br />そして<br /><br />旅の間ずっと、この言葉が傍にあり<br /><br />旅を豊かなものにしてくれました。<br /><br /><br /><br /><br />浅草寺の神様、赤坂日枝神社の神様が<br /><br />この出会いを演出してくれて<br /><br />これからの旅への贈る言葉にしてくれたような・・<br /><br />・・まさかね・・<br /><br />都合のいいときだけ利用しちゃう神頼み。<br /><br />普段考えないのに、本当に神様は居るのかな・・なんてちょっと畏怖の念に。<br /><br />帰国したら、感謝の思いを伝えに<br /><br />ちゃんとお礼参りしよう!<br /><br /><br />

    さ、搭乗です。

    席は窓側。


    とうとう『まな板の鯉』状態だわ・・

    矢でも鉄砲でも持って来い的な

    何が起こってもどうでもイイや、と居直りの諦めの心境


    しばらくして、ふと、お隣をみると

    単身で搭乗したらしい 私と同年代に見える日本の女性。

    彼女はどうも仕事で行くらしい。

    英語の書類を広げて読んだりして忙しそうです。


    そのうち、彼女はお隣の外国人のかたに話し掛けられて

    ずっと英語でお喋り。


    すごいなー。普通にネイティブな英語を話されて・・・

    こうやって海外でバリバリお仕事をされていらっしゃる女性が居ること

    現実に垣間見て、

    語学力無いままの自分が恥ずかしくて身を縮めたい感じ。


    そして

    起きていても不安になりそうなので

    寝ることに。

    何時のまにか爆睡

    ・・・そして定刻

    ANA機は無事フランクフルトに着陸態勢に。。。

    うう、とうとう、最初のミッショに挑戦となりにけり・・・(・・;)



    シートベルトを外し、席を立つときに、

    お隣の女性に、思い切って声をかけてみます。



    私「フランクフルト空港は広すぎて乗り換えに迷う人が多いらしいですね。

    クチコミでそんなことを目にしたので、ドキドキです。」


    女性『私は仕事で何度も利用していますが、

    私も乗り換えなのでご一緒しましょうか?』



    ええ!それは有難いです!

    助かります!



    こんな形で

    最大の不安から解放されちゃった♪


    ラッキー!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


    聞けば彼女は乗り換え待ちで3時間あるとのこと。


    時間があるから一緒にお茶でもしましょう!

    と、誘ってくださり

    空港のカフェに。


    そしてこのことが、私の人生を大きく変える。


    イタリア一人旅の心構え

    ひいては私の人生を変える言葉を

    彼女から貰うことになったのです。


    私「機内で私は、窓側でしたから、

    もしおトイレに行きたくなった時に

    お隣のかた達を立たせてしまうでしょ。

    寝ていらっしゃったらもっとご迷惑をかけてしまうことになりますから・・

    それが申し訳なくて・・、

    トイレになるべく行かなくて済むように、

    水も飲まず、食事もとらずに、頑張りました。」と

    自分の謙譲の美徳、遠慮の塊とばかりに

    彼女を見ながら笑うと


    急に彼女の顔は厳しさを帯びたような怖い顔に・・・



    そして


    毅然とした目をまっすぐに私に向け、

    彼女は私に言いました。





    『人生って、迷惑掛けてナンボよ』




    「え?!」・・・


    わが耳を疑う私




    目を見開いたままフリーズしている私を


    彼女は真っ直ぐな眼差しで見つめています。


    真剣に怒ってくれてる・・

    信念の篭った深い情熱を感じる目でした。



    女性『その行動は間違っていると思うわ。考えてみて。

    迷惑掛けられたり

    迷惑かけたことのほうが記憶に残っているでしょ。

    迷惑かけないようにしたら

    何も問題なく済むかもしれないけど

    逆に、

    思い出がなくて、

    人生がつまらないものになると思わない?


    迷惑掛けて、ナンボの人生。


    色々なこと経験したり考えさせられて

    色々思い出に残るんだと思うの


    迷惑かけてこそ、人生は面白いのよ。


    ぜひ、これからは「遠慮」は捨てて・・

    どんどん迷惑かけてみてね』


    ガーン・・・・


    思いもかけない言葉でしたが

    目から鱗!


    これから始まる旅への

    大きなプレゼントでした。



    そして

    旅の間ずっと、この言葉が傍にあり

    旅を豊かなものにしてくれました。




    浅草寺の神様、赤坂日枝神社の神様が

    この出会いを演出してくれて

    これからの旅への贈る言葉にしてくれたような・・

    ・・まさかね・・

    都合のいいときだけ利用しちゃう神頼み。

    普段考えないのに、本当に神様は居るのかな・・なんてちょっと畏怖の念に。

    帰国したら、感謝の思いを伝えに

    ちゃんとお礼参りしよう!


  • 無事ローマ行きの飛行機の座席におさまり、ホッとして景色を眺めます。<br /><br />彼女との出会いのお陰で、なにやら感慨深いものが込み上げてきました。<br /><br />がんばろう!<br /><br />やるだけやってみよう!<br /><br />思い出をたくさん作ろう!<br /><br /><br /><br />ルフトハンザ機は、高度を下げ<br /><br />フィウミッチーノ空港に・・

    無事ローマ行きの飛行機の座席におさまり、ホッとして景色を眺めます。

    彼女との出会いのお陰で、なにやら感慨深いものが込み上げてきました。

    がんばろう!

    やるだけやってみよう!

    思い出をたくさん作ろう!



    ルフトハンザ機は、高度を下げ

    フィウミッチーノ空港に・・

  • フィウミッチーノの空港に到着。<br /><br />さて、次のミッションは<br /><br />『携帯電話を買う』ことです。<br /><br /><br /><br />空港内で電化製品売り場を探し、うろうろと15分<br /><br />やっと<br /><br />階段を上がった二階に見つけて  ホッ。<br /><br /><br />「一番安い携帯はどれですか?」<br /><br />指差されたのは、ノキアの携帯、29ユーロ。<br /><br /><br />「これください!」<br /><br /><br />これでもう、電話できるんですね♪<br /><br /><br /><br />え?これだけじゃ使えないんですか?<br /><br />SIMカード買わなくちゃだめなんですね。(SIMカードって何?)<br /><br /><br />じゃ、それもお願いします。(SIMカードって何?・・ま、いっか)<br /><br /><br /><br />え?<br /><br />ここじゃ売ってないんですか!?<br /><br />じゃどこで買えばいいんですか?<br /><br /><br />この空港のなかで売ってるんですね。<br /><br />それはどこでしょうか?<br /><br />え?下の階?・・わかりました。探してみます。<br /><br /><br />テクテク。<br /><br /><br />さっきも散々歩いた場所をまたウロウロと10分・・<br /><br />無いじゃないのよ~~!<br /><br />お店は全く見当たりません<br /><br /><br />迷惑かけてナンボ<br /><br />見つかるまで人に聞いてみましょう。<br /><br />「SIMカード買いたいのですが、どこで買えますか?」<br /><br /><br /><br />3人目でやっとその場所を見つけられました。<br /><br />ふ~、、お店じゃないじゃん。<br /><br />ただのボックスっていうか簡単なブースなんだ。。。<br /><br /><br />若い女性が、小さな一人分の(宝くじ売り場みたいな)ブースのなかで<br /><br />一人微笑んでいます。<br /><br /><br />「ボッレイ、コンプラーレ シム」と言って携帯を見せました。<br /><br />『シムカードありますよ。おいくらのものがいいですか?』<br /><br />(たぶんそんな感じの意味??)<br /><br /><br />その女性が私に聞きました。<br /><br />『どこの国から来ましたか?』(Di dove  e?)(違ったかな?)<br /><br />「日本です」(Jappone)<br /><br /><br />『私、日本が大好きなんです!』←これ、日本語で!!!<br /><br />きょと~ん・・な私<br /><br />「わー!日本語しゃべれるんですかぁ?! 日本語お上手ですね!」<br /><br /><br />『はい、大学で日本語勉強してるし、日本にもう2回もいってます。<br /><br />今年の9月にもいくんですよ。すっごく楽しみなんです!』<br /><br />「めちゃ自然な日本語を話されますね!すごい!」<br /><br /><br />『あのー、この携帯は、イタリア国内だけで使いますか?』<br /><br />「そう、イタリアだけ」<br /><br />『だったら、ここで買っちゃダメです。<br /><br />ここは国際シムカードを売っているから高いんですよ。<br /><br />イタリアだけで使うんなら、ここで買わないで<br /><br />テルミニ駅に着いてからお店で買ったほうがいいですよ。<br /><br />そのほうが全然安いですから』<br /><br /><br />「きゃー、知らなかった。<br /><br />空港で買うと国際シムカードを買うことになるんですね!<br /><br />イタリア国内だけで使うなら、ここで買わない方がいいんですね!<br /><br />教えてくださってありがとう!!!<br /><br /><br />っていうか、、アルバイトでたまたま居てくださったあなたが、<br /><br />日本語ペラペラで本当によかった!<br /><br />英語やイタリア語で説明されても<br /><br />全くわからなかったし  本当にラッキーでした。<br /><br />ありがとうございました!」<br /><br /><br />『もし、ローマで困ったことがあったら電話してきてください。<br /><br />私の電話番号は。。。。、メールは。。。』<br /><br /><br />ドンだけ日本が好きでいてくれるのかわかりました・・<br /><br />だって<br /><br />メアド見たら日本語で イチゴちゃん??????????なんですもの。笑<br /><br /><br />嬉しいですね!こんなに日本を好きでいてくださって。<br /><br />彼女のように日本を熱血愛してくださっている海外の人って<br /><br />意外といるのかもしれないな~、っと思ったら<br /><br />すっごく嬉しくなりました。<br /><br /><br />超ハッピーな出会いをしました♪<br /><br />ついてる!<br /><br /><br />浅草寺と日枝神社の神様の助けかな?<br /><br />ありがたい、ありがたい!<br />

    フィウミッチーノの空港に到着。

    さて、次のミッションは

    『携帯電話を買う』ことです。



    空港内で電化製品売り場を探し、うろうろと15分

    やっと

    階段を上がった二階に見つけて  ホッ。


    「一番安い携帯はどれですか?」

    指差されたのは、ノキアの携帯、29ユーロ。


    「これください!」


    これでもう、電話できるんですね♪



    え?これだけじゃ使えないんですか?

    SIMカード買わなくちゃだめなんですね。(SIMカードって何?)


    じゃ、それもお願いします。(SIMカードって何?・・ま、いっか)



    え?

    ここじゃ売ってないんですか!?

    じゃどこで買えばいいんですか?


    この空港のなかで売ってるんですね。

    それはどこでしょうか?

    え?下の階?・・わかりました。探してみます。


    テクテク。


    さっきも散々歩いた場所をまたウロウロと10分・・

    無いじゃないのよ~~!

    お店は全く見当たりません


    迷惑かけてナンボ

    見つかるまで人に聞いてみましょう。

    「SIMカード買いたいのですが、どこで買えますか?」



    3人目でやっとその場所を見つけられました。

    ふ~、、お店じゃないじゃん。

    ただのボックスっていうか簡単なブースなんだ。。。


    若い女性が、小さな一人分の(宝くじ売り場みたいな)ブースのなかで

    一人微笑んでいます。


    「ボッレイ、コンプラーレ シム」と言って携帯を見せました。

    『シムカードありますよ。おいくらのものがいいですか?』

    (たぶんそんな感じの意味??)


    その女性が私に聞きました。

    『どこの国から来ましたか?』(Di dove e?)(違ったかな?)

    「日本です」(Jappone)


    『私、日本が大好きなんです!』←これ、日本語で!!!

    きょと~ん・・な私

    「わー!日本語しゃべれるんですかぁ?! 日本語お上手ですね!」


    『はい、大学で日本語勉強してるし、日本にもう2回もいってます。

    今年の9月にもいくんですよ。すっごく楽しみなんです!』

    「めちゃ自然な日本語を話されますね!すごい!」


    『あのー、この携帯は、イタリア国内だけで使いますか?』

    「そう、イタリアだけ」

    『だったら、ここで買っちゃダメです。

    ここは国際シムカードを売っているから高いんですよ。

    イタリアだけで使うんなら、ここで買わないで

    テルミニ駅に着いてからお店で買ったほうがいいですよ。

    そのほうが全然安いですから』


    「きゃー、知らなかった。

    空港で買うと国際シムカードを買うことになるんですね!

    イタリア国内だけで使うなら、ここで買わない方がいいんですね!

    教えてくださってありがとう!!!


    っていうか、、アルバイトでたまたま居てくださったあなたが、

    日本語ペラペラで本当によかった!

    英語やイタリア語で説明されても

    全くわからなかったし 本当にラッキーでした。

    ありがとうございました!」


    『もし、ローマで困ったことがあったら電話してきてください。

    私の電話番号は。。。。、メールは。。。』


    ドンだけ日本が好きでいてくれるのかわかりました・・

    だって

    メアド見たら日本語で イチゴちゃん??????????なんですもの。笑


    嬉しいですね!こんなに日本を好きでいてくださって。

    彼女のように日本を熱血愛してくださっている海外の人って

    意外といるのかもしれないな~、っと思ったら

    すっごく嬉しくなりました。


    超ハッピーな出会いをしました♪

    ついてる!


    浅草寺と日枝神社の神様の助けかな?

    ありがたい、ありがたい!

  • フィウミッチーノ空港からローマのテルミニまで<br /><br />30分に一本の間隔で走る「レオナルドエクスプレス」<br /><br /><br /><br />切符売り場は長蛇の列の上、なかなか列が進みません。<br /><br />ここは券売機で切符を買ったほうが早いかしら・・・<br /><br />券売機を見つめつつ<br /><br />・・買い方がわからない<br /><br />速攻で諦めて<br /><br />素直にチケット売り場に並んで買うことに。<br /><br /><br />時間をかけて列がすすみ<br /><br />やっとチケット購入できました。<br />

    フィウミッチーノ空港からローマのテルミニまで

    30分に一本の間隔で走る「レオナルドエクスプレス」



    切符売り場は長蛇の列の上、なかなか列が進みません。

    ここは券売機で切符を買ったほうが早いかしら・・・

    券売機を見つめつつ

    ・・買い方がわからない

    速攻で諦めて

    素直にチケット売り場に並んで買うことに。


    時間をかけて列がすすみ

    やっとチケット購入できました。

  • 列車に乗り込みます。<br /><br />向かい側に初老の男性が腰掛けました。<br /><br />迷惑掛けてナンボ・・<br /><br />早速、思い出作りです。笑。(私って意外に単純で素直ですね)<br /><br />何か話しかけてみましょう♪<br /><br />「そうそう!携帯のシムカード買わなくちゃいけないから<br /><br />なんていえばいいか発音から教えてもらいましょう」<br /><br />このおじいちゃま<br /><br />周りの様子には無関心なようで<br /><br />ずっと下を向いて新聞を読んでいます。<br /><br />チャンスを待ってもなかなか目が合いません。<br /><br />無理やり声をかけるしかない・・<br /><br /><br />チャンスが来ないなら、こっちから突破よ!<br /><br /><br />めちゃくちゃなイタリア語で話しかけてみました。<br /><br />(でもすっごく勇気が要りました。)<br /><br />ちょっと迷惑そうな顔を見せましたが<br /><br />私はオバタリアンパワー発揮、おかまいなし状態。<br /><br />だって、人生を思い出深くしたいんですもの。<br /><br />迷惑掛けてナンボ、ですものね!<br /><br />(この言葉、すでに座右の銘)<br /><br /><br />んー、なかなか言いたいことが伝わりません。<br /><br />あれこれ思いつく単語を並べてみます。<br /><br />ん、、、なんとか伝わったような??<br /><br /><br />おじいちゃまは、ついに新聞読むことを諦めたみたいです。<br /><br />しぶしぶながら、目の前の日本人おばちゃんに目線を向け<br /><br />この強引さに付き合うしかないと決めたみたいです。*\(^o^)/*<br /><br />必死な顔してたんでしょうね?私。笑。<br /><br /><br />彼はローマ生まれのローマ育ち。<br /><br />老後の今はサンフランシスコに住んでいて<br /><br />1年に1度だけ、ローマに持っているアパートメントの家賃を回収に<br /><br />ローマに帰ってくるんですって。(英語で話してくれたました)<br /><br /><br />会話が途絶えないように、イタリア語の本を見せることにします。<br /><br /><br />「私はイタリア語を勉強したいのですが<br /><br />この本の文を読んで発音を練習させてください」と・・頼んでみたりして<br /><br />(会話をする為に、とっさに思いついた苦肉の策です)<br /><br /><br />そして、<br /><br />「SIMカードを買いたいのですがどこにいけばいいですか?」<br /><br />などと話しました(・・と話したつもり)<br /><br /><br />どこまで私の言っていることが通じているのかわからないまま<br /><br />テルミニ駅に到着。<br /><br /><br />すると、<br /><br />おじいちゃま、駅員さんに道を尋ね<br /><br />私をインフォメーションにつれていってくださいました。<br /><br />『ここでシムカードのことを教えてくれるはずだから』って。<br /><br />おじいちゃんまも、私と同様で、SIMカードの意味を知らない様子・・<br /><br />そこで、おじいちゃまとお別れして<br /><br />混み合っていているインフォメーションの列に並びました。<br /><br /><br />やっと順番が来ました。<br /><br />インフォメーションの人に勢いこんで<br /><br />シムカードのやりかたやアドバイスを求めます。<br /><br />『ここでは相談に乗れない』と一瞬で・・断られてしまいました。(・_・;<br /><br />「TIM」に行きなさいと言います。<br /><br />ティム?さて、どこに行けばあるのでしょう?<br /><br /><br />テルミニ駅構内を、ウロウロと15分ほど行ったり来たり・・<br /><br />色々な人に聞きながら,<br /><br />やっとTIMがあるという駅の二階にたどり着きました。<br /><br /><br />あらら・・再びそこにあのおじいちゃまを発見!<br /><br />おじいちゃまも、私を見て、2度ビックリ・・<br /><br /><br />疫病神でも見たような、驚いた顔してたような気が・・<br /><br /><br />気持ちを切り替えたようにしてすぐ<br /><br />私がどうしたらいいのか、おじいちゃまも合点したみたいでした。<br /><br />その後<br /><br />シムカードの事務作業や通訳を全部、<br /><br />私に代わってやってくださいました。<br /><br /><br />なんてスムーズにことが進むの!っと大喜びの私。<br /><br />(おじいちゃまは、携帯の使用料を払いに来てました。<br />TIMは番号発券機を取り<br />呼ばれるまで待つのですが、<br />1人に20分から30分かかるようで凄く待ちます。<br />それが幸いして、おじいちゃまに再開できました)<br /><br /><br /><br />私のおかげで、余計な仕事させられてしまって<br /><br />疲れ気味のおじいちゃまです。<br /><br /><br />「向かい側のBARでちょっと休もう」と誘ってくださいました。<br /><br /><br />疲れているはずなのに<br /><br />おじいちゃまは、私にお茶とパニーニを買ってきてくださって<br /><br />ご馳走してくださいます。<br /><br />やっとホッとした瞬間でした。<br /><br />(私がご馳走しようと思って、買いに行こうとしたら<br /><br />ここで荷物ばんしてて、って私をテーブルに着かせてくださいました。<br /><br />つい、甘えさせていただいちゃました)<br /><br /><br />おじいちゃまのお陰で<br /><br />ミッションその2、クリアーです!<br /><br />良かった!<br /><br /><br /><br />・・あ、でも・・・<br /><br />最難関のミッション3がまだ残ってます。<br /><br /><br />目の前の親切なおじいちゃまを見ながら心が叫びました。<br /><br />この機会を逃したらダメ!迷惑掛けてナンボよ!、、と。<br /><br /><br /><br /><br /><br />意を決し<br /><br />申し訳なくて頭を下げるようにしつつ、<br /><br /><br /><br />珈琲飲みながら寛いでいるおじいちゃまの目の前に<br /><br /><br />入手したての携帯と航空券のEチケットをそっと差し出しました・・<br /><br /><br /><br />なんだ、これは?!・・という<br /><br />おじいちゃまの戸惑いと<br /><br />迷惑そうな目線・・・<br /><br /><br />「飛行機のリコンファームもしなくちゃいけないんです。<br />(デーボ リコンファーム アエレオ)<br /><br />イタリア語無理ですから<br />(マ、ノン ポッソ パルラーレ イタリアーノ)<br /><br /> 私の代わりにリコンファームやっていただけないでしょうか。。」<br /><br />(ペルファボーレ、リコンファーム)(単語並べてみたら通じたみたい)<br /><br /><br /><br />どこまでお世話させるんだ?っと<br /><br />ため息ついていたかもしれませんね、おじいちゃま。<br /><br /><br /><br />『ちょっとゆっくり珈琲飲ませてくれ、仕事はその後だ。』・・<br /><br />迷惑おばさんに、今日は付き合う運命と、<br /><br />諦めてくださったようでした・・&gt;  &lt;<br /><br /><br /><br /><br />パニーニを心持ち急いでほおばってくださっていたおじいちゃま<br /><br /><br /><br />そして<br /><br />飛行機のEチケットを見ながら電話してくださいました!<br /><br /><br />かなり長いやり取り。(3回くらい、かけ直し)<br /><br />イタリア人同士でも、意思の疎通がスムーズに行かないのかしら?<br /><br />これでは、私じゃとっても無理だったわ・・<br /><br />予想外に苦闘するおじいちゃまをハラハラ見つめる私。<br /><br /> (イタリアの公務員に代表される職場気質は、<br />お客様は神様でなく、お客は下僕・・<br />その扱いを受ける様子をちょっと垣間見たような・・)<br /><br />おじいちゃまに余計な苦労させてしまってる(つД`)ノ<br />申し訳ない!<br />身を縮ませて様子を見続ける私<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />『終わったよ。<br /><br />リコンファームしなくていいみたいだった・・』<br /><br />え??ほんと??<br /><br />それともおじいちゃま『予約確認したよ』って言ってたのかもしれません。<br /><br />よくわからないままでしたが<br /><br /><br /><br />とにかく、これで席は確保です。<br /><br />よかった!<br /><br />おじいちゃま、何から何までお世話お掛けしました!<br /><br />大変な思いをさせてしまって、ゴメンなさいね!<br /><br />本当に本当にありがとうございました!<br /><br /><br /><br />わーい!<br /><br />本日のすべてのミッションが無事終了してる、今☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆<br /><br /><br />色々な人達との出会いとご親切のお陰で<br /><br />こうして全ての心配事がクリアーされていました!<br /><br /><br />なんだか夢みたいです。<br /><br />お世話になった皆様へ感謝の思いが溢れてきます。<br /><br />そして・・<br /><br />充実感と幸せ感も溢れてきました。<br /><br />久しぶりの感覚です。<br /><br />やりました!<br /><br />いつのまにか空の巣の虚無感から脱出できていました。<br /><br />じんわりと   嬉しい!!!<br /><br />自分への無茶ぶりのひとり旅計画でしたが、<br /><br />実行に移せて良かったと思いました。<br /><br />しかも初日で、そう思うなんて  まさか!<br /><br />行動した自分に、初めての感謝の思いが溢れました。<br /><br />自分に感謝って・・驚いたことに初めての経験でした。。<br /><br />びっくりでした。<br /><br />ちょっとショックな発見でありつつ大きな喜びも。<br /><br /><br />自分の事を、全部知ってるつもりが、<br /><br /><br />本当は知らない事だらけなのかも知れないと思うと・・<br /><br /><br />さらにショックでした。<br /><br /><br />でも心地よいショックでした。<br /><br /><br />こんなショックもあるんですね!<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />出発前のあの不安と緊張感で一杯だった私に伝えてあげたい。<br /><br />頑張ったよ、私!<br /><br />良くやったよ!<br /><br />色々な人に助けられて、大丈夫だったよ!って。<br /><br /><br /><br /><br />そのあと<br /><br />道に詳しいローマっ子のおじいちゃま<br /><br />私が宿までたどりつけないんじゃないか、と心配してくださって<br /><br />ホテルまで連れて行ってくださいました。<br /><br />『一週間ローマにいるから、もし一人で夕食を食べられない時は電話しなさいね』<br /><br />っと名刺を渡してくださって、去って行かれました。<br /><br /><br />おじいちゃま、本当にお世話になりました!!<br /><br /><br />『遠慮はしない』<br /><br />『迷惑かけてナンボ』<br /><br />『人生を思い出深く』<br /><br /><br />その姿勢で貫くことになった旅<br /><br /><br />おかげで<br /><br />イタリアに暮らす人々の比類ない温かさや<br /><br />おおらかな笑顔やおおらかな人生の価値観に<br /><br />直に触れることができました!<br /><br />心に沁みる思い出を、沢山たくさん、いただきました。<br /><br />トラブルこそ思い出の宝の鍵 ?( T_T)\(^-^ )<br /><br /><br /><br />『迷惑掛けてナンボ』のイタリア一人旅、<br /><br />さ、スタートです。<br /><br />

    列車に乗り込みます。

    向かい側に初老の男性が腰掛けました。

    迷惑掛けてナンボ・・

    早速、思い出作りです。笑。(私って意外に単純で素直ですね)

    何か話しかけてみましょう♪

    「そうそう!携帯のシムカード買わなくちゃいけないから

    なんていえばいいか発音から教えてもらいましょう」

    このおじいちゃま

    周りの様子には無関心なようで

    ずっと下を向いて新聞を読んでいます。

    チャンスを待ってもなかなか目が合いません。

    無理やり声をかけるしかない・・


    チャンスが来ないなら、こっちから突破よ!


    めちゃくちゃなイタリア語で話しかけてみました。

    (でもすっごく勇気が要りました。)

    ちょっと迷惑そうな顔を見せましたが

    私はオバタリアンパワー発揮、おかまいなし状態。

    だって、人生を思い出深くしたいんですもの。

    迷惑掛けてナンボ、ですものね!

    (この言葉、すでに座右の銘)


    んー、なかなか言いたいことが伝わりません。

    あれこれ思いつく単語を並べてみます。

    ん、、、なんとか伝わったような??


    おじいちゃまは、ついに新聞読むことを諦めたみたいです。

    しぶしぶながら、目の前の日本人おばちゃんに目線を向け

    この強引さに付き合うしかないと決めたみたいです。*\(^o^)/*

    必死な顔してたんでしょうね?私。笑。


    彼はローマ生まれのローマ育ち。

    老後の今はサンフランシスコに住んでいて

    1年に1度だけ、ローマに持っているアパートメントの家賃を回収に

    ローマに帰ってくるんですって。(英語で話してくれたました)


    会話が途絶えないように、イタリア語の本を見せることにします。


    「私はイタリア語を勉強したいのですが

    この本の文を読んで発音を練習させてください」と・・頼んでみたりして

    (会話をする為に、とっさに思いついた苦肉の策です)


    そして、

    「SIMカードを買いたいのですがどこにいけばいいですか?」

    などと話しました(・・と話したつもり)


    どこまで私の言っていることが通じているのかわからないまま

    テルミニ駅に到着。


    すると、

    おじいちゃま、駅員さんに道を尋ね

    私をインフォメーションにつれていってくださいました。

    『ここでシムカードのことを教えてくれるはずだから』って。

    おじいちゃんまも、私と同様で、SIMカードの意味を知らない様子・・

    そこで、おじいちゃまとお別れして

    混み合っていているインフォメーションの列に並びました。


    やっと順番が来ました。

    インフォメーションの人に勢いこんで

    シムカードのやりかたやアドバイスを求めます。

    『ここでは相談に乗れない』と一瞬で・・断られてしまいました。(・_・;

    「TIM」に行きなさいと言います。

    ティム?さて、どこに行けばあるのでしょう?


    テルミニ駅構内を、ウロウロと15分ほど行ったり来たり・・

    色々な人に聞きながら,

    やっとTIMがあるという駅の二階にたどり着きました。


    あらら・・再びそこにあのおじいちゃまを発見!

    おじいちゃまも、私を見て、2度ビックリ・・


    疫病神でも見たような、驚いた顔してたような気が・・


    気持ちを切り替えたようにしてすぐ

    私がどうしたらいいのか、おじいちゃまも合点したみたいでした。

    その後

    シムカードの事務作業や通訳を全部、

    私に代わってやってくださいました。


    なんてスムーズにことが進むの!っと大喜びの私。

    (おじいちゃまは、携帯の使用料を払いに来てました。
    TIMは番号発券機を取り
    呼ばれるまで待つのですが、
    1人に20分から30分かかるようで凄く待ちます。
    それが幸いして、おじいちゃまに再開できました)



    私のおかげで、余計な仕事させられてしまって

    疲れ気味のおじいちゃまです。


    「向かい側のBARでちょっと休もう」と誘ってくださいました。


    疲れているはずなのに

    おじいちゃまは、私にお茶とパニーニを買ってきてくださって

    ご馳走してくださいます。

    やっとホッとした瞬間でした。

    (私がご馳走しようと思って、買いに行こうとしたら

    ここで荷物ばんしてて、って私をテーブルに着かせてくださいました。

    つい、甘えさせていただいちゃました)


    おじいちゃまのお陰で

    ミッションその2、クリアーです!

    良かった!



    ・・あ、でも・・・

    最難関のミッション3がまだ残ってます。


    目の前の親切なおじいちゃまを見ながら心が叫びました。

    この機会を逃したらダメ!迷惑掛けてナンボよ!、、と。





    意を決し

    申し訳なくて頭を下げるようにしつつ、



    珈琲飲みながら寛いでいるおじいちゃまの目の前に


    入手したての携帯と航空券のEチケットをそっと差し出しました・・



    なんだ、これは?!・・という

    おじいちゃまの戸惑いと

    迷惑そうな目線・・・


    「飛行機のリコンファームもしなくちゃいけないんです。
    (デーボ リコンファーム アエレオ)

    イタリア語無理ですから
    (マ、ノン ポッソ パルラーレ イタリアーノ)

     私の代わりにリコンファームやっていただけないでしょうか。。」

    (ペルファボーレ、リコンファーム)(単語並べてみたら通じたみたい)



    どこまでお世話させるんだ?っと

    ため息ついていたかもしれませんね、おじいちゃま。



    『ちょっとゆっくり珈琲飲ませてくれ、仕事はその後だ。』・・

    迷惑おばさんに、今日は付き合う運命と、

    諦めてくださったようでした・・> <




    パニーニを心持ち急いでほおばってくださっていたおじいちゃま



    そして

    飛行機のEチケットを見ながら電話してくださいました!


    かなり長いやり取り。(3回くらい、かけ直し)

    イタリア人同士でも、意思の疎通がスムーズに行かないのかしら?

    これでは、私じゃとっても無理だったわ・・

    予想外に苦闘するおじいちゃまをハラハラ見つめる私。

    (イタリアの公務員に代表される職場気質は、
    お客様は神様でなく、お客は下僕・・
    その扱いを受ける様子をちょっと垣間見たような・・)

    おじいちゃまに余計な苦労させてしまってる(つД`)ノ
    申し訳ない!
    身を縮ませて様子を見続ける私






    『終わったよ。

    リコンファームしなくていいみたいだった・・』

    え??ほんと??

    それともおじいちゃま『予約確認したよ』って言ってたのかもしれません。

    よくわからないままでしたが



    とにかく、これで席は確保です。

    よかった!

    おじいちゃま、何から何までお世話お掛けしました!

    大変な思いをさせてしまって、ゴメンなさいね!

    本当に本当にありがとうございました!



    わーい!

    本日のすべてのミッションが無事終了してる、今☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


    色々な人達との出会いとご親切のお陰で

    こうして全ての心配事がクリアーされていました!


    なんだか夢みたいです。

    お世話になった皆様へ感謝の思いが溢れてきます。

    そして・・

    充実感と幸せ感も溢れてきました。

    久しぶりの感覚です。

    やりました!

    いつのまにか空の巣の虚無感から脱出できていました。

    じんわりと 嬉しい!!!

    自分への無茶ぶりのひとり旅計画でしたが、

    実行に移せて良かったと思いました。

    しかも初日で、そう思うなんて まさか!

    行動した自分に、初めての感謝の思いが溢れました。

    自分に感謝って・・驚いたことに初めての経験でした。。

    びっくりでした。

    ちょっとショックな発見でありつつ大きな喜びも。


    自分の事を、全部知ってるつもりが、


    本当は知らない事だらけなのかも知れないと思うと・・


    さらにショックでした。


    でも心地よいショックでした。


    こんなショックもあるんですね!








    出発前のあの不安と緊張感で一杯だった私に伝えてあげたい。

    頑張ったよ、私!

    良くやったよ!

    色々な人に助けられて、大丈夫だったよ!って。




    そのあと

    道に詳しいローマっ子のおじいちゃま

    私が宿までたどりつけないんじゃないか、と心配してくださって

    ホテルまで連れて行ってくださいました。

    『一週間ローマにいるから、もし一人で夕食を食べられない時は電話しなさいね』

    っと名刺を渡してくださって、去って行かれました。


    おじいちゃま、本当にお世話になりました!!


    『遠慮はしない』

    『迷惑かけてナンボ』

    『人生を思い出深く』


    その姿勢で貫くことになった旅


    おかげで

    イタリアに暮らす人々の比類ない温かさや

    おおらかな笑顔やおおらかな人生の価値観に

    直に触れることができました!

    心に沁みる思い出を、沢山たくさん、いただきました。

    トラブルこそ思い出の宝の鍵 ?( T_T)\(^-^ )



    『迷惑掛けてナンボ』のイタリア一人旅、

    さ、スタートです。

  • 今まで8回、ツアーで来てたローマ。<br /><br />自由時間が欲しくて<br /><br />ツアーの二回目あたりから、<br /><br />渋い顔をするツアー添乗員に離団書を提出して<br /><br />勝手にローマ散策したり<br /><br />それでも足りなくて延泊申請でローマに居残り。。。<br /><br />添乗員さんが帰りの飛行機の手配もやってくださっていて<br /><br />1人で帰るというアドベンチャー気分を味わったりしていました。<br /><br />延泊も最初は数日だったのに<br /><br />行くたびに延びて・・・その開放感に病みつき。<br /><br />・・・・<br /><br />ローマで自由になったら、まず行く恒例の場所が2箇所あります。<br /><br />ローマさん、お世話になります、のご挨拶をしたくなる場所。<br /><br />これが1人時間のスタートの儀式です。<br /><br />その一つがサンタンジェロ城。<br /><br />サンタンジェロ城最上階のBARのオープンテラスでお茶をしながら<br /><br />サンピエトロ大聖堂を眺めます。<br /><br /><br />あと一つは、サンタマリアマッジョーレ大聖堂。<br /><br />何度行っても圧倒され感動します。<br /><br />ここに来ると涙が溢れてしまいそうにります。<br /><br />不思議な場所。<br />(パドヴァのサンタントニオでもそう)<br /><br />感動しすぎると、人は涙がでるものなのでしょうか

    今まで8回、ツアーで来てたローマ。

    自由時間が欲しくて

    ツアーの二回目あたりから、

    渋い顔をするツアー添乗員に離団書を提出して

    勝手にローマ散策したり

    それでも足りなくて延泊申請でローマに居残り。。。

    添乗員さんが帰りの飛行機の手配もやってくださっていて

    1人で帰るというアドベンチャー気分を味わったりしていました。

    延泊も最初は数日だったのに

    行くたびに延びて・・・その開放感に病みつき。

    ・・・・

    ローマで自由になったら、まず行く恒例の場所が2箇所あります。

    ローマさん、お世話になります、のご挨拶をしたくなる場所。

    これが1人時間のスタートの儀式です。

    その一つがサンタンジェロ城。

    サンタンジェロ城最上階のBARのオープンテラスでお茶をしながら

    サンピエトロ大聖堂を眺めます。


    あと一つは、サンタマリアマッジョーレ大聖堂。

    何度行っても圧倒され感動します。

    ここに来ると涙が溢れてしまいそうにります。

    不思議な場所。
    (パドヴァのサンタントニオでもそう)

    感動しすぎると、人は涙がでるものなのでしょうか

  • サンタンジェロ城の上階にあるバールのオープンテラス席です。

    サンタンジェロ城の上階にあるバールのオープンテラス席です。

  • オープンテラス席から切り取って見える景色

    オープンテラス席から切り取って見える景色

  • サンタンジェロ城の回廊テラスからテヴェレ川を望みます。

    サンタンジェロ城の回廊テラスからテヴェレ川を望みます。

  • サンタンジェロ城内部

    サンタンジェロ城内部

  • サンタンジェロ城内部

    サンタンジェロ城内部

  • サンタンジェロ城内部

    サンタンジェロ城内部

  • サンタンジェロ城の屋上からみたサンピエトロ大聖堂

    サンタンジェロ城の屋上からみたサンピエトロ大聖堂

  • サンタンジェロ城の屋上からテヴェレ川とローマ市内を眺め

    サンタンジェロ城の屋上からテヴェレ川とローマ市内を眺め

  • サンタンジェロ城の屋上へ。

    サンタンジェロ城の屋上へ。

  • サンタンジェロ城の屋上は観光客で賑わっています。

    サンタンジェロ城の屋上は観光客で賑わっています。

  • <br /><br />聖天使ミカエル像。



    聖天使ミカエル像。

  • サンタンジェロ城の周り<br /><br />路上に様々なパフォーマーが。。<br /><br /><br />

    サンタンジェロ城の周り

    路上に様々なパフォーマーが。。


  • 人が・・一本の棒の上に・・!

    人が・・一本の棒の上に・・!

  • サン・ピエトロ大聖堂はいつ行っても混雑。<br /><br />それまではこんなに混んでいなかったのにと思って<br /><br />ホテルの人に聞いてみました。<br /><br />「フランシスコ教皇がすごい人気で<br /><br />ずっと混んでいる状態になった」とのことでした。<br /><br />バチカン博物館入場には、朝からどこまでも続く長蛇の列を見慣れていましたが<br /><br />大聖堂に入るのにもこんなに長蛇の列になるとは・・

    サン・ピエトロ大聖堂はいつ行っても混雑。

    それまではこんなに混んでいなかったのにと思って

    ホテルの人に聞いてみました。

    「フランシスコ教皇がすごい人気で

    ずっと混んでいる状態になった」とのことでした。

    バチカン博物館入場には、朝からどこまでも続く長蛇の列を見慣れていましたが

    大聖堂に入るのにもこんなに長蛇の列になるとは・・

  • トラステベレ地区に行ってみます。

    トラステベレ地区に行ってみます。

  • サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会です。<br /><br />聖女チェチリアは<br /><br />3世紀<br /><br />教皇ウルバヌス1世の頃にこの地に住んでいた裕福な貴族の娘でした。<br /><br />キリスト教徒であった彼女と夫ヴァレリアヌスは捕らえられて殉教。<br /><br />蒸し焼きの刑で処刑されますが、彼女は奇跡的に死ななかったそうで<br /><br />最後は首を切られて処刑されたのだそうです。<br /><br />230年の11月22日だと伝えられています。<br /><br /><br />遺体は<br /><br />サン・カリストのカタコンベに葬られたまま長い間忘れ去られていたのですが、<br /><br />9世紀前半、教皇パスカリス1世の手により発見されました。<br /><br />教皇は、5世紀からこの地に建っていたこの教会を建て直し、<br /><br />聖女チチェリアを夫ヴァレリアヌスのお棺とともに<br /><br />地下礼拝堂に埋葬しました。<br /><br /><br /> <br />  <br />

    サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会です。

    聖女チェチリアは

    3世紀

    教皇ウルバヌス1世の頃にこの地に住んでいた裕福な貴族の娘でした。

    キリスト教徒であった彼女と夫ヴァレリアヌスは捕らえられて殉教。

    蒸し焼きの刑で処刑されますが、彼女は奇跡的に死ななかったそうで

    最後は首を切られて処刑されたのだそうです。

    230年の11月22日だと伝えられています。


    遺体は

    サン・カリストのカタコンベに葬られたまま長い間忘れ去られていたのですが、

    9世紀前半、教皇パスカリス1世の手により発見されました。

    教皇は、5世紀からこの地に建っていたこの教会を建て直し、

    聖女チチェリアを夫ヴァレリアヌスのお棺とともに

    地下礼拝堂に埋葬しました。



     

  • <br />ロマネスクの鐘楼がつけ加えられたのは12世紀。<br /><br />柱廊も同時期に付け加えられています。<br /><br /><br />その後も何度か改修されているそうです。<br /><br /><br /><br />前庭には噴水が設えられていていて<br /><br />ローマ時代の瓶が置かれています。<br /> <br />  <br /><br /><br />


    ロマネスクの鐘楼がつけ加えられたのは12世紀。

    柱廊も同時期に付け加えられています。


    その後も何度か改修されているそうです。



    前庭には噴水が設えられていていて

    ローマ時代の瓶が置かれています。

     


  • ローマ時代の瓶

    ローマ時代の瓶

  • 庭の花が美しい

    庭の花が美しい

  • 内部は三廊式のバジリカ形式。<br /><br />バロック的な明るい内装は18世紀に改装されたものだそうです。<br />

    内部は三廊式のバジリカ形式。

    バロック的な明るい内装は18世紀に改装されたものだそうです。

  • <br />主祭壇の天蓋は<br /><br />1293年<br /><br />アルノルフォ・ディ・カンビオ制作<br />


    主祭壇の天蓋は

    1293年

    アルノルフォ・ディ・カンビオ制作

  • 1599年の教会のの修復の時に<br /><br />初めて聖女のお墓の蓋を開けたところ、<br /><br />西暦230年に殉教した聖女チェチリアの遺体が<br /><br /><br />朽ちることなく<br /><br />埋葬した時の姿のままで横たわっていたそうです。<br />

    1599年の教会のの修復の時に

    初めて聖女のお墓の蓋を開けたところ、

    西暦230年に殉教した聖女チェチリアの遺体が


    朽ちることなく

    埋葬した時の姿のままで横たわっていたそうです。

  • 金で縁取られた純白の衣装を身につけ、<br /><br />体を右に傾け、<br /><br />顔は布で覆われ<br /><br />殉教したときの刀傷がはっきりと見えていたといいます。<br /><br /><br />このことは奇跡として<br /><br />ローマ中の話題になったそうです。<br /><br /><br /><br />聖女の遺体、そのままの姿を写した彫刻。<br /><br />ステファノ・マデルノ作<br /> <br /><br />

    金で縁取られた純白の衣装を身につけ、

    体を右に傾け、

    顔は布で覆われ

    殉教したときの刀傷がはっきりと見えていたといいます。


    このことは奇跡として

    ローマ中の話題になったそうです。



    聖女の遺体、そのままの姿を写した彫刻。

    ステファノ・マデルノ作


  • 後陣のモザイク。9世紀のもの。<br /><br /><br />キリストの右に聖ペテロ、聖ヴァレリアヌス、聖女チェチリア<br /><br />     左に聖パウロ、聖女アガタ、教皇パスカリスが描かれています。<br /><br /><br />( 教会の模型を手にしたパスカリスの四角く青い後輪は、<br /><br />当時まだ生存していたことを示しているのだそうです。)

    後陣のモザイク。9世紀のもの。


    キリストの右に聖ペテロ、聖ヴァレリアヌス、聖女チェチリア

         左に聖パウロ、聖女アガタ、教皇パスカリスが描かれています。


    ( 教会の模型を手にしたパスカリスの四角く青い後輪は、

    当時まだ生存していたことを示しているのだそうです。)

  • 身廊左側から地下に降りると<br /><br />ごく初期のキリスト教徒たちの礼拝兼集会所などで使われていた、ローマ時代の住居跡などが見られます。<br /><br />そしてその先に地下礼拝堂があります。<br /><br />19世紀末にビザンチン風の装飾が施されたそうです。 <br />    <br /><br /><br />    <br />

    身廊左側から地下に降りると

    ごく初期のキリスト教徒たちの礼拝兼集会所などで使われていた、ローマ時代の住居跡などが見られます。

    そしてその先に地下礼拝堂があります。

    19世紀末にビザンチン風の装飾が施されたそうです。
       


       

  • 移動します・・

    移動します・・

  • <br /><br />そこからすぐのところに<br /><br />サンタ・マリア・デル・オルト教会があります。<br /> Chiesa di Santa Maria dell&#39;Orto



    そこからすぐのところに

    サンタ・マリア・デル・オルト教会があります。
     Chiesa di Santa Maria dell'Orto

  • <br />ここには安土桃山時代に天正少年使節団としてローマに派遣され<br /><br />のちに日本で殉教した中浦ジュリアンの肖像画が飾られていました。<br /><br /><br /><br />ーーー大きな絵画の右側部分に袴姿の<br /><br />中浦ジュリアンが描かれていましたーーー


    ここには安土桃山時代に天正少年使節団としてローマに派遣され

    のちに日本で殉教した中浦ジュリアンの肖像画が飾られていました。



    ーーー大きな絵画の右側部分に袴姿の

    中浦ジュリアンが描かれていましたーーー

  • <br />中浦ジュリアン Giuliano NAKAURA  <br /><br /><br />キリシタン大名・大村純忠の提案で<br /><br />日本の布教事業の立て直しと、日本人の司祭の育成のために<br /><br />1582年、少年使節団をローマに派遣しました。<br /><br />中浦ジュリアンを含む4人の使節団は<br /><br />ローマで、ローマ教皇・グレゴリウス13世と謁見しました。<br /><br />その後、ヨーロッパを巡礼し<br /><br />1590年帰国。<br /><br />九州で布教活動をしていましたが<br /><br />時代の風向きが変わり、キリシタン弾圧となりました。<br /><br />二十数年にわたって地下活動を続けましたが<br /><br />1632年に、とうとう捕らえられ<br /><br />神父のルカス・デ・スピリト・サントと3人の修道士と共に<br /><br />4日間穴吊りの拷問を受け<br /><br /><br />「わたしはローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」と、最期に言い残して<br /><br />非業の死を遂げました。享年65。<br /><br /><br /><br /><br />2007年にローマ教皇ベネディクト16世により、<br /><br />中浦ジュリアンは福者に列せられました。<br />


    中浦ジュリアン Giuliano NAKAURA 


    キリシタン大名・大村純忠の提案で

    日本の布教事業の立て直しと、日本人の司祭の育成のために

    1582年、少年使節団をローマに派遣しました。

    中浦ジュリアンを含む4人の使節団は

    ローマで、ローマ教皇・グレゴリウス13世と謁見しました。

    その後、ヨーロッパを巡礼し

    1590年帰国。

    九州で布教活動をしていましたが

    時代の風向きが変わり、キリシタン弾圧となりました。

    二十数年にわたって地下活動を続けましたが

    1632年に、とうとう捕らえられ

    神父のルカス・デ・スピリト・サントと3人の修道士と共に

    4日間穴吊りの拷問を受け


    「わたしはローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」と、最期に言い残して

    非業の死を遂げました。享年65。




    2007年にローマ教皇ベネディクト16世により、

    中浦ジュリアンは福者に列せられました。

  • たくさんの天使たちが可愛らしく舞っています。<br /><br />全体的な色味が、ゴールド、茶、白で落ち着いていてゴージャス。<br /><br /><br />ローマ時代初期よりこの教会周辺には<br /><br />ぶどう畑があったり<br /><br />農民の作物売買などが行われていたことからか<br /><br />内部の床の大理石や、祭壇周辺などに<br /><br />ブドウなどの果物や野菜のモチーフなどが装飾されています。<br /><br /><br /><br /><br />「A.M」の文字を重ねたステンドグラスの色ですが<br /><br />緑色はピーマンの色として<br /><br />赤は、トマトの色として表されているそうです。

    たくさんの天使たちが可愛らしく舞っています。

    全体的な色味が、ゴールド、茶、白で落ち着いていてゴージャス。


    ローマ時代初期よりこの教会周辺には

    ぶどう畑があったり

    農民の作物売買などが行われていたことからか

    内部の床の大理石や、祭壇周辺などに

    ブドウなどの果物や野菜のモチーフなどが装飾されています。




    「A.M」の文字を重ねたステンドグラスの色ですが

    緑色はピーマンの色として

    赤は、トマトの色として表されているそうです。

  • 余談・・脱線します。すみません。<br /><br />長いので読み飛ばしたほうがいいかもしれません(-。-)y-゜゜゜<br /><br />なぜ秀吉がキリスト教を禁止するようになったのか、詳しく知りたくて<br /><br />バテレン追放からキリスト教禁止令に至る理由を調べてみました。<br /><br />ここでわかったことを<br />つまみ食いして書き抜いてみようと思います。<br /><br />調べて初めてわかったことがあり、自分でもびっくり<br /><br />大収穫でした。<br /><br />秀吉って凄い人だったんだと、、、<br /><br />実は、今この日本を保てているのも元を辿れば秀吉のお陰なのかもと<br /><br />目から鱗でした。<br /><br />歴史の学び方が一方的だったんだと知り<br />ちょっとカルチャーショック受けてます<br /><br /><br />まずは  日・欧の背景から<br /><br />15世紀以降、ヨーロッパ列強諸国は<br /><br />アフリカ、南北アメリカ、アジアに次々と進出し各地を植民地化していきます。<br /><br />ルターなどによる宗教改革で、<br /><br />カトリックはプロテスタントに圧迫され布教の新天地を求めます。<br /><br />これが大航海時代です。<br /><br />1549年、イエズス会のザビエルが来日しキリスト教を布教。<br /><br />大内義隆、大友宗麟、有馬晴信、高山右近、小西行長ら有力大名が次々と入信。<br /><br />キリシタン大名と呼ばれました。<br /><br /><br />~~~少年使節団の目的~~~<br /><br />バリニャーノの手紙よりその目的が記されています。<br /><br />「使節派遣の目的のひとつは<br /><br />キリスト教の栄光と偉大さを日本人に分からせること。<br /><br />そして少年たちに進んだ西洋世界を見せることで<br /><br />日本での布教活動をよりスムーズにさせるためである」<br /><br />「若い少年たちは好奇心が強く、より吸収が早い。<br /><br />帰国後はより長く布教活動が続けられるだろう」<br /> <br />おおおおお・・・<br /><br /><br /><なぜ秀吉はキリスト教を危険と判断したか>これが本題です~。<br /><br /><br />九州征伐の後、秀吉は<br /><br />キリシタン大名大村純忠が長崎をイエズス会に寄進し、<br /><br />すでに長崎がポルトガル領になっていたことを知りました。<br /><br />さらに大村純忠の領内では<br /><br />キリスト教信者による寺社の破壊が行われていたことに非常に驚き<br /><br />激怒しました。<br /><br /> この現実を見た秀吉は、直ちにヤソ会から長崎を召し上げ直轄領とします。<br /><br /><br />さらに九州のキリシタン大名たちが、<br /><br />日本人の奴隷貿易に関わっているという話も、<br /><br />彼の耳には入ってきました。<br /><br />大名たちは、海外から鉄砲などの武器や火薬を手に入れたいがために<br /><br />宣教師と交渉。<br /><br />火薬1発の支払いとして日本人女性50人を差し出していたのです<br /><br />中浦ジュリアン<br />海外で「日本人の女性が服をまとわないで鎖につながれている奴隷を数多く目にした」と報告書に記していたそうです。<br /><br />その日本人奴隷数50万人と書かれていましたが、<br /><br />あまりの人数の多さに目が点。。。<br /><br />キリスト教の博愛精神を信じてきた私には、すぐには受け入れがたい内容で<br /><br />凄くショックでした。<br /><br /><br /> 『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに<br /><br />女たちを南蛮船に運び、<br /><br />獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、<br /><br />女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』<br /> <br />『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。<br /><br />ヨーロッパ各地で50万もいるという。<br /><br /> 肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、<br /><br />もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。<br /><br /> 鉄の伽をはめられ、<br /><br />同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、<br /><br />白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。<br /><br />ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、<br /><br />インドやアフリカまで売っている』<br /><br /><br /><br />ポルトガル出身のイエズス会宣教師で<br /><br />当時日本に滞在し信長や秀吉と接点があったルイス・フロイスが残した記録に<br /><br />当時のことが書かれているそうです。<br /><br />(ルイス・フロイス「日本史4」豊臣秀吉篇Ⅰ中公文庫で読めるそうです) <br /><br />それによると<br /><br />秀吉は7月24日に<br /><br />怒り狂い、夜にイエズス会の日本準管区長のガスパル・コエリョに対し使いを出して<br /><br />次の様な太閤の言葉を伝えさせている。<br /><br /> 「その第一は、汝らは何ゆえに日本の地において、<br /><br />今まであのように振舞ってきたのか。…<br /><br />仏僧たちは、その屋敷や寺院の中で教えを説くだけであり…<br /><br />汝らのように宗徒を作ろうとして、一地方の者をもって他地方の者をいとも熱烈に<br /><br />扇動するようなことはしない。<br /><br />よって爾後、汝らはすべて当下九州に留まるように命ずる。<br /><br />…もし、それが不服ならば、汝らは全員シナ(マカオ)へ帰還せよ。…」<br /><br /><br /> 「第二の伝言は、<br /><br />汝らは何ゆえに馬や牛を食べるのか。<br /><br />馬は、道中、人間の労苦を和らげ、荷物を運び、<br /><br />戦場で仕えるために飼育されたものであり、<br /><br />耕作用の牛は、百姓の道具として存在する。<br /><br />しかるにもし汝らがそれを食するならば、<br /><br />日本の諸国は、人々にとってはなはだ大切な二つの助力を奪われることとなる。…」<br /><br /> <br />「第三は、<br /><br />予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、<br />多数の日本人を購入し、<br /><br />彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行してい<br /><br />ることも知っている。<br /><br />それらは許すべからざる行為である。<br /><br />よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人を<br /><br />ふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。<br /><br />もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、<br /><br />少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。<br /><br />予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」<br /><br />(ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207-208) <br /><br />これらの太閤の言葉に対し、<br /><br />三つ目の日本人奴隷の問題に関して<br /><br />イエズス会準管区長のコエリョが答えた内容については同書にこう書かれている。<br /><br /> 「…この忌むべき行為の濫用は、<br /><br />ここ下の九ヶ国(九州)においてのみ弘まったもので、<br /><br />五畿内や坂東地方では見られぬことである。<br /><br />我ら司祭たちは、かかる人身売買、および奴隷売買を廃止させようと、<br /><br />どれほど苦労したか知れぬのである。<br /><br />だがここにおいてもっとも肝要なのは、<br /><br />外国船が貿易のために来航する港の殿たちが、<br /><br />厳にそれを禁止せねばならぬという点である。」(同書p.210-211) <br /><br />奴隷売買は九州だけでおこっていることで、<br /><br />我らも廃止させようと努力しているのに取り締まらない日本側に問題があると答えたのである。<br /><br /> 「外国船が貿易のために来航する港の殿たち」とは、<br /><br />九州の切支丹大名を遠回しに述べたものである。<br /><br /><br />翌朝これを読んだ秀吉の怒りはさらに激しくなり、<br /><br />「キリシタンは、いかなる理由に基づき、神や仏の寺院破壊し、<br /><br />その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」<br /><br />との伝言を持たせて、再びコエリョに使者を送った。<br /><br />そこでコエリョが答えた内容は<br /><br />「キリシタンたちは、我らの教えを聞き、真理を知り、<br /><br />新たに信ずるキリシタンの教え以外には救いがないことを悟った。<br /><br />そして彼らは、…神も仏も、またそれらを安置してある寺院も何ら役に立たぬことを知った。<br /><br />彼らは、…神仏は自分たちの救済にも現世の利益にも役立たぬので、<br /><br />自ら決断し、それら神仏の像を時として破壊したり毀滅したのである。」<br /> (同書p.215) <br /><br />そのコエリョの回答を聞いて、太閤はさらに激怒し<br /><br /> 「予は日本のいかなる地にも汝らが留まることを欲しない。<br /><br />ここ二十日以内に、日本中に分散している者どもを集合せしめ、<br /><br />日本の全諸国より退去せよ」と<br /><br />「伴天連追放令」と呼ばれる布告を司令官ドミンゴス・モンテイロに手交したのである。<br /><br />奴隷売買は日本の大名がしていることで、自分は監視しているが力及ばないと述べたコエリョでしたが・・<br /><br />実際は、奴隷売買にかかわっていた主要人物で<br /><br />イエズス会日本準管区長のコエリョ自身が<br /><br />ポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に署名した事実が<br /><br />書かれているそうです<br /><br />(藤田みどり氏「奴隷貿易が与えた極東への衝撃」という論文)キリスト教の宣教師は大ウソつきということになります。<br /><br /><br />【キリスト教布教の真の目的】を察知した秀吉<br /><br />~~~サン=フェリペ号事件~~~<br /><br />それまで様々なことがありましたが<br /><br />これがキリスト教禁止が決定的となった事件でした。<br /><br />1596年、土佐にスペイン船サン=フェリペ号が漂着。<br /><br />多くの貿易品を積んで、フィリピンのマニラからメキシコへ向かっていた<br /><br />スペインのサンフェリペ号が台風に遭い、土佐(高知)に漂着。<br /> <br />その時、南蛮貿易の商売敵であるポルトガル人が<br /><br />『スペイン人は日本を征服しようとしている』と秀吉へ告げ口したことで、<br /><br />秀吉はキリスト教に強い脅威を感じ禁止令を出したという説<br /><br />他の説では<br /><br />フェリペ号に乗っていた水先案内人が語ったとされる内容の中に<br /><br />スペイン王はキリスト教を布教する事で他国を征服し<br /><br />様々な国を植民地にしていくのだという話を聞いた事。<br /><br />秀吉は、キリスト教布教の真の目的を知り<br /><br />大変激怒し、ついに強硬なキリスト教禁止令を出したという説もあります。<br /><br />キリスト教信者が神社仏閣を破壊したり、宣教師が率先して人身売買をするなど<br />それまで様々なことがあって怒ってきた秀吉が<br />問題を解決するために宣教師と正面から様々折衝があった上での<br />サンフェリペ号事件だとすれば<br />強硬なキリスト教禁止令を行った流れも自然だと納得できる思いがしました。<br />堪忍袋の尾が切れたのでしょうね<br /><br /><br /><br />(外国人宣教師と日本人キリシタン、合計26人を長崎で処刑)<br /><br />思わず想像しました<br />もし日本がキリスト教になっていたら<br />日本が植民地化していて、今の日本はなかったのかもと。。<br /><br />またこの文面の中に、秀吉が海外に売られた人達を日本に戻させよといい<br />もしそれが不可能なら今奴隷として収監されている日本人を、自分がお金を払うから<br />解放せよと言っていた事に感動してしまいました。<br />ゆえに人の上に立ち導くほどの深い配慮のある人柄だったんだと<br />それまでの秀吉像が違って見えてきて<br />歴史は知るほど面白いかも、っとワクワクした一件でした。<br /><br /><br /> 日本が当時、キリスト教を迫害した悲壮な歴史やキリシタンの殉教の悲劇を<br />教科書で勉強した記憶がありましたが、<br />文献や資料などを読み、さまざまな情報を得ていくと<br />認識してきたそれまでのキリスト教への概念やキリスト教禁止への歴史模様が<br />様変わりして見えだすことは目から鱗。<br />歴史認識は偏って伝わることが結構あるのかも<br /><br />その時代に働く意思のある偏った力で、史実は偏向されて伝わりがち<br />より詳しい様々な事実や情報が提供され、ネットで調べられる時代に生まれて良かった!<br />感慨深く、認識に自己責任の重さも感じる一件になりました。<br /><br />脱線寄り道でした(;^ω^)<br /><br />

    余談・・脱線します。すみません。

    長いので読み飛ばしたほうがいいかもしれません(-。-)y-゜゜゜

    なぜ秀吉がキリスト教を禁止するようになったのか、詳しく知りたくて

    バテレン追放からキリスト教禁止令に至る理由を調べてみました。

    ここでわかったことを
    つまみ食いして書き抜いてみようと思います。

    調べて初めてわかったことがあり、自分でもびっくり

    大収穫でした。

    秀吉って凄い人だったんだと、、、

    実は、今この日本を保てているのも元を辿れば秀吉のお陰なのかもと

    目から鱗でした。

    歴史の学び方が一方的だったんだと知り
    ちょっとカルチャーショック受けてます


    まずは 日・欧の背景から

    15世紀以降、ヨーロッパ列強諸国は

    アフリカ、南北アメリカ、アジアに次々と進出し各地を植民地化していきます。

    ルターなどによる宗教改革で、

    カトリックはプロテスタントに圧迫され布教の新天地を求めます。

    これが大航海時代です。

    1549年、イエズス会のザビエルが来日しキリスト教を布教。

    大内義隆、大友宗麟、有馬晴信、高山右近、小西行長ら有力大名が次々と入信。

    キリシタン大名と呼ばれました。


    ~~~少年使節団の目的~~~

    バリニャーノの手紙よりその目的が記されています。

    「使節派遣の目的のひとつは

    キリスト教の栄光と偉大さを日本人に分からせること。

    そして少年たちに進んだ西洋世界を見せることで

    日本での布教活動をよりスムーズにさせるためである」

    「若い少年たちは好奇心が強く、より吸収が早い。

    帰国後はより長く布教活動が続けられるだろう」

    おおおおお・・・


    <なぜ秀吉はキリスト教を危険と判断したか>これが本題です~。


    九州征伐の後、秀吉は

    キリシタン大名大村純忠が長崎をイエズス会に寄進し、

    すでに長崎がポルトガル領になっていたことを知りました。

    さらに大村純忠の領内では

    キリスト教信者による寺社の破壊が行われていたことに非常に驚き

    激怒しました。

    この現実を見た秀吉は、直ちにヤソ会から長崎を召し上げ直轄領とします。


    さらに九州のキリシタン大名たちが、

    日本人の奴隷貿易に関わっているという話も、

    彼の耳には入ってきました。

    大名たちは、海外から鉄砲などの武器や火薬を手に入れたいがために

    宣教師と交渉。

    火薬1発の支払いとして日本人女性50人を差し出していたのです

    中浦ジュリアン
    海外で「日本人の女性が服をまとわないで鎖につながれている奴隷を数多く目にした」と報告書に記していたそうです。

    その日本人奴隷数50万人と書かれていましたが、

    あまりの人数の多さに目が点。。。

    キリスト教の博愛精神を信じてきた私には、すぐには受け入れがたい内容で

    凄くショックでした。


    『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに

    女たちを南蛮船に運び、

    獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、

    女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』

    『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。

    ヨーロッパ各地で50万もいるという。

    肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、

    もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。

    鉄の伽をはめられ、

    同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、

    白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。

    ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、

    インドやアフリカまで売っている』



    ポルトガル出身のイエズス会宣教師で

    当時日本に滞在し信長や秀吉と接点があったルイス・フロイスが残した記録に

    当時のことが書かれているそうです。

    (ルイス・フロイス「日本史4」豊臣秀吉篇Ⅰ中公文庫で読めるそうです)

    それによると

    秀吉は7月24日に

    怒り狂い、夜にイエズス会の日本準管区長のガスパル・コエリョに対し使いを出して

    次の様な太閤の言葉を伝えさせている。

    「その第一は、汝らは何ゆえに日本の地において、

    今まであのように振舞ってきたのか。…

    仏僧たちは、その屋敷や寺院の中で教えを説くだけであり…

    汝らのように宗徒を作ろうとして、一地方の者をもって他地方の者をいとも熱烈に

    扇動するようなことはしない。

    よって爾後、汝らはすべて当下九州に留まるように命ずる。

    …もし、それが不服ならば、汝らは全員シナ(マカオ)へ帰還せよ。…」


    「第二の伝言は、

    汝らは何ゆえに馬や牛を食べるのか。

    馬は、道中、人間の労苦を和らげ、荷物を運び、

    戦場で仕えるために飼育されたものであり、

    耕作用の牛は、百姓の道具として存在する。

    しかるにもし汝らがそれを食するならば、

    日本の諸国は、人々にとってはなはだ大切な二つの助力を奪われることとなる。…」


    「第三は、

    予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、
    多数の日本人を購入し、

    彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行してい

    ることも知っている。

    それらは許すべからざる行為である。

    よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人を

    ふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。

    もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、

    少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。

    予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

    (ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207-208)

    これらの太閤の言葉に対し、

    三つ目の日本人奴隷の問題に関して

    イエズス会準管区長のコエリョが答えた内容については同書にこう書かれている。

    「…この忌むべき行為の濫用は、

    ここ下の九ヶ国(九州)においてのみ弘まったもので、

    五畿内や坂東地方では見られぬことである。

    我ら司祭たちは、かかる人身売買、および奴隷売買を廃止させようと、

    どれほど苦労したか知れぬのである。

    だがここにおいてもっとも肝要なのは、

    外国船が貿易のために来航する港の殿たちが、

    厳にそれを禁止せねばならぬという点である。」(同書p.210-211)

    奴隷売買は九州だけでおこっていることで、

    我らも廃止させようと努力しているのに取り締まらない日本側に問題があると答えたのである。

    「外国船が貿易のために来航する港の殿たち」とは、

    九州の切支丹大名を遠回しに述べたものである。


    翌朝これを読んだ秀吉の怒りはさらに激しくなり、

    「キリシタンは、いかなる理由に基づき、神や仏の寺院破壊し、

    その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」

    との伝言を持たせて、再びコエリョに使者を送った。

    そこでコエリョが答えた内容は

    「キリシタンたちは、我らの教えを聞き、真理を知り、

    新たに信ずるキリシタンの教え以外には救いがないことを悟った。

    そして彼らは、…神も仏も、またそれらを安置してある寺院も何ら役に立たぬことを知った。

    彼らは、…神仏は自分たちの救済にも現世の利益にも役立たぬので、

    自ら決断し、それら神仏の像を時として破壊したり毀滅したのである。」
    (同書p.215)

    そのコエリョの回答を聞いて、太閤はさらに激怒し

    「予は日本のいかなる地にも汝らが留まることを欲しない。

    ここ二十日以内に、日本中に分散している者どもを集合せしめ、

    日本の全諸国より退去せよ」と

    「伴天連追放令」と呼ばれる布告を司令官ドミンゴス・モンテイロに手交したのである。

    奴隷売買は日本の大名がしていることで、自分は監視しているが力及ばないと述べたコエリョでしたが・・

    実際は、奴隷売買にかかわっていた主要人物で

    イエズス会日本準管区長のコエリョ自身が

    ポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に署名した事実が

    書かれているそうです

    (藤田みどり氏「奴隷貿易が与えた極東への衝撃」という論文)キリスト教の宣教師は大ウソつきということになります。


    【キリスト教布教の真の目的】を察知した秀吉

    ~~~サン=フェリペ号事件~~~

    それまで様々なことがありましたが

    これがキリスト教禁止が決定的となった事件でした。

    1596年、土佐にスペイン船サン=フェリペ号が漂着。

    多くの貿易品を積んで、フィリピンのマニラからメキシコへ向かっていた

    スペインのサンフェリペ号が台風に遭い、土佐(高知)に漂着。

    その時、南蛮貿易の商売敵であるポルトガル人が

    『スペイン人は日本を征服しようとしている』と秀吉へ告げ口したことで、

    秀吉はキリスト教に強い脅威を感じ禁止令を出したという説

    他の説では

    フェリペ号に乗っていた水先案内人が語ったとされる内容の中に

    スペイン王はキリスト教を布教する事で他国を征服し

    様々な国を植民地にしていくのだという話を聞いた事。

    秀吉は、キリスト教布教の真の目的を知り

    大変激怒し、ついに強硬なキリスト教禁止令を出したという説もあります。

    キリスト教信者が神社仏閣を破壊したり、宣教師が率先して人身売買をするなど
    それまで様々なことがあって怒ってきた秀吉が
    問題を解決するために宣教師と正面から様々折衝があった上での
    サンフェリペ号事件だとすれば
    強硬なキリスト教禁止令を行った流れも自然だと納得できる思いがしました。
    堪忍袋の尾が切れたのでしょうね



    (外国人宣教師と日本人キリシタン、合計26人を長崎で処刑)

    思わず想像しました
    もし日本がキリスト教になっていたら
    日本が植民地化していて、今の日本はなかったのかもと。。

    またこの文面の中に、秀吉が海外に売られた人達を日本に戻させよといい
    もしそれが不可能なら今奴隷として収監されている日本人を、自分がお金を払うから
    解放せよと言っていた事に感動してしまいました。
    ゆえに人の上に立ち導くほどの深い配慮のある人柄だったんだと
    それまでの秀吉像が違って見えてきて
    歴史は知るほど面白いかも、っとワクワクした一件でした。


    日本が当時、キリスト教を迫害した悲壮な歴史やキリシタンの殉教の悲劇を
    教科書で勉強した記憶がありましたが、
    文献や資料などを読み、さまざまな情報を得ていくと
    認識してきたそれまでのキリスト教への概念やキリスト教禁止への歴史模様が
    様変わりして見えだすことは目から鱗。
    歴史認識は偏って伝わることが結構あるのかも

    その時代に働く意思のある偏った力で、史実は偏向されて伝わりがち
    より詳しい様々な事実や情報が提供され、ネットで調べられる時代に生まれて良かった!
    感慨深く、認識に自己責任の重さも感じる一件になりました。

    脱線寄り道でした(;^ω^)

  • ここはどこだったか・・不明。<br /><br />次は[3]モディカです<br /><br />【3】モディカhttp://4travel.jp/travelogue/10905378<br /><br />

    ここはどこだったか・・不明。

    次は[3]モディカです

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この旅行記へのコメント (9)

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  • salsaladyさん 2020/01/27 10:34:28
    人生って”迷惑かけてナンボ”?。。。頂き~
    ☆キャッツアイさん!無事生存中ですよね~

    ☆投稿日付が。。。ちょっと古いけど、粋の良い台詞満載で勇気づけられます。

    ☆実は、自分の(salsalady)『関東の田舎もんpartII』からこちらへサーフしたので多分記憶に無い存在(salsalady)でしょうけれど、ローマへ到るまでのミッションI.II.III
    が面白すぎて深入り~

    ☆ローマのサンタンジェロ城(多分要塞の様にどかんと街のど真ん中に聳える茶色の塊でしょう)の内部を見せて貰って大はしゃぎでした。~アリベデルチ~
  • mimiさん 2016/06/29 17:33:18
    はじめまして
    初めてコメントさせていただきます!Rと申します。

    臨場感あふれる旅行記ですね^^
    そして現地の人と交流できるちゃおちゃおさんの語学力
    意気込みがすばらしいと思いました。

    私も2月に南イタリアにいきました。
    また行きたいし、思うところがありまたいくかもです^^

    フランクフルトの乗り換え、私も経験しました。
    出発前はすごく不安でしたけど、人に聞けばすぐに解決!
    ドイツ人の方たち親切でした。

    実は私も一人娘でして、(結婚はまだですが)
    子供の立場から旅行記を読ませていただきました。
    旅行をやりとげたお母さんの事を、
    子供さんは絶対に尊敬しているはずですよ!
    今後も旅行記楽しみにしております。
  • guruekkoさん 2015/04/15 22:21:00
    初一人旅するバイブル〜
    こんばんはキャッツアイさん!お元気ですか?

    なななんと私も5泊7日と短い期間ですが、来月一人旅デビューします〜
    んで、勇気をもらおうと←大げさw
    こちらの旅行記に再度おじゃまさせていただいておりまする。
    だって何度読んでも、迷惑かけてなんぼのお話はほんと心にすっと入ってくるんですもの

    マトンバでのお医者さんの話は涙がでるほど感動したのですが、
    あえてこちらにメッセージ残す事にしました。ごめんなさい

    いつもなら半年前ぐらいから予約やらプランをねるのに
    今年に入って色々とあり、旅行は無理かなあっと思っていたのです。
    でも1週間ならなんとかなりそうなので、というかなんとかした
    という方が正しいかもw
    そうこうしているうちに見つけた安い航空券!気がついたらクリックしてましたw
    航空券代も払いキャンセル出来ない状態に自分を追い込み・・・
    (まあキャンセル不可のチケットなんで振り込んだ時点で行くしかないのですが)

    そして出発がだんだん近づいてきて不安とワクワクが入り乱れています
    でキャッツアイさんの旅行記へ〜〜〜〜〜

    デビューはベルギーです。
    あまり詰め込みすぎないように楽しんできたいと思います。

    キャッツアイさんも色々あって、旅行が延期になったとか
    行ってよかったと思える旅行にしたいですよね☆
    迷惑かけてなんぼ!!

    またおじゃましまあす(´ε` )

    guruekko


    guruekko

    guruekkoさん からの返信 2015/04/16 22:47:42
    RE: RE: 初一人旅するバイブル〜
    キャッツアイさん〜エールありがとうございます!!

    不安な気持ちもどこへやら・・・元気玉が身体に〜
    悟空かい!ってね(笑)

    キャッツアイさんの二ヶ月半には足元にも及ばないですが
    アクティブにそしてマイペースに旅をたのしんでくることを
    誓います☆(^o^)v


    psマントバをマトンバと表記してしまい申し訳ありませんでした
    <(_ _)>

    guruekko
  • 前日光さん 2014/12/27 17:42:16
    素晴らしい出会い!
    キャッツアイさん、こんばんは。
    今年中に、せめて【2】にコメントを入れなくちゃ!と思って、暮れの忙しい時期にお邪魔してしまいました。

    でも、どうぞ返信に気を遣わないでくださいね。

    さて、この旅行記では、3人の素敵な人に出会いましたね!
    一人目はもちろんフランクフルト乗り換えの時の日本人女性。
    海外に慣れた人なのでしょうね。
    そして数々のアクシデントがあって、その度に傷つきながらも雄々しく対応し、「世の中迷惑かけてナンボのもん」という哲学に辿り着いたのですね。
    私も、キャッツアイさんとこの方とのエピソードには本当に感心させられました。
    私もどちらかというと、他人に迷惑をかけないようにしようと思いながら生きてきましたが、この方の言葉を読んだら、なんだかつかえていたものがス〜ッと落ちたような気分になりました。
    そうなんだ!迷惑かけてもいい!もちろんわざと迷惑をかけるのは断じてよくないけれど。
    これからの人生の指標になったような気がします。

    二人目は、空港の日本好きなイタリア人のお嬢さん。
    日本に興味を持ってくれているというだけでもうれしいのに、困った時に耳にしたイタリア人の日本語、どんなにホッとされたかが目に浮かんでくるようです。
    浅草寺と日枝神社の御利益かもしれませんね!

    三人目は、イタリア人のオジイチャン。
    なんだかんだで結局面倒を見てくれたオジイチャン。
    最後に困ったことがあったら、ここにって連絡先教えてくれたりして。
    世の中捨てたもんじゃありませんね!
    ホントにそう思いました。

    私たち家族もイギリスで、道路を渡って地下鉄乗り場に行きたいのに、道路の向こう側にどうやって行ったらいいのか途方に暮れていたら、キャリーバッグを引いた英国紳士がやって来て、ちょっと話しかけにくい感じの人だったのですが、フォローミーみたいなことを言ったので、ついていきました。
    すると、向こう側に行くにはバスに乗る必要があったのです!
    料金は無料、トンネルみたいな所を通って、地下鉄に乗りたいと言ったら改札口まで連れて行ってくれて、当然その紳士も同じ地下鉄に乗るものと思っていたら、彼は空港に行くので、バ〜イって感じで去って行ったんです。

    つまり私たちのために、自分の予定を変更して改札口まで連れてってくれたんですよ。
    ニコニコ笑顔の人ではなかったのですが、行動でその親切を示してくれた、彼のことは忘れられません。
    私がイギリス人に良い印象を持ってしまうのは、ひとえに名も知らないその紳士の親切によっているのです。

    自分のことばかり書いてしまいましたが、旅先、特に海外で困っているときに親切にしてもらったことは忘れられませんよね。
    もちろん、親切にしてもらったキャッツアイさんのお人柄が、大いに影響していることは、言うまでもありませんが。

    今年の終わり頃にキャッツアイさんのブログに出会えて、本当によかったです。
    スローテンポのわたしですが、これからもボチボチと拝読させてくださいね。
    では良いお年を〜


    前日光


  • hot chocolateさん 2014/11/15 01:59:58
    旅の始まり・・・
    キャッツアイさま

    イタリア縦断一人旅の?にお邪魔しています。

    浅草寺の神様、赤坂日枝神社の神様のおかげなのか、はたまた日頃の行いの良さからか、
    SIMカードの日本好きの女の子や年に1度イタリアにやって来るというおじいちゃんとの出会い、
    なんとラッキーなことでしょう。
    ラッキーというより、キャッツアイさまの積極性のなせるわざ。
    こんなに積極的な方が、空の巣症候群?

    それに「迷惑をかけてなんぼ」の言葉。
    人様に迷惑をかけてはならないと思っている私にとって、目から鱗です。

    次の旅行記もゆっくりと拝見させていただきますね。
    では。

    hot chocolate
  • masshyさん 2014/10/26 11:42:06
    キャッツアイさんこんにちは!
    ご訪問ご投票ありがとうございます!
    キャッツアイさんの旅楽しく拝見しました!
    私はイタリア大好き人間。是非キャッツアイさんもお友達になって下さいね!!
    まだまだ沢山旅行記書きますのでよろしくお願いします。
  • zunzunさん 2014/09/28 22:33:26
    素晴らしい♪
    キャッツアイさん、初めまして〜!

    イタリア・一人旅・2か月半!!
    キャッツアイさんの行動力に脱帽です。

    キャッツアイさんのお人柄なんですね。
    人を惹きつける魅力のある方なんだと思います。

    色んな方と出会って、勇気を出して話しかけて、
    仲良くなってらっしゃるのはすごいです。

    私はひとり旅はした事がなにんです。
    憧れるのですが、憧れで終わってしまいます><

    キャッツアイさんの頑張られている姿に感動しました。

    続けて旅行記を読ませていただきますね^^


    zunzun
  • again20さん 2014/07/20 21:44:37
    ?羽田→フランクフルト→ローマ いつも幸運の女神が
    ?羽田→フランクフルト→ローマ
    いつも幸運の女神がキャッツアイさんを助けてくれてるようですね。

    それは浅草寺と日枝神社のご利益もあるかも知れませんが、キャッツアイさんの全身からあふれ出ている人間力によるものだと思いますよ。

    多分、キャッツアイさんの今までの生き方が正しかった、のではないでしょうか?

    空の巣症候群?空の巣症候群の人が、これだけバイタリティーにあふれたひとり旅はできないのでは?

    ?のプロローグも、そして?も、笑いながら同時に考えさせられる、素敵な旅ブログです。

    これが初めての作品とは思えない、今度も拍手喝采。

    again20

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