2013/09/06 - 2013/09/12
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Matt Yさん
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2013年 北朝鮮旅行記 その12
9/6 東京→北京
9/7 北京→平壌
9/8 平壌
9/9 平壌
9/10 平壌→板門店→平壌(←いまここ)
9/11 平壌→(列車)→新義州→丹東→
9/12 北京→東京
この日は板門店へ日帰りツアー
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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朝御飯。バイキング形式だが、毎日内容はほぼ同じなので、正直飽き気味。
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今日は板門店を参観する。あいにく霧雨が降ったり止んだりな天気だが一路高速道路を開城へ。高速道路と言っても殆ど車は走っていない。舗装もひどい状態なのでそれ程スピードは出せない。
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山がちな農村地帯が続く
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作物はトウモロコシが多い。
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途中ほぼ山か農村だが沙里院の町が唯一の都市らしい都市を通った。
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1時間走ってサービスエリアで休憩。大した物売っていなかったがTシャツを購入。
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梨やリンゴを買うとその場でむいてくれる。別のバスでやってきた中国人の団体が割り込んで来たので、シンガポーリアンのツアーメイトが切れた。当たり前ではあるのだがそれまで英語オンリーだったので北京語話せたんだ、彼女、と驚く。
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ひたすら丘陵地帯
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目立つのが、所々に畑の見張り小屋である「園頭幕(ウォンドゥマク)」が見えること。南では民俗博物館でしかお目にかからなくなりつつあるが、とにかくあちらこちらにある。これが有ると言うことは実際に作物が盗まれることが多いんじゃないかと思った。
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いざという時に倒して道を塞ぐ障害物が見えて来た。南でもよく見かけるが、キタのは割とちゃっちく、これでどれだけ時間が稼げるのかと思ってしまう。
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平壌から休憩含めて2時間半走った所、開城の手前で高速を降りる。
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高麗の始祖王建の古墳はパスして恭愍王陵へ。
今まで参観したところで初めて歴史的な場所を参観したことになる -
石人や並んで建つ古墳は雰囲気があって良かったが・・・
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同時に参観に来ていた地元民の方が気になって仕方がない。炭坑の労働者の団体なんだそうだ。
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自転車を押している人。農村では本当に自転車に乗っている人をよく見かける。
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農村部はやはり平壌とは雰囲気が違う。そして農地が広がる場所の割りには人が多く行き来しているのが意外。
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道路の障害は度々見かける。検問も3カ所位あったが、そこでは絶対写真を撮らないように事前に言われる。
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田んぼも多かったがトウモロコシ畑が多かった。しかも丘陵状のかなり斜面の上まで畑が続く。
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開城の街に入って来た。
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学校なども見える。
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平壌などでは通りに面したところは高層アパートになっていて、その裏手は見えない構造の街であるが、開城も中層アパートが通りに面している。が、脇が甘いというか生活感に満ちた裏道が垣間見れる割合が多く、楽しい。
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開城の南大門。交通指導員同志も綺麗なお姉さまが多かった平壌に比べて野暮ったいおじさまが多かった。
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山肌に「先軍朝鮮の太陽金正恩将軍万歳」とのスローガン。
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開城の町は素通りして南へ。開城の町を出ておよそ15分で板門店の入り口に着く。
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前後をゲートで閉ざされた建物の前に停まる。有名な「朝鮮は一つだ!」の看板
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ここで間隔調整で50分ほど待たされた。太陽宮殿でもそうだったが、私たちのグループはいつも最後。その分ゆっくり見られはするのだが待たされる。あまり触手が伸びない品揃えの土産物店など見て時間をつぶしたが、なんと奈良県議会議員の訪朝団まできていて、記念撮影したりした。
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時間が来て見学!の前にブリーフィング。共同警備地域(JSA)についてや如何にアメリカ軍が分断の原因かの説明をうける。
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まず停戦協議が行われた会議場を見学。ブリーフィングを受けた耐えものからバスで移動したのだが、バスから降りる際に4列になるよう言われやや緊張感が高まる。
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続いて休戦協定調印所を見学した。
博物館のような展示もあり。 -
韓国政府は休戦を拒否したので国連軍、中国軍、北朝鮮軍が調印したためテーブルも3つあった。
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いよいよいわゆる板門店の会議場へ。北朝鮮の大きな国旗を掲げる国旗掲揚台が見える。
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その前に金日成が亡くなる前日にした署名を転写した記念碑を見学
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いよいよ北側施設の板門閣へ
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約20年前に南側からも来たので感慨もひとしお。
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会議場を警備する北側兵士。ああ、あの建物の中に入れてくれれば、南から北まで歩いたところがつながるのに・・・しかし残念ながら会議場の建物は改修でもしているのか、私が訪れた前後の半年あまり中には入れなかった。なんと残念というか、南と北と歩いた点を結ぶというミッション未達成・・・またこなくては・・・
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板門閣のバルコニーから南側を仰ぐ。なんとアイルランド人のツアーメイトはここでビールで乾杯と来た。しかしそれぐらいゆるい。緊張感を煽られる南とは偉い違い。
全般におれたちは平和を愛しているのに、アメリカの奴らが同じ民族を分断している、けしからん!とアピールするのが北の狙いではあるのだが・・・ -
南側の太極旗の掲揚台も見える
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北の国旗掲揚台と南の言う宣伝村。確かに純粋な農村にはアパートタイプは殆ど見なくはあったが・・・
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南側施設。南の兵隊は殆ど見ることが出来なかった
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北と南を隔てるコンクリートの識別線。本来はその名の通り共同警備地域だったので南北の境はこのエリア内には無意味だったはずなのだが、現在は有名無実化し北と南をはっきり分けている
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そして開城市内に戻ってきた
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平壌より路上を歩いている人が多く生活感がある。
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昼食を取った食堂
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名物の「パンサンギ」を食べる。
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この種の料理、数だけはあるがあまり美味しくないことが多いと思うのだが、ここのはどの皿も美味しかった。
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事前に希望を聞かれ、オプションで犬肉のスープがつけられた。
犬肉の常だが、スパイスが利いていて他の肉と味の違いは分からない。
でも美味しかった。
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