2014/05/04 - 2014/05/04
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ドクターキムルさん
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新潟県村上市三之町にある村上市役所は、松尾芭蕉が奥の細道で村上城下を訪れたときには榊原帯刀の家老屋敷であった。ちなみに、芭蕉と曽良はここから100mほど離れた小町の井筒屋に何泊か逗留した。
市役所の裏側の道路の向かいには追手門(大手門)跡があり、城下の表門であった。それを伝えるかのように、煉瓦造の古びた門と、その脇に小さな木造洋風建築が建っている。これは、旧制新発田中学校村上分校−旧制村上中学−村上高校時代の正門と門舎である。
この門舎は、旧制新発田中学校村上分校として開校した明治33年(1900年)に建てられたものだ。その後、明治35年(1902年)に独立して旧制村上中学校となり、明治44年(1911年)に校舎が増築された際、正門とともに現在地に移されたのだという。
戦後(昭和23年(1948年))の学制改革で県立村上高校となり、引き継がれた。しかし、村高は、昭和48年(1973年)にJR村上駅近くの現在地へ移転し、正門と門舎だけがそのまま残された。
その後、村高跡地には市役所が移転してきた。かつてのグランドを横切り、T字路にあった町屋を壊して道路を通して十字路とし、市役所の入口となっている。すなわち、入口が180°変えられたのである。また、大町と市役所の間の道路は町人町と武家屋敷を分かつお堀の跡である。幕藩時代には城から街道に出るには城門を通らないとならないが、城下町・村上ではそうした城門跡とは無縁の場所に道路を通した最初の例であろうか?
旧制中学校の正門と門舎が、100年以上経った今でもそのままの形で残されているが、登録文化財にも指定されてはいない。地方にはありがちな文化財行政の結果であろう。
この旧正門の近くには、裏に沿革を記し、「法務大臣 稲葉修 書」と刻まれた「村上高等学校跡」碑(昭和51年(1976年)銘)がひっそりと建っている。
(表紙写真は村上高校跡に残る正門と門舎)
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