2014/05/04 - 2014/05/04
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kenichi291さん
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ゴールデンウィーク。どこも込み合うと思いましたが、鎌倉に行って来ました。横須賀線はラッシュアワー並みの混雑。でも、新緑の建長寺は清々しい気持ちになれる静かな場所でした。写真は半僧坊大権現から臨む建長寺の大屋根。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山で、山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
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「天下禅林」 「人材を広く天下に求め育成する禅寺」との意。鎌倉五山第一位の寺を象徴する言葉。
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総門 天明3年(1783年)の建立。1943年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものである。なお、般舟三昧院は後土御門天皇によって建立された皇室ゆかりの寺院で、もと伏見(京都市伏見区)にあり、現在は京都市上京区今出川通り千本東入るに所在する。総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。
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三門 安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定されている。
銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し、再建される。初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しとしている。上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置する。 -
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梵鐘 三門右手の鐘楼に架かる。国宝。高さ約2.1メートル。建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして貴重である。建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作。銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもので、文字は陽鋳(字形が彫り込まれるのではなく立体的に浮き出している)となっている。撞座の位置が高い点など、全体に復古的な作風を示す鐘である。銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とされている。
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仏殿、堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。
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仏殿 重要文化財。 寄棟造で単層裳階が付く。芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置する。
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法堂 重要文化財で、禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立である。内部には千手観音坐像を安置する。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。
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天井画は小泉淳作筆の雲龍図。2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後パキスタンより寄贈され安置された。
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唐門 重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。
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方丈「竜王殿」とも称する。総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの。
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方丈二階からの眺め。
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座敷では書道展が開かれていました。
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半僧坊 境内のもっとも奥、山の中腹にある、建長寺の鎮守。ここに祀られる半僧坊権現は1890年に当時の住持であった霄(おおぞら)貫道禅師が静岡県引佐郡奥山(現・浜松市)の方広寺から勧請した神で、火除けや招福に利益があるという。半僧坊権現とは、後醍醐天皇皇子の無文元選禅師(前述の方広寺開山)の元に忽然と現われ、無理やり弟子入りした白髪の老人で、神通力を持っており、無文禅師が死去するとその老人も姿を消したという。半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像がある。
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平成22年、中国少林寺より信託された禅宗開祖達磨大師坐像。当初は法堂前に置かれていたが、現在は半僧坊大権現の参道に置かれている。
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隣を歩いていた方がイワタバコだと話していました。
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半僧坊正面の見晴台からは相模湾まで見渡せ、左手の富士見台からは富士山を臨むことができる。富士見台横の道を下ると江戸時代の土木事業家河村瑞軒の墓。
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半僧坊大権現の地蔵堂には「勝上けん地蔵」が安置され、鎌倉二十四地蔵の一つに数えられている。ここは、天園ハイキングコースの途中です。ここから更に登って瑞泉寺まで続きます。我々はここから戻ります。
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正統院 (しょうとういん) 第14世高峰顕日の塔所。山号は天津山。本尊は文殊菩薩。もとは浄智寺にあったが、夢窓疎石によって建長寺に移された。境内地はもと無学祖元の塔所として建てられた正続院の跡地である。正続院は円覚寺に移されている。
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境内の墓地にあるやぐら内に特攻隊の戦死者を祀る「神雷戦士之碑」が建つ。碑は1965年3月21日に建立され、特攻による戦死者829名と特攻機のテスト機殉難者の氏名や階級・出身地が刻まれている。
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三門から仏殿の間の植込みには牡丹が植えられていて、丁度見頃を迎えていました。植物園でも牡丹園でもないので、品種のラベルなど付いていませんが眺めるだけで充分。綺麗です。
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結構見応えあります。来るときの混雑に懲りたので、早めに帰途に。
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