2014/04/28 - 2014/04/28
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滝山氏照さん
JR中央線八王子駅南口より南大沢駅(中山経由)行に乗り中山バス停下車、中山交差点に在する飯成山・永昌院(えいしょういん、東京都八王子市中山)という曹洞宗の寺院があり、入口には「永昌院」の看板と共に大きな猫のオブジェが配されてユーモアたっぷりな風景が見えます。
創建の時期は明らかにされていませんが、「新編武蔵風土記稿」では「永林寺第三世岳應の開山で寂没が天正十五年十月十日」の記述から類推すると16世紀後半ではないかと考えます。
開基については「葛澤豊前守」の記述があるだけですが、上述の創建が16世紀後半だとすれば、当地域を支配していたのが小田原北条氏の氏政の実弟である氏照が八王子城主であったことから氏照の重臣で当地域を治めていた一武将と考えたくなります。
何れにしても創建にまつわる経緯が漠然としているのでいささか謎に包まれた寺院のイメージを抱いてしまします。
2022年11月1日追記
「新編武蔵風土記稿」(江戸時代中期に編纂された地誌)には下記のように紹介されています。
『 (中山村) 観音堂
村の中央より北へよりてあり、別当永昌院境内にて、本堂の西の方にあり、今観音領七石の御朱印を賜へり、創建の昔を尋ぬるに、文案四年僧稟庵と云もの起立して、即別当職となれり、十一面観音は木の坐像にして台座共に長一尺許、定朝の作なれりと云、堂は二間半四方にて東向なり。
稲荷社。堂の西にあり、小社なり。
別当永昌院
境内、二百間に八十三間、飯成山と號す、下柚木村永林寺の末寺にて、開山は即永林寺第三世岳應なり、時に葛澤豊前守と云人、檀那として、堂宇の起立成就せりとなり、その年月は伝へざれど、岳應が寂せしは、天正十五年十月十日なりといへば、推してしるべし、本堂四間半に七間南向なり、本尊釈迦木の坐像にして、台座ともに長二尺五寸許。』
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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中山経由バス道路
野猿峠のバイパス的な役割を果たしており、八王子駅南口ー南大沢駅を連絡するバスの中で「中山経由」のルート上に当たります。 -
路傍の石標と仏像
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永昌院入口
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永昌院・入口
南向きの入口をはいって北進します。 -
永昌院・寺標
「曹洞宗 永昌禅院」と刻されています・ -
永昌寺・参道
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永昌寺・山門(全景)
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永昌寺・山門(近景)
山号である「飯成山」が記されています。左右に金剛力士像が控えています。 -
永昌寺・観音堂
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永昌山・本堂と境内
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永昌山・本堂
一般的な造りと異なり住居と取りちがえるような平屋造りという印象です。 -
永昌院・山門(境内側)
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永昌院・境内
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永昌院・境内よりの展望
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永昌寺・境内
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永正院・入口看板
入口看板の足元に配された大型の「ねこ」が道路を行き交う車両を見ています。 -
野猿峠(やえん・とうげ)の水飲み場
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野猿峠の水飲み場
現在は水飲み場として機能していないようです。水たまりにはタバコなどのゴミが見えます。猿の親子と思われるレリーフが微かに確認できます。 -
野猿峠の水飲み場・説明板
『 野猿峠の水のみ場
昭和の初め、柚木と八王子の町中とを結ぶ唯一の道であったこの野猿峠は、一息で峠越えとはいかず、人も馬も途中で休息を足らねばならなかったようです。
つまり、この井戸のようなものは馬や牛の「水飲み場」であったのです。
昭和30年代にはいって自動車が一般に普及するまで、ここで水を飲み、馬や牛と一緒に休み一息入れる人の姿も見られたいいます。
今、当時、その光景を一つの時代の証として、長く保存したいものです。
そのためには、この「水飲み場」がゴミ捨て場になってはいけないのです。皆さんのご協力をお願いします。
八王子市役所 』 -
野猿峠バス停(八王子方面)
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野猿峠のバス停(南大沢方面)
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