
2014/04/15 - 2014/04/15
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ドクターキムルさん
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横浜市南区井戸ヶ谷上町にある乗蓮寺は高野山真言宗のお寺で西向山妙歓院乗蓮寺という。創建は貞応元年(1222年)、開山は照清法師、開基は源頼朝の未亡人・平政子(保元2年(1157年)~嘉禄元年(1225年))であるために、「尼将軍乗蓮寺」と名乗るようになった。本尊は不動明王である。
頼朝没後、出家して四半世紀余り尼将軍として生きた晩年の創建であり、二位の尼・平政子と名乗ってからのことであり、朝廷から官位(建保6年(1218年)4月、従三位に叙される。(その後、建保6年(1218年)10月には従二位に昇叙し、二位尼と称されたりしている。))を受ける以前の名は一切判明していないとされるが、昭和後期の「尼将軍の由来」(A5の印刷物)には「朝日御前」と名付けられたとあるから、頼朝と出遭ったときも「朝日姫」であった可能性が高いであろう。頼朝と結婚後は「御台所」、頼朝没後は「尼御台」(あまみだい)、法名は「如実妙観」、戒名は「安養院殿如実妙観大禅定尼」である。3代将軍源実朝と同じく親子が鎌倉・勝長壽院に埋葬されたと考えられているが、後に鎌倉・壽福寺にも実朝墓とともに墓が築かれ今も残っている。政子のものと言われる宝篋印塔は鎌倉・安養院にも残されている。また、安養院にも政子座像があるという。
しかし、供養塔はないにしろ、政子を偲ぶのには、鎌倉や相模国鎌倉郡を離れたここ武蔵国・井土ヶ谷の地にある乗蓮寺が最適である。「尼将軍化粧の井戸」、政子お手植えの「榧(カヤ)の木」、自身の姿を鏡に写し、彫ったとされる「政子座像」(かつては御影堂に安置されていた。)の3点が残されている。
「尼将軍化粧の井戸」は現在も枯れてはいないそうだ。承久年間(1219年?1222年)に叛乱に遭遇して引越村(六ッ川)の方面に難を避けた折、土地の水が悪く朝夕の化粧に適しなかったので、各所に多数の井戸を掘ったが、その内で井土ヶ谷の一角を掘ったものが最も適したので、その地55町歩を分領し、一宇を建立した。「井土ヶ谷」の地名もこの井戸から発したともされる。
「榧(カヤ)の木」は政子お手植えとされる樹齢があり、横浜市指定名木古木になっている。
「政子座像」は老婆の尼姿で彫られており、痩せた小柄な姿で、剃髪して丸めた頭の額には3本の皺が深く非対称に刻まれ、目尻にも左右非対称に皺が刻まれ、口元と頬の間の皺も左右非対称である。小さな二重の目は強い信念を持った人柄が伝わってくる。寺伝されているように、政子がこの地を去る際に、里人が名残惜しんだので、そっくりに似せた自分の分身を残したとされるのは合点が行く。また、夕方になり、蝋燭を灯し電灯を消すと浮かび上がる姿はあたかも生きているかのようであった。2時間半ほど「政子座像」前で住職の話を聞けたが、日本史上、最も知られた女性の一人(もう一人は倭国女王・卑弥呼であろう。)を間近に感じることができ、これほど名勝・旧跡を尋ね歩いていても遭遇できなかったことであり、政子に親しみを感じた。
(表紙写真は尼将軍乗蓮寺本堂)
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尼将軍乗蓮寺入口石段。
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「高野山真言宗 西向山乗蓮寺」の寺号標石。
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門前の墓地分譲価格の看板。「尼将軍南の丘霊堂」とある。「南の丘」の「南」は南区のことであろう。
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「南の丘 尼将軍墓地」看板。
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「尼将軍南の丘霊堂」。
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「尼将軍南の丘霊堂」。
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「尼将軍南の丘霊堂」前の毘沙門天像。
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毘沙門天像。
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「毘沙門天は四天王の一人多聞天の別名です」看板。
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子育地蔵。
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歴代住職墓地。
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「尼将軍南の丘霊堂 案内所」。
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政子お手植えの「榧(カヤ)の木」。横浜市指定名木古木になっている。
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「名木古木指定 カヤ 横浜市」。
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「お手植えの「榧」(かや)」看板。
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尼将軍乗蓮寺本堂。
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「観世音」。かつては観音さまがあったのであろう。住職に尋ねるのを忘れた。
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尼将軍乗蓮寺掲示板。
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2体のお地蔵さま。
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お地蔵さま(享保10年(1726年)銘)。
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お地蔵さま(元禄14年(1701年)銘)。
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稲荷社。
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稲荷社の赤い鳥居。
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稲荷社。
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宝篋印塔。政子の供養塔でないとしたら誰の?
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五重石塔。頼朝の供養塔でないとしたら誰の?
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「尼将軍化粧の井戸」。
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「尼将軍化粧の井戸」。
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「化粧の「井戸」」看板。
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尼将軍乗蓮寺本堂と稲荷社。奥角に「尼将軍化粧の井戸」。
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尼将軍乗蓮寺本堂。
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尼将軍乗蓮寺本堂に掛かる「西向山」の扁額。
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庫裡。
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本堂裏手の観音の塔。
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「観音の塔」。
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墓地奥に南の丘メモリアルパーク休憩所。
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墓地奥に南の丘メモリアルパーク。
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墓地左端の石碑。住職に案内してもらった。
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「尼将軍御影堂」(明治14年(1881年)銘)
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庚申塔。変わった形のものだ。上部が無くなったものか?
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「尼将軍乗蓮寺」と書かれた桶。
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「尼将軍乗蓮寺」本堂裏の墓地。
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「尼将軍の由来」。昭和末までは江戸時代に建立された御影堂があった。老朽化が激しく取り壊した。
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「安産・厄除 子育て・開運 諸願成就の尼将軍護摩法会(ごまほうえ)」(昭和58年(1983年)版)。
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二位尼将軍公御尊像(政子座像)(http://www.amashogun.co.jp/about.htmlより転載)。
かつては御影堂に安置されていた。データは86.3kBであるために画像は不鮮明である。小学生ほどの大きさであるが、等身大であるとされる。国指定重要文化財などの文化財には指定されてはいないが、これほど忠実に姿を写した像でその人物が平(北条)政子であることから国宝級であろう。あるいは、頼朝と慶派の仏師との関わりが特に深いために、慶派仏師の名工が彫っていてしかるべきであろうか。このように、鎌倉時代には開山僧や中興僧などの生き写しの像が多く残っている。
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