2012/04/16 - 2012/04/25
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オータムリーフさん
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北スペイン・バスクとポルトガルの旅10日間はグループツアーであったが、素晴らしい思い出の旅になりました。念願のポルトガルの旅、そして、北スペインの巡礼の道を観てみたかったのが実現した旅でもありました。
今回はその②(ポルトガル中部の都市観光)と題して、オビドス、バターリャ、ナザレ、コインブラの観光について記述します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
北スペイン・バスクとポルトガル10日間の旅は3日目に入りました。2012年4月18日はリスボンを出発して、ポルトガル中部の都市の観光に行きます。
今日の目的は、城壁に囲まれた美しい街オビドス、修道院の街バターリャ、漁師の街ナザレ、大学の街コインブラの観光をして、ポルトガルを北上してポルトに入ります。 -
地図の赤丸の部分が今回の旅行記で出てくる都市です。ポルトまでは結構、強行軍でした。でも、十分に観光は出来ましたよ。
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オビドス
リスボンから北へ80キロほど行ったオビドスは人口11,000人の小さな大変美しい街です。旧街全体が城壁に囲まれています。発祥はローマ時代で海からの外敵の侵入を防ぐために砦が築かれました。
ローマ人やアラブ時人に占領されていたが、ポルトガル初代王ドン・アフォンソ・エンリッケスがアラブ人から奪回し、以後は王家の人々が休息地や避難地として利用していた。1282年にオビドスを訪れたイザベル王妃がすっかり魅了されて、夫のデイニス王がプレゼントしたと言う。それ以降、1883年までポルトガル歴代王妃の直轄となります。そんな歴史のあるオビドス観光が始まります。
ここはオビドスの街に入る玄関口ともいえる場所です。オビドスの城壁 建造物
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オビドス
城壁の門から旧オビドスの街に入ります。その門の先には美しい街並みが広がってきました。一体、どんな面白いことが有るのでしょうね。 -
オビドス
城壁の門を潜ると道は2つに分かれるが、左側に入っていく。この道がオビドスのメインストリート「デイレイタ通」です。両側には白壁の家々が並んでいます。
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オビドス
メインストリートを更に進むと、両脇に並ぶ店の看板が見えてくるが、朝早いために、何処の店も閉まっている。そして、その向こうにはオビドスのお城が見えてきました。 -
オビドス
白壁の家々の窓辺には花を掲げています。これらの花が、美しい街を、更に、一層、美しいものにしています。 -
オビドス
サンタマリア広場とサンタマリア教会です。サンタ・マリア教会はオビドスの中心部にあります。教会の外観は地味で小さな教会ですが、1444年に10歳のアルフォンソ5世が、わずか8歳のイザベラと結婚式をあげた場所です。
教会の内部には、全面17世紀のアズレージョ覆われているそうですが、残念ながら、朝早いために中には入れなかったのです。
隣には私立博物館もありました。 -
オビドス
オビドスの街の風景ですが、赤い屋根と白い壁は素晴らしいコントラストを醸し出しています。その先は田園風景が広がっています。 -
オビドス
素晴らしい街並みをどんどん行くと、お城が見えます。ここはオビドス城です。城壁が非常に高いのにびっくりです。 -
オビドス
ポサーダ・ド・カステロと言われる15世紀城を改装したホテルです。わずか9室しかない小さなホテルですが、落ち着いた内装とアンテイークナ家具が居心地の良い空間を作っている。 -
オビドス
更に奥に進むとオビドスの典型的な街並みが続きます。 -
オビドス
オビドスの街を守っていた、城壁です。 -
イチオシ
オビドス
オビドス城です。大きな城ではないようですが、素晴らしい景観でした。 -
オビドス
オビドス城壁には登れるのです。登り口が5ケ所有るそうです。我々も登ってみました。 -
オビドス
城壁は歩けます。皆で階段で登り、周囲を歩いてみました。結構、高いところを道幅も狭く、高所恐怖症の人は登らない方が良いでしょう。 -
オビドス
城壁を歩く。皆さん一生懸命に歩いています。望遠カメラを引いてみると、こんな景色でした。未だ、誰かが歩いていますよね。結構、高さがあります。 -
オビドス
さて、オビドスの観光も終わり、先程来た道を引き返します。閉まっていた店も、既に、殆ど開いていて、何軒かを見て廻りました。今朝ここに到着した時は、我々でけだったのが、時間も丁度良い時刻なので、他の観光客もソロゾロと到着し始めた。 -
オビドス
水道橋は近くに観れましたが、これが3kmと続いているとは驚きでした。
9時45分に次の目的地、バターリャに向けて出発する。 -
バターリャ
バスはオビドスからバターリャに50分ほどで到着しました。広場でバスを降りて少し歩くと、目の前に、バターリャ修道院が目に飛び込んで来ました。
バターリャはちいさな町で、町のシンボルは勝利を記念した修道院です。
バターリャは「戦い」という意味で、1385年、バラーリャ郊外でカスティーリャ軍をジョアン?世率いるポルトガル軍が打ち破った。それを記念して大修道院を造りました。
バターリャ修道院の前には騎馬像があります。これは誰の騎馬像でしょうか、確認忘れました。ジョアン?世のものか?バターリャ修道院博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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バターリャ
バターリャ修道院は1388年から建設を着手し、16世紀初頭まで引き継がれて造られた。ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築で、1983年に世界遺産登録がなされた。
入口は南側にあり、早速、入ってみました。 -
バターリャ
入口のアーチには沢山の人物の彫刻があり、彼らは誰なのでしょうか?
素晴らしい彫刻でした。 -
バターリャ
バターリャ修道院入口、アーチの左側の彫刻です。素晴らしいでしょう。 -
バターリャ
バターリャ修道院入口アーチの天井にも、沢山の人物の彫刻がありますが、彼らは王様や聖職者なのでしょうね。 -
バターリャ
バターリャ修道院の内部は天井が高い。32mもあるそうだが、飾りも無く、非常に簡素である。 -
バターリャ
修道院内部にはステンドガラスがはめ込まれていて、質素な中に、彩を添えている。 -
バターリャ
修道院を入ってすぐ右側には礼拝堂があり、中には、ジョアン?世と王妃の棺が安置されている。 -
バターリャ
修道院の奥に進むと、参事会室と言う大きな部屋があります。ここには無名戦士の墓が置かれている。
すると、なにやら怪しげな銃を持った兵士らしき3人組が入ってきた。ビックリした。恐ろしい!何だろうか! -
バターリャ
良く観ると、無名戦士の墓を守る衛兵の交代式でした。女性の兵営も居ました。こうやって、何時でも守っているのですね。 -
バターリャ
バターリャ修道院の王の回廊です。天井が高くて、余り飾りもないが素晴らしいものを観ました。 -
バターリャ
王の回廊の中庭です。 -
バターリャ
外に出てバターリャ修道院の外観の一部を観ました。外装はくすんでいますが、このような入り組んだ建物の建設は大変なのでしょうね。100年以上も掛かって造られたとは納得です。 -
バターリャ
天井が無い未完成の礼拝堂です。ジョアン?世の息子が100年掛けて建設したが、結局は未完成に終わったそうです。ガイドさんが言うには現代の技術を使っても屋根を架けるのは難しいと言われている。 -
バターリャ
修道院の前の広場の様子です。この街での観光はこれ以外に目玉は無くこの修道院見物で終わります。 -
バターリャ
広場のお土産屋さんが沢山店を出していました。
我々は次の目的地ナザレに向かって進みます。 -
ナザレ
ナザレは大西洋に面した港町です。絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観光地となった。
崖の上のシテイオ地区、長い砂浜の広がるブライア地区と東側の丘にある古い街ベルネイラの3つの地区に分かれている。
ここは崖の上のシテイオ地区で真っ先に目に飛び込んで来たのは、ノッセ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会だ。内部には入らなかったが、見事なアズレージョで埋まっていると言う。
ミゼリコルディア展望台 建造物
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イチオシ
ナザレ
シテイオ地区の展望台からはブライア地区の展望が開ける。素晴らしい眺めだ。青い海、白い砂浜、赤い屋根と白壁を持つ家々、こんな美しい景色を観ることが出来るとは思っても居なかった。 -
ナザレ
メモリアル礼拝堂です。シテイオ地区展望台の横にあります。小さな礼拝堂ですが、伝説によると城主が鹿狩りをして鹿を岬の端まで追い詰めたが、鹿は姿を消してしまった。馬は後ろ足で踏ん張るも前足は深海に落ちそうになったが、そこに聖母マリアが現れ危機一髪助かったと言われる。そのご加護感謝して、ここに礼拝堂を建てたと言う。 -
ナザレ
礼拝堂の内部には自由に入ることが出来ます。内部にはキリスト像があり内部はアズレージョで飾られていました。 -
ナザレ
シテイオ地区では観光客目当てのお土産屋が沢山店開きをしていて、ここで毛糸のセーターを買いました。そして、この店の主人と記念にカメラに納まりました。 -
ナザレ
このナザレには伝統的な服装が有るそうです。男性はチェックのシャツにフィッシャーマンセーターと黒い帽子、既婚の女性は7枚の重ねスカートを着ているそうだが、シテイオ地区のお土産売りおばさんは、そのスカートを来ていましたが、果たして、7枚着ていたかは不明です。 -
ナザレ
バスに乗って、下のブライア地区に降りてきました。海と砂浜と建物が美しい。 -
ナザレ
ブライア地区からシテイオ地区に行くには、道路もあるが、簡単に行くにはケーブルカーがあります。 -
ナザレ
昼食会場に向かいます。海岸に来ました。風が強く、波が荒いのですが、美しい光景です。南米リオデジェネイロの様な景色です。ここでバスを降りて、歩いて昼食会場である「サン・ミゲル」に向かう。浜辺に建つ白い建物で、快適なレストランです。 -
ナザレ
レストランに入り、同行者と共に円卓を囲み昼食が始まる。レストラン内部は清潔で、綺麗な食卓ですし、窓からは大西洋が一望です。この写真はレストランから砂浜を観たものです。 -
ナザレ
今日はジャガイモといわしの丸焼きである。3匹喰えと云うが2匹で遠慮しておいた。外国で焼き魚を食べたのは、ここポルトガルが初めてだ。日本人には懐かしい。前菜はサラダでデザートは焼きリンゴでした。 -
ナザレ
昼食後には自由散策となり、もう一つの地区、ペルネイラを観に行く。高台の為か、坂が多いが美しい街路である。 -
ナザレ
坂道は結構、きつくなります。道の片側には、自動車が整然と駐車しています。 -
ナザレ
横道を歩いてみました。路地のように狭い道です。
寒いので、早く帰りたいが、ワインの店でポルトワインを一本買いました。集合時間になったのでバスに戻り、次は大学の町「コインブラ」に向かう。
次は大学の街コインブラの紹介です。 -
コインブラ
コインブラに到着しました。ここは街の中心なのか。外は雨が降っているが、ここでコインブラ大学生を一人乗せる。彼女はアルバイトなのか、コインブラ大学のガイドをしているそうだ。 -
コインブラ
政治の中心リスボン、商業の中心ポルトに対して、コインブラは文化の中心、特に、大学の街として知られている。
今回のコインブラ観光は、このコインブラ大学の見物が中心だが、ナザレか走ってきたバスはモンテゴ川のサンタクララ橋を渡っていく。 -
コインブラ
コインブラ大学入口です。この大学は最初はリスボンに置かれていたが、コインブラに移ったり、リスボンに戻ったりしながら、最終的にはコインブラに落ち着いた。
このコインブラ大学からは多くの政治家や文化人を余に送り出した。 -
イチオシ
コインブラ
学生は黒マントに身を包むのがコインブラ大学の習慣らしく、丁度、入口に学生が居たので写真を撮らせてもらいました。彼らは快くポーズしてくれました。 -
コインブラ
無情の門と言われる鉄の扉を潜ると中庭に出ます。大学の創始者であるデイニス王とジョアン3世の銅像が立っています。
中には広く、周囲は大学の建物が囲んでいます。 -
コインブラ
コインブラ大学の中庭にあるジョアン3世の銅像です。 -
コインブラ
大学の建物にあるラテン回廊にも行ってみる。観光客と学生が一緒になって歩いている風景は面白い。 -
コインブラ
コインブラ大学の中庭から観るコインブラの市街地ですが、ここも茶色の屋根と白壁の家々が美しい。 -
コインブラ
さて、コインブラ大学を後にして、本日の最終目的地であり、ポルトガル最後の都市ぽるとに向かう。
先ほどの丘の上の大学が対岸からでも、良く観えるが、生憎の雨降りで鮮明な画像ではなかった。
以上で、ポルトガル中部の都市巡りの旅物語は終わりです。引き続き
「北スペイン・バスクとポルトガル10日間の旅 ③ ポルトガル・ポルト観光」に続きます。
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