2013/07/15 - 2013/07/15
25位(同エリア150件中)
まみさん
2013/07/15月 ソロヴェツキー島<世界遺産>2日目
・ザヤツキー島エクスカーション(約3時間)(約2時間半)
~船でケミに戻る
【寝台泊:20:37発サンクトペテルブルグ行き】
百聞は一見にしかず、と言いましょう。
ロシア語が全くわからなくても、参加する意義はあると思いました。
ソロヴェツキー島2日目の私には、これといって散策先のあてはありませんでしたから。
しかも、午前中は雨が降っていました。
イフゲニアに現地エクスカーションに飛び入り参加を誘われなかったら、ひょっしとたら2日目の大半は、ホテルで無為に過ごしたかもしれないです。
イフゲニアに感謝、感謝!
イフゲニアとニコライの母子との出会いは、ソロヴェツキー島1日目の夕食時にカフェ・レストランで相席したことです。
イフゲニアたちは、娘さんのカーチャが盛岡に3年住んでいたときに日本を訪れたことあったので、私が日本人だと見当がついていたようですが、日本人はたいてい団体でロシア旅行をすると思っていたので、ろくにロシア語が話せない私が、ガイドも連れず、たった1人でこんな北の果てまで旅行しに来ていることに驚いたそうです。
そして、盛岡を訪問したときに、娘さんのカーチャの友人に歓待され、日本を案内してもらい、日本が大好きになったので、今度はお返しとして、私を案内し、私にもっとロシアを好きになってもらいたいと思ったそうです。
個人としてのロシア人はそういう人なつっこいところと、世話好きなところがあると思います。
本日のザヤツキー島へのエクスカーションは、当然ながらもう申込は締め切られていて、満席のはずなのですが、こういうのは直前にキャンセルが出たりして空きがあるものだから、飛び入り参加できる可能性があるはずだ、とイフゲニアが誘ってくれました。
20代くらいの今どきの若者のニコライは、ロシア語は聞き取れなかったものの、雰囲気から、「それはお節介では?」と母親を止めていた気がします。
私も、こういう急な誘いにはほとんど縁がなくて、のっていいものか迷いました。
私のロシア語の理解力では、イフゲニアが何を言っているのか察せられたけれど、本気で言っているのかよくわかりませんでした。
でも、イフゲニアがスマフォでサンクトペテルブルグにいるカーチャに電話し、通訳してもらい、状況が分かったし、出会ったその日の夕食後に白海沿岸まで一緒に散策して過ごした後だったので、思い切って飛び入り参加することにしました。
当日の朝は、ニコライがホテルまで迎えに来てくれて、ソロヴェツキー島にある旅行代理店の事務所まで連れて行ってくれました。
そしてあっさり参加できました。
ツアー代金は550ルーブル(2013年7月現在、1ルーブル=約3.5円で換算)なので、ロシア語ガイドが全然聞き取れないとしても、船で連れて行ってくれることを思えば、決して高くはありません。
イフゲニアたちはソロヴェツキー島で過ごす休日がお気に入りで、毎年1週間くらい滞在しているそうです。
私の予定がたった1泊2日と知り、驚いていました。
私の方も、そんな1週間も滞在して、することがあるのかなと思ってしまったのですが、代理店に行ってみたら、ザヤツキー島だけでなく、いろんなエクスカーション・プログラムがあって、ソロヴェツキー諸島全体で考えたら、いろいろ見どころがありそうだと思いました。
ただ、残念ながら個人で公共交通機関で行けるようなところではなく、しかもそういうツアーはロシア語オンリーなので、外国人の個人観光客向けのインフラが整っているとはいえず、少なくとも日本人には情報が入りにくいと思います。
ザヤツキー島エクスカーションは10時に始まり、12時半には戻ってきましたから、ランチをとって、午後16時にソロヴェツキー島を出航する船に乗るのには全然余裕でした。
ザヤツキー島までは船で20分から30分くらいで、島自体も、ゆっくり歩いても1時間くらいで一周できる小さな島でした。
フェリーの中では、ザヤツキー島やソロヴェツキー島を含むこのあたりの諸島を取材した、おそらく宗教と歴史をテーマにしたドキュメンタリーのビデオが流れていました。
ちょうどこれから行くところですし、あるいは帰りはちょうど行ってきたところなので、ツアー参加者はみんな熱心にビデオを見ていました。
でも、それは観光地に対する興味というより、どちらかというと信仰心からきた関心の高さに見えました。
イフゲニアを含め、ビデオに見入る姿は、教会でミサの話を聞いているときのような熱心さでしたから。
ザヤツキー島では、ガイドさんの話は全く聞き取れなくて、小さなアンドレア教会の中で長々と話しが続いたときは、何をこんなにたくさん話すことがあるんだろうとさすがに退屈しかけました。
でも、荒涼たる白海に浮かぶ緑豊かな小さな島というシチュエーションと周りの景色と雰囲気は、すばらしかったです。
はじめのうちはしとしとと雨が降っていて、写真を撮りにくかったし、足元も濡れて不快でしたが、途中で雨がやんで、あたりがほんのり明るくなると、神々しい世界が広がっていました。
島の見どころは、4000年くらい前からあるラビリンスの遺跡などでした。
古代原始宗教などのなごりかもしれないのですが、考古学にあまり詳しくない私は、ガイドさんの話が全く分からなかったことが残念でした。
旅行記を作成しがてら調べたことで、この日の意義が深まりました。
ザヤツキー島エクスカーション・ツアーは2グループに分かれ、船も2隻出ていました。
同じグループの中に、いかにもお父さんという雰囲気なのですが、とても熱心に写真を撮っている男性がいました。
その熱心さは子供みたいで、ほほえましくもありましたが、一方では我が身を見るようでもあり、私もああ見えるのかと思うと、けっこう気恥ずかしかったです。
イフゲニアたちとはこの日の夜、サンクトペテルブグに向かう寝台車も一緒でした。
車両はもちろん違いましたが、船でケミに戻り、そこからケミのプリチャル・ホテルの有料サービスの送迎バスで駅に向かい(私は代理店を通じて予約済み)、寝台車に乗り込むまで、今回はイフゲニア達と一緒だったので、とても心強かったです。
実は往路では、ペトロザヴォーツクからケミ行きの寝台車に乗るとき、旅行代理店に手配してもらったのがバウチャーにすぎず、駅窓口で切符に交換してもらわらなけばならないことに気付かなかったので、乗車前に大慌てしました。
私が乗る車両の女車掌さんは、自分の車掌としての仕事も忙しかったため冷たくて相手にしてくれず、イレギュラーに弱い私は訳が分からなくておたおたしてしまい、見かねた別の女乗務員さんが助けしてくれました。
今度はもちろん、駅で余裕のあるうちに窓口で切符に換えてもらうことを肝に念じていましたが、なにしろイフゲニアたちはロシア語で係員に確認できる現地人ですし、ソロヴェツキーとサンクトペテルブルグの行き来にも慣れていました。
ニコライは男性として私の荷物運びなどの手伝いを申し出てくれて、助かりました。というか、私の荷物は自分でも「えっ」と思うほど重くなっていて、申し訳なかったくらいです。
ニコライも、あまりにも重いので閉口したのか、あとの方では、手伝おうと口にしませんでした(苦笑)。
というわけで、クレムリンを1人でぶらぶらする以外、特に予定を入れてなかったソロヴェツキー島での1泊2日ですが、ほんとに想定していた以上に充実したものになりました。
旅行中にその日に何をするか、事前にいくつも候補を準備しておく私が、ソロヴェツキー島の重要性について知らなかったせいもありますが、たまには良かろうと、これといって予定を入れませんでした。
しかし、そういう、こなさなければならない「課題」を用意しておかなかった日だったからこそ、思いがけない出会いと収穫をつかむことができたといえるかもしれません。
<2013年ロシア旅行:簡易旅程>
7/06土 出国&モスクワ到着
7/07日 モスクワ1日目(国立歴史博物館と民芸品博物館)
7/08月 モスクワ2日目(クレムリン)
7/09火 モスクワ3日目(トレチャコフ美術館)
7/10水 ズズダリ
7/11木 ウラジーミル
7/12金 モスクワ4日目(コローメンスコエ)
7/13土 ペトロザヴォーツク経由でキジ島へ
7/14日 ソロヴェツキー島1日目
7/15月 ソロヴェツキー島2日目(ザヤツキー島エクスカーション)★
7/16火 サンクトペテルブルグ1日目(ロシア民族学博物館ほか)
7/17水 サンクトペテルブルグ2日目(エルミタージュ美術館)
7/18木 パヴロフスク宮殿&庭園
7/19金 ノヴゴロド1日目
7/20土 ノヴゴロド2日目
7/21日 サンクトペテルブルグ3日目(宗教博物館・ユスポフ宮殿ほか)
7/22月 サンクトペテルブルグ4日目(ロシア美術館)&出国
7/23火 成田空港着
※この旅行記の対象の日に★印をつけました。
詳細旅程はこちら。
「2013年ロシア旅行~13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現させた旅行【旅程一覧】」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10797557
準備編や帰国後の全体の感想は、ブログ「まみ's Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/)に掲載しました。
※英語のエコツアーのようなところならザヤツキー島を対象としたエクスカーション・プランがあるようです。
ザヤツキー島解説はそういった中からとりました。
「約1.35平方キロしかない大ザヤツキー島は、ソロヴェツキー諸島の6つの主要な島の1つです。岩と苔と低木に覆われたこの島は、新石器時代の紀元前3000年までさかのぼるユニークな遺跡──石の迷宮、墓、そして古代の聖域で名高いです。迷宮は、島の西部の狭いエリアに集中しています。迷宮の直径は6から24メートルで、列をなした岩で造られています。その列は螺旋状になっています。その螺旋は2つで、しばしば、頭を中央にして向かい合う2匹のとぐろを巻く蛇を形作っています。その蛇にそって断続的に石が積み重ねられ、螺旋の終わりは広くなっています。螺旋は5つのタイプがありますが、入口は1つであり、それが出口にもなっています。これは我々の地上世界と地下の世界の境界を象徴しており、迷宮は、魂があの世に旅立つ手助けする特別な儀式に用いられたという説がありますが、これがなんのためにつくられたかは謎です。島の東部には、別の大きな岩を重ねた遺跡がありますが、それには迷宮はありません。
1702年、ピョートル大帝はソロヴェツキー島を訪れ、彼の命令によりアンドレフスキー修道院が建てられました。その外見はロシア北部の教会よりは、ロシアの中央部の教会に類似しています。(中略)ザヤツキー島は公式にはソロヴェツキー修道院に属していませんが、修道院の首座が置かれたのはここザヤツキー島であり、公式訪問者のための家、貯蔵庫、台所、厩などが備わった小さな住居もありました。18世紀にはワインの密輸を防ぐための修道院の「検疫所」が設けられました。」
(Voyages of Discoveryのツアー情報サイトより私訳)
http://us.voyagesofdiscovery.com/excursion_details.php?cruise_id=18401&excursion_id=3112
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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エクスカーション・オフィスとツアー出発を待つ観光客
この全員がザヤツキー島ツアー参加者ではなく、本日、別のツアーも催行されていました。
しかし、この観光客の人数には驚きました。 -
ザヤツキー島ツアー参加者
ソロヴェツキー島初のツアーとしてはメジャーらしく、たくさんの参加者がいました。
なので、ツアーグループは2つに分かれました。 -
ザヤツキー島に向かう船の甲板から眺めたソロヴェツキー島のクレムリン(ソロヴェツキー修道院)
ツアーの船の写真や、ザヤツキー島に向けて出航したソロヴェツキー島の港などの写真は、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2013年ロシア旅行〜13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現〜ハイライトその11【ロシアの船の旅とサンクトペテルブルグのネヴァ川クルーズ】」
http://4travel.jp/travelogue/10807483/ -
途中で見えた、ソロヴェツキー諸島の小さな島
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なにやら建築物があった無人島
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ザヤツキー島の船着き場の浅瀬
昔はもっと深かったけれど、海底が隆起して浅くなってしまったようです。 -
ザヤツキー島の船着き場と、ソロヴェツキー島から乗ってきた船
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もう一つのザヤツキー島ツアー客を乗せたもう一隻の船
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聖アンドレイ(最初に弟子となったアンドレイ)教会
前室と真ん中の信者の部屋とイコノスタシス(イコンの壁)の奥の礼拝室が、正教会らしくタテに3室並んだ構造になっている、小さな教会です。
ピョートル1世の命により建てられました。
「(前略)ピョートル1世は、自らの守護者でり、ロシアの、そして海軍の守護者でもある聖アンドレイ(最初に弟子となったアンドレイ)にちなんで木造の教会を島の岸辺に建てるように命じました。建築が速かったのは、すでに建築されていた建造物を移築したためでした。それは7日間で組み立て直され、1702年9月1日に聖別されました。ピョートル1世は教会の組立てに携わったため、その丸太はピョートルの手を記憶しています。
現在の外観はオリジナルのものと完全には一致していません。それでもアンドレイ教会は、大ザヤツキー島のシンボルとなっています。(後略)」
(World Discovery Clubのザヤツキー島解説より私訳)
http://wdc-arh.ru/2/74/ -
教会に向かい合って建つ石造りの小屋
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大きな岩が使われた小屋の壁
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少し離れたところにあるもう一つの小屋
あちらの方は現代も島の訪問者が使っている住居でしょう。 -
苔がびっしり生えた岩ごろごろの島の様子
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石造りの小屋を後ろから見たところ
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石造りの小屋の全体
こうしてみるといかにも17〜18世紀頃のものらしい住居の外観です。
住居部分と貯蔵室が中でつながっている構造だろうと思います。 -
聖アンドレイ教会のイコノスタシスの前で説明するガイドさん
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イコノスタシスの前に、蜜蝋が立てられたロウソク立て
蜜蝋は、日本でふつうに手にするロウソクより柔らかくて、かすかに甘い香りがします。 -
手ぶり身振りを交えて延々と説明していたガイドさん
ほんっとに何を話しているか一言も理解できなかったので、ちょっとつらかったです。 -
一層のみの小さなイコノスタシス
それでも王門の左右にイエスと聖母子のイコン、それから洗礼者ヨハネのイコンなどもある、立派なイコノスタシスでした。 -
入口に一番近い前室から、真ん中の参列室を覗いたところ
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外に出たあとに扉の金具に注目
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ザヤツキー島と白海
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聖アンドレイ教会の礼拝堂がある側
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さびれた島にぽつんと建つ聖アンドレイ教会
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雨が良く降るのか、岩は苔むし、大地は緑でぎっしり!
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ところどころで花がり彩りを添え
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白海を背にした聖アンドレイ教会をふりかえって
見学者が歩くのは、この板張りの通路です。 -
もう一つのツアーグループ
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曇天のもとで青みを帯びた白海と彼方の針葉樹の森
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海岸沿いに十字架がぽつんぽつんと立つ
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さびしげで厳かな景色
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よく残された、古代の謎のラビリンストス(迷路)
「大ザヤツキー島は、大ソロヴェツキー島の修道院から5kmと、さほど遠くないところにあります。小さな島ですが、この小さな領域に、この国において他にはない古代遺跡があります。それは石器時代と中世キリスト文化の2つの文化に関連するものです。
ザヤツキー島は豊かな保護区域です。石器時代の構造物のうち一部は迷宮になっています。小岩でできた、高くても40cmほどの低い螺旋状になっており、直径は4から25メートル。これらが迷宮と呼ばれるのは、その複雑な構造と難解さからであり、これは考古学上の謎の1つです。驚くべきことにフランスのゴシック様式のシャルトルの大聖堂の石柱にこれとよく似た迷宮が描かれています。そのような巨石建築物はアイルランド、フランス、スカンジナビアその他の国々で発見されており、それらの地域で同じ文明が発達した証拠といえるかもしれません。有名な「北の迷宮」は現代の大勢の研究者によって謎のビュペルボレオス人(ギリシャ神話に出てくる北方浄土に住む民族)と関連づけられています。それらは紀元前9から11世紀にさかのぼります。現地の人々はそれらを異教徒の聖域と結びつけて「バビロン」と呼んでいます。諸説の中にはケルト民族に関連づけたものもあります。大ザヤツキー島で発見されたシリカの小さな像から、これらの場所が古いラップランド人の文化に関わりがあるかもしれないとの推測もされています。(つづく)」
(World Discovery Clubのザヤツキー島解説より私訳)
http://wdc-arh.ru/2/74/ -
少しアングルをずらしてもう1枚
ソロヴェツキー島でイフゲニアに案内されてレプリカを見ましたが、あれよりずっと大きかったです。
「(つづき)20世紀はじめに、迷宮とその近くの建築物である土塁や巨石遺跡を関連づける試みがなされまた。大ザヤツキー島には80以上もの土塁があります。それらは人工的に形成されたものであり、高さは1メートル、底辺部は1〜4メートルの大きさがあります。現代の研究者は、迷宮と土塁との間には、宗教儀式、貿易、葬式に関して広く実用的な関わりがあったのではないかと推測しています。
叙事詩から判断すると、迷宮、土塁や巨石遺跡は、この世とあの世を隔てる「中間世界」のシンボルであり、魂を送り届ける役割を担います。
ソロヴェツキー諸島の石器時代のエリアの調査はまだ終わっていません。それらが数多く無事に保存されているのは、見知らぬ建築物に対して僧侶たちが寛容であったことを意味します。(つづく)」
(World Discovery Clubのザヤツキー島解説より私訳)
http://wdc-arh.ru/2/74/ -
ラビリンスは苔むしてふかふか@
「もう少し現代になると、海で亡くなった者の追悼や「奇跡的に」海難から逃れたことを記念する様々な木造の十字架が出現します。20世紀初頭まで、誓いの十字架や敬意を表する十字架が大ザヤツキー島の風景の特徴でした。
この島は、ロシアのドビナ川またはオネガ半島の夏の海岸からカレリア海岸に向けて出航した船にとって嵐のときには最初の港でした。ユニークな石の港はそのために造られました。それは大きな貨物船や小さな捕鯨船を隠すことができました。現在は、300年の間に土地がかなり隆起したため、浅瀬となっています。
この島は皇帝が訪問したことでも記憶されています。1964年(1694年の間違い?)、ピョートル1世は、大ザヤツキー島と小ザヤツキー島の間の海峡の浅瀬に大きな木造十字架を建てました。十字架には「神の恩恵により…」と銘打たれています。(つづく)」
(World Discovery Clubのザヤツキー島解説より私訳)
http://wdc-arh.ru/2/74/ -
地面の苔は、モミの木の葉によく似ている@
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2つめのラビリンス
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強風で背が低くねじまがった白樺
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よく見るととても美しいラビリンス
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アングルを変えてもう一枚
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ガイドさんの長い説明の間にあたりを眺める
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ふかふか絨毯となったザヤツキー島の大地
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雨が上がり、うっすら色づいてきた白海と北の空
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4つめのラビリンス
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ラビリンスの美しい渦巻き
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青味がかってきた荘厳な白海と、空との境界があいまいになった水平線
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ガイドさんが手書きでラビリンスの作り方を説明
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ラビリンス完成までのプロセス
あとで記憶をたどってメモしておきました。
このように線と点とを次々とつないでいくと、完成図のようになります。
※最初にアップした図が一部間違っていたので、差し替えました。 -
ガイドさんの手書きによるラビリンス完成図
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古代の遺跡の岩ごろごろ
素人の私には、言われなければ遺跡にはとても見えませんでした。
言われても、これはなかなか難しいです。 -
これも古代の遺跡の一つ
さすがにこれは人工的に積み上げたものだとわかりました。 -
これも遺跡
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ズームしてみたところ
これも意図的に積み上げたものであることはわかります。 -
背の低い白樺と遺跡
灌木は、これでも白樺ですし、岩ごろごろは、これでも遺跡です。 -
深い切込みのあるザヤツキー島の入り江と白海
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海岸沿いを歩きながら
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荘厳な白海の景色に見とれる
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海岸沿いの十字架と海に浮かぶ小さな島々
World Discovery Clubのザヤツキー島の解説にあった、海で亡くなった者の追悼や「奇跡的に」海難から逃れたことを記念する様々な木造の十字架だと思います。 -
ふわふわ緑の絨毯の大地と板張りの散策路
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かろうじて認識できた、十字架をかたどるように積まれた遺跡
島の東部の遺跡群の中で目立っていたものです。 -
ザヤツキー島の森と入り江
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白海を眺める十字架
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最初に見学した聖アンドレイ教会と石造りの小屋の屋根が見えてきた@
つまり、島を一周したことになります。 -
霧がかかった白海の景色と海岸の素朴な十字架
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岩ごろごろのザヤツキー島の海岸
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海岸と雲がたちこめる荘厳な水平線
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ザヤツキー島の大地には豊かな草花や果実
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さまざまな色の野花が咲き誇る
ザヤツキー島で撮ったその他の野花の写真は、こちらのハイライト旅行記にアップしました。
「2013年ロシア旅行〜13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現〜ハイライトその13【ロシアの短き夏を彩る豊かな野花や樹木】」
http://4travel.jp/travelogue/10809102/ -
岩だらけの海岸の向こうを船が行く
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白海を背景に、シンプルで美しいロシア正教会の十字架
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青白い空と白海に映える十字架
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現代の木造の小屋がロシアではイヴァンチャイと呼ばれるヤナギランに囲まれて
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2006年8月に建てられた何かの100周年を記念した碑
碑文のロシア語からわかったのは固有名詞以外はそのくらい(苦笑)。 -
ザヤツキー島を一周し、ツアーが終了したので、船に戻る
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ザヤツキー島の桟橋から見た浅瀬〜島を背に向かって左
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ザヤツキー島の桟橋から見た浅瀬〜島を背に向かって右
ザヤツキー島を去ろうって時になって晴れてきたので、水面が透明になってきました。 -
浅い海底が透き通って見える海岸
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桟橋から眺めた石造りの小屋
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桟橋から眺めた聖アンドレイ教会と、私よりよほど熱心に写真を撮っていたツアー客
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船から眺めた、霧に包まれたザヤツキー島・その1
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船から眺めた、霧に包まれたザヤツキー島・その2
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霧に包まれたザヤツキー島を背景に、船が行く
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どんどん離れつつある霧のザヤツキー島
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霧の彼方のザヤツキー島と白海の水面
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霧に包まれたザヤツキー島と穏やかに波が立つ白海
ガイドさんの長い詳しい解説が全然聞き取れなくて、ただ待っているだけのつらい時間もありましたが、その間もせっせと写真を撮りましたし、なによりもすばらしい景色が見られ、素敵な撮影散策ができたので、ザヤツキー島ツアーに参加できてほんとうによかったです。
今後ロシアを再訪するとしても、こんな北の果てにまたいつ来られるかわからないので、その意味でも貴重な体験でした。 -
ケミの向かう船が出るソロヴェツキー島の船着き場にて
ホテルの人に送ってもらったのですが、早めに着いたので、少し写真を撮りながらぶらぶらしました。 -
停泊していたボートと港沿いのソロヴェツキー村
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ケミに向かう船から眺めたソロヴェツキー島と白海
ほんとに、もう去ろうってときに、こんないい天気になるなんて。
今回のロシア旅行18日間は総じて天気は恵まれた方ですが、ソロヴェツキー島とザヤツキー島の2泊2日は残念な天気でした。
でもまあ、曇天のおかげで景色の荘厳さが増したともいえるかな。 -
船から眺めたソロヴェツキー修道院
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乗客からの餌を求めてチャイカ(カモメ)が続々飛来@
イフゲニアがホテルでとった昼食のパンをカバンに忍ばせていましたが、カモメさんたちにあげるためでした。
私もパンをわけてもらい、ちぎって投げました。
カモメは静止したまま、風に乗って空に浮かぶようにして飛んでいたし、日が射して明るかったので、写真はとても撮りやすかったです。
ただ、ファインダーに2羽以上入れるのは難しかったです。 -
ドラマチックな空と白海に名残を惜しみ
以上、ソロヴェツキー島での2日目の旅行記でした。
サンクトペテルブルグ編へとつづく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ykさん 2014/04/06 21:21:16
- ザヤツキー島
- 曇り空を背景にした聖アンドレイ教会、 海辺の十字架、 白海の景色、靄のかかった景色、どれもどれも涙が出そうなくらい 素敵な景色ですね。 北の寂しさがひたひたとおしよせてきます。
ああ、こういうところにいってみたい、そう思いながら見せていただいています。
ソロヴェツキーってロシアの人は 一週間くらいヴァカンスを楽しむ(もう少し敬虔な気持ちもあるのかもしれませんが)ところにもなっているのですね。
- まみさん からの返信 2014/04/06 22:50:30
- RE: ザヤツキー島
- ykさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
はい、ザヤツキー島は、北の果てという雰囲気がばっちりでした!
モスクワやサンクトペテルブルクのような大都会の方がロシアのごく一部で、まだまだこういう世界があるはずです。
ソロヴェツキー島だけでなく、ザヤツキー島も行けてほんとに良かったです。
予定していなかったラッキーということもあって、今回の私のロシア旅行のハイライトといえます。キジ島の方は予定のうちでしたから。
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