2014/01/28 - 2014/02/06
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etretatさん
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寒い一日、早足でモンマルトルを歩きまわった。
モンマルトル編は長くなるが、ひとつにまとめた。
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カイユボットが描いた「パリの通り、雨」 の現場を再確認しておこうと95番バスでブカレスト下車、その後ブカレストから80番バスに乗り、モンマルトル巡りのためモン・スニで下車。
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モン・スニからコーラン・クール通りを逆戻りしてブドウ畑に通じるサン・ヴァンサン通りまで歩く。これがソル通り。ラパン・アジールとサン・ヴァンサン墓地の間を上がる通り。
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YAMAHAの店を左折
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道なりに行くとサン・ヴァンサン通り、突き当たりを左へ
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突き当たりを右へ行くとコンスタンタン・ペクール広場、
階段を上るとダリダ広場。但し今回は右へいかないで
そのまま道なりにサン・ヴァンサン通りへ。 -
再びサン・ヴァンサン通りに入るとモンマルトルバスが現れた
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サン・ヴァンサン通りを上って行くとラパン・アジールと
ブドウ畑が見えてきた -
モンマルトルバスがまたやって来た
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ブドウ畑
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ソル通りはサン・ヴァンサン墓地とラパン・アジールの間を伸びる
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ソル通りにあったユトリロの歴史プレート
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ソル通りとサン・ヴァンサン通りが交差した所にあるブドウ畑
から坂道を上がり、最初の四つ角を右折する。
道を下って行くとダリダ像のある広場に。 -
モンマルトルバスのバス停からダリダ像が見える
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ダリダ広場
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ダリダ像の後ろに立ってそこから住宅間の狭い道を右に
行けば聖ドニのいるシュザンヌ・ビュイッソン広場だ -
シュザンヌ・ビュイッソン広場
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広場とはいえ、いわゆる公園で子供のための遊具も備えている。
私がいる間にも男女のジョガーが走ってきた。
あの有名なテルトル広場より広い。 -
子供用の遊具
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歴史上に聖ドニが登場したのは3世紀。
聖ドニはモンマルトルの丘で首を斬られた後、
ここの泉で首を洗い、自分の頭を持ったまま
パリ北部、サン・ドニまで歩いて行った。
そこにサン・ドニ大聖堂が建てられ歴代の
フランス王が埋葬されている。 -
聖ドニは自分の頭をかかえている
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シュザンヌ・ビュイッソン広場の出入り口から見えるものがある
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壁抜け男、ジュノー通りが伸びてノルヴァン通りとなる
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ダリダが住んだオルシャンプト通りの住居
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ダリダが最後に住んだ(1962−1987)住居のプレート
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旧ダリダ邸玄関から40mも行けば人通りの多いルピック通り
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ルピック通りからダリダの住居跡(奥の突き当たり右)を見る。
人や車の通りの多いルピック通りのすぐそばの観光客が
殆ど通らない通りにダリダの家はあった。
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路地を出たところのルピック通りに好みでないほうの風車がある。
サクレ・クールやテルトル広場からルピック通りを下ると
最初に目にする風車がこれ。モンマルトルバスも頻繁に通る。
下ったところにある別の風車と比べると、こちらは
レストランの一部という感じで雰囲気が希薄。
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シュザンヌ・ビュイッソン広場から見えたもう一つの風車
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こちらの風車の方が立地条件といい雰囲気といい
ずっと感じがある。
近くまで行ったがそれぞれの区画された住宅地で、
ブザーを鳴らして階段を上がって行かない限り到達できない。
路地すらないのだ。今はどんな風に使われているのだろうか。
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トローゼ通りから見上げた風車(上の風車の反対側)
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ルピック通りからテルトル広場へ上がる。
真冬のテルトル広場は人が少ない。 -
サクレ・クールが消えた!!
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サクレ・クールがほんの一瞬、霧に包まれて見えなくなった。
赤いマフラーの男性はずっと目の前にいた。
サクレ・クールには白装束のパフォーマーがいたが、
彼もそうだろうか?
私は一目みて「ブリュアンだな」と思ったことだった。
ロートレックが描いたアリスティード・ブリュアン。 -
サクレ・クールの大階段下の道を左方向へ。
パサージュ・コタン(Passge Cottin)へ
ラマルク通りを下って行く。
モンマルトルバスのユトリロバス停があった。 -
パサージュ・コタン(Passge Cottin)の入口が見える
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前回来た時は階段にゴミがいっぱい放置されていて
治安状況まで心配になった。
今回は落書きなどはあったがゴミは無かった。
階段は4か所、踊り場が3か所。
これは最初の階段。 -
二番目の階段
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三番目の階段
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四つの階段を降り切って下から上を仰ぐ
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サクレ・クール寺院が完成したのは1914年、ユトリロが
描いた時(1910−11年)、塔が既にあったかどうかは分からない。
ユトリロ自身、特に塔に興味が無く、塔があったとしても
それを入れない角度で描いたのかもしれないし、お得意の
絵葉書から描いたのなら何年か前の絵葉書をもとにした
可能性もある。
それに現在のコタン小路の建物と道路の構成も当時とは
変わっていて、描いた場所を特定するのも簡単ではない。
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コタン小路からユトリロ通り、シュザンヌ広場を通って
アベスへ向かう。サクレ・クールへ上がるモーリス・
ユトリロ通り。 -
サクレ・クール寺院が見えてきた
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サクレ・クールを見上げるシュザンヌ・ヴァラドン広場
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アベス広場
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告白アート「ジュテーム (Je t'aime)の壁」
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変な日本語。
誰が書いたのか?
パリにある韓国、中国系の寿司屋の看板風。 -
ガラスの天蓋を持つアール・ヌーヴォー様式の地下鉄入口。
アベス駅の入口が作られた1900年は第5回パリ万博の年。
グラン・パレ、プティ・パレ、アレクサンドル3世橋が
作られたのも同じ1900年。
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ギマールのメトロ入口は「ポルト・ドーフィヌ駅」にもある
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パリで地下鉄の利用はゼロだったがアベス駅は是非訪ねたかった
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パサージュ・アベッス(Passage des Abbesses)の入口。
アベス広場から歩いて10秒。 -
このパサージュでは車を中に入れていることが特徴,
この部分には歩道あり。 -
歩道が無く、人はここを歩かざるを得ない。
一般的なパサージュのように車を完全にシャットアウトして
安全で静穏な暮らしを求めることも出来たろうに。
住民の総意でそうなったのなら時代の変化と思うしかない。
車がパサージュの中にいるのがここの特徴の一つだが
抱えている住居の数でもここは最大を誇る。
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パーキングメーターもあり
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これだけ高低差がある階段はパサージュ・コタンと双璧。
上の道に出ると洗濯船があったエミール・グドー 広場がある。 -
高齢者にとっては厳しすぎる高低差、ピカソが洗濯船にいた頃
ここに足を踏み入れたことはあっただろうか -
階段を上がるとエミール・グドー広場だ。
左の建物はティムホテル・モンマルトル (Timhotel Montmartre)。 -
エミール・グドー広場(Pl. Emile Goudeau)は
アトリエ洗濯船(Le Bateau Lavoir)があったところ。
近くのマダムが日課の犬の散歩に。 -
左側に洗濯船(Le Bateau Lavoir)関連の資料が展示してある
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ベンチでまどろむマダムと愛犬
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午前11時のエミール・グドー広場
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エミール・グドー広場を上がって、ダリダの住居があった
オルシャンプト通りを通ってムーラン・ド・ラ・ギャレット
を横目に聖ドニのいるシュザンヌ・ビュイッソン広場へ。
広場のトイレは日本の駅のトイレ風、自由に使えるので重宝。
シュザンヌ・ビュイッソン広場からスタートししてモン・スニ
通りを下る。ノルヴァン通りを上がり、中央の三差路を左へ。
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ソル通りを下り、ここを右折、コルトー通りへ入る
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コルトー通りとモン・スニ通りが交差したところから下り始め
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どこまでも下りが続くモン・スニ通り
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サン・ヴァンサン通りを横切り、階段を下りる。
サン・ヴァンサン通りはブドウ畑とラパン・アジールの間を
伸びて、こちらの方まで来ている。
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階段を下りていくと、そこは踊り場、あるいはバルコニー
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コーラン・クール通りまで下りてきた、モン・スニ通りはまだ下へ続く
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コーラクーンル通りにつながる階段、凝った作り。
この通りからバスに乗るのでここでモン・スニ通り
とはお別れ。モン・スニ通りはコーランクール通りを
横切って更に下へ降りていく。 -
ラマルク・コーランクールバス停まで歩き、80番バスに乗車。
サン・ラザール駅を見下ろすヨーロッパ広場(Place de l'Europe) 通過、
駅の時計は正午を少し回った頃。
サン・ラザール駅でバスを降り、パサージュ巡りへ。
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