2014/01/28 - 2014/02/06
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etretatさん
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パサージュ・クール・ド・ロアンを訪ねた後、クロヴィス通りに残るフィリップ・オーギュストの城壁跡を目指す。
パンテオンを過ぎるとサンテティエンヌ・デュ・モン教会がある。同教会はサント=ジュヌヴィエーヴ修道院の付属教会として後から作られた。ところが1807年にクロヴィス通りを通すため修道院は壊され、かつての教会の原型をとどめるものとして、アンリ4世校にクロヴィスの塔が唯一残っている。
1190年フィリップ・オーギュトは、ルーヴルの78×72メートルの方形の地所に城を建設させた。
この城は王の居所としてではなく、武器庫として使用された。
中央部には直径15メートル、高さ30メートルの主塔が街を見下ろしていた。ルーヴル美術館の地下で見学できる。
パリ4区のリセ・シャルルマーニュという高校には見張り塔と長い城壁がそのまま残っている。
何度も通り過ぎたデカルト通りに辻邦生氏(1925-1999)の滞在をしるしたプレートが取り付けられたというニュースを聞いて是非訪ねたいと思っていた。
私が辻邦生に接近したのは「霧の聖マリ」から始まる「ある生涯の七つの場所」(中央公論社刊、1975年〜)シリーズから。辻邦生は著作のために私の故郷にも足跡を残している。
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パンテオンは工事中
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聖ジュヌヴィエーヴの丘にあるサンテティエンヌ・デュ・モン教会
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アンリ4世校の中でそびえるクロヴィスの塔
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クロヴィス通りに残るフィリップ・オーギュストの城壁
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クロヴィス通りに残るフィリップ・オーギュストの城壁
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説明のプレート(右)には「壁の痕跡 フィリップ・オーギュスト」
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デカルト通りに入る
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右側に辻邦生が滞在したアパルトマンがある
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右側がヴェルレーヌ、左側が辻邦生が滞在したアパルトマン。
ポール・マリー・ヴェルレーヌ(1844−1896)が滞在した
アパルトマンには同名のレストランがある。
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辻邦生が滞在したアパルトマン。
ぼくがパリ5区のデカルト街に住みはじめてから、
もう十二年たつ。それまでパリにゆくたびにモンパルナス
墓地に近いオテル・エグロンに泊まっていた。(中略)
しかし1980年にパリ第十大学(ナンテール)で
講義したとき、たまたまデカルト街の質素な二間を
借りて以来、ホテルよりずっと生活がしやすいし、
一年通して借りていても、2ヶ月のホテル代より
安いので、結局そのままずっと借りることに
したのである。
いま住んでいるデカルト街は、中世のパリでは南のはずれになる。
わが家の向い側に、かつての南東の出入り口バルデ門の位置を示す標識が出ている。バルデ門を出たところが、現在のコントレスカルプ広場で、今年(1992年)の初頭から美化工事を始め、噴水が作られた。以前は、地下鉄の暖かい空気の吹き出る通気孔があるため、広場の真ん中に、浮浪者が赤葡萄酒の壜を抱えて、たむろしていた。
「私の二都物語 東京・パリ」(辻邦生著,1993年、中央公論社刊)
から引用。
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点線ははフィリップ・オーギュストの城壁
宮下志朗著「パリ歴史探偵術」(2002年、講談社刊)より。
辻邦生のアパルトマンはコントレスカルプ広場から北に上がった
城壁内のデカルト通り。フィリップ・オーギュストの城門が
あったということを記述している。
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辻邦生氏からいただいたハガキ、「島原の乱」は未完に終わった。
いただいたうちの2通はカラーペンで書いてあった。
渡仏前にも拘わらず細かい気遣いが現れている。
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辻邦生が滞在したことを示すプレート
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ヴェルレーヌが滞在したことを示すプレート
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コントレスカルプ広場、辻邦生が述べた噴水はこれのことか。
ヘミングウェイの滞在をしるしたプレートもコントレスカルプ広場に面したアパルトマンにある。
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