2014/02/23 - 2014/02/23
545位(同エリア623件中)
滝山氏照さん
東京メトロ南北線の本駒込駅より徒歩5分にある金龍山・大円寺(だいえんじ、東京都文京区向丘)には江戸時代末期の初の洋式砲術家である高島秋帆(たかしま・しゅうはん、1798~1866)が眠る墓があります。
秋帆が生まれた肥前・長崎は日本で唯一の海外と通じた都市であっため、そこで育った秋帆は、日本砲術と西洋砲術の格差を知って驚き、出島駐在のオランダ人らを通じてオランダ語と洋式砲術を学び、その結果天保5年(1834)に独自の高島流砲術を完成させます。
その後、清がアヘン戦争でイギリスに敗北したという情報に接すると、秋帆は幕府に火砲の近代化を訴える「天保上書」をいう意見書を出して天保12年(1841)に武蔵国徳丸ケ原(現在の板橋区高島平で「高島平」は秋帆の「高島」が由来と思われます)で日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行います。
その結果洋式砲術の重要性が認められ秋帆は幕府から砲術の専門家として重用され、老中阿部正弘から「火技中興洋平開基」と称され幕命により洋式砲術の指導を伝授し、その門下へと高島流砲術は広まります。
境内に建てられた説明板では下記のように記述されています。
『 高島秋帆の墓
秋帆、1798~1866(寛政10~慶応2)長崎の人、諱は茂敦、通称四郎大夫。秋帆は号。幕末の砲術家。アヘン戦争で清国が破れたことを知り幕府に洋式砲術の採用を建議し、1841年(天保12)武州徳丸原(板橋区高島平あたり)で洋式砲術演習を行った。
翌年鳥居たく蔵のいわれなき訴えによって投獄され、のちに追放に処せられた。ペリー来航とともに許されて、1857年(安政4)富士見御宝番・兼講武所砲術師範役を命ぜられた。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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岩槻街道・説明板
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大円寺・寺標
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大円山・山門
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大円寺・寺標
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高島秋帆(国指定史跡)・斎藤緑雨(文京区指定史跡)墓・案内板
江戸時代末期の洋式砲術家の高島秋帆(たかしま・しゅうはん)及び明治時代の小説家・評論家である斎藤緑雨(さいとう・りょくう)の説明板があり、簡略に紹介されています。 -
大円山・ほうろく地蔵
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ほうろく地蔵・説明板
『 ほうろく地蔵
大円寺(向丘1-11-3)内
”八百屋お七”にちなむ地蔵尊。天和2年(1682)おきた天和の大火の後、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けた”お七”を供養するために建立されたお地蔵様である。
寺の由来書によると、お七の罪業を救うために、熱した炮烙(素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされている。享保4年(1719)に、押し蓄養のために、渡辺九兵衛という人が寄進したといわれる。
その後、このお地蔵様は、頭痛・眼病。耳・鼻の病気など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になった。
お七が天和の大火の時に避難し、墓もある円乗寺はすぐ近くにある。
東京都文京区教育委員会 』
平成元年3月』 -
大円寺・参道
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大円寺・本堂
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大円寺・参道
本堂から参道をとらえます。 -
高島秋帆墓・標柱
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高島秋帆墓域
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イチオシ
高島秋帆墓(近景)
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高島秋帆墓・案内板
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