波照間島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
Peach利用の八重山列島の旅-後編は2013年12月7日【土曜日】早朝からスタートします。<br /><br />【後半の予定】<br />2013年12月7日土曜日<br />石垣離島ターミナル発【08:30】<br />波照間港【09:30】<br />安栄観光高速艇(¥3,000)<br />波照間島宿泊【出発時に未定】<br /><br />2013年12月8日日曜日<br />波照間港【13:10】<br />西表大原港【13:55】<br />レンタカー利用<br />由布島<br />西表上原<br />【宿泊】西表島モンスーン<br />1泊2食付アウトバス和室<br />じゃらん手配¥5,300<br /><br />2013年12月9日月曜日<br />西表島滞在<br />【宿泊】西表島モンスーン<br />1泊2食付アウトバス和室<br />じゃらん手配¥5,300<br /><br />2013年12月10日火曜日<br />西表上原港【09:30】<br />石垣離島ターミナル【10:15】<br />公設市場近辺でお土産探し。<br />バスターミナル【13:00】<br />東運輸バス【¥520】<br />石垣空港【13:45】<br />ISG【15:45】MM252<br />KIX【18:05】<br />【18:55】空港リムジン<br />京都駅八条口【20:38】<br />以下JRと京阪バスを乗り継ぎ、<br />自宅【21:50】頃到着予定。<br /><br />以上が出発時の予定です。<br />後半の予定ですが、12月8日の西表島宿泊と10日のISG-KIX【MM252】のみ事前手配しましたが、後はその日その時の気の向くままにしました。と言うのも私は普段仕事が昼から出勤で夜までなんで、早起きが苦手です。がっちり予定を組んで寝坊すると気が滅入ってしまうため、あえてそうしました。<br /><br />そんなこんなで石垣の夜は更け、12月7日土曜日の朝を迎えます。<br /><br />2013年12月7日【土曜日】<br />ふと目を覚ますと時刻は5:45、どうも目覚ましをセットし忘れたみたいです。とにかく早起きできたんで、波照間行きを決めました。昨晩「るるぶ」で波照間の空室確認をして、「ホテルオーシャンズ」1泊2食付で¥9,000、Web予約が当日朝9時まで可能と言うことでした。島の宿にしては少し高めな気もしましたが、2食の食事提供とバス付ダブルベッドの洋室、鍵のかかる「個室」という離島の宿泊施設ではなかなか受けられないサービスを受けられることを考えると妥当もしくは安いと取るのが良いのかもしれません。とにかく宿は押さえました。次は高速艇です。石垣~波照間を運航している安栄観光が始まるのが6時、船の運航状況の発表が7:30、ALL OF OK!になったのが7時45分、そして7時50分にチェックアウトし離島ターミナルで朝食を、と決めたはいいが、ここでオーマイガーッな出来事が・・・。Androidスマホの電源が入りません。何をやってもダメなので、ショップに持って行くにしても時間に間に合わないため、サブのiPhone4sを初めて活躍させることに決めました。<br /><br />と言う訳で離島ターミナルに来ました。朝食のチョイスは、しま豆腐。すごく美味しい!だけど付いていた「生卵」が上手く割れずにテーブルにこぼしてしまいました。それを見てた店のおばちゃんが、私のことを不憫に思ったのか、新しい卵を出してくれました。それを無難に食べられたら良かったのですが、ごはんの上に乗りはしましたが、やはり半分程こぼれてしまいました・・・。おまけに今回はズボンにもついてしまい、さすがに恥ずかしくなり、定食をかきこんで店をあとにしました。<br /><br />朝っぱらから色々なことがありましたが、出発の8時30分が近付いてくると、テンションが上がってきます。8時20分乗船。石垣~波照間まで所要時間は1時間【約55km】。<br /><br />さあどんな風景や人が待っているのでしょうか?ワクワクo(^o^)o!<br /><br />8時30分定刻出発、安栄観光波照間島行き高速艇は海流を横切り、波を切って<br />突っ走り、定刻9時30分日本最南端波照間島に無事到着しました。<br /><br />無事着いたのは良いのですが、何せ寝起き・・・宿や家族の車に乗って行く船のお客さんをぼ~っと見送っていました。何を考えていたのか分かりませんが・・・。タバコをふかしながら海を見ること30分、ようやく我に返り宿へ連絡・・・すいませんお手数をお掛けしました。<br />時間は10:00を過ぎたところ、にもかかわらず部屋を提供して頂き一休みした後バイクを借り島巡りへ。4サイクルのtodayは良く走ります。なおかつ一周13㎞弱、あれっ?と言う間に一周してしまいます。<br /><br />昨日の与那国島は一周約25km、本日の波照間島は半分の距離しかない上、起伏もないんでバイクでかっ飛ぶと・・・こうなるのは当たり前ですね!<br />ホテルは島の中心部に位置しており、そこから海の方へ下って行くと色々見るところが散在している感じです。<br />こういう時、単純な私は考えることは1つです。”場所場所を頭に叩き込む”こと!地図なしで目的地に行けるようになったら”OK!”です。そこで周回道路を何周かして、ここで曲がって○○へ!みたいな感じでバイクを走らせます。<br /><br />明日の昼にはここを経つ【はずな】ので、定番のニシ浜、日本最南端之碑、日本最南端星平和の碑、波照間之碑、空観測タワー、高那崎、コート盛、シシ岩、長田御嶽、オヤケアカハチ誕生の地、学童慰霊碑、波照間郵便局、波照間空港、波照間港、波照間灯台っていうところを訪れては景色に感動し、歴史物語に触れ、過去の栄光を想像したりしながら充実した時間を過ごした後、日本最南端で「日の入り」を雲に邪魔されながら見た<br />後、ホテルに戻り夕御飯を頂いた後、「星空観測タワーツアー」に参加させて頂き、南十字星の美しさに心奪われたままでホテルへ戻ります。<br /><br />朝早起きしてさすがに眠くなりました。という訳で後はひと風呂浴びてzzz。<br />という感じで、波照間島の初日であり最終日になる【はずの】日は過ぎて行きました。翌日のことなど木っ端微塵も予想だにせず。<br /><br />2013年12月8日【日曜日】<br />さすがに離島旅4回目の朝、朝早起き当たり前になりました。朝ごはんもしっかりご馳走になり、チェックアウト後数時間島の中心部を歩いて巡ろうと考え、ガイドブックを開けたところ・・・、またうたた寝。でもちゃんとチェックアウトして歩いてうろうろ。頭に焼きつけるためにとことこ歩きます。バイクや自転車も良いですが、やはりじっくり散策するには「歩き!」が一番です!約一時間半程散策した後、ホテルに戻りました。時間で言うと11:40頃です。<br /><br />まず奥さんが私を見て一言、「え~っ帰っていなかったの?」。私意味がわからず??。次の言葉は「今日船欠航だよ」、私事情がわからず??。「海上時化で2・3便は欠航するとよ!」、この汗ばむ晴天の中なぜ欠航?と漫才のボケみたいな受け答えをしていましたが、「今日は強制宿泊やね」の一言、やっと意味がわかりました。つまり島から出られない・・・。「おや?」って顔をしてたのでしょうか・・・、オーナーさんが「漁船」出ないか聞いてくれました。波照間~西表大原間の非常時手段のようでしたが、結果「ダメ」。時化で出られないとのことでした。とりあえず予定してた西表行きは不可能になったので、宿に連絡。ギリギリまで日にちが確定しなかったあげく不泊になりご迷惑おかけしました。次回必ず行きますので。<br /><br />とにかく丸一日波照間島滞在時間が増えました。今朝おられた観光客の皆さんは、1便で石垣にすべて戻られていました。またその便で石垣から一組の方が来られましたが、「環境調査」をされている方々で、定期的に来られているらしく、まったくの観光客は私1人・・・。オーナーさんやスタッフの方が私が暇をもて余さぬように「バイク使って良いよ~!」。お気遣いに甘え、またtodayにまたがり島をぐるぐる回ります。<br />走るところは同じはずですが、なぜか毎回新しい発見が。逆方向に回ると昨日行ったところにまた違う印象をもったり。でもまったく違うのは海です。ニシハマ・高那崎・波照間港辺りが海を間近に見られる場所ですが、欠航するだけに昨日より波はあるのが見れました。さすがに1日の滞在だと短いなぁと思いましたが、延泊1日目も楽しい時間はすぐに過ぎて行きます。バイクも乗りますが、歩いて「共同売店」巡りも出来ました。宿最寄りの「名石」「南」、「丸友」「富嘉」「まるま」の各共同売店。ちなみに宿最寄りの「南共同売店」は日本最南端の店だそうです。また「丸友共同売店」には常備薬も売っていました。集落が運営しているだけに決してスーパーのような派手な売り方をしている訳ではないので、「違和感」を感じる方もいらっしゃると思います。でも元々が地元の生活に基づいた「生活用品の仕入れの場」と言うことを考えれば、昔のどこぞの国で行われていた「観光客料金」がないだけでも大変ありがたいことのように思います。<br />また交流の場でもあり、私は離島における戦争悲劇は沖縄本島と同じように数ヶ月前まで思っていました。しかし八重山の戦争悲劇とは「マラリア疎開」と言うことを石垣の旅で知ったものの博物館の展示物から「自分なりの解釈」としての知識しかありませんでした。これは南共同売店の若いお姉さんと話しているときに近所のおばぁに話を振ってくれたことにより実体験を聞けたこと、ひとつまた八重山を知れたかなと思います。神事と呼ばれる島独自の風習も、多分「本を買って調べる」まではなかなかできないと思いますが、そのような記録集を店頭でめくりながら話をお聞きするとまた違う島の一面に触れられたような気がします。<br />ただひとつ残念なことが目の前でありました。共同売店を訪れる観光客すべてがそうだと思わないですが、島の人でも購入本数が限られている「泡波」を買い占める、また発送用の段ボールやガムテープ、さらに緩衝材まで貰おうとする姿はやめてもらいたいです。常識的に考えてもおかしいですよ。<br /><br />その後またバイクにまたがり島をぐるぐる回ります。だいぶ地理勘がわかってきてから思ったことですが、「波照間空港」のこと。確か11月の沖縄県議会で採択されたことに、「波照間空港」の改修工事と空路開設がありました。現在「波照間空港」は閉鎖されており、チャーター便と非常時のみ滑走路が使われているようです。空路再開は島にとってはプラス因子では?と思い島の方にきいたのですが、冷ややかな答が返って来ました。約6年もの間使っていなかったというのもあり、空港施設は新築、滑走路は現800mを1,500mに伸ばさないと使えないし、やってもすぐにはお客は増えないし、そうすれは結局地元の負担になってしまう。ならば今の航路の利用で十分だとか・・・。一観光客が考えることではないのかも知れませんか、与那国島のことを含め奥が深い問題だと思いました。<br /><br />色々頭で考えることは得意ですが、体は嘘をつきません。普段から体を動かしていればそう言うこともないのかも知れません。陽が傾き、風が冷たくなってくると急に疲れを感じます。南国「波照間島」に居るから特にそう感じるのかも知れませんが、多分地元だとちょうどよいくらいかと思います。ウルトラマンではありませんが、「カラータイマー」が赤く点灯した感じです。でもそれで1日の行動を終了できるのは良いところです。適当な時間に宿に戻り、一息ついたら食事が出てくる・・・、すごい贅沢なことですね!お腹もふくれ、ひとっ風呂浴びたら、翌日の予定をプランニング。でも細かい予定を組む気はなかったです。無理やり西表島の宿泊をかまして最終日に石垣をタッチ&amp;ゴーで飛ばすか、石垣に素直に戻って翌日の帰りに備えるか・・・。でも最終的に明日の天候次第!と思うと必然的に眠気が心地好く差してきます。ガイドブックやタウン誌を拡げた上でスマホを操作していたつもりだったのですが、やはり毎晩のごとく寝てしまったようです。太刀打ちのできない自然を相手に「行程」と言う現実を振りかざす「ヒーロー」を夢の中で演じながらzzz...。我ながら幸せな人です(笑)!<br /><br />2013年12月9日【月曜日】<br />夜明け前の4:00頃、ふと目が覚めました。いつもならトイレ行ってもう一眠りするところですが、外が騒がしく思い、部屋を出て隣のテラスに出て「一服」しようと外に出た瞬間凍りつきました。「冬の嵐」まさしく言葉通り・・・。昨日までの5日間で雨に降られた日はありましたが、風と雨が音をたてて降ったことは初めてでした。うわ~っこの天気だと今日も全便欠航じゃん!とは思いましたが、眠気もあり雨が降ってもやむときはやむって決め込んでたこともあり(悪天候でやむを得ず行程変更をするのを期待していたかもしれません!)、とりあえず7:30まで寝よう・・・、ということで改めてzzz...。そして目覚めは7:00過ぎ、まずは一服でテラスに出ると、先程の嵐は夢?と言う程穏やかな天気。でも確かに嵐だったとは思うけど・・・。まぁ良いや!運航連絡のメール待ってみよう!ってスマホいじっていたら、運命のメールが来ました。あけてみると、「本日の波照間線、全便欠航!」。事実上の行程延長が決まった瞬間です。多分顔はひきつった笑いをしていたと思いますが、朝ごはんを頂きに食堂に降りて行った時、宿のご主人やスタッフの方々に「今日も全便欠航なんで、もう1泊強制宿泊をお願い致します!」と声高らかに宣言してしまいました。<br /><br />予定通りに帰るには、明日12月10日の朝1便に乗り、石垣をタッチ&amp;ゴーで空港に向かうしか方法がなくなりました。<br />このような場合、大手のレギュラーキャリアだと欠航が証明できるものがあれば、手数料なしで振り替えてくれることもあるそうですが、LCCのpeach、オマケにバーゲンプライス(ハッピーピーチ料金)で取ったものだとどうなるのか?チケット自体が無効になるのでは・・・と一抹の不安を抱えてカスタマーセンターに電話したところ、「12月11日に変更する場合」だと「12月10日の午前0:00」までに変更していれば、同一料金帯のハッピーピーチの料金で予約変更ができ、差額(今回の場合だと変更時における最も安い料金ですが、バーゲンプライスのような特別料金ではなく通常の料金)+手数料で変えられたのですが、そんなことを知るよしもなかったので、結局ハッピーピーチプラス料金との差額+変更手数料(カスタマーセンターにて変更した場合の)を取られたので、帰りの航空券は約2倍の15,000円になりました。ここでひとつ疑問が・・・。webにて変更の場合、手数料は安くなりますが「スマホ」でできるのかどうなのか?と言うこと。やり方が悪いのかも知れませんが、Androidでは上手くいかなかった・・・。パソコンを持ち運ぶ「手間」を省くためのスマホが使えないというのもいかがなものでしょうか?<br />色々いちゃもんつけたいのは山々ですが、そこは大人になって支払うものはちゃんと支払って翌日の便に振り替えてもらいました。<br /><br />とにもかくにも明日の話、今日悩んでも仕方がないので、さぁどうしょうか・・・?今日1日・・・。強がっていたわけではありませんが、正直「今日はなにしようか?」と考えました。宿泊者の中で1人旅で唯一の観光客、とは言え「自然現象」の前に情けなくも「ひざまづかされた」姿が同情をかったのでしょうか・・・?。前日に引き続き「バイク」と「B-CASガード」まで「使って良いよ~」って言って頂きました。2日間でほぼすみずみまで島は回りました。なので今度は「歩い」たりして、からだ全体で島を体験するってことを試したりしました。ホテルが中心部にあるため、海側に降りて行けばどこかしらに着きます。往復歩いてホテルでテレビを見ながら一休み、休んでは歩いてを繰り返し、いつものように陽没までうろちょろし、共同売店を訪れてペチャクチャ世間話をしていると、楽しい時間はすぐに過ぎるもの、陽没まで今までと違った過ごし方を楽しみました。<br />そして予想だにしていなかった3回目の夕食、私1人のためにメニューをアレンジして頂き、地のものも美味しく頂かせて貰いました。<br />ヒト風呂浴びるところまでは同じですが、翌日の行程は「予定通り帰る」or「行程延長」の2択しかないので、ガイドブックを見る気も起こらず、さっさと眠りに就きましたzzz。という感じで夜は更けて行きます。<br /><br />2013年12月10日【火曜日】<br />昨日同様ふと早朝に目が覚めました。儀式めいた感じで外へタバコをふかしに行きます。至って平穏な天候「のように思える」に、朝1便で石垣に戻り、2時間程公設市場近くの土産物屋を散策して、13時過ぎにはシャトルバスにて空港へ。そして16時前には関西空港へのフライトへ搭乗し、予定通りリムジンバスとJRを乗り継ぎ、最後は地元のローカルバスに揺られ、21時半には自宅到着・・・、という青写真を夢の中で思い浮かべていたようです。<br />とはいえやはり自然現象は観光客にはわかりません。運航状況を知らせるメールを今か今かと待っている自分、でも結果は・・・、第1・2便欠航、第3便未定→つまりは行程延長決定!(最終的には第3便も欠航しました。)。もう焦りを通り越して半笑いになって、オーナーさんやスタッフの皆様に報告しました。そこでふと気付いたこと、「火曜日」と言うことは「フェリーはてるま」の運航日と違う?ってこと。<br /><br />すぐさまご主人にその旨聞くと、「先に予約!」と言う間もなく電話で予約を入れて頂きました。その時はことの重大さに気付いていませんでした。<br />「やっと帰れる・・・」と言う気持ちですが、反面「もうしばらく居てもよかったかな?」と残念に思ったり・・・。こんな気分になるとは正直思いもよりませんでした。天候に振り回されて行程を変更せざるを得なかったこともありましたが、与那国・石垣・波照間と一観光客として駆け足で回っただけで、表現の違いはともかく、「旅人に楽しい時間を過ごしてもらえるよう」に振る舞って頂いた島在住の方々のあたたかい気持ちに触れられたことは、今回の旅で「人の気遣いのありがたみ」を改めて知るかけがえのない体験でした。1泊2日の予定が3泊4日になった波照間島滞在、それも残すところ後わずか、今回の波照間島滞在を振り返るように一歩一歩踏みしめながら歩きました。<br />ホテルオーシャンズのオーナーさんに「早発」とかもあるんで11時過ぎには港に行くよ!と言われていたので、名残惜しく思いながら3日前に港からホテルに来たルートを戻ります。11時30分波照間港に到着。出航予定は14時00分なんて「さすがに早すぎはしないか?」と思いましたが、まずフェリーの定員は高速艇の半分、つまり50人しかありません。また3日間高速艇が欠航していたため乗船希望が大変多いため、まずは電話で予約入れていないと乗れないし、早い者勝ちみたいなところもあるんで早い目に到着し、チケットを購入することで初めて乗船できることになるようです。4日間お世話になった「ホテルオーシャンズ」のご主人とも名残惜しけど船が入港したので、新たなお客さんの受け入れに忙しいかと思い、「また来ます!」と挨拶をしてフェリーターミナルに入ります。帰りはO/Wの石垣行きで代金¥1,500。チケットはなんとも頼りない手書きの紙片。でもある意味プラチナチケット!という感じです(笑)。次は「出航まで何をするか?」になります。ガイドブックを見ると「土産物屋あだん」さんが書いてありました。場所もすぐわかるところなんで「ウォッチング」兼ねてうろうろと。そのうち店のおばさんと「なにか」が共通の話題になり、結構長い時間話し込んでました。何も考えないでしゃべりたくる観光客はさぞかししうざかったんじゃないかな~って後から思ってみたり。最後にあだんさん発行のオリジナル【日本最南端踏破証明書】と【ステッカー】を購入しました。一観光客が話すことに仕事の手を止めてまで話し相手になって頂いたこと、感謝感激です。ありがとうございました。でも楽しい時間はすぐにすぎるもの。13時45分乗船が始まりました。高速艇が定員約100人に対し、フェリーは定員50名、オマケに3日間の欠航明けなんで「席の取り合い」になると思われたので、小走りに船内へと入りましたが余計な心配なでした!ここは波照間島地元ではない・・・、のんびりやりゃ良いさ!改めて良いところだ~って思いが込み上げてきました。<br /><br />そして定刻14時00分、た~くさんの思い出の産地「波照間島」を「フェリーはてるま」がゆっくり離れて行きます。<br /><br />いろいろありましたが、無事船上の人になりました。黒島近くから進行方向左に珊瑚礁の内側を滑走する「高速艇」が見えます。ちなみに高速艇(約60km/h)、それに対しフェリー(約25km/h(ケータイGPSにて計測))だそうです。<br />また行きの高速艇では気にはならなかったはずですが、フェリーはこのくそ寒い12月に「エアコン」がガンガン効いています。「酔い止め」のためらしいですが、せめて「クーラー」じゃなくって「送風」にして欲しいです。フェリー乗船時の2時間半の行程で3回トイレにかけこみました。勿論酔った訳ではありません(笑)!<br /><br />結局所要2時間の船旅が2時間半かかって石垣島たどり着きました。多分定員オーバーだったので、ゆっくり走ったんではないかと思う次第です。<br /><br />そうこうしている間に16時30分、「フェリーはてるま」は石垣港に到着します。石垣は全国展開しているコンビニがないと言うことで「田舎」扱いされていますが、離島から帰ってくると【都会】って感じます。<br /><br />本日のお宿は、じゃらん手配で船が欠航したために泊まれなかった西表島の宿泊分のポイントが浮いたため、その分で過不足なしに泊まれるところと言うことで、当日の空き部屋限定のプランながら全室オーシャンビューをうたい文句にしている【ホテルイーストチャイナシー】に決定!ちなみにルームチャージは3,900円だったので、旅行の最後くらいリッチにと朝食付プランにして5,040円。まぁ期待は裏切らないホテルです。<br /><br />波照間からのフェリーは離島ターミナルはす向かいの”フェリーターミナル”に到着します。ちなみに「フェリーよなくに」も同じ場所に着きます。<br /><br />なぜか下船した方がぞろぞろと離島ターミナルへ向かわれるのを見て「おや?これからどこか行くのかな?」と思いましたが、私と同じく”欠航便のチケットの払い戻し”でした。今回のように行きが高速艇で帰りがフェリーの場合往復割引はききません。高速艇の片道3,000円とフェリーの片道1,500円になります。高速艇の往復割引は5,700円ですが、波照間港の安栄観光の窓口は「代理店」なので払い戻しは石垣でしかできないみたいです。不便ですが仕方ないですね。私の場合、石垣→波照間、波照間→西表大原、西表上原→石垣と言うルートだったので、行きの「石垣→波照間」以外は払い戻しになりました。<br />結構な数の方がいらっしゃいましたが、いらだっても仕方ないのでの~んびりと順番待ちをして手続きを済ませ、ホテルに向かいます。5階のツインルームのシングルユースでしたが、テラスからの眺めは「絶景」です。雲がかかっているため「サンセット」とはいきませんでしたが、今回の旅の締めくくりにふさわしい場所だと思いました。<br /><br />一休みして陽が落ちてから行動開始です。まずはドコモショップ石垣美崎店へ。GALAXYの修理の件だったのですが、本体に僅かなひびがあったがため、「無償修理」にはならないとのこと。仕方がないのでケータイ補償サービスを使うことにして地元のショップで受け取る手続きを済ませました。後から考えると代機借りなければ行かなくても済んだのに・・・。<br /><br />そして念願の「土産物屋あ」さんに行きます。知る人ぞ知る石垣ブランドと言っても過言ではない「Tシャツ」を売っておられます。我が家では「土産はこちらのTシャツ」だけで良い!と言われていました。第1弾を読まれた方は、「不定休・不定時営業」の店ゆえ行けなかったと書いていたお店です。今回は開いていて良かったです!<br />当然オリジナルデザインものねらいですが、ひとつ「あ」と「ん」という一文字になにかあるのでしょうか?と愚問を投げ掛けたところ、「人の縁」のことであり、シーサーの口の形もそうなんですよと教えて頂きました。目からうろこが落ちるというのはこういうことなんでしょう!思わず納得してしまいました。その他9月に来れなかったことや、旅のエピソードなんかで話が盛り上がってしまい、またいつものごとく長話になってしまいました。やはり迷惑な奴です。ということでTシャツを買うことに。ただ私は普段スーツのため、服のサイズとかまったくわかりません。なので店員さんにみつくろってもらうことに。じいさんで163cmでメタボ体型には、メンズのS、おばはん159cmはレディースのM、おっさん170cmで細身はメンズのMに決まり、お支払いを済ませて、「また来ます!」とご挨拶してお店を後にしました。<br /><br />そしていつもの公設市場近くの土産物屋を散策。あまり目新しいものはありませんが、数が必要なものなどは、トータル金額から10%引いて貰えるお店が多いので助かります。適当にみつくろったら閉店時間になったので、なにか食べようと思い気軽に入れそうなところを探し始めましたが、なんとなく眠気もあったんで結局適当に買って部屋で食べることにしました。<br /><br />旅して疲れるというのもなんですが、7泊8日という長い期間の旅は、2007年3月にバリ島へ6泊8日で行った以来実に6年半ぶりのこと、なおかつ今回は自然現象で予定変更をせざるを得なかったりとかでさすがに疲れました。<br /><br />という訳で部屋に戻り、まずはシャワー。汗と共に受け続けた「潮風」も流します。明後日の今頃は仕事帰りだな~って思うとなにか物悲しい気もします。ひさしぶりにテレビを見ながら「ぼ~っと」していたらいつの間にか時間は<br />1時半。島では0時には寝てしまっていたのでこれまたひさしぶりの夜更かしです。でもでも…やはり眠さには勝てません。いつもと同じく気が付いたら寝ていますzzz。<br /><br />2013年12月11日【水曜日】<br />習慣というのは怖いもの、毎日船の運行状況を確認するため早起きしていたのが今朝も…でした。でも今日は必要ないので、とりあえず朝食を食べに行きます。<br />普通のバイキング+地のものって感じで特に目新しいものはありませんが、「朝ごはん」がこんなに美味しいと思うことはしばらくなかった気がします。残すことが失礼なんであまりたくさん取らなかったらもの足りずおかわりをしてしまいました(笑)!<br /><br />お腹が膨れると決まって眠気に襲われます。という訳で一眠りして、10時きっかりにチェックアウトします。<br /><br />今回の目的のひとつ、「地銀」を訪れます。ホテル前にある「琉球銀行八重山支店」。お金を預ける訳ではありません。勿論引き出す訳もありません。ではなんでしょう?答えは「両替」です(笑)。ここまでの話を同僚数人に聞きましたが、理由を当てた方はいませんでした。「コロンブスのたまご」みたいですが、単純に「2,000円札」を手に入れるためです(爆)。<br />私の「お年玉」は以前は「8,000円」、(ここで内訳がわかった方は、私と同じ性格かもしれませんね!)つまり5,000円+2,000円+1,000円札各1枚。しかし昨年末どこを聞いても地元では「2,000円札」の新札がなく、2,000円のないお年玉になりました。「ケチ」といわれるかもしれませんが、こだわりです。ただ沖縄では普通に2,000円札はあると聞いたんでホントかどうか知りたかったのですが、「事実」です。それも別に珍しいという感じでもなかったので、多分普通なんでしょうね。ひとつ発見しました!<br />その後はまた「土産物散策」。場所は公設市場近くです(笑)。<br /><br />次はいつ来られるかな?って思っていたんで、何度も何度も「離島ターミナル」「730交差点」「公設市場」やその回りをぶ~らぶらと歩きます。今回は石垣でレンタカーは使わなかったので余計に見るものすべてが目新しい思えました。でも時間は過ぎます。「歩きたい」気持ちがどんどん大きくなってきたので、現実に戻るため、東運輸バスターミナルに向かいます。そして12時45分、空港行きのシャトルバスは発車しました。<br /><br />観光客の方は、停車の少ない「準急バス」を好まれると聞いたことがありますが、私はこのあっちこっちと寄りまくるバスが好きです。ニッコーやインターコンチなんかよって行きますが、お客はいません。なので到着は数分早い13時30分でした。でものんびりと車窓を眺められたのは大変良かったです!<br /><br />とりあえず空港に着いたので、Peachのカウンターに向かいます。でもチェックインは14時30分からと言われてしまいました。あと1時間・・・。荷物を持って動くと体に堪えます。とりあえずコインロッカーにほりこんで、空港周辺を散策。あと少し空港売店も散策。<br />やっとチェックインしたら、出発が16時00分に。またしばらくうろうろ。とはいえさほど大きくない空港、一周するのもすぐです。2階にコインパソコンがあったのでしばらく遊んだあと、保安検査場に行くと「修学旅行生」の集団が・・・。若い頃にいろいろと経験する考えには賛成ですが、毎回目にすること、「他の人に迷惑をかけるな」!!。特に気になることは”ケータイをポケットに入れたまま金属探知機をくぐること”。鳴るに決まっているでしょ?わからない??確かに旅行らしい旅行が初めての生徒では仕方がないのかも知れません。でも引率している教師や添乗員等”大人”がもっと気をつけてやらないとダメでしょう。団体行動をさせるにあたっては!出発が立て込んでいる時間帯だと”不必要にトラブルを招く”こともあるんで!ピーチから”呼び出し”されてしまった人間はそう思います。<br /><br />結局ボーディングは15:55に最後の私が乗込み、16:00きっかりに動き始めました。LCCの時刻管理は素晴らしいと改めて思います。”5F”の座席に陣取りましたが、さすがにランディングの際は起きていました。巡り巡った風景を見るために…。<br />しばらくして水平飛行になり、シートベルトサインは消えましたが、私には睡魔が…。気流も良く揺れもなかったんで寝るにはサイコーの条件でした。と言うことでまたまたzzz…。<br />目が覚めると外は闇に包まれていました。ほどなく着陸態勢のアナウンスが掛かり高度が下がっていきます。関西空港の天気・気温のアナウンスでは、曇り・10℃とのこと。そして着陸。A320-200の”マリコジェット”の旅は終わりました。<br /><br />毎度のことながら”タラップ”利用です。たぁっだぁ~っ…雨降ってるし、吐く息は白いし…。第2ターミナルの”プレハブ通路”を足早に歩き、ターンテーブルで荷物待ち。あまり機内預けはしないので、イマイチ勝手はわからないのですが、たまたま最後の場所に陣取ったお陰で結構早くピックアップができ、お決まりの”(-.-)y-~”してリムジンバス乗場に急ぎます。出発の遅れはあっても到着はオンタイムの18:05(その時間にはタラップを降りられました!)、バスも定刻18:55に発車し一路京都へ。途中渋滞回避のため阪神高速から第二京阪・阪神高速京都線を経て(私は熟睡のためどの道を通ったのかは良くわかりません・・・悪しからず。)、20:30京都駅八条口に到着。そしてJR琵琶湖線20:52発快速に乗込み、21:10頃最寄り駅に到着しました。<br /><br />いつもはバス待ちをするんですが、たまたま家の者が帰る時間とかぶったため、「迎えヨロシク!」と言っていたにも関わらず駅で20分待たされました。まぁ遊んできた立場ゆえ仕方ないか・・・。<br /><br />22:00少し前に自宅に戻りました。この時間で3℃なんで”むちゃくちゃ寒い”レベルではないのですが、やはり半日前は20℃を越えている南国・・・、それに加えて明日から仕事の現実ですが、一番辛いのは”夜寝られないこと”。出勤が昼からなんでサイクルがそうなってしまうんですがなんか空しい感じがします。さぁ8日間の楽しい日々を”夢”で見られることを期待しつつ、2:00過ぎにやっと眠りに着きます。<br /><br />これで第2弾現実逃避行八重山諸島の旅~与那国島・波照間島・石垣島~《後編》波照間島まさかの欠航!の旅は終わりです。zzz。

第2弾現実逃避行八重山諸島の旅~与那国島・波照間島・石垣島~《後編》波照間島まさかの欠航!

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2013/12/04 - 2013/12/11

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

Peach利用の八重山列島の旅-後編は2013年12月7日【土曜日】早朝からスタートします。

【後半の予定】
2013年12月7日土曜日
石垣離島ターミナル発【08:30】
波照間港【09:30】
安栄観光高速艇(¥3,000)
波照間島宿泊【出発時に未定】

2013年12月8日日曜日
波照間港【13:10】
西表大原港【13:55】
レンタカー利用
由布島
西表上原
【宿泊】西表島モンスーン
1泊2食付アウトバス和室
じゃらん手配¥5,300

2013年12月9日月曜日
西表島滞在
【宿泊】西表島モンスーン
1泊2食付アウトバス和室
じゃらん手配¥5,300

2013年12月10日火曜日
西表上原港【09:30】
石垣離島ターミナル【10:15】
公設市場近辺でお土産探し。
バスターミナル【13:00】
東運輸バス【¥520】
石垣空港【13:45】
ISG【15:45】MM252
KIX【18:05】
【18:55】空港リムジン
京都駅八条口【20:38】
以下JRと京阪バスを乗り継ぎ、
自宅【21:50】頃到着予定。

以上が出発時の予定です。
後半の予定ですが、12月8日の西表島宿泊と10日のISG-KIX【MM252】のみ事前手配しましたが、後はその日その時の気の向くままにしました。と言うのも私は普段仕事が昼から出勤で夜までなんで、早起きが苦手です。がっちり予定を組んで寝坊すると気が滅入ってしまうため、あえてそうしました。

そんなこんなで石垣の夜は更け、12月7日土曜日の朝を迎えます。

2013年12月7日【土曜日】
ふと目を覚ますと時刻は5:45、どうも目覚ましをセットし忘れたみたいです。とにかく早起きできたんで、波照間行きを決めました。昨晩「るるぶ」で波照間の空室確認をして、「ホテルオーシャンズ」1泊2食付で¥9,000、Web予約が当日朝9時まで可能と言うことでした。島の宿にしては少し高めな気もしましたが、2食の食事提供とバス付ダブルベッドの洋室、鍵のかかる「個室」という離島の宿泊施設ではなかなか受けられないサービスを受けられることを考えると妥当もしくは安いと取るのが良いのかもしれません。とにかく宿は押さえました。次は高速艇です。石垣~波照間を運航している安栄観光が始まるのが6時、船の運航状況の発表が7:30、ALL OF OK!になったのが7時45分、そして7時50分にチェックアウトし離島ターミナルで朝食を、と決めたはいいが、ここでオーマイガーッな出来事が・・・。Androidスマホの電源が入りません。何をやってもダメなので、ショップに持って行くにしても時間に間に合わないため、サブのiPhone4sを初めて活躍させることに決めました。

と言う訳で離島ターミナルに来ました。朝食のチョイスは、しま豆腐。すごく美味しい!だけど付いていた「生卵」が上手く割れずにテーブルにこぼしてしまいました。それを見てた店のおばちゃんが、私のことを不憫に思ったのか、新しい卵を出してくれました。それを無難に食べられたら良かったのですが、ごはんの上に乗りはしましたが、やはり半分程こぼれてしまいました・・・。おまけに今回はズボンにもついてしまい、さすがに恥ずかしくなり、定食をかきこんで店をあとにしました。

朝っぱらから色々なことがありましたが、出発の8時30分が近付いてくると、テンションが上がってきます。8時20分乗船。石垣~波照間まで所要時間は1時間【約55km】。

さあどんな風景や人が待っているのでしょうか?ワクワクo(^o^)o!

8時30分定刻出発、安栄観光波照間島行き高速艇は海流を横切り、波を切って
突っ走り、定刻9時30分日本最南端波照間島に無事到着しました。

無事着いたのは良いのですが、何せ寝起き・・・宿や家族の車に乗って行く船のお客さんをぼ~っと見送っていました。何を考えていたのか分かりませんが・・・。タバコをふかしながら海を見ること30分、ようやく我に返り宿へ連絡・・・すいませんお手数をお掛けしました。
時間は10:00を過ぎたところ、にもかかわらず部屋を提供して頂き一休みした後バイクを借り島巡りへ。4サイクルのtodayは良く走ります。なおかつ一周13㎞弱、あれっ?と言う間に一周してしまいます。

昨日の与那国島は一周約25km、本日の波照間島は半分の距離しかない上、起伏もないんでバイクでかっ飛ぶと・・・こうなるのは当たり前ですね!
ホテルは島の中心部に位置しており、そこから海の方へ下って行くと色々見るところが散在している感じです。
こういう時、単純な私は考えることは1つです。”場所場所を頭に叩き込む”こと!地図なしで目的地に行けるようになったら”OK!”です。そこで周回道路を何周かして、ここで曲がって○○へ!みたいな感じでバイクを走らせます。

明日の昼にはここを経つ【はずな】ので、定番のニシ浜、日本最南端之碑、日本最南端星平和の碑、波照間之碑、空観測タワー、高那崎、コート盛、シシ岩、長田御嶽、オヤケアカハチ誕生の地、学童慰霊碑、波照間郵便局、波照間空港、波照間港、波照間灯台っていうところを訪れては景色に感動し、歴史物語に触れ、過去の栄光を想像したりしながら充実した時間を過ごした後、日本最南端で「日の入り」を雲に邪魔されながら見た
後、ホテルに戻り夕御飯を頂いた後、「星空観測タワーツアー」に参加させて頂き、南十字星の美しさに心奪われたままでホテルへ戻ります。

朝早起きしてさすがに眠くなりました。という訳で後はひと風呂浴びてzzz。
という感じで、波照間島の初日であり最終日になる【はずの】日は過ぎて行きました。翌日のことなど木っ端微塵も予想だにせず。

2013年12月8日【日曜日】
さすがに離島旅4回目の朝、朝早起き当たり前になりました。朝ごはんもしっかりご馳走になり、チェックアウト後数時間島の中心部を歩いて巡ろうと考え、ガイドブックを開けたところ・・・、またうたた寝。でもちゃんとチェックアウトして歩いてうろうろ。頭に焼きつけるためにとことこ歩きます。バイクや自転車も良いですが、やはりじっくり散策するには「歩き!」が一番です!約一時間半程散策した後、ホテルに戻りました。時間で言うと11:40頃です。

まず奥さんが私を見て一言、「え~っ帰っていなかったの?」。私意味がわからず??。次の言葉は「今日船欠航だよ」、私事情がわからず??。「海上時化で2・3便は欠航するとよ!」、この汗ばむ晴天の中なぜ欠航?と漫才のボケみたいな受け答えをしていましたが、「今日は強制宿泊やね」の一言、やっと意味がわかりました。つまり島から出られない・・・。「おや?」って顔をしてたのでしょうか・・・、オーナーさんが「漁船」出ないか聞いてくれました。波照間~西表大原間の非常時手段のようでしたが、結果「ダメ」。時化で出られないとのことでした。とりあえず予定してた西表行きは不可能になったので、宿に連絡。ギリギリまで日にちが確定しなかったあげく不泊になりご迷惑おかけしました。次回必ず行きますので。

とにかく丸一日波照間島滞在時間が増えました。今朝おられた観光客の皆さんは、1便で石垣にすべて戻られていました。またその便で石垣から一組の方が来られましたが、「環境調査」をされている方々で、定期的に来られているらしく、まったくの観光客は私1人・・・。オーナーさんやスタッフの方が私が暇をもて余さぬように「バイク使って良いよ~!」。お気遣いに甘え、またtodayにまたがり島をぐるぐる回ります。
走るところは同じはずですが、なぜか毎回新しい発見が。逆方向に回ると昨日行ったところにまた違う印象をもったり。でもまったく違うのは海です。ニシハマ・高那崎・波照間港辺りが海を間近に見られる場所ですが、欠航するだけに昨日より波はあるのが見れました。さすがに1日の滞在だと短いなぁと思いましたが、延泊1日目も楽しい時間はすぐに過ぎて行きます。バイクも乗りますが、歩いて「共同売店」巡りも出来ました。宿最寄りの「名石」「南」、「丸友」「富嘉」「まるま」の各共同売店。ちなみに宿最寄りの「南共同売店」は日本最南端の店だそうです。また「丸友共同売店」には常備薬も売っていました。集落が運営しているだけに決してスーパーのような派手な売り方をしている訳ではないので、「違和感」を感じる方もいらっしゃると思います。でも元々が地元の生活に基づいた「生活用品の仕入れの場」と言うことを考えれば、昔のどこぞの国で行われていた「観光客料金」がないだけでも大変ありがたいことのように思います。
また交流の場でもあり、私は離島における戦争悲劇は沖縄本島と同じように数ヶ月前まで思っていました。しかし八重山の戦争悲劇とは「マラリア疎開」と言うことを石垣の旅で知ったものの博物館の展示物から「自分なりの解釈」としての知識しかありませんでした。これは南共同売店の若いお姉さんと話しているときに近所のおばぁに話を振ってくれたことにより実体験を聞けたこと、ひとつまた八重山を知れたかなと思います。神事と呼ばれる島独自の風習も、多分「本を買って調べる」まではなかなかできないと思いますが、そのような記録集を店頭でめくりながら話をお聞きするとまた違う島の一面に触れられたような気がします。
ただひとつ残念なことが目の前でありました。共同売店を訪れる観光客すべてがそうだと思わないですが、島の人でも購入本数が限られている「泡波」を買い占める、また発送用の段ボールやガムテープ、さらに緩衝材まで貰おうとする姿はやめてもらいたいです。常識的に考えてもおかしいですよ。

その後またバイクにまたがり島をぐるぐる回ります。だいぶ地理勘がわかってきてから思ったことですが、「波照間空港」のこと。確か11月の沖縄県議会で採択されたことに、「波照間空港」の改修工事と空路開設がありました。現在「波照間空港」は閉鎖されており、チャーター便と非常時のみ滑走路が使われているようです。空路再開は島にとってはプラス因子では?と思い島の方にきいたのですが、冷ややかな答が返って来ました。約6年もの間使っていなかったというのもあり、空港施設は新築、滑走路は現800mを1,500mに伸ばさないと使えないし、やってもすぐにはお客は増えないし、そうすれは結局地元の負担になってしまう。ならば今の航路の利用で十分だとか・・・。一観光客が考えることではないのかも知れませんか、与那国島のことを含め奥が深い問題だと思いました。

色々頭で考えることは得意ですが、体は嘘をつきません。普段から体を動かしていればそう言うこともないのかも知れません。陽が傾き、風が冷たくなってくると急に疲れを感じます。南国「波照間島」に居るから特にそう感じるのかも知れませんが、多分地元だとちょうどよいくらいかと思います。ウルトラマンではありませんが、「カラータイマー」が赤く点灯した感じです。でもそれで1日の行動を終了できるのは良いところです。適当な時間に宿に戻り、一息ついたら食事が出てくる・・・、すごい贅沢なことですね!お腹もふくれ、ひとっ風呂浴びたら、翌日の予定をプランニング。でも細かい予定を組む気はなかったです。無理やり西表島の宿泊をかまして最終日に石垣をタッチ&ゴーで飛ばすか、石垣に素直に戻って翌日の帰りに備えるか・・・。でも最終的に明日の天候次第!と思うと必然的に眠気が心地好く差してきます。ガイドブックやタウン誌を拡げた上でスマホを操作していたつもりだったのですが、やはり毎晩のごとく寝てしまったようです。太刀打ちのできない自然を相手に「行程」と言う現実を振りかざす「ヒーロー」を夢の中で演じながらzzz...。我ながら幸せな人です(笑)!

2013年12月9日【月曜日】
夜明け前の4:00頃、ふと目が覚めました。いつもならトイレ行ってもう一眠りするところですが、外が騒がしく思い、部屋を出て隣のテラスに出て「一服」しようと外に出た瞬間凍りつきました。「冬の嵐」まさしく言葉通り・・・。昨日までの5日間で雨に降られた日はありましたが、風と雨が音をたてて降ったことは初めてでした。うわ~っこの天気だと今日も全便欠航じゃん!とは思いましたが、眠気もあり雨が降ってもやむときはやむって決め込んでたこともあり(悪天候でやむを得ず行程変更をするのを期待していたかもしれません!)、とりあえず7:30まで寝よう・・・、ということで改めてzzz...。そして目覚めは7:00過ぎ、まずは一服でテラスに出ると、先程の嵐は夢?と言う程穏やかな天気。でも確かに嵐だったとは思うけど・・・。まぁ良いや!運航連絡のメール待ってみよう!ってスマホいじっていたら、運命のメールが来ました。あけてみると、「本日の波照間線、全便欠航!」。事実上の行程延長が決まった瞬間です。多分顔はひきつった笑いをしていたと思いますが、朝ごはんを頂きに食堂に降りて行った時、宿のご主人やスタッフの方々に「今日も全便欠航なんで、もう1泊強制宿泊をお願い致します!」と声高らかに宣言してしまいました。

予定通りに帰るには、明日12月10日の朝1便に乗り、石垣をタッチ&ゴーで空港に向かうしか方法がなくなりました。
このような場合、大手のレギュラーキャリアだと欠航が証明できるものがあれば、手数料なしで振り替えてくれることもあるそうですが、LCCのpeach、オマケにバーゲンプライス(ハッピーピーチ料金)で取ったものだとどうなるのか?チケット自体が無効になるのでは・・・と一抹の不安を抱えてカスタマーセンターに電話したところ、「12月11日に変更する場合」だと「12月10日の午前0:00」までに変更していれば、同一料金帯のハッピーピーチの料金で予約変更ができ、差額(今回の場合だと変更時における最も安い料金ですが、バーゲンプライスのような特別料金ではなく通常の料金)+手数料で変えられたのですが、そんなことを知るよしもなかったので、結局ハッピーピーチプラス料金との差額+変更手数料(カスタマーセンターにて変更した場合の)を取られたので、帰りの航空券は約2倍の15,000円になりました。ここでひとつ疑問が・・・。webにて変更の場合、手数料は安くなりますが「スマホ」でできるのかどうなのか?と言うこと。やり方が悪いのかも知れませんが、Androidでは上手くいかなかった・・・。パソコンを持ち運ぶ「手間」を省くためのスマホが使えないというのもいかがなものでしょうか?
色々いちゃもんつけたいのは山々ですが、そこは大人になって支払うものはちゃんと支払って翌日の便に振り替えてもらいました。

とにもかくにも明日の話、今日悩んでも仕方がないので、さぁどうしょうか・・・?今日1日・・・。強がっていたわけではありませんが、正直「今日はなにしようか?」と考えました。宿泊者の中で1人旅で唯一の観光客、とは言え「自然現象」の前に情けなくも「ひざまづかされた」姿が同情をかったのでしょうか・・・?。前日に引き続き「バイク」と「B-CASガード」まで「使って良いよ~」って言って頂きました。2日間でほぼすみずみまで島は回りました。なので今度は「歩い」たりして、からだ全体で島を体験するってことを試したりしました。ホテルが中心部にあるため、海側に降りて行けばどこかしらに着きます。往復歩いてホテルでテレビを見ながら一休み、休んでは歩いてを繰り返し、いつものように陽没までうろちょろし、共同売店を訪れてペチャクチャ世間話をしていると、楽しい時間はすぐに過ぎるもの、陽没まで今までと違った過ごし方を楽しみました。
そして予想だにしていなかった3回目の夕食、私1人のためにメニューをアレンジして頂き、地のものも美味しく頂かせて貰いました。
ヒト風呂浴びるところまでは同じですが、翌日の行程は「予定通り帰る」or「行程延長」の2択しかないので、ガイドブックを見る気も起こらず、さっさと眠りに就きましたzzz。という感じで夜は更けて行きます。

2013年12月10日【火曜日】
昨日同様ふと早朝に目が覚めました。儀式めいた感じで外へタバコをふかしに行きます。至って平穏な天候「のように思える」に、朝1便で石垣に戻り、2時間程公設市場近くの土産物屋を散策して、13時過ぎにはシャトルバスにて空港へ。そして16時前には関西空港へのフライトへ搭乗し、予定通りリムジンバスとJRを乗り継ぎ、最後は地元のローカルバスに揺られ、21時半には自宅到着・・・、という青写真を夢の中で思い浮かべていたようです。
とはいえやはり自然現象は観光客にはわかりません。運航状況を知らせるメールを今か今かと待っている自分、でも結果は・・・、第1・2便欠航、第3便未定→つまりは行程延長決定!(最終的には第3便も欠航しました。)。もう焦りを通り越して半笑いになって、オーナーさんやスタッフの皆様に報告しました。そこでふと気付いたこと、「火曜日」と言うことは「フェリーはてるま」の運航日と違う?ってこと。

すぐさまご主人にその旨聞くと、「先に予約!」と言う間もなく電話で予約を入れて頂きました。その時はことの重大さに気付いていませんでした。
「やっと帰れる・・・」と言う気持ちですが、反面「もうしばらく居てもよかったかな?」と残念に思ったり・・・。こんな気分になるとは正直思いもよりませんでした。天候に振り回されて行程を変更せざるを得なかったこともありましたが、与那国・石垣・波照間と一観光客として駆け足で回っただけで、表現の違いはともかく、「旅人に楽しい時間を過ごしてもらえるよう」に振る舞って頂いた島在住の方々のあたたかい気持ちに触れられたことは、今回の旅で「人の気遣いのありがたみ」を改めて知るかけがえのない体験でした。1泊2日の予定が3泊4日になった波照間島滞在、それも残すところ後わずか、今回の波照間島滞在を振り返るように一歩一歩踏みしめながら歩きました。
ホテルオーシャンズのオーナーさんに「早発」とかもあるんで11時過ぎには港に行くよ!と言われていたので、名残惜しく思いながら3日前に港からホテルに来たルートを戻ります。11時30分波照間港に到着。出航予定は14時00分なんて「さすがに早すぎはしないか?」と思いましたが、まずフェリーの定員は高速艇の半分、つまり50人しかありません。また3日間高速艇が欠航していたため乗船希望が大変多いため、まずは電話で予約入れていないと乗れないし、早い者勝ちみたいなところもあるんで早い目に到着し、チケットを購入することで初めて乗船できることになるようです。4日間お世話になった「ホテルオーシャンズ」のご主人とも名残惜しけど船が入港したので、新たなお客さんの受け入れに忙しいかと思い、「また来ます!」と挨拶をしてフェリーターミナルに入ります。帰りはO/Wの石垣行きで代金¥1,500。チケットはなんとも頼りない手書きの紙片。でもある意味プラチナチケット!という感じです(笑)。次は「出航まで何をするか?」になります。ガイドブックを見ると「土産物屋あだん」さんが書いてありました。場所もすぐわかるところなんで「ウォッチング」兼ねてうろうろと。そのうち店のおばさんと「なにか」が共通の話題になり、結構長い時間話し込んでました。何も考えないでしゃべりたくる観光客はさぞかししうざかったんじゃないかな~って後から思ってみたり。最後にあだんさん発行のオリジナル【日本最南端踏破証明書】と【ステッカー】を購入しました。一観光客が話すことに仕事の手を止めてまで話し相手になって頂いたこと、感謝感激です。ありがとうございました。でも楽しい時間はすぐにすぎるもの。13時45分乗船が始まりました。高速艇が定員約100人に対し、フェリーは定員50名、オマケに3日間の欠航明けなんで「席の取り合い」になると思われたので、小走りに船内へと入りましたが余計な心配なでした!ここは波照間島地元ではない・・・、のんびりやりゃ良いさ!改めて良いところだ~って思いが込み上げてきました。

そして定刻14時00分、た~くさんの思い出の産地「波照間島」を「フェリーはてるま」がゆっくり離れて行きます。

いろいろありましたが、無事船上の人になりました。黒島近くから進行方向左に珊瑚礁の内側を滑走する「高速艇」が見えます。ちなみに高速艇(約60km/h)、それに対しフェリー(約25km/h(ケータイGPSにて計測))だそうです。
また行きの高速艇では気にはならなかったはずですが、フェリーはこのくそ寒い12月に「エアコン」がガンガン効いています。「酔い止め」のためらしいですが、せめて「クーラー」じゃなくって「送風」にして欲しいです。フェリー乗船時の2時間半の行程で3回トイレにかけこみました。勿論酔った訳ではありません(笑)!

結局所要2時間の船旅が2時間半かかって石垣島たどり着きました。多分定員オーバーだったので、ゆっくり走ったんではないかと思う次第です。

そうこうしている間に16時30分、「フェリーはてるま」は石垣港に到着します。石垣は全国展開しているコンビニがないと言うことで「田舎」扱いされていますが、離島から帰ってくると【都会】って感じます。

本日のお宿は、じゃらん手配で船が欠航したために泊まれなかった西表島の宿泊分のポイントが浮いたため、その分で過不足なしに泊まれるところと言うことで、当日の空き部屋限定のプランながら全室オーシャンビューをうたい文句にしている【ホテルイーストチャイナシー】に決定!ちなみにルームチャージは3,900円だったので、旅行の最後くらいリッチにと朝食付プランにして5,040円。まぁ期待は裏切らないホテルです。

波照間からのフェリーは離島ターミナルはす向かいの”フェリーターミナル”に到着します。ちなみに「フェリーよなくに」も同じ場所に着きます。

なぜか下船した方がぞろぞろと離島ターミナルへ向かわれるのを見て「おや?これからどこか行くのかな?」と思いましたが、私と同じく”欠航便のチケットの払い戻し”でした。今回のように行きが高速艇で帰りがフェリーの場合往復割引はききません。高速艇の片道3,000円とフェリーの片道1,500円になります。高速艇の往復割引は5,700円ですが、波照間港の安栄観光の窓口は「代理店」なので払い戻しは石垣でしかできないみたいです。不便ですが仕方ないですね。私の場合、石垣→波照間、波照間→西表大原、西表上原→石垣と言うルートだったので、行きの「石垣→波照間」以外は払い戻しになりました。
結構な数の方がいらっしゃいましたが、いらだっても仕方ないのでの~んびりと順番待ちをして手続きを済ませ、ホテルに向かいます。5階のツインルームのシングルユースでしたが、テラスからの眺めは「絶景」です。雲がかかっているため「サンセット」とはいきませんでしたが、今回の旅の締めくくりにふさわしい場所だと思いました。

一休みして陽が落ちてから行動開始です。まずはドコモショップ石垣美崎店へ。GALAXYの修理の件だったのですが、本体に僅かなひびがあったがため、「無償修理」にはならないとのこと。仕方がないのでケータイ補償サービスを使うことにして地元のショップで受け取る手続きを済ませました。後から考えると代機借りなければ行かなくても済んだのに・・・。

そして念願の「土産物屋あ」さんに行きます。知る人ぞ知る石垣ブランドと言っても過言ではない「Tシャツ」を売っておられます。我が家では「土産はこちらのTシャツ」だけで良い!と言われていました。第1弾を読まれた方は、「不定休・不定時営業」の店ゆえ行けなかったと書いていたお店です。今回は開いていて良かったです!
当然オリジナルデザインものねらいですが、ひとつ「あ」と「ん」という一文字になにかあるのでしょうか?と愚問を投げ掛けたところ、「人の縁」のことであり、シーサーの口の形もそうなんですよと教えて頂きました。目からうろこが落ちるというのはこういうことなんでしょう!思わず納得してしまいました。その他9月に来れなかったことや、旅のエピソードなんかで話が盛り上がってしまい、またいつものごとく長話になってしまいました。やはり迷惑な奴です。ということでTシャツを買うことに。ただ私は普段スーツのため、服のサイズとかまったくわかりません。なので店員さんにみつくろってもらうことに。じいさんで163cmでメタボ体型には、メンズのS、おばはん159cmはレディースのM、おっさん170cmで細身はメンズのMに決まり、お支払いを済ませて、「また来ます!」とご挨拶してお店を後にしました。

そしていつもの公設市場近くの土産物屋を散策。あまり目新しいものはありませんが、数が必要なものなどは、トータル金額から10%引いて貰えるお店が多いので助かります。適当にみつくろったら閉店時間になったので、なにか食べようと思い気軽に入れそうなところを探し始めましたが、なんとなく眠気もあったんで結局適当に買って部屋で食べることにしました。

旅して疲れるというのもなんですが、7泊8日という長い期間の旅は、2007年3月にバリ島へ6泊8日で行った以来実に6年半ぶりのこと、なおかつ今回は自然現象で予定変更をせざるを得なかったりとかでさすがに疲れました。

という訳で部屋に戻り、まずはシャワー。汗と共に受け続けた「潮風」も流します。明後日の今頃は仕事帰りだな~って思うとなにか物悲しい気もします。ひさしぶりにテレビを見ながら「ぼ~っと」していたらいつの間にか時間は
1時半。島では0時には寝てしまっていたのでこれまたひさしぶりの夜更かしです。でもでも…やはり眠さには勝てません。いつもと同じく気が付いたら寝ていますzzz。

2013年12月11日【水曜日】
習慣というのは怖いもの、毎日船の運行状況を確認するため早起きしていたのが今朝も…でした。でも今日は必要ないので、とりあえず朝食を食べに行きます。
普通のバイキング+地のものって感じで特に目新しいものはありませんが、「朝ごはん」がこんなに美味しいと思うことはしばらくなかった気がします。残すことが失礼なんであまりたくさん取らなかったらもの足りずおかわりをしてしまいました(笑)!

お腹が膨れると決まって眠気に襲われます。という訳で一眠りして、10時きっかりにチェックアウトします。

今回の目的のひとつ、「地銀」を訪れます。ホテル前にある「琉球銀行八重山支店」。お金を預ける訳ではありません。勿論引き出す訳もありません。ではなんでしょう?答えは「両替」です(笑)。ここまでの話を同僚数人に聞きましたが、理由を当てた方はいませんでした。「コロンブスのたまご」みたいですが、単純に「2,000円札」を手に入れるためです(爆)。
私の「お年玉」は以前は「8,000円」、(ここで内訳がわかった方は、私と同じ性格かもしれませんね!)つまり5,000円+2,000円+1,000円札各1枚。しかし昨年末どこを聞いても地元では「2,000円札」の新札がなく、2,000円のないお年玉になりました。「ケチ」といわれるかもしれませんが、こだわりです。ただ沖縄では普通に2,000円札はあると聞いたんでホントかどうか知りたかったのですが、「事実」です。それも別に珍しいという感じでもなかったので、多分普通なんでしょうね。ひとつ発見しました!
その後はまた「土産物散策」。場所は公設市場近くです(笑)。

次はいつ来られるかな?って思っていたんで、何度も何度も「離島ターミナル」「730交差点」「公設市場」やその回りをぶ~らぶらと歩きます。今回は石垣でレンタカーは使わなかったので余計に見るものすべてが目新しい思えました。でも時間は過ぎます。「歩きたい」気持ちがどんどん大きくなってきたので、現実に戻るため、東運輸バスターミナルに向かいます。そして12時45分、空港行きのシャトルバスは発車しました。

観光客の方は、停車の少ない「準急バス」を好まれると聞いたことがありますが、私はこのあっちこっちと寄りまくるバスが好きです。ニッコーやインターコンチなんかよって行きますが、お客はいません。なので到着は数分早い13時30分でした。でものんびりと車窓を眺められたのは大変良かったです!

とりあえず空港に着いたので、Peachのカウンターに向かいます。でもチェックインは14時30分からと言われてしまいました。あと1時間・・・。荷物を持って動くと体に堪えます。とりあえずコインロッカーにほりこんで、空港周辺を散策。あと少し空港売店も散策。
やっとチェックインしたら、出発が16時00分に。またしばらくうろうろ。とはいえさほど大きくない空港、一周するのもすぐです。2階にコインパソコンがあったのでしばらく遊んだあと、保安検査場に行くと「修学旅行生」の集団が・・・。若い頃にいろいろと経験する考えには賛成ですが、毎回目にすること、「他の人に迷惑をかけるな」!!。特に気になることは”ケータイをポケットに入れたまま金属探知機をくぐること”。鳴るに決まっているでしょ?わからない??確かに旅行らしい旅行が初めての生徒では仕方がないのかも知れません。でも引率している教師や添乗員等”大人”がもっと気をつけてやらないとダメでしょう。団体行動をさせるにあたっては!出発が立て込んでいる時間帯だと”不必要にトラブルを招く”こともあるんで!ピーチから”呼び出し”されてしまった人間はそう思います。

結局ボーディングは15:55に最後の私が乗込み、16:00きっかりに動き始めました。LCCの時刻管理は素晴らしいと改めて思います。”5F”の座席に陣取りましたが、さすがにランディングの際は起きていました。巡り巡った風景を見るために…。
しばらくして水平飛行になり、シートベルトサインは消えましたが、私には睡魔が…。気流も良く揺れもなかったんで寝るにはサイコーの条件でした。と言うことでまたまたzzz…。
目が覚めると外は闇に包まれていました。ほどなく着陸態勢のアナウンスが掛かり高度が下がっていきます。関西空港の天気・気温のアナウンスでは、曇り・10℃とのこと。そして着陸。A320-200の”マリコジェット”の旅は終わりました。

毎度のことながら”タラップ”利用です。たぁっだぁ~っ…雨降ってるし、吐く息は白いし…。第2ターミナルの”プレハブ通路”を足早に歩き、ターンテーブルで荷物待ち。あまり機内預けはしないので、イマイチ勝手はわからないのですが、たまたま最後の場所に陣取ったお陰で結構早くピックアップができ、お決まりの”(-.-)y-~”してリムジンバス乗場に急ぎます。出発の遅れはあっても到着はオンタイムの18:05(その時間にはタラップを降りられました!)、バスも定刻18:55に発車し一路京都へ。途中渋滞回避のため阪神高速から第二京阪・阪神高速京都線を経て(私は熟睡のためどの道を通ったのかは良くわかりません・・・悪しからず。)、20:30京都駅八条口に到着。そしてJR琵琶湖線20:52発快速に乗込み、21:10頃最寄り駅に到着しました。

いつもはバス待ちをするんですが、たまたま家の者が帰る時間とかぶったため、「迎えヨロシク!」と言っていたにも関わらず駅で20分待たされました。まぁ遊んできた立場ゆえ仕方ないか・・・。

22:00少し前に自宅に戻りました。この時間で3℃なんで”むちゃくちゃ寒い”レベルではないのですが、やはり半日前は20℃を越えている南国・・・、それに加えて明日から仕事の現実ですが、一番辛いのは”夜寝られないこと”。出勤が昼からなんでサイクルがそうなってしまうんですがなんか空しい感じがします。さぁ8日間の楽しい日々を”夢”で見られることを期待しつつ、2:00過ぎにやっと眠りに着きます。

これで第2弾現実逃避行八重山諸島の旅~与那国島・波照間島・石垣島~《後編》波照間島まさかの欠航!の旅は終わりです。zzz。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JALグループ JRローカル 徒歩 バイク Peach
旅行の手配内容
個別手配
  • 波照間島”ホテルオーシャンズ”さん全景。

    波照間島”ホテルオーシャンズ”さん全景。

    ホテルオーシャンズ 宿・ホテル

    波照間のNo1の宿! by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 知る人ぞ知る波照間島の幻の泡盛、”泡波”の2合瓶。波照間酒造謹製。

    知る人ぞ知る波照間島の幻の泡盛、”泡波”の2合瓶。波照間酒造謹製。

    波照間酒造所 専門店

  • 日本最南端の郵便”波照間郵便局”。

    日本最南端の郵便”波照間郵便局”。

    波照間郵便局 名所・史跡

  • ”オヤケアカハチ”誕生の地。<br />オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少の頃から豪傑としての頭角を表していたという話があるが、不詳。波照間には生誕記念碑がある。つまりここです。<br /><br />歴史史料上は大浜(石垣島)住人として登場する。妻は石垣村の長田大主の妹の古市。1500年、彼は島民の広範な支持を背景に、中山王府への八重山からの朝貢を断たしめたが、2月13日からの中山軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。<br /><br />オヤケアカハチの乱は、1500年に八重山島大浜村(現在の石垣市大浜)の豪族オヤケアカハチと、中山(尚真王代)との間で行われた戦争である。中山が勝利し、アカハチを殺害した。(wikipedia)<br /><br />難しい内容なんで簡単に言うと、「琉球王朝が八重山に不当な税金を課そうとした際に、地元の豪族であったオケヤアカハチが反乱を起こした」と言うものです。賊軍とされたオケヤアカハチは最後には殺害されますが、判官びいき的な考えで今に伝わっているように思います。古代琉球王朝にまつわる一揆的なもののようですが、あまり核心に迫る内容も残っていないようです。

    ”オヤケアカハチ”誕生の地。
    オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少の頃から豪傑としての頭角を表していたという話があるが、不詳。波照間には生誕記念碑がある。つまりここです。

    歴史史料上は大浜(石垣島)住人として登場する。妻は石垣村の長田大主の妹の古市。1500年、彼は島民の広範な支持を背景に、中山王府への八重山からの朝貢を断たしめたが、2月13日からの中山軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。

    オヤケアカハチの乱は、1500年に八重山島大浜村(現在の石垣市大浜)の豪族オヤケアカハチと、中山(尚真王代)との間で行われた戦争である。中山が勝利し、アカハチを殺害した。(wikipedia)

    難しい内容なんで簡単に言うと、「琉球王朝が八重山に不当な税金を課そうとした際に、地元の豪族であったオケヤアカハチが反乱を起こした」と言うものです。賊軍とされたオケヤアカハチは最後には殺害されますが、判官びいき的な考えで今に伝わっているように思います。古代琉球王朝にまつわる一揆的なもののようですが、あまり核心に迫る内容も残っていないようです。

    オヤケアカハチ生誕の地 名所・史跡

  • &quot;日本最南端之碑&quot;その1。

    "日本最南端之碑"その1。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • &quot;日本最南端之碑&quot;その2。

    "日本最南端之碑"その2。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • &quot;日本最南端之碑&quot;その3。

    "日本最南端之碑"その3。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • 日本最南端之碑。別角度より。

    日本最南端之碑。別角度より。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • 波照間之碑。

    波照間之碑。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • 日本最南端の石碑。

    日本最南端の石碑。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • &quot;日本最南端平和の碑&quot;。

    "日本最南端平和の碑"。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”星空観測センター”。

    ”星空観測センター”。

    波照間島星空観測タワー 名所・史跡

  • ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」南方向。

    ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」南方向。

    ニシ浜 ビーチ

  • ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」。東方向の海。

    ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」。東方向の海。

    ニシ浜 ビーチ

  • ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」。西方向の海。

    ニシ浜ビーチで「はてるまブルー」。西方向の海。

    ニシ浜 ビーチ

  • ”長田御嶽”(ナータヤマ)、沖縄の言葉では(ナガタウタキ)。御嶽とは沖縄における古来からの信教の中心とされるところで、祖先崇拝と自然界におけるさまざまな神を崇めるべく聖地とされているそうです。

    ”長田御嶽”(ナータヤマ)、沖縄の言葉では(ナガタウタキ)。御嶽とは沖縄における古来からの信教の中心とされるところで、祖先崇拝と自然界におけるさまざまな神を崇めるべく聖地とされているそうです。

    長田御嶽 名所・史跡

  • 高那崎から眺める南方向の海。

    高那崎から眺める南方向の海。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”日本最南端之碑”近くの交差点より見た”陽の入り”。

    ”日本最南端之碑”近くの交差点より見た”陽の入り”。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”日本最南端の碑・平和の碑”遠景。

    ”日本最南端の碑・平和の碑”遠景。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”波照間灯台”。

    ”波照間灯台”。

    波照間島灯台 名所・史跡

  • ”ニシ浜ビーチ”、初日。

    ”ニシ浜ビーチ”、初日。

    ニシ浜 ビーチ

  • ”ニシ浜ビーチ”、2日目。

    ”ニシ浜ビーチ”、2日目。

    ニシ浜 ビーチ

  • ”ニシ浜”すぐそこ”ペンション最南端”。

    ”ニシ浜”すぐそこ”ペンション最南端”。

    ペンション最南端 宿・ホテル

  • ”学徒慰霊碑”。私も9月に石垣島を初めて訪れて知った?八重山における戦争被害?のことで、「戦争マラリアにまつわる話」です。第二次世界大戦の沖縄戦では、わずか90日間あまりの戦闘で沖縄県民の4人に1人が亡くなり、米軍死者12500人を含め、死者231000人を出しました。また日本軍の軍命による強制疎開で起きた「戦争マラリア」の犠牲者は3647人にのぼり、戦わずして八重山の島民が「日本軍に殺された」事例のひとつになります。<br /><br />マラリアは八重山諸島では明治時代から風土病として恐れられていたが、日本軍は1944年に八重山郡島各地でマラリアなどの病気を調査し有病地域を把握していたにもかかわらず、石垣島の八重山守備軍は米軍の上陸を想定してか、無病地の島民を軍命でマラリア有病地へ疎開させた。そのうち竹富、波照間、黒島、新城島などの住民は島全体が有病地の西表島へと疎開させられることになります。<br /><br />疎開は波照間島では1945年4月頃から始まり、疎開先での食糧が欠乏し抵抗力が落ち始める頃に雨季が重なったため、キニーネなどの抗マラリア薬はなく、発病患者が一人二人と病死し始めた。しかし本当のマラリア地獄は7月以降、疎開が解除され帰島してからだった。家に戻っても食糧も薬もなく、ほとんどの住民が発病し生死をさまよった。<br />強制疎開の結果、人口31671人の八重山島民のうち、16884人がマラリアに罹るか発病し、3647人が病死した。犠牲者の大半が6月から12月までの短期間に集中し、10歳以下の幼児と61歳以上の高齢者に死者が多かった。死亡率が高いのは、戦争マラリアの6割がマラリアの中で最もやっかいで、若くても死に至る「熱帯熱マラリア」だったからのようだ。八重山守備軍もキニーネなどの抗マラリア薬の欠乏で、かなりの将兵が戦わずしてマラリア死した。<br /><br />これらのおびただしい死は、6月下旬の沖縄戦終結や、敗戦で歯止めがかかることなく、悪化の一途をたどった。9月に石垣島に上陸した米軍が、抗マラリア薬のアテブリンを配布し始めたのが12月。住民をマラリア地獄に陥れた熱帯病は翌年に入ってようやく収束した。戦後、日本軍の責任者が処罰されることも戦犯として裁かれることもなく、国家の責任はあいまいに処理された。<br /><br />波照間島の犠牲者数は異常に多かった。人口1600人に満たない波照間島民の死者は477人。黒島島民(人口1345人)は、同じ西表島に疎開(別の海岸地帯)したが、マラリア死が19人だけだった。波照間島には他島にはない疎開を徹底させた要因があった。<br /><br />「山下が島民をマラリア地獄に送り込んだ人だ。強制疎開は牛馬を薫製にして日本軍の食糧にするのが狙いだったといわれている。」。島の歴史の中で空白の6ヶ月は牛馬の生き地獄となり、島民が帰ったら人間のマラリア地獄だった。島には屠蓄された家畜の慰霊碑もまだない。ムシャマー(先祖供養)の行事にも戦争マラリアの証言を含めた慰霊祭はない」。<br /><br />わかる範囲で書きましたが、もし追筆して頂ける方がいらっしゃいましたらお願い致します。

    ”学徒慰霊碑”。私も9月に石垣島を初めて訪れて知った?八重山における戦争被害?のことで、「戦争マラリアにまつわる話」です。第二次世界大戦の沖縄戦では、わずか90日間あまりの戦闘で沖縄県民の4人に1人が亡くなり、米軍死者12500人を含め、死者231000人を出しました。また日本軍の軍命による強制疎開で起きた「戦争マラリア」の犠牲者は3647人にのぼり、戦わずして八重山の島民が「日本軍に殺された」事例のひとつになります。

    マラリアは八重山諸島では明治時代から風土病として恐れられていたが、日本軍は1944年に八重山郡島各地でマラリアなどの病気を調査し有病地域を把握していたにもかかわらず、石垣島の八重山守備軍は米軍の上陸を想定してか、無病地の島民を軍命でマラリア有病地へ疎開させた。そのうち竹富、波照間、黒島、新城島などの住民は島全体が有病地の西表島へと疎開させられることになります。

    疎開は波照間島では1945年4月頃から始まり、疎開先での食糧が欠乏し抵抗力が落ち始める頃に雨季が重なったため、キニーネなどの抗マラリア薬はなく、発病患者が一人二人と病死し始めた。しかし本当のマラリア地獄は7月以降、疎開が解除され帰島してからだった。家に戻っても食糧も薬もなく、ほとんどの住民が発病し生死をさまよった。
    強制疎開の結果、人口31671人の八重山島民のうち、16884人がマラリアに罹るか発病し、3647人が病死した。犠牲者の大半が6月から12月までの短期間に集中し、10歳以下の幼児と61歳以上の高齢者に死者が多かった。死亡率が高いのは、戦争マラリアの6割がマラリアの中で最もやっかいで、若くても死に至る「熱帯熱マラリア」だったからのようだ。八重山守備軍もキニーネなどの抗マラリア薬の欠乏で、かなりの将兵が戦わずしてマラリア死した。

    これらのおびただしい死は、6月下旬の沖縄戦終結や、敗戦で歯止めがかかることなく、悪化の一途をたどった。9月に石垣島に上陸した米軍が、抗マラリア薬のアテブリンを配布し始めたのが12月。住民をマラリア地獄に陥れた熱帯病は翌年に入ってようやく収束した。戦後、日本軍の責任者が処罰されることも戦犯として裁かれることもなく、国家の責任はあいまいに処理された。

    波照間島の犠牲者数は異常に多かった。人口1600人に満たない波照間島民の死者は477人。黒島島民(人口1345人)は、同じ西表島に疎開(別の海岸地帯)したが、マラリア死が19人だけだった。波照間島には他島にはない疎開を徹底させた要因があった。

    「山下が島民をマラリア地獄に送り込んだ人だ。強制疎開は牛馬を薫製にして日本軍の食糧にするのが狙いだったといわれている。」。島の歴史の中で空白の6ヶ月は牛馬の生き地獄となり、島民が帰ったら人間のマラリア地獄だった。島には屠蓄された家畜の慰霊碑もまだない。ムシャマー(先祖供養)の行事にも戦争マラリアの証言を含めた慰霊祭はない」。

    わかる範囲で書きましたが、もし追筆して頂ける方がいらっしゃいましたらお願い致します。

    学童慰霊の碑 名所・史跡

  • 万国共通”広場のツリー”。

    万国共通”広場のツリー”。

    ホテルオーシャンズ 宿・ホテル

    波照間のNo1の宿! by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • ”波照間空港”、現在閉鎖中。

    ”波照間空港”、現在閉鎖中。

    波照間空港 空港

  • ”高那崎”より見る”海”、南方向。

    ”高那崎”より見る”海”、南方向。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”高那崎”より見る”陸と海”、東方向。

    ”高那崎”より見る”陸と海”、東方向。

    高那崎・日本最南端の碑 自然・景勝地

  • ”コート盛”。サンゴ石灰岩を積み上げた中世以降の見張り台です。<br /><br />コート盛は波照間港から中心部の集落(名石,前,北,南の4集落に分かれており境界分からない)集落に向かう道沿いにあるが,僕は富嘉集落の方から回ってきたので,中心部の集落に入る手前で北に向かいコート盛に出た。これは琉球石灰岩を積み上げた見張り台(遠見台)であり,高さは4mほどある。<br /><br />このような見張り台は八重山地域が琉球王朝の支配を受けるようになった17世紀に,各地に造られた。目的は異国船や進貢船などを監視し,異状があれば烽火によって,波照間→西表→小浜→竹富を経由し石垣島の蔵元に通報されていた。コート盛は螺旋階段により最上部まで上がることができ島内を見渡すことができます。<br /><br />その目的は外国船や琉球から中国への進貢船、大和の船の通行を監視して、烽火(のろし)により、その通行を石垣島にある蔵元(八重山をとりまとめる役所)に通報することにありました。その際、島によっては直接石垣島まで見渡す=烽火をかざすことができないため、島伝いの烽火リレーによって通報が行われました。難破船の救護にも利用されたようです。<br /><br />このような遠見台は、17世紀半ば以前にもいくつかあったようですが、琉球王府がこの時期に全域に整備したのには、東アジア地域の国際情勢に大きな変化があったという理由がありました。 <br /><br />1644年、李自成の北京占拠により明が滅亡し、さらに、清国軍の北京侵攻により中国は清王朝の支配下におかれることとなりました。この政変に対して琉球王府は一時的に朝貢を中止しています。<br /><br />一方でスペインが、台湾北部やフィリピンのマニラを占拠し、琉球へも軍事的進出をはかろうとしていました。特に、マニラを拠点とするキリスト教の布教活動は、琉球経由で日本布教をはかろうとしていました。1641年、幕府は鎖国を完成し、その直前には「八重山キリシタン事件」を口実に、琉球でも本格的な禁教政策がしかれることとなりますが、そんな中でも台湾、フィリピンに近い八重山にスペイン船が頻繁に出没していました。<br /><br />このような緊迫した状況のなか、1644年に初めて「遠見台」が設立されました。遠見番人が配置されて交代で見張りが行われ、不審な船の通行が発見された場合、烽火によってすみやかに通報がされました。 <br />のちに1768年には、のろしの数によって船の国籍を区別するしくみが制度化されました。<br /> <br />「遠見台」は、島のなかでも見晴しのよい高台や丘につくられましたが、平らな島の場合、多くは石積の遠見台が村番所(役所)に併設して築かれました。波照間島の場合、「コート盛」が村番所に併設された遠見台だと考えられています。<br /> <br />波照間からは対岸に見える西表島南風見村の遠見台と烽火で連絡を取り合い、南風見からは小浜島の大岳経由で竹富の「クースクムイ(小城盛)」に合図が送られ、そこから石垣島にある蔵元に連絡が行きました。

    ”コート盛”。サンゴ石灰岩を積み上げた中世以降の見張り台です。

    コート盛は波照間港から中心部の集落(名石,前,北,南の4集落に分かれており境界分からない)集落に向かう道沿いにあるが,僕は富嘉集落の方から回ってきたので,中心部の集落に入る手前で北に向かいコート盛に出た。これは琉球石灰岩を積み上げた見張り台(遠見台)であり,高さは4mほどある。

    このような見張り台は八重山地域が琉球王朝の支配を受けるようになった17世紀に,各地に造られた。目的は異国船や進貢船などを監視し,異状があれば烽火によって,波照間→西表→小浜→竹富を経由し石垣島の蔵元に通報されていた。コート盛は螺旋階段により最上部まで上がることができ島内を見渡すことができます。

    その目的は外国船や琉球から中国への進貢船、大和の船の通行を監視して、烽火(のろし)により、その通行を石垣島にある蔵元(八重山をとりまとめる役所)に通報することにありました。その際、島によっては直接石垣島まで見渡す=烽火をかざすことができないため、島伝いの烽火リレーによって通報が行われました。難破船の救護にも利用されたようです。

    このような遠見台は、17世紀半ば以前にもいくつかあったようですが、琉球王府がこの時期に全域に整備したのには、東アジア地域の国際情勢に大きな変化があったという理由がありました。

    1644年、李自成の北京占拠により明が滅亡し、さらに、清国軍の北京侵攻により中国は清王朝の支配下におかれることとなりました。この政変に対して琉球王府は一時的に朝貢を中止しています。

    一方でスペインが、台湾北部やフィリピンのマニラを占拠し、琉球へも軍事的進出をはかろうとしていました。特に、マニラを拠点とするキリスト教の布教活動は、琉球経由で日本布教をはかろうとしていました。1641年、幕府は鎖国を完成し、その直前には「八重山キリシタン事件」を口実に、琉球でも本格的な禁教政策がしかれることとなりますが、そんな中でも台湾、フィリピンに近い八重山にスペイン船が頻繁に出没していました。

    このような緊迫した状況のなか、1644年に初めて「遠見台」が設立されました。遠見番人が配置されて交代で見張りが行われ、不審な船の通行が発見された場合、烽火によってすみやかに通報がされました。
    のちに1768年には、のろしの数によって船の国籍を区別するしくみが制度化されました。

    「遠見台」は、島のなかでも見晴しのよい高台や丘につくられましたが、平らな島の場合、多くは石積の遠見台が村番所(役所)に併設して築かれました。波照間島の場合、「コート盛」が村番所に併設された遠見台だと考えられています。

    波照間からは対岸に見える西表島南風見村の遠見台と烽火で連絡を取り合い、南風見からは小浜島の大岳経由で竹富の「クースクムイ(小城盛)」に合図が送られ、そこから石垣島にある蔵元に連絡が行きました。

    コート盛 名所・史跡

  • 波照間島にて。12月に道端で咲く”ハイビスカス”。

    波照間島にて。12月に道端で咲く”ハイビスカス”。

    波照間港 乗り物

  • ”シシ岩”。たぶん琉球石灰岩だと思いますが、自然にできた物のようです。

    ”シシ岩”。たぶん琉球石灰岩だと思いますが、自然にできた物のようです。

  • ”波照間港旅客ターミナル”。

    ”波照間港旅客ターミナル”。

    波照間港 乗り物

  • 安栄観光”フェリーはてるま”乗船券。波照間→石垣。<br />ある意味で”プラチナチケット”です!

    安栄観光”フェリーはてるま”乗船券。波照間→石垣。
    ある意味で”プラチナチケット”です!

    安栄観光 乗り物

  • 安栄観光”シシ岩”その1。元”波照間海運”所属、当時の表示は船内にところせましとあります。

    安栄観光”シシ岩”その1。元”波照間海運”所属、当時の表示は船内にところせましとあります。

    安栄観光 乗り物

  • 安栄観光”フェリーはてるま”その2。波照間島脱出の”神様”です。

    安栄観光”フェリーはてるま”その2。波照間島脱出の”神様”です。

    安栄観光 乗り物

  • 安栄観光”波照間島航路運航図”2013年12月10日。

    安栄観光”波照間島航路運航図”2013年12月10日。

    安栄観光 乗り物

  • ”波照間港内のお土産物屋あだん”さん。

    ”波照間港内のお土産物屋あだん”さん。

    港ターミナル売店 あだん 専門店

  • 「波照間港岸壁」。

    「波照間港岸壁」。

    波照間港 乗り物

  • 石垣島”ホテルイーストチャイナシー”、テラスから見る”離島ターミナル”方向。

    石垣島”ホテルイーストチャイナシー”、テラスから見る”離島ターミナル”方向。

    ホテルイーストチャイナシー 宿・ホテル

  • 石垣島”ホテルイーストチャイナシー”、部屋から見るテラスと海。絶景です!

    石垣島”ホテルイーストチャイナシー”、部屋から見るテラスと海。絶景です!

    ホテルイーストチャイナシー 宿・ホテル

  • 石垣島の公共交通機関、”東運輸”のシャトルバス。

    石垣島の公共交通機関、”東運輸”のシャトルバス。

    東バスの「定期観光バス」 乗り物

  • しばしのお別れ”美ぬ島石垣空港”。

    しばしのお別れ”美ぬ島石垣空港”。

    新石垣空港 (南ぬ島石垣空港) 空港

  • Peach航空A320-200”Marikoジェット”。

    Peach航空A320-200”Marikoジェット”。

    新石垣空港 (南ぬ島石垣空港) 空港

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