2012/07/23 - 2012/07/25
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kubochanさん
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旅行の最終日
かねてから行ってみたいと思っていた鎌倉へやってきました。
広い園覚寺に参拝してから徒歩で東慶寺を経て建長寺まで暑い中大変遠く感じました。そして鶴岡八幡宮に参拝、下りる途中でかわいいリスを発見しました。そして電車で鎌倉大仏、長谷寺と行ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄
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園 覚 寺
瑞鹿山 円覚寺(ずいろくさん えんがくじ)は鎌倉五山の第二位の名刹です。弘安5年(1282)8代執権北条時宗が2回の元寇(蒙古襲来)の戦死者供養のためと国土安泰を願い宋より招いた無学祖元を開山として創建しました。創建当時は,中国の万寿寺を模し,七堂伽藍・塔頭42を数える大寺であったといいます。 -
仏殿
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本尊
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妙香池
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百観音
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勅使門
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居士林
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選仏場
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選仏場
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東慶寺
東慶寺は今から約720年前、弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創いたしました。封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。明治38年(1905)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。師の高徳ゆえ、門下には居士、哲学者、政財界人多く、鈴木大拙もその一人でありました。のちに裏山に「松ヶ岡文庫」を設立、世界的禅文化の発展の拠点ともなりました。 -
東慶寺
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東慶寺
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建長寺
巨福山建長興国禅寺は、鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山です。北条時頼が、建長五年(1253)に宗から来日していた高僧・蘭渓道隆を招いて建立したわが国最初の禅寺。
創建当時の伽藍配置は,総門、三門、仏殿、法堂などの主な7つの建物が中軸上に並ぶ中国の禅宗様式の伽藍配置になっており49の塔頭(小寺院)を有する大陸的な荘厳なものでした。その後,14,15世紀に起こった数度の火災で,その多くが焼失してしまったが江戸時代に入り,高名な沢庵和尚の進言で再建された。 -
建長寺
仏殿 -
建長寺
法堂 -
建長寺
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建長寺
方丈・紫雲閣 -
建長寺
鐘楼 -
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移した。建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた。源頼朝が,この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時であった。翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていた。 -
鶴岡八幡宮
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鶴岡八幡宮
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リスがいました。
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鶴岡八幡宮
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鶴岡八幡宮
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JR鎌倉駅
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高徳院 鎌倉大仏
鎌倉を代表する名所となっている長谷の高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年になってから作り始めた。「吾妻鏡」によれば、北条泰時の時に、淨光という僧が諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。北条泰時もその建立に援助をした。そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243)6月11に行われた。泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。この時、建立した大仏は木造であった。
そして4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252)にあらためて金剛の大仏が造営され始めた。大仏殿は建武二年(1335)と志安二年(1369)の台風で倒壊。更に明応四年(1495)の大津波で押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。本尊の大仏は阿弥陀如来。阿弥陀如来の高さは12.38m、総重量は121トンである。 -
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大仏の内部
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大仏の背中
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長谷寺
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基でもある徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。 -
長谷寺
良縁地蔵 -
長谷寺
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長谷寺
本堂(観音堂) -
長谷寺
阿弥陀堂 -
長谷寺
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明治時代に建設された旅館
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