2013/07/12 - 2013/07/12
106位(同エリア780件中)
クッキーさん
ベルサイユ宮殿をささっと見て回った後は、トラムに乗ってグラントリアノンまでやってきました。
開園時間の12時までしばらく待ちます。その間、庭園を少し歩くこともできたけれど、宮殿内を歩き回った後なのでそんな気力、体力は残っていません。炎天下、じっと我慢です。
グラントリアノンとプチトリアノンを1時間ほど見学した後は再びトラムで戻ります。トラムを選択してよかったと、しみじみ思った帰り道でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
12時の開園と同時に入場。
グラントリアノンはルイ16世の愛人との愛の巣だったのだとか。 -
「鏡の間」
ルイ14世が使用した居室。王はここで閣議を執り行っていた。 -
「皇后の寝室」
元はルイ14世の寝室。 -
これらの部屋は廊下で繋がれているのではなく、部屋が全て繋がっている。
寝室までもがそうなのだから、おちおち寛いでもいられないだろうな。
いったいどんな生活だったのだろうか。 -
-
大理石の暖炉。とても綺麗なマーブル柄。
-
「柱廊」を通って反対側の右翼棟へ。
グラン・トリアノンは、その装飾から「大理石のトリアノン」と呼ばれた。
ピンク色の大理石がとても可愛らしい印象。 -
「柱廊」からの眺め。
-
正面中庭。
こじんまりとして落ち着いた庭。 -
-
「皇帝の家族の間」。
当初は劇場だったが、ルイ14世の第3居室では控えの間となった。
ルイ15世のときに遊戯の間となり、帝政下では家族の居間となった。 -
「音楽の間」。
ルイ14世の第1居室の控えの間で、王の夕食が出された部屋。
扉の上部分が開いて、食事中に隣の部屋で演奏される音楽が聞こえるような仕掛けになっているらしい。 -
-
-
-
「皇帝ルイ・フィリップの家族の間」。
黄色を基調とした、華やかさと威厳を備えた部屋。 -
「孔雀石の間」。
ルイ14世のときには夕日の間として使用された。その後、ブルゴーニュ公爵夫人の寝室となり、帝政下には皇帝の間となる。
ロシア皇帝アレクサンドル1世からナポレオンに贈られた孔雀石の家具類が置かれているため、この名が付いている。
カーテンや椅子の布に使用された華やかなピンク色と孔雀石の緑色が対照的。 -
「皇帝の地図の間」
元は泉の木立に向かって開かれた部屋だった。
ナポレオンはこの部屋を図書室として使用した。
白い壁に深みのあるグリーンのカーテンが掛かり、たいへん落ち着いた印象の部屋。 -
「コテルの回廊」。
-
ヴェルサイユの庭園とトリアノン宮の風景画がずらりと飾られている。
-
-
まさに絶対王政の隆盛期を彷彿とさせる一枚。
-
幾何学的で整然としたフランス式庭園。
これらの植物はいつでも交換できるように、花と香りに満ちた美しい光景を演出できるように鉢植えになっているのだとか。 -
遠くに見える樹木。
-
「薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿と快適な庭園」がコンセプトというグラン・トリアノン。
-
グラントリアノンの門扉も輝いている。
-
たぶんレンタサイクルだろうけれど、この石畳では乗り心地は良くなさそう。
-
12:42
プチトリアノン。
こんな小さな中庭を通っていく。 -
まるで修道院か何かの中庭風。
プチトリアノンのイメージにピッタリ。
とはいうものの、どうも裏口から入って、正面のファサードは全く見ていないような気がする。 -
プチ・トリアノンは、ルイ15世が愛妾ポンパドゥール夫人のため、1762年から1768年にかけて建てた離宮である。
が、ポンパドゥール夫人は完成をみないまま、1764年に死去した。その5年後、公式愛妾となったデュ・バリー夫人に贈られ、夫人臨席のもと落成式が行われた。
1774年、ルイ16世が即位すると、王妃となったマリー・アントワネットがこのプチ・トリアノンの土地を譲り受ける。
アントワネットはここをたいそう気に入り、庭園をイギリス風に改造した。 -
華麗な階段。
-
こんなトンネルのような通路・・
-
-
-
2階の「控えの間」に飾られているマリー・アントワネットの肖像画は、もっともお気に入りだった女流画家ヴィジェ・ブランによる作品で、1783年に描かれたもの。
薔薇の花を持つこの絵は、アントワネットの肖像画としておそらくもっとも有名なものだろう。
幸福の絶頂期。 -
-
「小会食の間」
-
アントワネットの内殿。
右端の鏡は移動式になっており、下からせり上がってきて窓を隠すことのできるもので、窓が開いているときは庭がよく見渡せる。いわゆる目隠しだったらしく、恋人との逢い引きの際に中が見えないよう使われたらしい。 -
王妃の寝室。
1774年まではデュ・バリー夫人が使用していた。ルイ15世が崩御すると、夫人はヴェルサイユを追放され、革命勃発後は国外に亡命した。
マリー・アントワネットは1777年から1789年までこの寝室を使用。
アントワネットは1793年10月、デュ・バリー夫人はその同じ年の12月、同じギロチンで処刑されたのだとか。 -
「王妃の村里」に向かって歩いていくと「愛の殿堂」が見えてくる。
手前にある干し草ロールはいかにも田舎風。 -
周りから丸見えのここで逢引きしたとは思えない。
-
「愛の殿堂」という名称は、ここが逢引きの場所だからではなく、ギリシャ神話をモチーフとした彫像が中に収められていることから来ている。
-
天井部分。
-
はるか遠くに見えた「王妃の村里」
行けば良かったのだが、もう歩く気力も無くて、カメラの最大ズームでその雰囲気を切り取ったのみ。
「さながら印象派の風景画を切り取って、そこに貼りつけたかのようである。
18世紀当時、田舎風な家屋はヨーロッパの貴族の間で流行したピトレスク(画趣に富んだ自然や事物などへの関心)趣味の庭園に欠かせない要素だったらしい。」というコメントをどなたかの旅行記で拝見し、心が癒される空間だと褒めたたえているのを知ると、時間の都合ではなく、体力の都合で行かなかったことをとても後悔している今。 -
小川の水は澱んでおり、あまり手入れは行き届いていない様子。
-
プチトリアノンをバックにした干し草ロール。
-
この炎天下にもかかわらず王妃の村里を目指す人も多い。
-
ここがプチトリアノンの正面だろう。
-
帰りのトラムを待つあいだの一枚。
-
さわやかな時期なら歩いたら気持ちの良い庭園だろうが、この暑さでは想像するだけでうんざり。
見事な刈込み。 -
トラムから。
-
庭園。
-
-
13:42
乗り場まで戻ったら、トラムを待つ人が一杯並んでいた。
人気の観光地では早朝行動が必須かもしれない。 -
庭園の池が気になったので、池まで戻ってみることに。
-
日差しを遮るものは何もない庭園。
-
-
ドラゴンの泉。
-
右はアポロンに殺された大蛇ピュトンの像。
-
-
宮殿をバックに。
-
これらの花々も鉢植えなのかな。
-
トラムを待つ人の列。
-
14:00
宮殿から出てきたら、このような人の波が。 -
炎天下でもあり、こんな列に並ぶのは大変。
-
乗客を待つ観光バス。
-
14:24
シャンティエ駅。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
クッキーさんの関連旅行記
ヴェルサイユ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
67